30 / 33
第一章 チュートリアル
平川のノート『歴史』⑮
しおりを挟む
約360年前、ヌエニ人は初めて暦という制度を導入した。
これより以前から『一年』という曖昧な概念はあった。しかし、ヌエニ人が住む地方はほぼ一年中雪に覆われている。気温差も大きくはなく、なんとなく暖かくなったあたりを一年の終わりとした。
この暖かみは一年の頑張りと成果を報いる神からの贈り物だとヌエニ人は考えた。この20日あるかないかの期間をヌエニ人は『八月』とした。
ヌエニ人はフェス二人とペコサ人の暦法を参考にしたが、そのまま使うことはしなかった。フェス二人もペコサ人も自分たちの暮らす地域に適するように暦を作っている。
フェス二人の暦では『三月』になるが、ペコサ人のの暦では『五月』も『六月』になる。
フェス二人が住む『ピューゼ半島』では三月になると雨季になり、文字どおりにとにかく雨が降る。ペコサ人の暦はフェス二人とは始まりが二ヶ月半程ズレている。
フェス二人は冬が終わり春が始まった日を一年の始めとするが、ペコサは収穫を終えたら一年が終わると考えている。そのため冬が一年の始まりとなる。
ヌエニ人の当時の最高指揮官はヌエニ人の生活に適した暦を作りたかったのだろう。彼はヌエニ人の知恵者を集めて暦の製作に励んだ。
当時のフェス二人とペコサ人の暦は全部で8ヶ月だった。
ムヤ人は24ヶ月、シャカラ人は60ヶ月、カムル人は14ヶ月だった。
シャカラ人の60ヶ月には驚きを覚える、そんなに細かく分ける必要があるのだろうか。クラテー殿の話によれば、彼らの一年はヌエニ人の四年分らしい。それでも多いと思う。
当時の最高指揮官はなんとかして、少なくとも8ヶ月をそれぞれ決めようとしたのだろう。だがいかんせんヌエニ人が住む地方は一年を通してあまり変わらない。
やることは一年を通してあまり変わらない。気温も『八月』を除けばあまり変わらない。降雨量というより降雪量で判断しようにも、『暴雪の月』、『吹雪の月』、『豪雪の月』のような名前ばかりではつまらない。
当時の最高指揮官が残した日記によれば、『◯雪の月』といった候補が20個以上出ているのに、それ以外の候補が挙がるのはごく稀だという。
彼が苦悩と寝食を共にしておおよそ二ヶ月、ヌエニ人史上初めての暦が完成した。
『一月』
『二月』
『三月』
『四月』
『五月』
『六月』
『七月』
『八月』
一月から二月は馴染みのある名前が挙げられた。人の名前が月の呼び名になるのは地球でもよくあることである。
日本と中国のような東方世界ではあまりないが、英語やイタリア語(ラテン語)を調べてみればかなりの部分の語源は人の名前である。
有名どころを挙げれば『七月』だろう。『ジュリアス・シーザー』、『ユリウス・カエサル』、どちらが耳に馴染みがあるのかは知らないがこのお方が語源である。
半分近くが人の名前になったことから当時の最高指揮官が自棄になったのではないかと思う。
表向きは偉大な人物を讃える為となっているので、そういうことにしておいておこう。
三月の『クディアッテ』は、暦製作チームのチームリーダー的存在らしい。文献にも滅多に出てこない為、どういう人物かははっきりしていない。
一説によれば『ベネー』と同一人物ではないかとも言われている。『ベネー』は歴史学者たちからは『学才』と『武才』の両方が評価されているので、彼ではないかという説が出来上がった。
この説はかなりの信憑性があるらしく、近代は定説とされている。
四月と五月は説明する必要があまりないだろう。そのままの意味で雪がよく降る月と風が強い月である。
六月と七月は遠征軍の出発した日と帰還した日から決めているらしいが、現代の研究ではかなりかけ離れているという結果が出ている。
文献は『ベネー』の著作のみなので、こちらが間違っているかもしれないが、自分はやはり当時の最高指揮官が自棄(以外省略)
これより以前から『一年』という曖昧な概念はあった。しかし、ヌエニ人が住む地方はほぼ一年中雪に覆われている。気温差も大きくはなく、なんとなく暖かくなったあたりを一年の終わりとした。
この暖かみは一年の頑張りと成果を報いる神からの贈り物だとヌエニ人は考えた。この20日あるかないかの期間をヌエニ人は『八月』とした。
ヌエニ人はフェス二人とペコサ人の暦法を参考にしたが、そのまま使うことはしなかった。フェス二人もペコサ人も自分たちの暮らす地域に適するように暦を作っている。
フェス二人の暦では『三月』になるが、ペコサ人のの暦では『五月』も『六月』になる。
フェス二人が住む『ピューゼ半島』では三月になると雨季になり、文字どおりにとにかく雨が降る。ペコサ人の暦はフェス二人とは始まりが二ヶ月半程ズレている。
フェス二人は冬が終わり春が始まった日を一年の始めとするが、ペコサは収穫を終えたら一年が終わると考えている。そのため冬が一年の始まりとなる。
ヌエニ人の当時の最高指揮官はヌエニ人の生活に適した暦を作りたかったのだろう。彼はヌエニ人の知恵者を集めて暦の製作に励んだ。
当時のフェス二人とペコサ人の暦は全部で8ヶ月だった。
ムヤ人は24ヶ月、シャカラ人は60ヶ月、カムル人は14ヶ月だった。
シャカラ人の60ヶ月には驚きを覚える、そんなに細かく分ける必要があるのだろうか。クラテー殿の話によれば、彼らの一年はヌエニ人の四年分らしい。それでも多いと思う。
当時の最高指揮官はなんとかして、少なくとも8ヶ月をそれぞれ決めようとしたのだろう。だがいかんせんヌエニ人が住む地方は一年を通してあまり変わらない。
やることは一年を通してあまり変わらない。気温も『八月』を除けばあまり変わらない。降雨量というより降雪量で判断しようにも、『暴雪の月』、『吹雪の月』、『豪雪の月』のような名前ばかりではつまらない。
当時の最高指揮官が残した日記によれば、『◯雪の月』といった候補が20個以上出ているのに、それ以外の候補が挙がるのはごく稀だという。
彼が苦悩と寝食を共にしておおよそ二ヶ月、ヌエニ人史上初めての暦が完成した。
『一月』
『二月』
『三月』
『四月』
『五月』
『六月』
『七月』
『八月』
一月から二月は馴染みのある名前が挙げられた。人の名前が月の呼び名になるのは地球でもよくあることである。
日本と中国のような東方世界ではあまりないが、英語やイタリア語(ラテン語)を調べてみればかなりの部分の語源は人の名前である。
有名どころを挙げれば『七月』だろう。『ジュリアス・シーザー』、『ユリウス・カエサル』、どちらが耳に馴染みがあるのかは知らないがこのお方が語源である。
半分近くが人の名前になったことから当時の最高指揮官が自棄になったのではないかと思う。
表向きは偉大な人物を讃える為となっているので、そういうことにしておいておこう。
三月の『クディアッテ』は、暦製作チームのチームリーダー的存在らしい。文献にも滅多に出てこない為、どういう人物かははっきりしていない。
一説によれば『ベネー』と同一人物ではないかとも言われている。『ベネー』は歴史学者たちからは『学才』と『武才』の両方が評価されているので、彼ではないかという説が出来上がった。
この説はかなりの信憑性があるらしく、近代は定説とされている。
四月と五月は説明する必要があまりないだろう。そのままの意味で雪がよく降る月と風が強い月である。
六月と七月は遠征軍の出発した日と帰還した日から決めているらしいが、現代の研究ではかなりかけ離れているという結果が出ている。
文献は『ベネー』の著作のみなので、こちらが間違っているかもしれないが、自分はやはり当時の最高指揮官が自棄(以外省略)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる