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第十二章 昔日との別離
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今思えばアベルは小さいときから、すこし周囲から浮いているような少年だった。
醸し出す雰囲気とでもいうべきものが、明らかにその辺にいる子供たちと比べると変わっていたのだ。
特に孤児院にきたばかりの頃は普通じゃなかった。
孤児院にきてから彼がやっていたことというのは基本的に剣術の稽古で、相手は預けにきたクレイ将軍だったりしたが、だれも相手がいないときは自分ひとりで稽古していた。
これがほとんど無意識にやっているというのだろうか。
やりたくてやっているというより、習慣だからやらないと落ち着かない。
そんな態度だった。
今思えばそれは彼が預けられた近衛隊の将軍、クレイが彼の身を護るために護身術を教え込んでいた結果だったのだろう。
物心つく前からやっていたことだから、環境が変わってもやらないと落ち着かない。
たぶん、そういうことだったのだ。
なにをしていても剣術の稽古を優先するアベルに、孤児院の子供たちが打ち解けるはずもない。
アベルはいつも遠巻きに見られているだけで、積極的に彼に関わろうとする子供はいなかった。
その頃は妹代わりとして後に親しくなるフィーリアはまだ赤ん坊だったし、エルに至っては孤児院に出入りしているだけだったので。
アベルとまともにやり合ったのは思えばマリンだけだった。
そんなある日シドニー神父はアベルに剣術の稽古を禁止した。
アベルはどうして禁止されるのかわからないと言いたげだったが、特に言い付けに逆らうこともなかった。
彼がそれまでどういう境遇だったかは知らないが、言われたことに逆らうという考えを持っていないようだったので。
シドニー神父がアベルに剣術を禁止した直後、エルは知っていた。
クレイ将軍がそんな真似をされては困る、と抗議していたことを。
剣術は彼にとって必要不可欠。
稽古を禁じられては困る、と。
だが、シドニー神父は譲らなかった。
それがアベルにとって必要なことなら、長く禁止するつもりはない。
だが、すこしの間彼から剣術を遠ざける必要がある。
そうクレイ将軍を諭したのだ。
同じ頃、孤児院に吟遊詩人が慰問にきていた。
エルは貴族のやるボランティアはキライだったが、一般の平民たちがお金がないながらも、無料で行うボランティアには賛成だった。
だから、進んで見に行ったが、その場には暇だったのだろう。
珍しくアベルの姿もあった。
アベルは剣術以外には興味がなさそうな素振りだったが、何故か吟遊詩人たちの演奏だけは食い入るように見ていた。
理由は知らない。
だが、あまりにもアベルが必死になって眺めているので、立ち去るときにひとりの吟遊詩人が彼に竪琴をやった。
興味があるならこれで練習しなさい、と。
アベルは戸惑ったようだが受け取って、それからだ。
彼が剣術以外のことで時間を潰すようになったのは。
彼はどういうわけか上達も早く、一人前に曲を演奏し歌を歌えるようになるまでに時間はほとんど必要なかった。
そしてその才能ときたら。
一度聞いたら忘れられないレベルのものだった。
それが……切っ掛けだった。
アベルが孤児院の一員として認められるための。
アベルの演奏に子供たちが群がるようになり、彼を避けていた子供たちが、普通に彼の話し相手をするようになる。
するとシドニー神父は禁じていた剣術の稽古を解禁にした。
そこまでの一連の騒動を見ていてエルは思ったものだ。
シドニー神父がアベルに剣術を禁じたのは、彼があまりに周囲から浮いていたせいなのだと。
子供たちと打ち解けるためには、彼の非日常を感じさせる剣術を遠ざける必要があったのだと。
それはクレイも知ったのだろう。
アベルが子供たちに囲まれて、普通の子供として過ごすようになると、シドニー神父にこっそり礼を言っていた。
今思い出してもアベルはごく普通の子供ではなかったのだと思い知らされる苦痛。
謝りたいのに。
自分のせいで将来を変えられてごめん、と。
危険な目に遭わせてごめんと謝りたいのに、エルはどうしても素直になれない。
アベルの意識が戻った翌日にはエルもフィーリアも孤児院に戻っていた。
しかし心配して待っていてくれたシドニー神父にも子供たちにも、アベルの身に起こったことを説明することは、どうしてもできなかったのだった。
アベルが毒の後遺症である心臓への負担が軽減され、ほぼ全快したと太鼓判を押されたのは実は半年後のことだった。
毒を飲んでから。
その間にリージアが弑逆の罪で処刑されたり、アドレアン公爵が前王の弑逆の罪と世継ぎ暗殺未遂の罪に問われたりした。
アドレアン公爵の処遇については、罪が重すぎることもあり、慎重に行われているようで、未だに刑は確定していないらしい。
処刑は決定しているのだが、一族への処罰をどうするかが決まらない間は、彼の処刑は行えないらしかった。
ケルト王もリドリス公爵もそして他の貴族たちも、あまりの重罪に一族郎党の処刑を望んでいるらしい。
だが、彼はとても古い家柄で、その親族は色んな貴族の家に入り込んでいる。
一族郎党の処刑と言っても、どこまで計算に入れるかで変わってくるらしかった。
例えば奥方がアドレアン公爵の親族だった場合。
奥方は当然処刑の対象だ。
だが、夫となった人物には血の繋がりはなく、処刑するわけにはいかない。
そもそも親戚筋でもないなら罪には問えないからだ。
だが、ここで問題となるのが、ふたりの間に産まれた子供たちである。
夫となった貴族には大事な跡継ぎであり、令嬢の場合は他の貴族と縁石を結ぶための大事な存在。
なのに奥方の血筋的に処刑の対象にされては困るということである。
ここで発生するのが確かに血筋的にはアドレアン公爵の血も引いているが、自分の子供たちは関係ないという言い分だ。
これが多発しているらしい。
特に若い貴族はいい。
これからも子供を望める。
だが、ある程度歳を重ねた貴族は、跡継ぎを処刑されるということは、そのまま御家断絶を意味した。
だから、助命嘆願に必死なのだ。
そのせいでアドレアン公爵が起こした大罪について、どうしても動けないというのが実情らしかった。
そんなある日。
静養中のアベルの下へケルトがやって来た。
ふたりの娘を引き連れて。
「あれ? 叔父さん。どうしたんだ?」
帝王学がどうしても頭に入らなくて、ウンウン唸っていたアベルは、不思議そうに叔父に問い掛けた。
ケルトは両手を背中に隠している。
どうでもいいが隠せてないぞとアベルは呆れる。
持っている物が大き過ぎて、背中に隠し切れていないのだ。
「ああ。あれから少し調べたんだが、今日はアルベルトの誕生日らしいな?」
「あ、うん。本当の誕生日かどうかは知らないけど、クレイ将軍からはそう聞いてるよ」
「いや。おそらく事実だろう」
「どうしてそう思うんだ?」
アベルがキョトンとして問うとケルトは神妙な顔で言った。
「実は今日は姉上が、兄上の妃だった方が亡くなった日なんだ」
これには答えるべき言葉がなかった。
確かにケルトから聞いてはいた。
アベルの誕生が母の死因ではないか、と。
今日が母の命日?
「そなたが生まれた日だとしても不思議はないだろう? 姉上の死とそなたの誕生がもしも引き換えだったのなら」
「「お父さま。そんな言い方をしたらアル従兄さまが気にされます」」
ふたりの娘から責められてケルトは軽く肩を竦める。
「悪い意味で言ったのではないんだ。姉上と兄上はとても愛し合っていたと伺っている。おそらく死と引き換えでも、兄上の世継ぎを産みたかったのだろう。姉上は」
「……何歳……だった、母さん?」
「享年21歳だ」
信じられない話を聞いてアベルの空色の瞳が揺れる。
亡くなるには早すぎる気がした。
「兄上とは3歳違いの夫婦でな。当時兄上は24歳。そなたは兄上が24歳のときの息子だ」
「じゃあ父さんが亡くなった年齢って」
「そうだ。3年後だから27歳になる。生きていれば43歳だな」
「叔父さん幾つ?」
「36だが?」
「ちょっと待て。レイティアたちって確か17だよな?」
「ああ。もうすぐ18になるが。だから、わたしも正確にはもうすぐ37だ」
「あんた一体幾つのときに子供作ってるんだ?」
「あー。娘たちがそなたとはひとつ違いだから、えーと……その」
アベルの口調が刺々しくてケルトも言いにくいらしい。
苦笑してレイティアが答えた。
「わたしたちはお父さまが19歳のときに産まれました。お父さまがお母さまと駆け落ちされたのは17歳のときだとか。そうすると遅い子供ですね、わたしたち」
「17で駆け落ち……19で子供……こんな叔父さん嫌だ」
「そんな言い方をしなくても」
「でも、なんで叔父さんがそんなに父さんを慕ってるのかわかった気がするよ」
「ほお?」
目を細めるケルトにアベルがズケッと言ってのけた。
「どうせ年齢が離れてたからって、父さんに溺愛されたんだろ?」
「否定はしないが」
「で。叔父さんにしても年齢が離れてて、尚且つ戦争まで終結させるような、聡明な兄貴だったんだ。そりゃあ慕うよなあ。自慢の兄貴だったってところ?」
図星だったのでケルトも赤くなる。
「そっかあ。今日は母さんの命日だったんだ? じゃあ悪いことしたなあ」
「なにがですか、アル従兄さま?」
首を傾げるレティシアにアベルは苦い笑みを返す。
「そんなこと聞いてなかったし想像したこともなかったから、今まで普通に孤児院で祝われてきたんだ」
それは普通のことに思えたが、母の命日に祝い事をやっていたことをアベルもわかったので、レティシアはなにも言えなかった。
「孤児院では誕生日がわからない子供も、孤児院で拾われたり預けられたりした日を誕生日と定めて、そのときだけは盛大なお祝いをやるんだ。子供たちにしてみれば御馳走を食べられる唯一の機会でさ。俺も普通に祝われてきた」
「気にするなと言っても無理かもしれないが、姉上は気にしていないと思うぞ?」
「そうかな? 不謹慎だよ。実の母の命日なのに」
「だからこそ、だ。そなたの誕生日が祝われることは、姉上にとって自分の選択が間違っていなかったことの証明となる。子供が生まれてきた日を祝わない親がどこにいる? 例えそれが自分の命日だとしても、姉上は喜んでいたはずだ」
「そうだといいな」
アベルは小さくそう言った。
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