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第一章 チュートリアル

平川のノート『歴史』⑯

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 この全部で八つの月で構成されている暦を当時の最高指揮官の名前に因んで『プムレネ暦』と呼ばれた。

 暦法が制定されてヌエニ人の生活に何か変化があったかと言うと、ほぼなかったらしい。
 元々あまり日付を気にしない生活を送ってきたのだから、『プムレネ暦』にあまり有り難みを感じなかったのかも知れない。
 その制定過程で生じた最高指揮官の苦労と失った髪の毛の数など知る由もなかったの違いない。

 ヌエニ人の最高指揮官は一つの特権として『冠』を頭に戴くことがある。『冠』には特定の決まりはなく、先代と次代が全く別の素材を使っていることもしばしばある。

 金属製の物があれば、木製の物もある。ターバンのような布でできた物もあった。

 当時の最高指揮官は若い頃は『冠』をつけなかったが、『プムレネ暦』が制定されている途中から『冠』を戴くようになったという。

 さて、これを諸国との交流が盛んになったから威厳を出す為と解釈するのが一般的なのだが、一部の歴史学者はこれは退を隠す為ではないかという説もある。
 なお、自分はこの件に対してノーコメントを貫くことにする。ここで否定のコメントを残さないことから自分がどっち派なのかわかるだろうが…………

 何度も繰り返すがノーコメントである。







 それからヌエニ人の最高指揮官の苦労生活は更に続くのだが、彼もそれは予想できたのではないだろうか。最高指揮官になれたのだから、愚かではない筈だ。

 もし、彼がこの後のことについて予想できたのなら。きっと彼はカンカンに怒りながら対処法を練り、そして自分の先見の良さをこの時ばかりは恨みながら感謝したのだろう。








 『四月雪の月

 ヌエニ人の征服地の一つであるペコサ人の住む地域では叛乱が発生した。
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