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第5話 オセロ
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「拝見してもよろしいですか?」と尋ねる亀井。
時刻は昼過ぎ。亀井は来店した加治夫人から手帳を見せてもらっていた。
細かくびっしりと、メールアドレスやらパスワードやら、登録元のサービス名が手帳のページに記載されていた。
加治さんのご主人は生前、きっと貴重な性格の方だったのだろう。たかが手帳一冊でも、彼がどんな人間であったかを物語っていた。
「えっと、八文字で──英数字の組み合わせもある。うん、恐らくこのパスワードで間違いないかな」
彼は自問自答しながら独り言を呟き、手帳に書かれたパスワードを見ている。
「ここにあるパスワードで合っているか試してみますので、少しこちらの手帳お借りしますね」
亀井は加治夫人から手帳を預かり、例のハードディスクを繋いでいるパソコンの前に立った。
インターネットブラウザを開いて、該当のログインページへ。記載されているメールアドレスとパスワードを入力する。
パスワードは八桁。入力した文字はすべて「●」で表示でされているが、隅っこにある目玉マークを押せば解除され、文字を確認出来る。
亀井はパソコン画面と手帳を何度も往復し、入力間違いがないことを確かめた。そして意を決し、「ログイン」のボタンを押した。
『パスワードが違います』
「ん~っ」と亀井は思わず額に手を当てた。
利用者本人が他界しているこの状況。パスワード不一致となると、流石に困難を極める。次なる手としては、パスワードのリセット及び再発行だろうか。
しかし、それには登録されているメールアドレスに届くメールを確認する必要があり、登録してあるパソコンは本体で、故障している。
ダメで元々、と亀井は夫人にメールアドレスについて尋ねてみようと考えた。だが刹那、すぐに別の思考が走った。
亡くなったご主人の手帳には、今必要なもの以外にもいくつかのパスワードが記載されていた。そして記載されているアルファベットは、いずれも大文字で書かれている。だからこそ、亀井もなんの疑問も持たずに大文字で入力していた。
しかしパソコンで文字入力する際、通常であれば基本的には全て小文字で入力される。わざわざ入力モードを変更したり、Shiftキーを使って入力したりするだろうか。それも若者ではなく、ご年配が。
パスワード入力は複数回間違えると、アカウント自体にロックがかかってしまうこともある。ロボットなどを用いた不正アクセスを防ぐ為の措置だが、機械に人間の事情を汲み取る機能は流石に現代でもない。
パソコンに自我があって親切を賜ってくれるならありがたいが、もちろんそんなことはない。
無暗に何度も入力を試すのは、少なからず危険がある。
亀井の経験上では、続けて二回の間違いでロックがかかることはなかった。危険なのは三度目から。登録先によっては怪しくなってくる。
再びパスワードの再入力画面に視線を移した亀井は、ゆっくりと手帳の文字を確認する。今度はアルファベットをすべて小文字で入力し、二度目のログインボタンを押した。
ブラウザの画面が真っ白に切り替わり、マウスのポインタが青い輪っかに変わってぐるぐると回っている。次になにが表示されるのか、亀井はただジッと画面を見つめることしか出来なかった。
次の瞬間、画面には大きく「ようこそ」と表示された。
「っし、いけた──」
無意識に、亀井の口から言葉が漏れた。
右上にあるユーザー名には「加治 昭雄」と表示されていた。
ユーザー専用画面から暗号化の解除キーを表示させ、メモ帳のアプリケーションにコピーを貼り付けた。続けて南京錠が出ているハードディスクのアイコンをクリックし、解除キーの入力欄にメモ帳の内容を張り付ける。
そしてエンターキーを叩くと、外部媒体の中身がパソコン画面に表れた。
「よし。加治さん、いけましたよ! ご主人のデータ、取り出すことが出来そうです!」
加治夫人はご主人とは別に自分用のノートパソコンを所持していた。今日は手帳と一緒にそれも持参してもらっている。
亀井は予め用意ておいたUSBメモリーを取り出し、データをコピーした。そして加治夫人のパソコンを新たにカウンターで立ち上げ、コピーの終わったUSBメモリーを彼女の機器に差し込んだ。亀井は夫人と共に確認する。
デスクトップフォルダの中に「オセロ」と書かれたフォルダを発見した。亀井はクリックして開き、それを夫人のパソコンへコピー。更に中身を開いてみせた。
すると、画面の真ん中に碁盤の目と、交差して置かれた白と黒2の碁石が表れた。
「こっ、これです……! 主人が作っていたのは!」
加治夫人は、興奮した様子で画面を覗き込んでいた。
亀井が試しに碁盤の空きスペースをクリックすると、そこに黒の碁石が配置された。間髪入れずに、別のところに白の碁石が置かれた。
どうやら一人対戦用のオセロゲームを、加治夫人のご主人は作っていたようだ。
傍から見れば、単なるシンプルなオセロのゲーム。しかし、夫人にとってはこれを制作をしていたご主人の姿を思い起こす大切な思い出のデータであり、二人が共に過ごした時間を感じられるものなのだろう。
「ありがとうございます、亀井さん。本当はパソコンが動かなかった時点で、半分諦めていたんですよ……」
夫人は目に涙を浮かべながら、何度も亀井に礼を言った。
「僕は仕事をこなしただけですから」と亀井は謙遜の態度で返す。
それから亀井は、他のデータもまとめて夫人のパソコンへとコピーした。
「不要なものもあるかもしれません。でも一応まとめてコピーしておけば、後で大事なものがない、となった時などの備えにもなりますので」
一言告げてからパソコンの電源を切り、亀井は夫人が持っていた手提げ鞄にしまった。
「ご主人のパソコンはどうされます? もし不要であれば処分も可能ですし、もしお持ち帰りされるのでしたら改めて組み直さないといけないので、少しお時間がいただきますが」
「もう少しだけ手元に置いておきたいので、後日また立ち寄ります。今日は私のだけ持って帰りますね」
夫人はデータ取り出しの料金を支払い、何度も振り返り頭を下げ、店を後にした。
「いい仕事をしたなぁ、亀井さん」と店主の飯島が亀井の肩を叩きながら言う。
「頼まれたことをしたまでです。……とはいえ、うまくいって本当によかったです」
この日はそれ以後、電池や電球を買いに来たお客が数人訪れる程度だった。特別なことがない限り、イイジマ電気店は十九時に閉店だ。
閉店の業務を少し手伝い、宍戸は十九時半過ぎに自転車に跨り、帰路へと着いた。
村は街灯も少なかった。都会の十九時とはまるで景色が違う。闇に包まれているようだった。
発電式のヘッドライトを照らしながら、亀井は夜道を自転車で進んでいく。灯りが少なければ、当然音も少ない。前輪に取り付けた発電機の摩擦音だけが耳に届いていた。
しばらく漕げば、土地代だけで建物はほぼ無料同然だった、寂れた一軒家の自宅に着く。
家に入る前に、玄関の郵便受けを確認した。たまに回覧板が入っていたりするようだが、今日はなかった。代わりに封筒が入っていた。
差出人も、宛名もない白紙の封筒が一通。
「誰だろ?」
亀井は何気なく、真っ暗な周囲を見回した後、封筒を開いた。中には小さな紙切れが一枚入っていた。中にも差出人や宛名も書いていなかった。
書いてあったのは、雑に──それでいてどこか強さも感じる、線が何重にも引かれた角ばった文字でこう書かれていた。
『出テイケ』
時刻は昼過ぎ。亀井は来店した加治夫人から手帳を見せてもらっていた。
細かくびっしりと、メールアドレスやらパスワードやら、登録元のサービス名が手帳のページに記載されていた。
加治さんのご主人は生前、きっと貴重な性格の方だったのだろう。たかが手帳一冊でも、彼がどんな人間であったかを物語っていた。
「えっと、八文字で──英数字の組み合わせもある。うん、恐らくこのパスワードで間違いないかな」
彼は自問自答しながら独り言を呟き、手帳に書かれたパスワードを見ている。
「ここにあるパスワードで合っているか試してみますので、少しこちらの手帳お借りしますね」
亀井は加治夫人から手帳を預かり、例のハードディスクを繋いでいるパソコンの前に立った。
インターネットブラウザを開いて、該当のログインページへ。記載されているメールアドレスとパスワードを入力する。
パスワードは八桁。入力した文字はすべて「●」で表示でされているが、隅っこにある目玉マークを押せば解除され、文字を確認出来る。
亀井はパソコン画面と手帳を何度も往復し、入力間違いがないことを確かめた。そして意を決し、「ログイン」のボタンを押した。
『パスワードが違います』
「ん~っ」と亀井は思わず額に手を当てた。
利用者本人が他界しているこの状況。パスワード不一致となると、流石に困難を極める。次なる手としては、パスワードのリセット及び再発行だろうか。
しかし、それには登録されているメールアドレスに届くメールを確認する必要があり、登録してあるパソコンは本体で、故障している。
ダメで元々、と亀井は夫人にメールアドレスについて尋ねてみようと考えた。だが刹那、すぐに別の思考が走った。
亡くなったご主人の手帳には、今必要なもの以外にもいくつかのパスワードが記載されていた。そして記載されているアルファベットは、いずれも大文字で書かれている。だからこそ、亀井もなんの疑問も持たずに大文字で入力していた。
しかしパソコンで文字入力する際、通常であれば基本的には全て小文字で入力される。わざわざ入力モードを変更したり、Shiftキーを使って入力したりするだろうか。それも若者ではなく、ご年配が。
パスワード入力は複数回間違えると、アカウント自体にロックがかかってしまうこともある。ロボットなどを用いた不正アクセスを防ぐ為の措置だが、機械に人間の事情を汲み取る機能は流石に現代でもない。
パソコンに自我があって親切を賜ってくれるならありがたいが、もちろんそんなことはない。
無暗に何度も入力を試すのは、少なからず危険がある。
亀井の経験上では、続けて二回の間違いでロックがかかることはなかった。危険なのは三度目から。登録先によっては怪しくなってくる。
再びパスワードの再入力画面に視線を移した亀井は、ゆっくりと手帳の文字を確認する。今度はアルファベットをすべて小文字で入力し、二度目のログインボタンを押した。
ブラウザの画面が真っ白に切り替わり、マウスのポインタが青い輪っかに変わってぐるぐると回っている。次になにが表示されるのか、亀井はただジッと画面を見つめることしか出来なかった。
次の瞬間、画面には大きく「ようこそ」と表示された。
「っし、いけた──」
無意識に、亀井の口から言葉が漏れた。
右上にあるユーザー名には「加治 昭雄」と表示されていた。
ユーザー専用画面から暗号化の解除キーを表示させ、メモ帳のアプリケーションにコピーを貼り付けた。続けて南京錠が出ているハードディスクのアイコンをクリックし、解除キーの入力欄にメモ帳の内容を張り付ける。
そしてエンターキーを叩くと、外部媒体の中身がパソコン画面に表れた。
「よし。加治さん、いけましたよ! ご主人のデータ、取り出すことが出来そうです!」
加治夫人はご主人とは別に自分用のノートパソコンを所持していた。今日は手帳と一緒にそれも持参してもらっている。
亀井は予め用意ておいたUSBメモリーを取り出し、データをコピーした。そして加治夫人のパソコンを新たにカウンターで立ち上げ、コピーの終わったUSBメモリーを彼女の機器に差し込んだ。亀井は夫人と共に確認する。
デスクトップフォルダの中に「オセロ」と書かれたフォルダを発見した。亀井はクリックして開き、それを夫人のパソコンへコピー。更に中身を開いてみせた。
すると、画面の真ん中に碁盤の目と、交差して置かれた白と黒2の碁石が表れた。
「こっ、これです……! 主人が作っていたのは!」
加治夫人は、興奮した様子で画面を覗き込んでいた。
亀井が試しに碁盤の空きスペースをクリックすると、そこに黒の碁石が配置された。間髪入れずに、別のところに白の碁石が置かれた。
どうやら一人対戦用のオセロゲームを、加治夫人のご主人は作っていたようだ。
傍から見れば、単なるシンプルなオセロのゲーム。しかし、夫人にとってはこれを制作をしていたご主人の姿を思い起こす大切な思い出のデータであり、二人が共に過ごした時間を感じられるものなのだろう。
「ありがとうございます、亀井さん。本当はパソコンが動かなかった時点で、半分諦めていたんですよ……」
夫人は目に涙を浮かべながら、何度も亀井に礼を言った。
「僕は仕事をこなしただけですから」と亀井は謙遜の態度で返す。
それから亀井は、他のデータもまとめて夫人のパソコンへとコピーした。
「不要なものもあるかもしれません。でも一応まとめてコピーしておけば、後で大事なものがない、となった時などの備えにもなりますので」
一言告げてからパソコンの電源を切り、亀井は夫人が持っていた手提げ鞄にしまった。
「ご主人のパソコンはどうされます? もし不要であれば処分も可能ですし、もしお持ち帰りされるのでしたら改めて組み直さないといけないので、少しお時間がいただきますが」
「もう少しだけ手元に置いておきたいので、後日また立ち寄ります。今日は私のだけ持って帰りますね」
夫人はデータ取り出しの料金を支払い、何度も振り返り頭を下げ、店を後にした。
「いい仕事をしたなぁ、亀井さん」と店主の飯島が亀井の肩を叩きながら言う。
「頼まれたことをしたまでです。……とはいえ、うまくいって本当によかったです」
この日はそれ以後、電池や電球を買いに来たお客が数人訪れる程度だった。特別なことがない限り、イイジマ電気店は十九時に閉店だ。
閉店の業務を少し手伝い、宍戸は十九時半過ぎに自転車に跨り、帰路へと着いた。
村は街灯も少なかった。都会の十九時とはまるで景色が違う。闇に包まれているようだった。
発電式のヘッドライトを照らしながら、亀井は夜道を自転車で進んでいく。灯りが少なければ、当然音も少ない。前輪に取り付けた発電機の摩擦音だけが耳に届いていた。
しばらく漕げば、土地代だけで建物はほぼ無料同然だった、寂れた一軒家の自宅に着く。
家に入る前に、玄関の郵便受けを確認した。たまに回覧板が入っていたりするようだが、今日はなかった。代わりに封筒が入っていた。
差出人も、宛名もない白紙の封筒が一通。
「誰だろ?」
亀井は何気なく、真っ暗な周囲を見回した後、封筒を開いた。中には小さな紙切れが一枚入っていた。中にも差出人や宛名も書いていなかった。
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