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第一章 チュートリアル

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 平川が召喚されてから二日が経った。

 彼は宰相のクラテーからこの世界の基本常識とこの国の情報を教えて貰っている最中である。

 この国には黒板とチョークのみたいな書いた後に消して何度も使えるような物はない。その為書き込んでしまったら再利用はほぼ不可能である。
 紙というのはとても高価な物なので、おいそれと無駄にすることはできない。

 授業というのは基本的先生が口伝で教える。裕福な家庭やそこそこな権力がある家では書物を購入することもある。

 平川の教育は国の一大事とも言えるので、当然そんなことは気にせずに紙をバンバン使っても良いということになっている。

 「クラテー殿、一つ質問しても良いですか?」

 平川がどのようにクラテーを呼ぶのかが問題になったことがあった。

 もし、平川を『次期国王』として扱うのなら、彼はクラテーをクラテー『殿(フィナ)』と呼ぶのが妥当である。

 けれども、平川と現王の話し合いがまだ終わっていない為、それをして良いかが疑問視された。一般的平民として扱う場合はクラテー『様(クシェ)』と呼ばなければならない。


 平川: 『殿(フィナ)』とは自分よりも格下の者に使う敬称。『様(クシェ)』は自分よりも格上の者に使う敬称。


 かと言って、余程察しが悪い者かアホじゃなければ平川が次期国王になるのは分かりきっていること。ぞんざいに扱えば『不敬罪』で罰される。


 平川:この国の『不敬罪』での最高刑は『死刑』だよ。『次期国王』に対して罪を犯した場合は問答無用で最高刑だよ。


 最終的には宰相のクラテーの判断で平川を『次期国王』として認めて、呼び名は『クラテー殿』ということに落ち着いた。

 周りの国の要職たちがビクビクしながらこの問題を議論しているのを見て、平川は「何故こんなくだらないことをそんな真剣に話しているのだろう?」とボンヤリ考えていた。

 知らぬは本人ばかりと言うが、平川が彼らに与えイメージは一単語で言えば『不気味』である。

 平川が爆弾を仕掛けて大爆破を起こしたことを、彼らは召喚の儀を通して見てしまったのだ。
 彼らからしてみれば平川は気に入らないことがあれば、自分の命も投げ出して報復をする『パウカカ』に他ならない。


 平川:『パウカカ』とはこの国の伝説で出てくるやばい感じの殺人鬼である。日本語に転換して意訳するとほぼ『サイコパス』のような意味になる。


 そんなヤツの機嫌を損ねてしまえば何をしでかすわかったものではない。だから彼らは平川に怯えながら話し合っていた。

 平川も怖いが、宰相のクラテーも当然怒らせて良い相手ではない。
 彼の生まれは平民で、家も資産が多い方ではなかった。それなのに気づいたら彼の政敵は次々と失脚していった。

 彼の顰蹙を買ってしまったら、次に自分が王宮にいられないかもしれない。

 二大恐怖に板挟みされた状態で話し合いは続いたが、クラテーの一言であっけなく終わってしまった。

 「ヒラカワ様は『次期国王』であらせられる。このことに疑う余地があるのか?」

 その一言で全員が黙った。

 そもそも、クラテーと平川は最初から呼び名なんて気にしてはいない。
 平川は自分がしたいができれば誰をどう呼ぼうと言われようとどうでも良い。
 クラテーもこの国が栄えれば誰にどう呼ばれようとどうでも良い。

 無駄に気を遣っているのほ彼らだけである。

 茶番が終わった後にその場に残った人はあまりいなかった。もう用はないとばかりにそそくさに帰る人もいれば、果敢に平川に話しかける猛者もいた。

 少しでも情報を引き出して、その情報を誰かに渡して恩を売る気だろう。まだ、平川に名前を覚えてもらえれば、要職に抜擢される可能性もある。

 そのせいか、この国の中枢を担う『五巨頭』と呼ばれる最高幹部は一人も平川に話しかけなかった。
 話す必要がないと判断したのか、平川が次期国王になることに反対なのか、それとも何か別の思惑があるのか……

 いずれにせよ、これ以上の昇進の余地がない彼らが来ていないことは確かである。








 そして現在、平川は相変わらずの営業スマイルを浮かべている。

 「なんなりとお聞きください。」

 「自分の口調についてですが、これで良いのでしょうか?この国のマナーや礼儀については何も知らないので、まずそちらから教えて貰えると助かります。」

 「それを気にする必要はありません。『殿下』が王となれば、あなたが言動そのものが法です。」

 クラテーはなんでもないような口調でとんでもないことをスラスラと言う。

 平川が次期国王になることは確かに半ば決定されているようなものだが、それでも王族ではない者を『殿下』と呼ぶのは本来なら罰されるべきことである。

 最悪の場合は『反逆罪』で即処刑が待った無し。彼と平川以外に誰もいないから特に問題はないが、誰かいたとしてもそれを注意できる度胸の持ち主はそうはいない。

 「もし、威厳がある話し方を学びたいと仰れば授業に組み入れますが、殿下の性格からして無駄に威張るのはお好きでないと愚考いたします。」

 「なるほど、わかりました。」

 「では、初めての授業を始めましょう。」
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