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第一章 チュートリアル

平川のノート『歴史』⑪

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 ペコサ人はシャカラ人に二度目の攻勢を仕掛けるも失敗に終わり、『内海』に進出しようにもヌエニ人に臣従するという結果に終わった。

 ここでようやく話は②に入る。

 ラベゴ大陸で世紀の大事件が起こったが、ヌエニ人の本来の目的はこっちである。元々はムヤ人攻略で余った兵力、偶々予想外のとんでもない結果を生み出してしまったが、ヌエニ人の殆どの力はこっちに集結している。

 図で示しているとおり、ムヤ人の軍はフェス二が住む、現代では『ピューゼ半島』の東南方面をに広がっている。
 それを、ヌエニ人の軍は包むように広がっている。この戦いのムヤ人の兵力はヌエニ人の兵力の三倍以上はあると言われている。

 当然、ムヤ人は重厚な包囲網を形成しているのに対して、ヌエニ人の包囲網は薄く間隔があまりに開けすぎている。
 視界を遮る物が一切ない海上でなければ、自軍の他の船が見えないくらいの間隔でようやくムヤ人の軍を包囲することができた。

 これにムヤ人は嘲ったという。そして向きを変えてヌエニ人を先に始末しようと考えた。



 これが後世に『ピフーの戦い』と呼ばれ、『内海覇権戦争』の始めての大戦として扱われている。
 『内海覇権戦争』の始めての大戦は『ピフーの戦い』だが、本当の始まりはムヤ人のペルニ島占領から始まっている。
 但し、ペルニ島に先住民はいない、戦いらしいものもなく終わったのだから、始まりはフェス二人とヌエニ人の『ネホヌ諸島』の侵略から始まると考える学者も少なくはない。

 未だに学会では決着がついておらず、この国では前者が有力である為、前者を始まりとして扱う。



 このように始まった『ピフーの戦い』は大戦として扱われているが、案外あっさりと終わってしまった。
 勝者はヌエニ人、敗者はムヤ人だった。

 しかし、勝った筈のヌエニ人が逆に困ってしまった。

 前にも話したとおりに、ヌエニ人は人同士の戦いには慣れていない。海戦では人を殺すことよりも船を壊す方を重視する。
 その結果、敵軍(ムヤ人)の船はほぼ全滅させたが、敵兵は結構残ってしまったのだ。

 通常、落ちた敵兵を構う者はいない。戦士階級(貴族)は人質として拾うかもしれないがそれだけだ。
 取り敢えず生き残った者は階級構わずに海から拾い上げたヌエニ人の船はかなり重くなり、これ以上の追撃が困難になった。
 元々ここらヌエニ人が不慣れな内海、船がいつも以上に重くなれば速度も思うように出なかった。

 それでも、ヌエニ人はムヤ人の船団を全てを殲滅に追い込むことに成功した。
 ここでいう船団の殲滅とはあくまで船の殲滅であり、人の損害のことではない。

 ムヤ人の海軍の東端の『フーチェ』の船団だけが脱出に成功した。正確に言えば、船団そのものは殲滅されたが、船にいる兵士の大部分は助かった。
 形勢はもはや逆転が不可能と見た彼女は船の帆を固定して、船を海流に任せた。この季節の『プゼーポ湾』の海流に特徴があって、それを利用して彼女はあたかも船が本国に向かって逃げているように偽装することができた。



 彼女は軍を率いて逆方向からデセム人の支配域に向かった。ムヤ人はデセム人の大部族と友好的な条約を結んでいるからだ。
 彼女の計画は無事に成功し、数日後に彼女は本国に帰還することができた。最初は誰も彼女の話を信じなかった。ヌエニ人にそんな力があるとは誰も思わなかった、それも彼女の帰還後の二日目で正視せざるを得なかった。

 海軍の最高指揮官『カーシャス・ドゥムド』が戻ってきたからだ。但し、彼は捕虜として戦いの敗北を報せに戻ってきたのだ。
 そこでようやくムヤ人の大部族が集結して上層部が会議を開いた。

 結果、『カーシャス・ドゥムド』は海軍の最高指揮官から外され、後任として『フーチェ』が『ダルプース部族』の長に昇進、『フーチェ・ダルプース』が新たな海軍最高指揮官となった。



 なお、これと同時にラベゴ大陸の軍を呼び戻してヌエニ人に対抗する案を挙げられた。しかし、ナキア大陸に戻って敗北の報せを聞いたラベゴ大陸方面軍の最高指揮官は即座に軍を率いてラベゴ大陸に帰ってしまった。
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