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第4章 命の意味

第45話 産業廃棄物 ②

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 ドアには在室中とパネルが表示されているので、ノックをしてみる。
 するとすぐに返事が返ってきた。

「失礼します。武智教授、質問があるんですけどいいですか?」
「む? ああ、日原君か! もちろんだとも。いやはや、君が実習で倒れたと聞いたから私も気にかけていたんだが――」

 デスクでマグカップを傾けていた教授は日原の声を耳にすると勢いよく立ち上がってこちらに目を向けた。

 教授は解剖学実習や生理学実習に際して悩みを抱える生徒がいると語っていた。
 日原が解剖学実習で倒れたことから悩みを抱えるようになってもおかしくない――そう危惧していたところでおかしくないだろう。

 まあ、実際その通りだったわけだが紆余曲折を経て今は落ち着いている。
 武智教授も日原の顔つきを見て、飛びつくような様子は控えてきた。

 彼は改めて日原たちに視線を向けると、「それで何が聞きたいんだ?」と質問を促してくる。

「解剖学研究室のニクダシを手伝ったんですけど、その時に解剖残渣を乗せた産業廃棄物のトラックがどこに行くのかなと気になったんです。解剖教授はその件についても実習の意味として大事にしている風だったのでどうしても気がかりで」
「ははあ、なるほど。確かに解剖とは関係ある。まあ、実際は公衆衛生学で習う範囲だから勉強するにしてはちょっと早い気もするが」

 武智教授は納得しながらも苦笑気味だ。

 時期尚早な勉強といえば、そもそもこの学校はパートナー動物の制度として内科学的なことも含めてひと通りの治療について先輩のレポートを受け継ぐ。
 それを思えば多少の予習は勉強意欲のスパイスと考えたのだろう。うむうむと頷き、思い直す仕草を見せる。

「簡単に言うと、解剖残渣はリサイクルされるんだ」

 リサイクルとはなかなかイメージしにくい言葉だ。
 プラスチックであれば破砕して溶かし、再び成型するという流れが思い浮かぶ。

 けれども生物の死骸ともなると、加工食品くらいの想像が精々だ。四人は揃ってパッとしない表情を浮かべる。

「病気の動物の肉も骨も含めてですか?」
「利用はされるが、全てごちゃ混ぜではない。健康な動物と病畜は扱いが別だ。何を処理するかによっていろいろと細分化されるが、そういう死体や不可食部位の有効活用を化製処理といい、それを行う施設のことを化製場と言うんだ」

 と、説明されたはいいものの、やはり四人には聞き覚えがない。
 武智教授もそんなものだろうと納得をした様子だ。

「実際のところは食肉加工所での解体から動物種ごとに限定して、利用するのが主だ。例えばと畜場で出た骨や脂や一部の内臓、皮、鳥では羽毛などの不可食部位を機械で細かくし、圧力釜で加熱する。そうして油やたんぱく質に分離させてエキス、飼料、石鹸、肥料などにしていくわけだ」

 教授はそう言いながら本棚に向かうと、獣医衛生学についての本やパンフレットを持ってくる。彼が見せる資料には、確かに説明と同じものが記されていた。

 そういえば、安いペットフードはそのようなタンパク質を混ぜて作ることもあるとどこかで聞いた覚えがある。
 それらがどこ由来のタンパク質なのかと思っていたら、こんなところが供給源だったらしい。

 ただし、それはあくまで元から食用になるはずだった産業動物の話だ。
 よくよく考えた日原はふと疑問を覚える。

「でも病畜だと治療のための抗生物質や安楽殺用の薬剤が入っているはずですよね? 抗生物質とかの残留のせいで牛乳や肉としての出荷は見送りにしなければならないっていう話を聞いた覚えがあります。これはどう利用するんですか?」
「ははっ、そこにすぐ勘付くとは頭の回転が速いな」

 周りの三人は武智教授の話に関心を示していたところ、日原はその要素を一歩早く分析した。
 教師として褒め癖がついているのか、武智教授は笑みを向けてくる。彼は実に目の付け所がいいとでも言うように頷きながら指を立てた。

「その通り。私が聞く限りだと、病畜の扱いは少し異なる。農場で廃用と決まって安楽殺されたり、農場内で死亡したりしてから業者に連絡が入って運ばれる。薬剤や腐敗の問題もあるだろうし、なかなか一緒くたにはしにくいだろう」
「そっか。大動物の運搬に使えるトラックにも限りがありますし、腐敗しないうちにすぐ運べるとは限らないですよね」

 渡瀬も状況を考えてみるといくらか予想がついたようだ。天候やお盆などの季節的なものを考えれば数日ほど運搬が遅れてもおかしくはないだろう。
 彼女の言葉でより理解が深まったところで教授は続ける。

「私が聞く限り、病畜は毛皮なら普通になめされ、肉や骨は化製処理されて油は燃料、それ以外は肉骨粉や肥料として以前は利用されていたらしい。だが、牛海綿状脳症BSEで肉骨粉が禁止された今は別の利用か焼却などがされているだろう。クジラを全て利用するように、その命を無駄なく使おうと努力しているわけだ」

 実験動物の苦痛を減らしたり、代替物の利用を推進したりするのと同じく、それが命に対する誠実な向き合い方だろう。

 けれども。
 武智教授はそう説明しながらも、複雑そうな表情を見せた。

「どうあれ、産業動物は成長すればと殺される。だから何が彼らのために最善になるのかというのを語るのは難しいところだ」
「棄てられたペットとか、鳥インフルエンザや口蹄疫の殺処分も悩ましい。あまり考えたくない部分だなって思います」

 朽木も小さな声で呟く。

 医療の分野を志した人間として、治療や安楽殺ではない死との関わりは確かに悩ましいものだ。
 学生のみならず、獣医師全体が感じていることだろう。

 それに対して教授は頷きながらも表情を切り替えた。

「だが、少なくとも飼育法や病気について研究が進めば、彼らは最期の瞬間まで病気の苦しみを知らずに済む。病死して燃料に使われたりするよりは価値ある生になるだろう。そういった意味で、産業動物の命に最大限の意味を与えられるかどうかは獣医師の双肩にかかっていると言えるかもしれない」

 それこそ、いくつかの組織が大学と提携して解剖を行う意義だろう。
 仲間のおかげで知ることができた。日原は友情に感謝しながら三人の顔を見る。

 そんな時、鹿島が少し考え顔になっていることに気付いた。
 渡瀬は先輩経由、彼は親経由で他の学生が知らない獣医の話を聞いてくることがある。また何か耳にしたことでもあるのだろうか。

「研究者や現場としてそういうところに携わっていられればいいですよね。ただ、県庁勤務の獣医師とかはどうなんですか?」
「ほう。これまたコアなネタが出てきたな」
「ああ、はい。異動希望調査のシーズンに親が県庁に行くのは嫌だとぼやいていたのを思い出しまして」

 鹿島の言葉に教授は顎を揉む。
 そういえば農林水産省系の家保と、厚生労働省系の保健所の話は聞いたことはあるが県庁に勤めるという話は聞き覚えがない。

「県庁にも勤めることがあるんですか?」

 一体、どういう意味の話なのだろうかと日原は首を傾げる。
 すると鹿島と二人で話を進めそうだった武智教授はこちらの存在を思い出して頭を掻いた。

「ああ、すまない。他の三人が知らないのも無理はない。県庁勤めの獣医師は畜産課などと銘打たれている農林水産省系の事務方だ。家畜保健衛生所が動くための予算配分や法律に則って指示をする司令塔とでも思えばいい」
「ただし、現場に出ない事務方になるから獣医師手当も給料には入ってこない。日本の獣医師は海外に比べて公務員数が多くて研究職が少ないっていう傾向もあるから、一般の事務員でもっと補えばいいんじゃないかって話もあるらしい」
「ふむ。その点については日本が島国であることや疾病蔓延防止の徹底、畜産事情などからして違う。簡単に比べることはできないだろう」

 教授と鹿島は交互に事務方の獣医師について語る。
 それを聞いていると日原は獣医大学が全十六大学だった時代から新たな大学が設立されるまでにどの分野の獣医が多い、少ない。不足している、偏在しているだけなどと情報が錯綜していたのを思い出した。

 海外は地続きなので制御しきれず、蔓延しっぱなしの疾病が多い。
 それらを抑制しやすい島国だからこそ、公務員を使ってしっかりと封じ込めているという事情も関係してきそうだ。

 自分なりに解釈していたところ、武智教授は「ただし」と断って鹿島を見つめた。

「君たちも動物の命を救いたいなら、獣医になるより政治家になれとでも言われたことはないか? 現場で働く家畜保健衛生所の司令塔の県庁。さらにその上の農林水産省。現場が動くためのルールや予算を取り決めるところだから、ここの動きこそ多くの産業動物の状況を左右するんだよ」

 日原は親に獣医の進路を提案されたクチなので覚えはなかった。
 けれども、自分たちから獣医を志した渡瀬たち三人としては向けられたことがある言葉だったのだろう。ハッとした様子でその言葉を聞いていた。

「公務員はそもそも、企業では採算が取れない分野や生活に不可欠な分野を国や自治体主導で動かしているものだ。そこでさらに、人の生活を支えている産業動物に関わる獣医師の管轄ともなればどの分野だってそれなりの意義がある。……まあ、それを大々的に説明される機会も少ないわけだが」

 武智教授は腕を組み、どうだ? と心境を尋ねるように目を向けてきた。
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