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第一章 チュートリアル

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 自分の行いが某メイドの一生を大きく左右したとはつゆも知らず、平川は『勉強部屋(クラテーの執務室)』に向かっていく。

 途中で何人かに出会ったが、誰も目を合わせようとはせずに、そそくさに立ち去ってしまう。平川恐怖伝説は既に王宮中に広まったようである。


 そんな感じで平川は何事もなく目的地に着いた。クラテーの執務室の扉は平川に与えられた部屋のような豪華さはなく、必要最低限の機能があるだけの『扉』という感じである。

 これで入るのは二度目であり、朝起こしてくれたメイドに倣って扉を四回ノックする。

 「殿下でございますね?どうぞお入りください。」

 何故自分ノックだけでわかったと訝しげながら、しかしそれを顔には出さずに入る。
 クラテーは今日の教材なのか、分厚い本を3冊抱えて本棚の近くに立っていた。

 「何故自分だとわかったのですか?」

 気になったことはとりあえず質問してみるのが平川の癖である。

 平川は聞いても大丈夫だろうと判断して丁寧な口調で質問した。尤も、彼の口調はいつも同じだが。

 「普通、ノックは三回です。四回のノックをされて良いのは王族のみです。おそらく、殿下を呼びに行ったメイドが四回のノックをして、殿下がそれに倣ったのでございましょう。」

 今度ばかりは驚きが顔に出そうになるが、鍛えてきた営業スマイルでグッと堪える。心の中では「よくノックだけでここまで推測できましたね」と賞賛を贈る。

 「さて、昨日は単語の意味だけを教えましたが、今日はそれらに関わる歴史についてやりましょう。」


 クラテーの執務室には四つの机がある。

 一つは書類が山積みされているクラテーの執務用の机。

 一つは今日はいないが彼の秘書官の机。こちらも同じように書類が山積みである。

 一つは資料をまとめている机、一々本棚に戻すのは非効率と思ったクラテーが常用資料のみを並べている。

 最後の一つは平川の授業の為に運び込まれた新品の机である。


 『そのまま秘書官の机か、クラテーの机を使って授業をすれば、何も新品を調達してくることはないじゃないか?』
 と平川は内心思ったが、山積みの書類を見て『これなら仕方がない』と独りでに納得した。

 だがそれは違う。


 クラテーとその秘書官の机の上に並べている書類は全部フェイク、本当に重要なものはそのまま外に出ている筈もなく、引き出しの中にしまってある。
 それらが盗み出されないように『法術式』がかけられている。そういう物を『法具』と呼ぶ。

 もし、クラテーの机に彼以外の誰かが近づいてしまった場合は発火して机にしまってある物は全て綺麗に燃え尽きる。

 平川が国王になったとしても、それは変わらない。国王であっても、宰相の執務机に関しては口を出してはいけない。
 これは明文化されていない。国王と宰相の間のみに成り立っている暗黙の了解である。







 「まず、王を国の支配者にたらしめるのは『王印(アンシ)』です。そしてそれは『血統技能』の一種、通常は血縁者にのみ受け継がれる。ここまでは昨日やりましたね。」

 「はい、今日からそれらを更に深く学ぶということで終わりました。」

 「では、こちらの本の176ページをご覧ください。今日は『王印』の始まりについて学びましょう。」

 翻訳機能のお陰で文字も理解できるようになった平川だが、音声と文字の翻訳速度は明らかに前者の方が速い。

 そこはクラテーもわかっているからなのか、ゆっくりとした口調で時間を十分にかけて話している。

 「このように、『黎明王バナルーグ』は自分の『荒力』を『理力』に変える力を使って『国』を広げて人の領域を拡大していきました。」

 そして平川が丁度文の意味を理解したところを見計らってうまく短文でまとめてくれる。

 「しかし、彼は自分が生きているうちに世界中の『荒力』を鎮めるのは不可能だと感じました。そこで、彼は自分の『王印』を13に分けて子孫に与えました。」

 次のページをめくる、知っている単語も多くなり、翻訳機能のスピードもぐんぐん上がってきた。

 それを察したクラテーはそれに伴って話すスピードを上げる。

 「フリンソ王家は8番目の子『スーヤラスフ』の血筋だと言われています。彼女はこのあたりの海域を支配していた『海洋の御子プレセク』と子を作り、フリンソ王家が始まりました。」

 いよいよ音声と文字の理解速度が並行してきた時、クラテーがもう一冊の本を渡してきた。

 「次はこちらの本の53ページをご覧ください。殿下は理解力が高うございますので、周辺国家の起源も一緒に学びましょう。」

 さっきの本とはまだ違う雰囲気の文字の本だった。文字に共通性がある為、平川は同じ文字の違う書体だろうと推測した。

 「こちらは隣国の『セペルクス』の文字で書かれています。大元は同じですので、この国の文字を理解した殿下も読みやすいと思ったのですが、殿下の能力があれば問題は内かと思います。」

 「はい、問題なく読めます。どうぞ続けてください。」

 「それは良うございました。この調子でしたら、隣接している国の起源は全て今日中に終われそうでございますね。」


 クラテーは平川の理解能力のギリギリを見極めて限界ワークをさせるつもりだった。現国王の容態は悪くなっていく一方。早急に莫大な量の知識を注ぎ込む必要があった。
 しかし、嬉しい方向でクラテーの読みは外れた。平川は彼の予想以上の学習能力を持っている、これなら予定よりも早く『常識の授業』が終わることだろう。
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