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人里からの依頼 Ⅰ

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 竜の大地は適度な風が常に流れ込む涼やかな環境だ。風になびいた草花がさわさわと賑わうのもまた耳に心地良い。
 昼のピクニックでも心憎い演出となってくれるが、更に際立つのは起床時だ。
 窓を開けていられる季節ならばカーテンを翻して入ってくる風のひと撫でと草花の囁きによって目が覚める。これ以上とない穏やかな目覚めだろう。

 しかし悲しいかな。それはベッドに邪魔者がいれば成り立たない。

「ぐうっ……。ぷへっ……」

 まず下半身にのしかかっている物体が一つ。おまえに脇で添い寝する形ながらも、ハンディモップのような尾をパタパタと振る物体が一つ。これは顔面を往復してくれるので惰眠をむさぼるどころではない。
 耐えかねたミコトは顔面を往復する尾をむんずと掴み、強引に体を起こす。

「ゲリ、フレキ……。もー、無理。降参。わかったから!」

 はふっと息を吐いてベッドから飛び退いた二頭の狼はしっぽを振っている。
 余談だが、飛び退く際に踏んづけられた腹などが痛いのも地味に辛い。

「肉、肉だ肉。カリカリ以外の味が恋しい」
「朝餉だ、朝餉。柔らかな子羊を所望する」

 散歩の催促同様、二頭は一瞬身構える素振りで急かしてくる。
 灰色を基調とした毛色の方がゲリで、黒色を基調とした毛色の方がフレキだ。言葉遣いは違っても思考は大体同じ。今は朝食のことしか考えていない。待ちきれなさがキュンキュンと鳴き声になって漏れている。
 神話に連なる立派な名だというのにこの姿はどうなのだろう。威厳がお留守だ。

 ミコトはしわくちゃになったシーツをばさりと広げ、寝間着から着替えながら二頭を見やる。

「あのね、先日生まれたのは雌の羊だよ? 数を増やすためにも雌を食べちゃダメ。雄にしたって今の種牡の保険として何ヶ月かは育てないと」

 ミコトは二頭の頭を撫でて宥め、部屋を出た。
 そうそう、忘れてはいけない。本日は街に薬を届ける仕事もあるのだ。

 一階リビングと繋がる吹き抜けの梁にはいくつかの薬草をぶら下げている。よく乾燥したそれを手に取りつつ階段を降りた。

「ゲリはお手紙、フレキはコルクボードから発注書を取ってきて」

 先程の話題はさておき、後ろからついてきた二頭に指示をするとすぐに駆けてくれる。
 ゲリは前脚をレバータイプのドアノブに乗せて器用に開け、郵便受けに向かった。吠える声が聞こえたので、大方、手紙に悪戯している妖精を見つけたと思われる。
 フレキは室内の依頼書を持ってくるだけなので素早い。ミコトが厨房に着く頃には傍らでお座りしていた。

 何の発注書かといえば、近隣の里で使う薬だ。
 子宝を望む夫婦への精力剤、飼育しているコカトリスが産む卵が柔らかい――こちらは卵殻形成不全の治療薬、おまけにウンディーネ召喚の触媒作成と来ている。調味料と重複している材料を小脇に抱えて揃えつつ、ミコトは羊のジャーキーを二つ手に取った。
 先に待っていたフレキに一つ与え、追いついたゲリに手紙と交換で与えてやる。

「うちの家計だと二人の体格に見合うお肉なんて贅沢も言ってられないの。そのジャーキーだけで我慢できない?」

 朝餉に肉を所望している二頭に問いかけてみると、恨みがましそうな上目遣いが返ってきた。一方は地団駄、他方はぐぅぅぅーと地味な唸り声。正直、犬の不満表明は人間よりも率直でわかりやすい。
 普段の朝食通り、自分はシリアルを。二頭にはドッグフードを手に取っていたのだが、これでは完全に無駄骨である。

「ダメかぁー」

 頑固な二頭を前に膝を抱えたミコトはため息を吐く。
 家の財政管理で頭を悩ますのは自分だけだ。ささやかな憂さ晴らしに二頭の鼻先を指でつついてやる。ひんやりした鼻先はこんな時くらいしか触らせてもらえない。

「仕方ないね。それじゃあ薬は手早く仕上げて野鳥かウサギを――っと?」

 諦めようとした時、ミコトはフレキから預かった手紙に目を留めた。
 少しばかり良い質の紙に、魔除けの細工まで施された蝋の封がしてある。こんな畏まった手紙は里から公式に依頼される冒険依頼クエストくらいだ。

『原種サハギン討伐依頼。南方の湖に複数発生が確認されたので討伐されたし。報酬は――』

 壁にかけた山羊革の水筒で保存している半液状のヨーグルトをシリアルにかけて食べながら、つらつらと読み進める。
 要約すると、自然発生する魔物のせいで困っているので倒してください。お賃金は出しますということだ。しばしば起こることとはいえ、なんと間がいいことか。

 ミコトは手紙を二頭に見せる。

「二人とも、サハギンのお肉で我慢できる?」
「ワニ肉風味。悪くない」
「肉は肉。妥協する」

 二頭は顔を見合わせて審議し、すぐに頷きを返してきた。
 半魚人の魔物なだけに魚肉じみた淡白さだが、筋肉が発達しているのでワニ肉や鶏肉に近い味わいらしい。曰く、イノシシ以下だが鳥やウサギよりはマシだそうだ。
 これにて和解とお手じみた握手を二頭と交わす。

 では空腹に耐えかねて騒がれる前に向かわなければいけない。ミコトは食事を手早く片付けると、薬の準備を始める。

 色恋沙汰に関するおまじないなんて古今東西にある。精力剤に関しても同様で、マンネリしないように前回と別の配合を選ぶだけ。
 コカトリスの卵殻形成不全は少し特殊だ。同時に何羽も発症しているならウイルスも関係ありそうなものだが、こうして依頼がある時はごく少数での発生と決まっている。
 ただの鶏より体格が良く、骨格もいいのに草しか食べないために人の飼育下ではしばしばカルシウム不足が起こるのだ。ひとまずいつも通りに作っておくとして、実際に症状を確かめに行った時に処方すればいいだろう。
 ウンディーネ召喚の触媒は自身で用意するまでが召喚士の力量だ。どこの誰が注文したか知らないが却下である。

 ――という具合だ。
 この程度の調合作業は熟練の機織りのように慣れたもの。ミコトはタブレットを棚に立てかけると片手間にフリックして人間世界のニュースもさらっていく。
 国際的な政治の話題やら、TRPGの動画が流行っている話題やらを流し見ているうちに驚きの記事を見つけた。

 それに口元を綻ばせながらも薬を完成させ、いつものローブと杖を手に家を出る。
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