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学級崩壊のブルース
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あれは私が、小学校の高学年の時だっただろうか──。普通、小学校というのは担任の先生が全教科を受け持つ。だが私の小学校は、金にモノをいわせたかなんか知らないが、音楽の先生というのが存在した。
音大卒の、若くてキレイな先生だった。雰囲気は、アンニュイである。淡いブラウン系の髪に、これでもかと言わんばかりのパーマをあて、ファンデーションが軽く粉を噴いていた。
今思えば「ありえねえだろ」というルックスであったが、大人の女性に憧れていたレン太郎少年は、キレイだと思っていた。
私は当時、音楽が嫌いだった。だが、先生に褒めてもらいたいと思い、苦手なリコーダーを「ピーヒャラピーヒャラ」と健気にも練習していたのであった。
そんなある日のこと──。音楽の授業中に、事件は起こった。
授業がつまらないのかなんだか知らないが、生徒の一人が欲求不満の猿の如く「ウキャー! ウキャー!」と騒ぎだしたのである。
先生は「静かにしなさい」と言っていたが、騒ぎだした猿は止まらない。さらには他の生徒までも、猿の霊が憑依したかの如く「ムキー! ムキー!」と暴れだす始末。
これが、いわゆる「学級崩壊」というやつだろうか。授業にならないのはもちろんだが「昼休みでもそんなに騒がねえだろ」と言いたいくらいの状態である。
そんな中、私は冷静に、習得したばかりの「チャルメラ」をリコーダーで吹き鳴らしていた。どうやら、人間らしい行動をとっていたのは私だけのようだ。
「静かにしなさい!」
黒い出席名簿を、発狂がちにバンバンと教壇にたたき付けるキレイな先生。だが猿どもは、そんな先生をまるで無視。
「静かにしなさい!」
「ムキー! ムキー!」
「静かにしなさい!」
「ウッホ! ウッホ!」
「静かに……」
と、先生が言葉につまったその時、私は見てしまった。先生のつぶらな瞳からこぼれた、一粒の涙を──。
「もう勝手にしなさい!」
先生はそう言うと、ゴリラのような怪力で教壇をひっくり返し、音楽室を出て行ってしまった。
先生の去った後には、その行く先を指し示すかのように、ゴリラの涙が点々と残っていた。
突然の先生の、職場放棄というショッキングな事態を目の当たりにした猿どもは、さすがに黙ってしまっていた。
シーンと静まり返る音楽室──。さっきまでの騒ぎはどこへやら、誰も口を開く者はいない。
とそこへ、その静寂を打ち破るかの如く、一人の猿が立ち上がり、こう叫んだ。
「おい! アレを見てみろよ!」
その猿は、窓から見えるグラウンドを指差していた。猿どもは一斉に窓際に駆け寄り、指差した先を見た。もちろん、猿にまぎれて、人間である私も見ていたのは、言うまでもない。
するとどうだろう。誰もいないグラウンドの陸上トラックを、一人の女性が泣きながら走っているではないか。
そう、間違いなく、さっき教壇をひっくり返したゴリラである。その光景を見た私は、不思議な気持ちだった。
まず、なぜ走っているのかわからない。そして見ているうちに、なぜだか胸がしめつけられるという、今までに感じたことのない想いに、戸惑っていた。
すると、ボー然と眺めていた猿どもの中の一人が、突然こんなことを言い出した。
「俺たちも走ろうぜ!」
それを言ったのは、最初に騒ぎだした欲求不満の猿であった。
欲求不満の猿は、音楽室を飛び出した。そして、それに続くように、他の猿どもも一斉に飛び出してしまった。
私はそれを見ながら、どうしていいのかわからずに、再び「チャルメラ」を奏でていた。
時間はまだ授業中である。私は、少しだけ残った小数の猿と一緒に、グラウンドを眺めていた。
すると、さっきの猿どもが「ウキャー!」というすごい雄叫びとともに、一斉にグラウンドに飛び出し、ゴリラを追いかけ始めたではないか。
「せんせーい!」
そう言いながら、ゴリラを追いかける猿軍団。その光景は、まさに“壮絶”の一言に尽きるであろう。
生徒をまとめる事が出来なかった自分のふがいなさに、泣きながらグラウンドを走る先生──。
そして、先生を泣かした張本人である生徒を先頭に、クラスのほとんどの生徒が、その先生を追いかけている。
私の目の前では、学園物の「青春ドラマ」のような光景が繰り広げられていた。
え?「なぜオマエは追いかけなかったんだ?」だって。
理由を一言でいうならば「わからない」である。そう、私はなぜ、追いかけなければならないのか、わからなかったのだ。
授業中に騒いだのは、言うまでもなく我々生徒である。それが原因で、先生の心は傷ついてしまった。でも、それがなぜ“グラウンドを一緒に走る”という行為につながるのが、どうしてもわからない。
その前に「あやまれ」と、私は言いたい。
「あやまる為に追いかけたのではないのか?」との意見もあるだろう。それは私も最初は少し思った。それならば、先生が走り終えた後に、あやまればいい話である。
だが、その猿軍団はなんと、走り終えた後の先生に対し、何の謝罪の言葉もなく、爽やかな笑顔で教室に戻ってきてしまったのだ。仕舞いには「いやーいい汗かいたなー」と言う始末。意味がまったくわからない。
そして案の定、放課後のホームルームで、担任の先生に怒られてしまうわけだが。その、怒られた内容というのが非常に傑作だったので、アナタにお教えしよう。
担任の先生は、我々生徒にこう言った。
「オマエらはバカか? なぜ、そっとしてやらなかったんだ」と。
私はその言葉を聞いた時、目からウロコが剥がれる想いだった。
担任の先生が言ったのを要約するとこうだ。
授業中に騒いだ我々も悪いが、授業を投げ出してグラウンドを走った先生はもっと悪い。さらには、生徒がその先生を追いかける事により騒ぎになり、先生のふがいなさを学校中に知らしめた結果になってしまった。
そしてなにより「追いかけられて恐かった」と、その先生は話しているという。
現実は非常にシビアである。
追いかけた生徒達の行為は「青春ドラマ」のような錯覚におちいっただけの、自己満足という結果に終わってしまったのであった。
それを証拠に、その後も音楽の授業は行われたが、音楽の先生は我々生徒に対し、明らかに距離を置くようになってしまっていた。そして音楽の先生は、間もなく学校を去って行った。それが、我々が騒いだことにより、自信を喪失させてしまったからかどうかは定かではない。
だがあの時、先生を追いかける行為は、やはり間違いだったという事は明白である。そらそうだ。さっきまで授業を妨害していた猿軍団から、追いかけられたのだから──。
逃げたのに、追いかけられたのだから──。
その後、その先生がどうなったのかは知らない。だが、ひとつだけはっきりと言えることがある。私の行為は、間違ってはいなかったということだ。
ただ、悔やまれることがあるとすれば、私は未だに「チャルメラ」しか吹けない。その先生の元でリコーダーを練習していたならば、きっと私はあの「ベートーベン」すらリコーダーで奏でるまでに成長していたであろう。
いや、マジで。
音大卒の、若くてキレイな先生だった。雰囲気は、アンニュイである。淡いブラウン系の髪に、これでもかと言わんばかりのパーマをあて、ファンデーションが軽く粉を噴いていた。
今思えば「ありえねえだろ」というルックスであったが、大人の女性に憧れていたレン太郎少年は、キレイだと思っていた。
私は当時、音楽が嫌いだった。だが、先生に褒めてもらいたいと思い、苦手なリコーダーを「ピーヒャラピーヒャラ」と健気にも練習していたのであった。
そんなある日のこと──。音楽の授業中に、事件は起こった。
授業がつまらないのかなんだか知らないが、生徒の一人が欲求不満の猿の如く「ウキャー! ウキャー!」と騒ぎだしたのである。
先生は「静かにしなさい」と言っていたが、騒ぎだした猿は止まらない。さらには他の生徒までも、猿の霊が憑依したかの如く「ムキー! ムキー!」と暴れだす始末。
これが、いわゆる「学級崩壊」というやつだろうか。授業にならないのはもちろんだが「昼休みでもそんなに騒がねえだろ」と言いたいくらいの状態である。
そんな中、私は冷静に、習得したばかりの「チャルメラ」をリコーダーで吹き鳴らしていた。どうやら、人間らしい行動をとっていたのは私だけのようだ。
「静かにしなさい!」
黒い出席名簿を、発狂がちにバンバンと教壇にたたき付けるキレイな先生。だが猿どもは、そんな先生をまるで無視。
「静かにしなさい!」
「ムキー! ムキー!」
「静かにしなさい!」
「ウッホ! ウッホ!」
「静かに……」
と、先生が言葉につまったその時、私は見てしまった。先生のつぶらな瞳からこぼれた、一粒の涙を──。
「もう勝手にしなさい!」
先生はそう言うと、ゴリラのような怪力で教壇をひっくり返し、音楽室を出て行ってしまった。
先生の去った後には、その行く先を指し示すかのように、ゴリラの涙が点々と残っていた。
突然の先生の、職場放棄というショッキングな事態を目の当たりにした猿どもは、さすがに黙ってしまっていた。
シーンと静まり返る音楽室──。さっきまでの騒ぎはどこへやら、誰も口を開く者はいない。
とそこへ、その静寂を打ち破るかの如く、一人の猿が立ち上がり、こう叫んだ。
「おい! アレを見てみろよ!」
その猿は、窓から見えるグラウンドを指差していた。猿どもは一斉に窓際に駆け寄り、指差した先を見た。もちろん、猿にまぎれて、人間である私も見ていたのは、言うまでもない。
するとどうだろう。誰もいないグラウンドの陸上トラックを、一人の女性が泣きながら走っているではないか。
そう、間違いなく、さっき教壇をひっくり返したゴリラである。その光景を見た私は、不思議な気持ちだった。
まず、なぜ走っているのかわからない。そして見ているうちに、なぜだか胸がしめつけられるという、今までに感じたことのない想いに、戸惑っていた。
すると、ボー然と眺めていた猿どもの中の一人が、突然こんなことを言い出した。
「俺たちも走ろうぜ!」
それを言ったのは、最初に騒ぎだした欲求不満の猿であった。
欲求不満の猿は、音楽室を飛び出した。そして、それに続くように、他の猿どもも一斉に飛び出してしまった。
私はそれを見ながら、どうしていいのかわからずに、再び「チャルメラ」を奏でていた。
時間はまだ授業中である。私は、少しだけ残った小数の猿と一緒に、グラウンドを眺めていた。
すると、さっきの猿どもが「ウキャー!」というすごい雄叫びとともに、一斉にグラウンドに飛び出し、ゴリラを追いかけ始めたではないか。
「せんせーい!」
そう言いながら、ゴリラを追いかける猿軍団。その光景は、まさに“壮絶”の一言に尽きるであろう。
生徒をまとめる事が出来なかった自分のふがいなさに、泣きながらグラウンドを走る先生──。
そして、先生を泣かした張本人である生徒を先頭に、クラスのほとんどの生徒が、その先生を追いかけている。
私の目の前では、学園物の「青春ドラマ」のような光景が繰り広げられていた。
え?「なぜオマエは追いかけなかったんだ?」だって。
理由を一言でいうならば「わからない」である。そう、私はなぜ、追いかけなければならないのか、わからなかったのだ。
授業中に騒いだのは、言うまでもなく我々生徒である。それが原因で、先生の心は傷ついてしまった。でも、それがなぜ“グラウンドを一緒に走る”という行為につながるのが、どうしてもわからない。
その前に「あやまれ」と、私は言いたい。
「あやまる為に追いかけたのではないのか?」との意見もあるだろう。それは私も最初は少し思った。それならば、先生が走り終えた後に、あやまればいい話である。
だが、その猿軍団はなんと、走り終えた後の先生に対し、何の謝罪の言葉もなく、爽やかな笑顔で教室に戻ってきてしまったのだ。仕舞いには「いやーいい汗かいたなー」と言う始末。意味がまったくわからない。
そして案の定、放課後のホームルームで、担任の先生に怒られてしまうわけだが。その、怒られた内容というのが非常に傑作だったので、アナタにお教えしよう。
担任の先生は、我々生徒にこう言った。
「オマエらはバカか? なぜ、そっとしてやらなかったんだ」と。
私はその言葉を聞いた時、目からウロコが剥がれる想いだった。
担任の先生が言ったのを要約するとこうだ。
授業中に騒いだ我々も悪いが、授業を投げ出してグラウンドを走った先生はもっと悪い。さらには、生徒がその先生を追いかける事により騒ぎになり、先生のふがいなさを学校中に知らしめた結果になってしまった。
そしてなにより「追いかけられて恐かった」と、その先生は話しているという。
現実は非常にシビアである。
追いかけた生徒達の行為は「青春ドラマ」のような錯覚におちいっただけの、自己満足という結果に終わってしまったのであった。
それを証拠に、その後も音楽の授業は行われたが、音楽の先生は我々生徒に対し、明らかに距離を置くようになってしまっていた。そして音楽の先生は、間もなく学校を去って行った。それが、我々が騒いだことにより、自信を喪失させてしまったからかどうかは定かではない。
だがあの時、先生を追いかける行為は、やはり間違いだったという事は明白である。そらそうだ。さっきまで授業を妨害していた猿軍団から、追いかけられたのだから──。
逃げたのに、追いかけられたのだから──。
その後、その先生がどうなったのかは知らない。だが、ひとつだけはっきりと言えることがある。私の行為は、間違ってはいなかったということだ。
ただ、悔やまれることがあるとすれば、私は未だに「チャルメラ」しか吹けない。その先生の元でリコーダーを練習していたならば、きっと私はあの「ベートーベン」すらリコーダーで奏でるまでに成長していたであろう。
いや、マジで。
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