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第13話 圧力
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廃教会の奥。神官の居住スペースで、残っていた椅子に座り込んだままのアッシュ。
「のう、もう夜が明けておるのじゃが」とヴェロニカ。
窓の外を指差す。
「ん?」
適当な返事をして、アッシュは読んでいる本のページを捲る。
「朝じゃよ、調査を終えたなら帰るべきではないかの」
「ん」
夜通し読み続け、まだ半分も残っている。なんという至福の時間だろうか。これ以上ない悦に浸りながら、アッシュは聖典『灰銀の繭玉』を読み続ける。
ヴェロニカは呆れの溜息を吐き、暫く何事かを考えた後、説得を試みた。
「魔物が増えている地点の調査じゃったよの?」
「ん」
「調査に向かった新人冒険者の帰りが遅くなる訳だ」
「ん」
「そうなると、捜索隊が組まれるのが自然の流れであろう?」
「ん」
「捜索費用を請求されると思うのだがねぇ」
「ん?」
「金がないから調査依頼を引き受けた、じゃったよの?」
「ん、よし。帰るか」
名残惜しそうに聖典を閉じたアッシュ。収納魔法で大事に片付ける。ようやく椅子から立ち上り、軽く体を伸ばした。ヴェロニカがやれやれと首を振る。
「森一番の魔物をあっさり討伐したくせに、世話のかかるやつじゃ」とヴェロニカ。
教会を出て、森を抜ける。道中、魔物に何度か遭遇したが、戦闘はせずにやり過ごした。街道に出た頃には、太陽が高く昇っていた。
「調査報告書はどこに提出するんだい?」
「商業ギルドだな。自警団の詰所なんかに行くと、俺の手配書が回っていそうだ」
「そういえばお尋ね者じゃったな」
「無実だ。国法には触れていない」
「枢機卿会議の決定には触れておるのだろう?」
「枢機卿会議の決定に、法的拘束力はないと言ったろう」
「社会から爪弾きにされていることに変わりない気はするがねぇ」
「そも社会とはなんだ」
「あぁ、面倒くさい奴よの」
早く聖典の続きが読みたくてうずうずしているアッシュは、時々セキを置いてけぼりにしそうになりながら早足で街道を抜け、町に入ってすぐに商業ギルドに向かった。
商業ギルドの受付で報告書を提出すると、審査するから待て、と言われて待合室に通される。革張りのソファに腰掛けた。優雅に紅茶を飲みながら、聖典を開きかけたアッシュ。思い直して別の書物を取り出した。
あれだけ読みたがっていたにもかかわらず、この絶好の機会に読み始めないのは妙だ、とヴェロニカが不思議そうに尋ねる。
「聖典の続きを読まぬのか?」
「廃神の聖典でも、無関係の神官が見れば必ず接収しようとするんだ」
「自らが信奉する神の聖典ではないのにか。何故?」
「さぁな。快癒の神リッパーの枢機卿スキーリン・ジョック氏いわく、神に貴賤はなく、資格なき者が聖典を悪用する機会を与えるべきではない──、だそうだ」
「教会の間なんぞで、取り決めでもあるのかの。そのスキーなんとか氏は、立派な人なのかい?」
興味を惹かれた様子で、ヴェロニカがアッシュの隣に座る。
アッシュはティーカップを傾けて喉を潤した。
「あらゆる毒キノコをスケッチ、産地や現地での扱いなどを網羅し、実際に食して所感を書き綴った手記を残した、キノコ大好き人間だ。何度も致死性の毒キノコを食べているんだが、快癒の神リッパーの枢機卿だけあって、自分自身を治療して事なきを得ている」
「権能魔法で好き放題やっておるではないか」
「自らを使った人体実験記録でもあり、禁書に指定されるほどの手記だが、最初のページの第一行を取って俗にこう呼ばれている。『こんな美しい女に棘なんてあるはずない』と」
「絶対に毒キノコじゃろうて、それ! しかもキノコを女呼びとは」
事実、猛毒のキノコである。しかも、その後は数ページにわたって毒抜きの方法を模索する過程が書かれ、ちょっとした論文に相当する内容の濃さだ。
「読み物としても実に面白いぞ。現地の逸話なんかも書かれていて、珍しい調理方法や薬としての使用方法も載っている」
「快癒の神の神官が、薬の調合法まで書くのじゃな。治癒魔法を使えばよかろうに」
「治癒魔法で何でも治るわけじゃないからな。基本的に外傷を治すのが快癒の神の権能魔法だ」
恋と馬鹿は快癒の神も掛かりうる、との諺もあるが、実際には狂犬病なども治せない。
「スキーリン・ジョック氏も、最後には毒キノコに当たって死んでいる。どうも、症状を一時的に改善させることは出来ても、完治させることは出来ないようだ。この辺りは、リッパーの神官に聞いた方が早いがな」
異端者狩りに追われる身なため、聞く機会は当分訪れない。だが、アッシュは悪びれずに言った。
その時、部屋の扉が開かれた。アッシュが報告書を提出した受付ではなく、上司らしき壮年の男が部屋に入ってくる。
「調査報告書を読ませていただきました。おおよそは構わないのですが、削除を要請したい部分があります」
男はアッシュを見つめて言った。
「削除要請?」とアッシュ。
そんな話をいちいち受けていては調査依頼の意味がないだろう、とアッシュは目の前の男の表情を覗き込む。
男は商人らしいポーカーフェイスで、内心を完全に隠している。商業ギルドに来たのは失敗だった、とアッシュは心の内で舌打ちをした。
「具体的には、どこを?」
アッシュが問う。
「教会に近づくほどに魔物が強くなっていったという記述と、備考欄にある、教会を何者かが破壊した痕跡がある、という記述です」
「へぇ、まるで教会から圧力でも掛けられたみたいですね」
「教会から、というよりは世間から、ですね。正しくは」
「商業ギルドでは、この調査報告をそのまま通したというだけで醜聞になるんですか?」
「なりますね」
男は弱り顔で言い切った。
「除虫の神は、商業ギルドに出入りしていた行商人もかつてはよく利用していました。しかし、廃神になった経緯が経緯です。表立って反対することも出来ず、悪く言えば、見捨ててしまった負い目がある。その負い目を刺激するような真似は避けたいんですよ。この街のどこにこの調査報告を持って行っても、同じように削除要請を受けると思いますよ」
「なるほど」と静かに零すアッシュ。
「では、配慮致しましょう。しかし、森の魔物が増えているのは事実です。早急に駆除した方がいい」
「ええ、それにつきましては冒険者ギルドと協議の上で、我々も物資の準備などでご協力出来ますよ」
「そうですか。では、修正します」
報告書を上司の目の前で修正し、アッシュは再提出する。
内容にざっと目を通した上司。報告書を受領した。
「のう、もう夜が明けておるのじゃが」とヴェロニカ。
窓の外を指差す。
「ん?」
適当な返事をして、アッシュは読んでいる本のページを捲る。
「朝じゃよ、調査を終えたなら帰るべきではないかの」
「ん」
夜通し読み続け、まだ半分も残っている。なんという至福の時間だろうか。これ以上ない悦に浸りながら、アッシュは聖典『灰銀の繭玉』を読み続ける。
ヴェロニカは呆れの溜息を吐き、暫く何事かを考えた後、説得を試みた。
「魔物が増えている地点の調査じゃったよの?」
「ん」
「調査に向かった新人冒険者の帰りが遅くなる訳だ」
「ん」
「そうなると、捜索隊が組まれるのが自然の流れであろう?」
「ん」
「捜索費用を請求されると思うのだがねぇ」
「ん?」
「金がないから調査依頼を引き受けた、じゃったよの?」
「ん、よし。帰るか」
名残惜しそうに聖典を閉じたアッシュ。収納魔法で大事に片付ける。ようやく椅子から立ち上り、軽く体を伸ばした。ヴェロニカがやれやれと首を振る。
「森一番の魔物をあっさり討伐したくせに、世話のかかるやつじゃ」とヴェロニカ。
教会を出て、森を抜ける。道中、魔物に何度か遭遇したが、戦闘はせずにやり過ごした。街道に出た頃には、太陽が高く昇っていた。
「調査報告書はどこに提出するんだい?」
「商業ギルドだな。自警団の詰所なんかに行くと、俺の手配書が回っていそうだ」
「そういえばお尋ね者じゃったな」
「無実だ。国法には触れていない」
「枢機卿会議の決定には触れておるのだろう?」
「枢機卿会議の決定に、法的拘束力はないと言ったろう」
「社会から爪弾きにされていることに変わりない気はするがねぇ」
「そも社会とはなんだ」
「あぁ、面倒くさい奴よの」
早く聖典の続きが読みたくてうずうずしているアッシュは、時々セキを置いてけぼりにしそうになりながら早足で街道を抜け、町に入ってすぐに商業ギルドに向かった。
商業ギルドの受付で報告書を提出すると、審査するから待て、と言われて待合室に通される。革張りのソファに腰掛けた。優雅に紅茶を飲みながら、聖典を開きかけたアッシュ。思い直して別の書物を取り出した。
あれだけ読みたがっていたにもかかわらず、この絶好の機会に読み始めないのは妙だ、とヴェロニカが不思議そうに尋ねる。
「聖典の続きを読まぬのか?」
「廃神の聖典でも、無関係の神官が見れば必ず接収しようとするんだ」
「自らが信奉する神の聖典ではないのにか。何故?」
「さぁな。快癒の神リッパーの枢機卿スキーリン・ジョック氏いわく、神に貴賤はなく、資格なき者が聖典を悪用する機会を与えるべきではない──、だそうだ」
「教会の間なんぞで、取り決めでもあるのかの。そのスキーなんとか氏は、立派な人なのかい?」
興味を惹かれた様子で、ヴェロニカがアッシュの隣に座る。
アッシュはティーカップを傾けて喉を潤した。
「あらゆる毒キノコをスケッチ、産地や現地での扱いなどを網羅し、実際に食して所感を書き綴った手記を残した、キノコ大好き人間だ。何度も致死性の毒キノコを食べているんだが、快癒の神リッパーの枢機卿だけあって、自分自身を治療して事なきを得ている」
「権能魔法で好き放題やっておるではないか」
「自らを使った人体実験記録でもあり、禁書に指定されるほどの手記だが、最初のページの第一行を取って俗にこう呼ばれている。『こんな美しい女に棘なんてあるはずない』と」
「絶対に毒キノコじゃろうて、それ! しかもキノコを女呼びとは」
事実、猛毒のキノコである。しかも、その後は数ページにわたって毒抜きの方法を模索する過程が書かれ、ちょっとした論文に相当する内容の濃さだ。
「読み物としても実に面白いぞ。現地の逸話なんかも書かれていて、珍しい調理方法や薬としての使用方法も載っている」
「快癒の神の神官が、薬の調合法まで書くのじゃな。治癒魔法を使えばよかろうに」
「治癒魔法で何でも治るわけじゃないからな。基本的に外傷を治すのが快癒の神の権能魔法だ」
恋と馬鹿は快癒の神も掛かりうる、との諺もあるが、実際には狂犬病なども治せない。
「スキーリン・ジョック氏も、最後には毒キノコに当たって死んでいる。どうも、症状を一時的に改善させることは出来ても、完治させることは出来ないようだ。この辺りは、リッパーの神官に聞いた方が早いがな」
異端者狩りに追われる身なため、聞く機会は当分訪れない。だが、アッシュは悪びれずに言った。
その時、部屋の扉が開かれた。アッシュが報告書を提出した受付ではなく、上司らしき壮年の男が部屋に入ってくる。
「調査報告書を読ませていただきました。おおよそは構わないのですが、削除を要請したい部分があります」
男はアッシュを見つめて言った。
「削除要請?」とアッシュ。
そんな話をいちいち受けていては調査依頼の意味がないだろう、とアッシュは目の前の男の表情を覗き込む。
男は商人らしいポーカーフェイスで、内心を完全に隠している。商業ギルドに来たのは失敗だった、とアッシュは心の内で舌打ちをした。
「具体的には、どこを?」
アッシュが問う。
「教会に近づくほどに魔物が強くなっていったという記述と、備考欄にある、教会を何者かが破壊した痕跡がある、という記述です」
「へぇ、まるで教会から圧力でも掛けられたみたいですね」
「教会から、というよりは世間から、ですね。正しくは」
「商業ギルドでは、この調査報告をそのまま通したというだけで醜聞になるんですか?」
「なりますね」
男は弱り顔で言い切った。
「除虫の神は、商業ギルドに出入りしていた行商人もかつてはよく利用していました。しかし、廃神になった経緯が経緯です。表立って反対することも出来ず、悪く言えば、見捨ててしまった負い目がある。その負い目を刺激するような真似は避けたいんですよ。この街のどこにこの調査報告を持って行っても、同じように削除要請を受けると思いますよ」
「なるほど」と静かに零すアッシュ。
「では、配慮致しましょう。しかし、森の魔物が増えているのは事実です。早急に駆除した方がいい」
「ええ、それにつきましては冒険者ギルドと協議の上で、我々も物資の準備などでご協力出来ますよ」
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