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~過去編~

優しい記憶を抱く午後

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※これは、過去のお話。
 ウォルヴァンシアの王兄、ユーディスと、国王レイフィードが、エリュセードのとある学院の寮に入っていた頃のお話。レイフィードの視点で綴られる懐かしい記憶の一部。


 ――Side レイフィード


 ――リリリリリリリ!

朝を告げる目覚ましの音が寮内に響き渡る。
寝台から起き上がり頭を掻いていると、僕達の部屋の扉が凄まじい破壊音を立てて中側へとぶっ倒れ込んできた。
あぁ、またか……。
いつも朝の恒例行事。僕の隣の寝台で目覚ましの音にも気付かず、ぐーすかと寝息を立てている男への洗礼の始まりだ。薄紫の髪を靡かせ、ドスドスと部屋に入ってくるのは、一見して幼く愛らしい少女だ。

「ふあぁ~……、おはよう、ディアーネス。今日もご苦労様」

「うむ。……しかし、毎朝面倒な事よ。このどうしようもない男を起こすために我の時間を使わねばならんとは」

「先生に頼まれちゃったからね~。じゃ、僕は顔を洗ってくるからあとよろしく」

「承知した」

 よっと寝台を下りて、僕はディアーネスにあとを任せて廊下へと出た。
 顔を洗う為の場所に向かって歩き始めると、僕達の部屋からはおぞましい怪音が鳴り響き、僕のルームメイトである男の絶叫が響き渡った。これもいつものことだ。
 寝起きの悪い僕のルームメイト、イリューヴェ皇国の皇子グラヴァードに手を焼いた教師陣が、なんとかして朝の授業から参加させようと考えた結果があれだった。
 グラヴァードと仲の悪いディアーネスに、何をしてもいいからグラヴァードを起こしてくれと頼んだわけだ。
 彼女なら容赦なくグラヴァードを殺る勢いで起こせるからね。
 まぁ……、被害を受けた部屋の修繕がまた大変なんだけど……。

「おや、レイフィード。おはよう」

「あ、ユーディス兄上!! おはようございます!!」

 顔を洗っていた所に、僕の慕う血の繋がった兄、ユーディス・ウォルヴァンシアがやってきた。
 兄上もまた、この学院の学生で、僕より上の学年に在籍している。
 品行方正で優秀なウォルヴァンシアの時期国王。
 そして、僕がこの世で一番大好きな兄上だ。眠気に包まれていた頭も一気に覚醒する。
 さっと顔を拭いて、自分の衣服の乱れを正す。

「ユーディス兄上、今日は昼食を一緒にいかがでしょうか? 最近はあまり会う事もなかったですし」

「うーん……、すまないね、レイフィード。今日は友人と術構成について時間をとる予定なんだ。昼食もその時一緒にとる予定だから、……すまない」

「あぁ、謝らないでください!! 僕なら大丈夫ですから!!」

「ありがとう。レイフィードも、自分の友人達とも仲良くな。また今度時間があれば、共に食事をとろう」

「はい!!」

 早々に顔を洗って、手を振って上級生の寮に戻っていくユーディス兄上に笑みを返しながら、またか……と肩を落とした。この学院に入ってから、兄上は僕にあまり構ってくれない。
 勉強で忙しいのもあるだろう、教師や友人達との交流も……兄上の大事な交流の一環だ。
 わかってはいても、なんだか寂しさを覚えずにはいられない。
 兄離れすべきだとはわかっているんだけどね。
 なかなか……上手くいかないものだ。
 壁に背を預けて項垂れていると、また新たな人物がやってきた。

「くそっ……、あの鬼女!! また酷ぇ起こし方しやがって!!」

「……おはよう、グラヴァード」

「あぁ? なんだお前か。おう、はよ。って、なんでそんなとこで暗ぇ顔してんだよ、お前は」

「うーん? 兄上とまた昼食が一緒にとれなかったから」

「はっ、またかよ。お前はどんだけ兄貴が大好きなんだよ。はぁ、うぜぇ……」

 クセの荒い漆黒の髪を掻き上げながら、ザバンと器に満たされた水に顔を沈み込ませるのは、僕のルームメイトのグラヴァードだ。ふぅ、ようやくちゃんと起きたんだね。
 昨夜も遅く、というか、朝方に帰って来たから寝不足なのはわかるけど、少しは学習してほしいものだ、まったく。

「君ねぇ、いい加減就寝時間までに帰ってきなよ。ちゃんと朝起きれるようになれば、ディアーネスだってお役御免になるんだよ?」

「仕方ねぇだろ? 女が離してくんねぇんだよ」

「うわー、最低ここに極まれりだね。でも、その離してくれないっての……違う意味だよね?」

「……」

「今度はどんなトラブルに巻き込まれたんだい?」

「うるせぇっ、……猫捜しを手伝っただけだ」

 顔を背けて聞こえないぐらいに小さな声でグラヴァードが呟いた内容に、僕は思わず笑いを噴き出した。
 ね、猫探し!! フェロモン駄々漏れで朝帰りしておいて、その理由が猫捜し!!
 毎度毎度、退屈しない夜遊びの本当の理由には困っちゃうねぇ。
 このルームメイトはよく女遊びの激しい色男だと噂されているが、実際は違う。
 僕も最初はそう思っていたんだけど、一度後を尾けて町に行ってみたら……。

(見知らぬ高齢の御夫人の看病に行ってたんだよねぇ……)

 いやぁ、あの時のまずい所を見つかったとでもいうようなグラヴァードの驚き顔は笑えたね。
 確かに相手は女性だった。だけど、一緒にいる理由がどれも人助けの部類に入るもので、あぁ、噂って真実を確かめるまでは要注意だねって改めて思ったものだよ。
 僕に見つかったせいか、今までの夜遊びの理由を吐かせられたグラヴァードは、自分がトラブルに巻き込まれ体質の人助けが性分のヘタレだという事は、絶対に外部に漏らすなと口止めをしてきた。
 別に言いふらしなんてしないけれど、思わぬ真実に、そのネタでからかうのが常になった。

「で、見つかったのかい? その猫ちゃん」

「あぁ、朝方にやっとな。猫がいねぇと眠れないだの、はぁ……疲れた」

「もう夜に外に行くのをやめればいいんじゃないかな? そうすればトラブルは最小限に済むんじゃない?」

「……夜は、落ち着くんだよ。外に出て、町を歩くと……息が抜けるしな」

「ふぅん……」

 この学院は、エリュセードにある全ての国々が資金援助をして建てた巨大な施設だ。
 僕達のような王族同士の交流の勉学の場でもあり、優れた人材が学院のバックアップを受け寮に入っている。
望んで来た者、親に無理矢理入れられた者と、事情は様々だ。
 グラヴァードの入学は、確か……、お父さんのハーレムに邪魔だから、だったかな?
 彼の父、今のイリューヴェル皇帝は相当な女好きで、いつも傍に女性を侍らしているらしい。
 そこに、皇帝よりも艶のある若い皇子がいると、女性陣の目はグラヴァードにくぎ付けになってしまうらしくて、
暫く自分の目の触れない所に行けという、どうしようもない理由で学院に入れられたらしい。
 ……最悪だよね。さっさとグラヴァードに討たれてしまえばいいのに。
 そんな真っ黒な事を考えながら、僕達は着替えるために部屋へと戻った。

「ちょっと……、僕達の部屋の壁に大穴が開いてるんだけど?」

「ディアーネスがやりやがったんだよ!! 俺のせいじゃねぇ!!」

「……着替えたらまずは、修復師さんのところだね。これじゃ夜風が寒くて眠れないや」

「あの女、本当容赦ねぇからな……。見ろよ、俺の寝台、槍で串刺しだぞ」

 視線をグラヴァードの寝台に向けると、……うん、よく生きてたね、君。
 と、言える程度には無残な状態に仕上がっていた。
 いつもはもうちょっと被害は少ないんだけど、今日はディアーネスの機嫌が悪かったのかな。
 部屋の至る所に、彼女の被害が行き渡っている。
 学院に勤めている修復師と呼ばれる、物の再生の術を使える人も、今日はまた一段と落ち込むだろうなぁ。
 ……夕方までに直っていれば良い方だ。

「今日の一限は、ヴェティファス先生の授業だったっけね? グラヴァード、大丈夫そうかい?」

「あー……アイツの授業かよ。朝っぱらから、戦闘大訓練とか言い出すんじゃねぇか? だりぃ……」

「はいはい。ちゃんと授業受けないと卒業できないからね。頑張って死なない程度に頑張ろうじゃないか」

 ヴェティファス先生というのは、この学院でも屈指の凄腕魔術師だ。
 普段は魔術関連の講義をしてくれる男性の教諭なんだけど、気分で実践訓練を言い出すから気が抜けないんだよね。で、能力のある生徒には手加減なく攻撃を仕掛けてくるから、また油断が出来ない。
 さてさて、今日はどうなる事やら……。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――ドォオオオオオオオオン!!


 学院の敷地内、戦闘訓練用の結界の張られた場所に爆音が鳴り響く。
 今のは、……多分、僕のクラスの炎系の魔力の使い手でもある王子の一撃かなぁ。
 あの派手な周りを気にしない暴れん坊みたいな仕掛け方。
 耳が痛くてしょうがないね。
 僕は木の陰に身を寄せて、時間が過ぎるまで隠れていようかなと腰を下ろす。
 別に戦ってもいいんだけど、今日はそんな気分じゃないというか……。
 ユーディス兄上と昼の約束が出来なかった事が原因かなぁ……。
 朝からテンションガタ落ちだよ、はぁ……。

「レイフィードぉおおおおおおお!!」

「……げっ、面倒なのが来ちゃったよ」

 木々の合間かた顔を出せば、爆撃に追い立てられながらこちらに走って来るグラヴァードの姿が見えた。
 背後には、槍を構え次々と氷の刃を打ち出すディアーネスの笑みがある。
 わー……、二人がかりで来ちゃったか。
 僕の気配をバッチリ捉えているグラヴァードが、竜手を振り回しながら僕の傍に滑り込んだ。

「結界張れ!!」

「はいはい……」

 僕達の前に強固な結界の壁を築くと、そこにすぐ轟音を纏った一撃が叩き込まれる。
 木々を破壊し、砂塵と煙が僕達の周囲を覆い尽くす。
 さて……、結界はヒビ一つないのはわかるけど、ここからどう動くべきか。

「結界なんて卑怯だろう? 少しはお前も訓練に真面目に参加しろよ」

「ごめんね? 僕、今日そういう気分じゃないんだ」

 聞こえた声は、炎の使い手でもある青年の声だ。
 ゼクレシアウォードの第一王子、ナッシュフェルト。
 愛称、ナッシュだ。
 彼は好戦的な性格で、自身の強さを高める為には努力を惜しまない。
 所謂、ちょっと熱血方面の人だね。

「俺はお前と本気で戦ってみたいぞ!! ウォルヴァンシアの力、この目で、この手で、この肌で感じたい!!」

「ナッシュ、僕は君とは正反対の気質だから、悪いけど、グラヴァードで我慢してくれないかな?」

「そこのフェロモン駄々漏れはなんか相手したくないから嫌だ」

「それ貶してるよなぁ!! 俺だってお前みてぇな戦闘大好き野郎なんざ、相手したくねぇよ!!」

 なるほどね……。
 嫌だと言いつつも、グラヴァードを狙って攻撃をしてたのは、僕を戦闘に引き摺り出すためか……。
 グラヴァードは面倒になると、すぐに僕の所に逃げ込んでくるからね。
 正解といえば、正解の行動だね。
 ディアーネスも空に飛んで、こちらの様子を窺っているようだし……、相手をしないと諦めてくれないようだ。

「わかったよ。じゃあ、僕はナッシュの相手ね。グラヴァードはディアーネス」

「なんで俺があの鬼女の相手なんだよ!! 代われ!! ナッシュで我慢してやるっ、って、うわあああ!!」

 グラヴァードが上げた悲鳴にそちらを確認すれば、おやおや、僕の結界を突き破って槍が彼の足元に突き刺さっている。一点集中で一ヶ所だけ狙ったね? ディアーネス。
 僕は結界を全て解除し、開けた視界の先にいる二人を見た。
 こちらに向けて、炎の術を付与した剣を構えているナッシュ。
 地に下り、冷めた表情でグラヴァードを射抜くディアーネスのアメジストの瞳。

「じゃあ……始めようか?」

「おう!! 本気でいくからな!!」

「はいはい……っと!!」

 戦闘の合図を交わして、僕は瞬時に狼の姿をとるとナッシュに向かって突進していく。
 剣を横に構え、炎の術がナッシュの周囲に幾つも現れ始める。
 正面からそれを受ける気は毛頭ないよ?
 姿を暗ます術を唱え、一瞬だけナッシュの視界から抜け出し背後へと回る。
 人の姿に戻り、僕の魔力の形でもある茨の蔦を具現化させると、ナッシュの動きを封じるためにそれを放った。

「背後ってのも、また卑怯、だな!!」

 炎を纏った剣が次々と茨の蔦を焼き切っては払っていく。
 それと同時に、ナッシュの周囲に浮いていた炎の術が僕目がけて飛び込んでくる。

「炎は火事の元だからねぇ、僕はあんまり好きじゃないんだけど」
 
 足元に陣を形成し、詠唱なしに金色の光を纏う刃を生み出し相殺に向かわせる。
 さてさて、グラヴァードの方はっと……。

「避けるな、このヘタレ竜が!!」

「当たったら身体に穴が開くだろうが!! お前こそ、空飛んでないで下りてきやがれ!!」

「ふっ、お前のような者を見下ろすには最適だぞ?」

「くそがっ、……いっぺん、死んどけ!!」

 グラヴァードが地を蹴ってディアーネス目がけて竜手を振り上げた。
 彼女の槍に喰い込んだ竜手が、地上へとディアーネスを引き摺り落とす。
 グラヴァードの蹴りが繰り出され、彼女へと当たるだろうと思った瞬間、その小さな身体は灰となって消え去り、グラヴァードの視界から抜け出した。

「甘い……」

「それはお前だろうが!!」

 背後に現れたディアーネスの腕を竜手で掴み、真紅の瞳をぎらつかせたグラヴァードが、もう片方の手も竜手に変化させ、両腕を使って彼女の身体を捕まえ僕達の方へと向かって放り投げた。
 まさに弾丸ってやつかな。加速をつけたディアーネスの身体が……。

――ゴォオオンン!!

 ナッシュの頭にディアーネスの身体が見事にピンポイントで重力と一緒に落下してしまった。
 グギッて……ナッシュの首が鳴ったような気がするけど、気のせいかな?
 バタリとその場に倒れ込むナッシュと、ぶつかっておいて謝りもせず頭にタンコブを作っただけの
 ディアーネスがすぐに立ち上がり、パンパンと服の埃を払った。
 あんなに凄い音をさせておいて、なんで気絶してないんだろうね、彼女……。

「ふむ、あそこは別に攻めるべきだったか」

「ディアーネス、君、女の子なんだから少しは気を付けなよ~。顔に傷でも付いたらお嫁にいけないから~」

「元より嫁に行く予定はない」

 再び槍を出現させ構えたディアーネスだったけど、その時、授業の終了を告げる鐘が鳴り響き、僕達はやっと解放される事を感じた。ナッシュは……うん、気絶したままだね。
 医務室に連れて行ってやらないと……。グラヴァードは……。

「もう眠ぃ~……。次はふけるわ」

「そこで寝るのかい? 風邪引いても知らないよ?」

「レイフィードよ、今この場でこれを始末しても良いか?」

「うん、駄目だよ。もう授業は終わったからね。グラヴァード、起きて。せめて医務室で休ませてもらいなさい」

「ちっ……、面倒くせぇな」

 ナッシュの肩を担いで医務室に向かった僕達は、そこでもまた、グラヴァードとディアーネスの喧嘩に巻き込まれることになる。はぁ……、少しは静かな時間を過ごしたいものだよ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――昼食の時間。

 
退屈しない学友達に囲まれて、僕の学院生活は充実しているといえるんだろうね。
 なんだか人の世話を焼くのに労力を使っている気はするけれど、まぁ、悪くない日々だ。
 たまにグラヴァードの巻き込まれたトラブルが僕にまで降りかかって、その後始末で奔走する事もあるけれど、これも青春の一ページだと思えば、貴重な思い出のひとつになるんだろう。
 だけど……、大好きなユーディス兄上と中々一緒の時間を過ごせないのが唯一の不満だ。
 兄弟水入らずで、どこかでお茶でもして楽しく話をしたいよ……。

「で、またお前は落ち込んでんのか?」

「……放っておいてくれないかな?」

「あそこにいるの、お前の兄貴だよな? 一緒に食べたいなら、仲間に入れてもらえばいいだろ」

「駄目。兄上の邪魔はしたくないからね。ほら、早く食べなよ。スープ冷めちゃうよ」

「ブラコンのくせに、変なとこで遠慮するよな、お前。って……、おい、俺の肉どこいった?」

「美味であった」

 僕の隣の席に座っていたディアーネスは満足そうに喉を嚥下させていた。
 その口の端に付いているのは……、グラヴァードの注文したお肉料理のソースじゃなかったかな?
 また、グラヴァードへの嫌がらせも含めてご飯をとったんだね、君って人は……。
 それに気付いたグラヴァードが、フォークをテーブルに突き刺してディアーネスを怒鳴った。

「俺の肉~!! またお前かっ、この食い意地張った鬼女!! 今すぐ戻せ!! 今日のメニューは俺の好物だったんだぞ!!」

「戻せるわけがないだろう? お前は馬鹿か? あぁ、元から救いようのない愚か者であったな」

「ざけんな!! 今から注文しても、もう次の授業まで間に合わねぇんだよ!!」

「はぁ……、君達、食事時くらい仲良く出来ないのかな? グラヴァード、僕はあまりお腹空いてないから、これをお食べ」

「それはお前の分だろうが。ちゃんと食え。俺は、……夕食まで我慢する……しかねぇか」

 こういうところは律儀だよね、グラヴァードは。
 人の分まで奪って自分が満足しようとはしない。
 口は悪いけど、こういう部分を今まで見てきているせいか、憎めないなと思ってしまう一瞬だよ。
 自分の食事の続きをとろうとパンに手をつけると、やっと目が覚めたのか、ナッシュが頭に大きなタンコブを抱えてこちらへと向かって来た。
 手には食事を載せたトレーがひとつ。今から遅めの食事というところだろう。
 グラヴァードの隣に腰を下ろした。

「ふぅ、やっと昼飯が食えるぜ」

「お前、今の今まで寝てやがったのか?」

「まぁな。ディアーネスのせいで中々回復できなかったんだよ」

「人のせいにするな。お前が避けないのが悪いのだろう?」

「うん、ディアーネス。君も大概横暴だよね」

「ふん、グラヴァードが元はといえば元凶だ。我は一切悪くはない」

「この、クソ女っ、もういい。表出ろ!! 今すぐに地中深くに沈めてやる!!」

「よかろう。今度こそ貴様の息の根を止めるのに容赦はせん」

 だから……。本当、落ち着きがないよね、この人達。
 席を立ち上がり、人混みを掻き分けて外へと向かう二人を見送りながら、僕はナッシュと食事を続ける事にした。
 昼食時まで面倒は見たくないよ、まったく。

「ナッシュ、そのタンコブ、……結構大きいね」

「うん? あぁ、これくらいなんてことない。それより、俺達ももう一回戦り合わないか?さっきのじゃ不完全燃焼だ」

「嫌だよ。まだ授業も残ってるのに、余計な体力は使いたくないからね」


「お前は本当に、戦闘に意欲がないよなぁ。入学時の実力テストで上位に入ってたっつーのに、それを出し惜しみするなんて、勿体ないんじゃないか?」


 勿体ない……ねぇ。
 僕は全然そうは思わないけどな。
 元々、入学時の実力テストの類は適当にやるつもりだったのに……。

『レイフィード、楽しみにしているよ』

 遠回しに、余裕ぶって他の入学者達を侮るような手抜きはするな、と、兄上に微笑まれちゃったからねぇ。
 はぁ……。自分の大事な者を守れるだけの力があればいいし、それを高めるのには必要な努力はする。
 だけど、率先してそれを奮おうとは思わない。
 進級と卒業に必要な場合だけ、適度にこの力を使いたいと思っている。
 だから、ナッシュのように、自分の力をガンガン使いたい相手から見れば、物足りないんだろうね。

「僕は……、自分の大切な人を守るためにしか、戦闘に意味は見出せなくてね。君の期待には応えられそうにないから、配慮してもらえると助かるかな」

「ふぅん、でもさ、大規模の戦闘訓練とか国に帰ったらあんまり使う機会ないだろ? なら、ここで思う存分力を磨いて、強い奴と戦って学院生活を満喫したいけどなぁ」

「君はそれでいいんじゃない? 僕は僕、君には君の目的があるんだし」

「それもそうか。けど、俺、お前と一回でいいから、思う存分戦り合ってみてーんだよなぁ」

「はいはい、機会があったらね」

 食事を終え、トレーを片付けに厨房のカウンターに向かった僕は、最後に「ゆっくり食べていきなよ」とナッシュに声をかけて、食堂を後にした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


そ の夜、授業を終えた僕は、夜の町に出かけると言ったグラヴァードを見送って、寝台に寝転がって読書に興じる事にした。寝るまであと数時間。特に今日はやる事もないし、退屈を潰すのに本を読むぐらいしかやる事がない。
 ぼーっと本を読んでいた僕は、徐々に重くなる瞼に眠りを感じていた。


――コンコン。


 ノックの音……?
 こんな時間に一体誰だろう。
 僕は眠気を振り払うように頭を振ると、寝台を下りた。

「レイフィード、いないのかい?」

「ユーディス兄上!?」

 僕は大好きな兄上の声に、一気に覚醒して扉へと駆けた。
 こんな時間に兄上が訪ねてくるなんて、今まで一度もなかったのに……。
 何か急用だろうか? 扉を急いで開けると、制服から私服へと着替えた兄上の姿があった。
 優しい笑みを浮かべ、手には赤い色がたっぷりと入った瓶がひとつ。

「兄上、それは……」

「大丈夫だよ、ただのジュースだから」

「そうですか、ほっとしました。グラヴァードも出掛けているので、遠慮せずにどうぞ」

「ありがとう」

 グラスをテーブルに置き、兄上が持参してくれた瓶の中身をそれに注ぐ。
 シュワシュワと気泡を含んだ炭酸系のジュースだ。
 開いた窓の向こうに見える夜空を眺めながら、二人でグラスを合わせる。
 どれぐらいぶりだろうか、こんな……穏やかな兄上との夜は。

「兄上、今日はお忙しかったのではないのですか?」

「夕方には全部終わったからね。お前には寂しい思いをさせている自覚はあったから、埋め合わせが出来るならと、来てみたんだ」

「気を遣わせてしまったようで申し訳ないです。でも……、兄上が訪ねて来て下さったお蔭で、元気が出ました」

「近況を聞いてやる暇もなかったからね。最近はどうだい? 友人達とは仲良くやれているかい?」

「色々大変な事もありますが、退屈はしませんね。ルームメイトは今頃またトラブルに巻き込まれているでしょうし、明日も変わらず、騒がしい光景を目にしながら一日が始まる……。本当に、飽きる事がない学生生活を過ごしています」

 そう答えれば、兄上が安心したように安堵の笑みを浮かべた。
 ユーディス兄上を追いかけるようにこの学院に来たけれど、僕は兄上以外の世界を知り、クセの強い学友にも恵まれた。苦労は確かに多い。
 だけど、世話を焼くのも、騒動に巻き込まれるのも、なんだか新鮮で……、夜以外は騒々しい音で溢れている。

「昔は私ばかりに引っ付いていたのにな……。 弟に友人が出来て、兄としては嬉しい気持ちではあるが、少し寂しいかもしれないな……」

「え? 兄上がですか? 僕が寂しいならわかりますけど、兄上が僕がいなくても平気な感じが」

「ふふ、私は兄だからね。可愛い弟と過ごす時間が減って、寂しい……とは、簡単には表に出せないだろう?」

「兄上……、そう思ってくださっていたなんて、嬉しいです……、僕だけが兄上に甘えていると自覚はしていたんですが、ユーディス兄上にそう思って頂けるなんて、僕は……幸せ者ですっ」

「大げさだな、レイフィードは。だが、慕って貰える私も、幸せ者だね」

 知らず頬を伝う嬉し涙に、僕はジュースを飲み干してそれを拭った。
 せっかく兄上が作ってくださった兄弟水入らずの時間だ。
 次はいつ訪れるかわからない機会だからこそ、この時間を大切に過ごさなければ……。
 僕は涙を治めると、兄上に注いでもらったジュースに夜空の星々を映し、水面にそれを揺らしてまた一口、その味を舌の上に転がした。
 傍ではユーディス兄上が、楽しそうに自分の最近の話を僕に聞かせてくれた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ―― ウォルヴァンシア王宮。


「……さん、……叔父さん」

優しい温かい記憶……、兄上の笑い声が遠くなっていく……。
僕の肩に触れる手の感触……、誰だろう?

「んっ……」

「……叔父さん、レイフィード叔父さんっ」

「……ぇ」

 可愛らしい声音に目を覚ませば、僕と同じ蒼を宿した長い髪の女の子が心配そうに目の前に立っていた。
 ……ユキちゃん?
 なんでユキちゃんがここに……。
 夢の中の記憶と、今がごちゃごちゃしながら現状を乱す。
 ……夢、……そうか、今僕が見ていたのは、懐かしい遠い昔の記憶。
 久しぶりに見たな、妙にリアルな夢だった。
 だけど、凄く幸せな……、あの頃の気持ちを胸に思い出させる貴重な夢だったように思う。

「とーさま、かぜひくのぉ~」

「おや、アシェル君、君もいたのかい?」

「ぼくもいるのぉ~!!」

「ぼくも、ぼくもぉ~!!」

 アシェル君に続いて、エルディム君とユゼル君までいるじゃないか。
 東屋で居眠りをしていた僕に、よじ登るように抱っこをせがんでくる。
 僕の可愛い息子達……。それに、ユキちゃんの傍らにはレイル君もいる。
 呆れたように送ってくる眼差しに、苦笑を向ける。

「レイフィード叔父さん、こんなところで眠っていたら風邪を引きますよ」

「いくら待っても執務室に戻らないというから探しに来てみれば……、こんな所で何をやっているんですか」

「ははっ、ごめんね~。ちょっと、日差しが気持ちよくて、ウトウトしちゃった」

「せめて毛布とか、膝掛けがあれば寝ても大丈夫そうですけど」

「ユキ、そういう問題じゃない。一国の王が居眠りしている方が問題なんだ」

「でも、レイフィード叔父さんも毎日お仕事で忙しいし、少しは休憩も必要だと思うよ」

「ユキちゃんは優しいな~。レイル君てば頭固すぎるんだよ~!! もうちょっとパパを労っておくれ」

 ユキちゃんをむぎゅっと抱き締めて、レイル君にわざとらしく茶化してみせると、ピキッと浮かんだのは、うん、立派な青筋! 逃走準備をしてレイル君から一歩後退した瞬間。

「国王としての責務をなんだと思ってるんですかー!!」

「あはははっ、ごめんね~!! パパ、ちゃんとやりま~す!!」

 レイル君の怒声を受けて、一目散に執務室へと逃げ帰る。
 回廊を走り抜け、メイドや騎士達の驚いた顔を視界に流し見ながら、僕は止まらず走り続ける。
 普段は走る事もあまりないんだけどね?
 今日は、……なんだか良い夢を見たから、そんな気分なんだ。
 たとえあの懐かしい記憶が過去のものであっても、今の僕はちゃんと幸せだ。
 大好きな家族がいる、守りたいものがある……。
 この穏やかな日常を……、心に感じている。

 ――願わくば、この幸せがずっと続きますように……。

 エリュセードの神々に祈り、僕は優しい風を肌に感じながら執務室へと戻った。
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