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しおりを挟むスクラローサの歴史の中に、必ず登場する二つの宗教。その内の一つ、古くから信仰される天院教会。授業の為にやって来たのは、セオル・ファルだった。
七つの時に継承権を放棄して教会に帰属しているセオルを、第二王子だと知る者はほとんどいない。
教師として学院に配属されてから数日、リリーは彼を覚えていた。
「セオ!!」
廊下を走り寄ってきた少女に、セオルは懐かしみ微笑んだ。
「お元気でしたか?」
「はい。リリー様もお元気そうでなによりです」
「あの、セオの事、私の所為で、教会に戻されたと聞いたわ。…ごめんなさい」
「そんなこと、お気になさらないで下さい」
「…会えて良かったわ」
「本当に、私こそ、あなたに会えて良かったです」
リリーが生きている事に、セオルは心からそう思った。
神官ではあるが、教師の帯を首から下げている。それに気づいたリリーは、「そういえば」と閃いた。
「セオなら、……いえ、ファル先生なら知っているかしら? 緑色の制服の生徒のお名前」
「?、どなたか、気になるお相手でも居るのですか?」
「その……、少しだけ、気になるだけなのよ。髪は黒色で…、目も黒色で、特徴は、特には無いのだけど…。ああ、これでは全然分からないわよね、」
「……」
「……もう少し、上手く説明出来てからに「…それは、女性ですか?」
「!?、ええ、そう、そうなのだけど、」
曖昧な質問に答えをくれたセオルに、リリーは喜びと困惑を混ぜ合わせる。だがその様子にいつもの笑顔で返したセオルは、「名前だけなら」と頷いた。
「フェアリーエル・クロス」
「すごいわね、さすが教師ね! …でも、なんで分かったの?」
セオルはそれには答えず笑顔で封じる。
「……フェアリーエル・クロスね! ありがとう。あ…そういえば、あの人もクロスではなかったかしら?」
「どなたですか?」
「領内でね、ケーブ・ロッドという、少し問題があった者なのだけど。確か爵位がクロス男爵だった」
「……そうですか」
特に何も反応は無い。セオルは時間だと教室に戻るよう勧めるが、別れ際、扉に手を掛けたリリーの背に、「そうですね」と声がした。
「クロスとは、境会名に多いのです」
「境会名?」
「はい。おそらくその者、境会から名を貰い爵位が与えられたのかと。ですがクロスという名付けは多いので、あまり気にされない方が良いかと思います」
「……そうなのね。多いのね。分かったわ」
**
「明日はナイトグランドに行く日ですね。ベオルド伯もソル卿も領地戻りですので、指揮は私がとります」
十人の護衛騎士が集う中、ラング・フランビア侯爵家のルールが口を開いた。今年二十七歳になるラングは、白髪に銀色の瞳、撫で付けられた頭髪に眼鏡をかけ、見た目には怜悧で神経質な雰囲気を持つ。調停官と呼ばれる家のルールは、リリーの家庭教師の一人だ。
「次期様は許可されたが、俺は気が進まない。ナイトグランドギルドは長男も次男も、あまり良い噂を聞かないからな」
会議中、不機嫌に呟いたトライオンに、若い護衛官たちは顔を見合わせた。
「ですが力有る家の者で、良い噂を聞く者の方が少ないですよね。それを言われては、我らは処刑人や死神と呼ばれていますし」
「…ナイトグランドが持つ部隊は、各国の破落戸達で構成されている。そんな場所に、なぜ姫様が行かねばならないのか」
「確かに。国を追われた騎士崩れを寄せ集めていますね」
「しかも女子学友の招待ではなく、次男のアーナスターの招待を受けて、姫様の汚点になりはしないのか」
トライオンの真の心配事に気づいたセセンテァは、微妙な笑顔で頷いた。
「ご心配はいりませんよ。俺も噂は存じていますが、学院内での彼は、…なんと言うか、姫様に害はないと思います。少なくとも第四王子よりは、ですが」
「確かに。いまだに第四王子は、姫様に振られた事にも気づいていないですよね」
「しかもあり得ない事に、姫様が第四王子に言い寄ったなどと、嘘の工作まで流していました。こちらもやり返しましたが、相殺までには至りません」
おかしな噂話はよくある事だと、リリーは放っておけと言う。だが一族の者たちは、そもそも第四王子が気に入らなかった。
「腹立がちます。あの者が王を利用し求婚さえしなければ、もう既に姫様の婚約者は、一族で会議が終わってるはずなのに」
ダナー家の子供が十五になると、十枝の一族内で婚約者の選定をする。リリーの護衛の中には、候補者として組み入れられた者が大半だ。
「ベオルド伯なんて、超有力ですよね。姫様に一番頼られてるし」
誰が選ばれてもおかしくはない。互いに、彼らはこの事を口にはしない。だが話の流れで問いかけたセセンテァはトライオンに、内心とは違う言葉を口にした。
「私は歳が離れすぎている」
「年齢差なんて問題ないですよ」
「それよりも、問題は第四王子でしょう。今はまだ大した力はありませんが、正式な破談は早い方がいい」
気まずい流れをガレルヴェンが切った。男達の会話の中、それをやれやれと眺めていたのはデオローダ侯爵家のナーラ・フレビア。
「皆さん心配しすぎですよ。姫様は無事に第四王子との婚約を破棄して、直ぐに領内に戻られる。王都に、他に姫様が心を惹かれるようなものは居ないのだから」
侍女としても遣えるナーラは、婚約者候補達の焦りを笑い一蹴する。だが目の前に座るエレクトの表情に、それを問いかけた。
「どうしたのだ? アストラ卿」
上の空をナーラに指摘されたエレクトは、「いえ、なんでも」と頭を振る。
エレクトの懸念。
サイオスの名を知ってから、リリーは他の男子生徒を探す事はなくなり、そしてあれほど楽しみにしていた、学院食堂へも行かなくなった。
更に表情を曇らせて、思い悩む時間が増えている。
それをエレクトは、リリーがサイオスに想いを寄せているのではと懸念していた。だがそれを振り払うように、同じ様に怪訝な顔のトライオンに言い聞かせる。
「ベオルド伯、オウロ卿の言う通りだと思います。ナイトグランドのアーナスターは、見た目にも、そういった心配は無用かと思います」
敵は第四王子よりもサイオスかもしれない。
なので腰を引き足を内股に、見ようと思えば女にも見えなくはない、なよなよとしたナイトグランドの次男には、なんの心配も抱かなかった。
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