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第十一章 封印された神話
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「どうかしたのかい、葉月? ため息なんてついて」
突然、声をかけられて振り向けば、茂みをかき分けるようにして、水樹が立っていた。
もちろん確かめるまでもなく、声の主が水樹以外であるわけがないと、紫苑にもわかっていたが。
紫苑のことを「葉月」の名で呼ぶのは水樹ひとりだから。
あの宿命の日に知った本名。
衝撃が強すぎてすぐに忘れてしまった自分の本当の名前。
それを知っているのは水樹ひとりだ。
だから、紫苑ではなく、本名で呼ばれたときに、相手は水樹だとわかっていた。
いつもなら振り向いて憎まれ口のひとつでも叩くところだが、今は彼に訊きたいことがあって、すこしだけ唇を尖らせて前を向いた。
「葉月?」
「……水樹は綾乃と結婚してるんだよな? 故郷では無効だとしても」
「……君にはされたくない指摘だね。それがどうかしたのかな?」
言いにくそうだったが、そう言ってくれて紫苑はその場に腰を下ろした。
背後に水樹の気配がある。
「どうして結婚しようと思った?」
「え?」
「特別な相手だと認識しなかったら、そういう気にはならないよな? そう思ったのはどんなときで、そういうときはどういう気分になるんだ?」
「葉月」
なにかあったと悟ったのか、水樹が隣に腰掛けて顔を覗き込んできた。
「そういうとき、優しいだけの態度を取るのが普通なのか?」
「それはだれを基準に訊いてるのかな? なにかあったんだろう?」
心配そうな声に唇を噛む。
「平均的な常識でもいいから答えてくれよ。おれにはまだ理解することもできない次元のことなんだ。そういうとき、どういう態度を取るのか、よくわからないんだよ」
「だから、優しいだけの態度を取ることがあるのかって?」
ため息混じりの声に頷いた。
「そうだね。あくまでも一般的な例えで答えさせてもらうなら、想いが通じるまで、つまり自分の独りよがりの状態のときは、相手に好かれたくて、振り向いてもらいたくて、きらわれる可能性のある言動は避けるだろうね」
「それって……きらわれたくなくて優しくしかできないって言いたいわけ?」
見上げてきた紫苑がいつになく不安そうだったので、水樹はなるべく安心させようと、努めて穏やかに微笑んでみせた。
心が落ちつくようにと。
「そうだね。まああくまでも相手が好きで、好きすぎてきらわれる可能性のあることはなにもできないという意味だけどね」
「それって……相手に先に好かれていてもそうなる?」
あまりに頼りない彼に水樹は、どうやらだれかのこういう問題で、紫苑は真剣に悩んでいるらしいと悟った。
もしくはとても気掛かりで頭から離れないのかもしれない。
「きみがなにを知りたいのか、もうひとつよくわからないけれど、なんらかの理由から自分の気持ちに素直になれずにいたとする。そんなとき、一途に思いを寄せてくれている人がいて、苦しい想いに耐えきれず、現実逃避に走って偽りの関係を築き上げてしまったという可能性もあるだろうね」
水樹の言いたいことは、継承者で自我の成長が遅く、恋愛感情を理解できない紫苑には、よく理解できなかった。
でも、なんとなく想像することはできる。
「本物の感情で付き合っていたなら、そういうことはありえない?」
「そうだね。言い切ることはできないけれど、常識的にはそうだろうね。ただその人の気性にもよると思うよ」
「気性?」
「例えば許すだけ、優しくするだけの愛情表現しか知らない、とか」
「……」
水樹の言いたいことはわかったが、紫苑は納得することができなかった。
惺夜はとても許容範囲の広いタイプには見えないから。
彼なら特別な相手を独占するために、激情に支配されることもあるような気がするから。
惺夜の気性はそれほど激しい。
突然、声をかけられて振り向けば、茂みをかき分けるようにして、水樹が立っていた。
もちろん確かめるまでもなく、声の主が水樹以外であるわけがないと、紫苑にもわかっていたが。
紫苑のことを「葉月」の名で呼ぶのは水樹ひとりだから。
あの宿命の日に知った本名。
衝撃が強すぎてすぐに忘れてしまった自分の本当の名前。
それを知っているのは水樹ひとりだ。
だから、紫苑ではなく、本名で呼ばれたときに、相手は水樹だとわかっていた。
いつもなら振り向いて憎まれ口のひとつでも叩くところだが、今は彼に訊きたいことがあって、すこしだけ唇を尖らせて前を向いた。
「葉月?」
「……水樹は綾乃と結婚してるんだよな? 故郷では無効だとしても」
「……君にはされたくない指摘だね。それがどうかしたのかな?」
言いにくそうだったが、そう言ってくれて紫苑はその場に腰を下ろした。
背後に水樹の気配がある。
「どうして結婚しようと思った?」
「え?」
「特別な相手だと認識しなかったら、そういう気にはならないよな? そう思ったのはどんなときで、そういうときはどういう気分になるんだ?」
「葉月」
なにかあったと悟ったのか、水樹が隣に腰掛けて顔を覗き込んできた。
「そういうとき、優しいだけの態度を取るのが普通なのか?」
「それはだれを基準に訊いてるのかな? なにかあったんだろう?」
心配そうな声に唇を噛む。
「平均的な常識でもいいから答えてくれよ。おれにはまだ理解することもできない次元のことなんだ。そういうとき、どういう態度を取るのか、よくわからないんだよ」
「だから、優しいだけの態度を取ることがあるのかって?」
ため息混じりの声に頷いた。
「そうだね。あくまでも一般的な例えで答えさせてもらうなら、想いが通じるまで、つまり自分の独りよがりの状態のときは、相手に好かれたくて、振り向いてもらいたくて、きらわれる可能性のある言動は避けるだろうね」
「それって……きらわれたくなくて優しくしかできないって言いたいわけ?」
見上げてきた紫苑がいつになく不安そうだったので、水樹はなるべく安心させようと、努めて穏やかに微笑んでみせた。
心が落ちつくようにと。
「そうだね。まああくまでも相手が好きで、好きすぎてきらわれる可能性のあることはなにもできないという意味だけどね」
「それって……相手に先に好かれていてもそうなる?」
あまりに頼りない彼に水樹は、どうやらだれかのこういう問題で、紫苑は真剣に悩んでいるらしいと悟った。
もしくはとても気掛かりで頭から離れないのかもしれない。
「きみがなにを知りたいのか、もうひとつよくわからないけれど、なんらかの理由から自分の気持ちに素直になれずにいたとする。そんなとき、一途に思いを寄せてくれている人がいて、苦しい想いに耐えきれず、現実逃避に走って偽りの関係を築き上げてしまったという可能性もあるだろうね」
水樹の言いたいことは、継承者で自我の成長が遅く、恋愛感情を理解できない紫苑には、よく理解できなかった。
でも、なんとなく想像することはできる。
「本物の感情で付き合っていたなら、そういうことはありえない?」
「そうだね。言い切ることはできないけれど、常識的にはそうだろうね。ただその人の気性にもよると思うよ」
「気性?」
「例えば許すだけ、優しくするだけの愛情表現しか知らない、とか」
「……」
水樹の言いたいことはわかったが、紫苑は納得することができなかった。
惺夜はとても許容範囲の広いタイプには見えないから。
彼なら特別な相手を独占するために、激情に支配されることもあるような気がするから。
惺夜の気性はそれほど激しい。
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