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第一章 チュートリアル

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 「簡単に言えば、貴殿にこの国を王をやってもらいたい。」

 「お断り致します。」

 「これも即答か、貴殿の決断力には驚くばかりだ。一国の支配者になるのはそう悪くは無いと思うが。まぁ、そう急ぐことなかれ。まずはこの老いぼれの話でも聴くといい。その後に考えても遅くはないさ。」

 平川がこの話を断ったのにいくつか理由がある。
 まず、知りもしない組織に加入することを彼は良しとしない。彼はの会社のことをろくに調べもせずに入社した。
 聞こえよく言えば、これは彼なりにまとめた教訓のようなものだろう。

 次に、そして最も重要ななのは彼がもうからだ。重労働だろうと、軽労働だろうと、彼はもう何もしたくはない。
 別に彼はニートになることも良しとはしない。むしろそれは彼がこの世で3番に忌み嫌う存在である。
 だが、自分に自殺する権利はあると彼は考えている。前の世界ではできなかったが、どうせ死ぬのなら自分の臓器を全て寄付してしまいたい。
 この世界では臓器の生前贈与は可能かどうかはまだ不明だが。

 彼が命を払うほど憎い相手の本社は潰せた。支社を潰せないのは残念だが、平川は彼らの為に、あるかもわからない帰還方法を探す気にはなれなかった。

 「見てのとおり、ワシは歳をとりすぎてしまってもう長くはない。しかも実に遺憾なことに、ワシの子供に優秀な者はいない。」

 再びざわめき始めた、中には嘆いている者もいる。

 「そこで、ワシと同じフリンソの血が流れている貴殿を召喚した。ごく稀に、奇跡にも等しい確率で、全く関係のない二つ家系が同じ血脈を持つことがある。貴殿に流れている血と我がフリンソの血に差はほぼない。」

 そこまで言われて、平川は思考を巡らす。彼の発した言葉は純粋なものだった。

 「それでも、何故自分を召喚しようとしたのか理解に苦しみます。自分が無能だったらどうしますか?その場合は子に王位を譲るのですか?」

 「貴殿が無能だという心配はしとらんさ、これまでの言動を見る限りではな。そうだな、万が一にも貴殿が王に相応しくなかったら、ワシは死ぬ前にバカ息子を追い出して国を売ったさ。」

 ざわめきはその瞬間に急激に増加し、悲鳴へと変貌した。

 「その国を王は良き統治者、だとワシは見込んでいる。彼女に国を売れば、民は粗雑に扱われないのだろう。どこの国かは今は言えないが、準備は既に最終段階まで進んでいる。そして喜ぶべきことに、その準備を全て台無しにする貴殿がここに召喚された。」

 台無しという、本来は消して良い意味を持たない言葉を使っているのに、王はどこか嬉しそうに笑っている。
 彼もこれを奥の手としたかったのだろう。好き好んで売国をしようとしている訳ではないそうだ。

 「では、前置きはそれくらいにしよう。西の大陸には『馬』という種がいる。その種は人参が大好物という。」

 平川を含めたこの場にいる全員が、なぜ急にこの話をしたのかわからなかった。わからなくてもどうでも良い平川を除いてほぼ全員が首を傾げた。

 「なんでも、魚を釣るように、馬も人参を目の前にを置けば食らいつくらしい。」

 一番早く話を理解できたのは平川、地球では似たような慣用句があるからだ。それに続いてチラホラと『なるほど』という顔をする者が出てきた。

 「そんな貴殿に如何にも美味しそうな人参を差し上げよう。思いついたのは貴殿がここに召喚された時だから準備は一切していないが、ワシは貴殿が食らいつくことを微塵も疑っていないさ。」

 「なるほど、自分が食らいつく餌など想像できませんが、そんなものが本当に存在するのでしたら是が非にも拝見させてください。」

 「さっきも言ったように、そう急ぐことなかれ。この残り短い老いぼれでさえそんな急いでないのだから、そんなに急かすことなかれ。もう少し話をしようじゃないか。」

 二人の会話に滞りは全くない。今日で初めて会ってまだ一時間も経っていないというのに、それなのに二人のその姿はまるで十数年来の親友のようだった。

 「いやはや、愉快愉快。あの世にいい土産ができた。ワシとしてはこのまま話をいつまでも続けていたいところだが、貴殿はそうでもないようだ。人参について話そうか。」

 「そうして頂けると幸いです。」

 平川も延々と話に付き合わさせられて、随分と待たされている筈なのに、その顔には怒りが見えない。
 尤も、彼が表情を作るのが得意で感情を隠すのが上手いという可能性も大いにある。内心ではいい加減うんざりしているかもしれないが、彼の今の心を知っているのは彼自身だけだ。
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