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~蜜愛の館(婚約編)
蒼麗侯爵様と子犬の話22
しおりを挟む――Side フィニア
マルヴェルカの落とし子である少年や子供達と別れ、オッドアイの青年に抱えられたまま連れて来られた場所は、警備隊が集まっている森の入り口付近だった。
抱えている私の重さなど感じないかのように木々の影から飛び込んで来た青年の姿を目にした警備隊の人達が、殿下とアルディレーヌが乗ってきた馬車の上にドン!! と着地した私達を指差して驚愕の声を上げる。
「だ、誰だ!?」
「おい、女の子を抱えているぞ!! 確か、あの子はっ」
「霧が晴れたと思ったら、今度は何なんだよ!!」
彼らからすれば、突然現れたこの青年は正体不明の不審人物といったところだろう。
それに、青年は自分の顔を隠すように目元を除き、黒い布を巻き付けている。
……どこからどう見ても、怪しい事この上ない。
そして、青年が私の首元に、取り出した短剣を突き付けた事で、その動揺はますます広がっていく。
「あの……」
「今は黙っていてくれ……」
小声で、これからどうするのかを尋ねてみたけれど、青年は馬車の上から警備隊の人達を見渡した後、前に進み出て来た隊長のディダルヴァートさんに視線を据えた。
「お前は何者だ? その令嬢を人質に取り、何を望む?」
「……」
青年は何も答えない。ただ、黙ったままディダルヴァートさんの事を見つめ、その瞼を下した。
マルヴェルカの子供達を逃がす為、彼はその時間稼ぎとして、私を人質にしている……。
「何も答えないのであれば、それなりの対応をさせて貰うが」
ディダルヴァートさんが腰の剣を抜剣しようと手をかける。
隊長である彼が構えた様子を合図とした警備隊の面々が、それに倣う。
自分の姿を晒し、私を人質に取る事で、警備隊の意識を自分だけに向けさせて時間を稼ぐ気なのだろうけれど……、もしも、この青年が捕まってしまったら。
「この森は、俺の領域だ……。迂闊に踏み荒らして貰っては困る」
「この森もまた、フェルディナス伯の領地だ。そして、私達は、この周辺一帯の治安を守る義務がある……」
躊躇いもなく、すらりと引き抜かれる抜身の刃……。
隊長であるディダルヴァートさんに倣い、他の警備隊員達も剣を引き抜く。
けれど青年は全く動じた様子は見せずに、自分の要求を口にする。
「守りたければ勝手にそうすればいい……。だが、この娘を無傷で保護したければ……この森から出て行ってくれ。
そして……、伯爵邸に押し入った賊の捜索は打ち切る事、それが俺の要求だ」
「それではまるで……、自分が賊に関わりがあると言っているようなものだろう?」
「そう取って貰っても構わない……」
逃がした子供達の代わりに、自分が賊の仲間であると明かす……。
そうする事で、正体不明の不審者から、警備隊が追っている標的として彼らと対峙し、青年は……全てを背負う事になる。
盗みを犯したのは、確かに青年の身内である少年達……。
連帯責任と言えばそうなのだけど……、このまま、彼が警備隊に捕まってしまったら……。
彼は少年達が逃げ延びる時間を稼げればいいと言っていた。
その身が拘束されれば、仲間の居所を吐くように手酷い尋問を受ける可能性もある……。
口を割らなければ、……その時間は、自然と長くなっていくはず。
そして、……青年が自分の家族を売るような真似をする事は、絶対にしない。
「ならば、尚更……手加減などはいらない、か。他者の財を奪った罪、捕縛後にしっかりと償ってもらおう」
「この娘を傷つけてでも、か?」
「……多少の被害は、仕方ないと判断する」
「民を守る警備隊がそれでいいのか……?」
ディダルヴァートさんと青年が言葉を交わしているのを聞いていると、……ふと、自分に注がれる見知った気配を感じた。
そちらへと顔を少しだけ向けると、予想通り……アルディレーヌの姿が。
その細くしなやかな身体に静かな闘気を纏い、私を救い出そうと様子を窺っている険しげな視線がこちらを向いている。
(……アルディレーヌ、駄目。動いちゃ……駄目)
伝わるかどうかはわからない。
けれど、囚われている私の中に恐怖という感情がない事、この青年を傷つけないでほしいという願いを込めて、一心に眼差しを向けて懇願する。
確かな内容までは伝わらないだろう。けれど、動かないでほしいという事だけは、どうにかアルディレーヌの心に届いたらしい。
アルディレーヌは小さく頷きを私に返すと、その身に滲み出している闘気を収めてくれた。
私は再び視線を正面に戻し、ディダルヴァートさんと青年が真っ向からぶつかり合う会話の中へと戻る。
他の警備隊の面々の一部は、仲間の類が周囲に隠れていないかと視線を巡らしているようだけど、仲間なんているわけがない。
青年の仲間……、いいえ、家族ともいえる少年達は、今頃、森を抜けているはずだ。
彼と落ち合うべき町を目指し、一歩、一歩……警備隊の手を逃れていく。
けれど……、霧を扱える青年ならば、警備隊の足を止め、家族と共に逃げ切れたのではないだろうか……。
(それなのに、どうして……私を人質に取ってまで時間を稼ごうとするの?)
少年達を逃がす為……。彼はその方法を持っている。
その時……、私の頭の中で、『違う』と、不思議な違和感が浮かんだ。
大勢の警備隊に囲まれても、あの霧を出そうとしない青年……。それは、何故?
自分の存在を、人質である私と共に警備隊の前へと晒し、賊の仲間である事を印象付ける。
この後は、また彼らの意識を引き付ける為に、またどこかへと逃げるのかもしれない。
だけど……、徐々に警備隊を挑発するような事まで言い始める青年に、どこか……不安が湧き上がる。
「小娘一人の命など、誇り高き大義名分の前では何の意味も持たない、と、そういうわけか……。俺が少し力を込めるだけでも……、この娘の柔らかな皮膚は真紅に染まるというのにな」
「えっ……んんっ」
突き付けられている探検の鋭い切っ先が……少しだけ、私の首筋へと染み込んだ。
冷たい刃の感触……、徐々に滲み始めるツキン……とした痛み。
手加減をしてくれたのだろうけれど、……傷口を風がふわりと撫でた瞬間、その嫌な感触は体全体にぞわりと鳥肌を立てた。
染み出した紅の痕を青年が指先でなぞりながら、……え。
「うぐっ……!!」
突然、青年の硬い指先が私の喉許に食い込んだかと思うと、取り囲んでいる警備隊の人達に見せつけるかのように、……似合わない嘲笑を浮かべた。
「女相手でも、俺は戸惑う事はない……」
「盾となる人質がいなくなれば、私達の刃は貴様の首を掻き切れるようになるがな?」
「出来ないだろう? 多少の被害といっても、貴族の娘を目の前で殺させてしまったら、お前達警備隊の沽券どころか……、その命をも差し出す羽目になるだろうからな」
低く嗤う彼をすぐ傍に感じながら、本当に最後まで自分が無事でいられるのだろうかという不安が湧き上がる。
途中から様子がおかしいと感じていたけれど、……今の青年は何かが違う。
静かだった気配の中に危うい不穏さが混ざり始め、私の呼吸を全て奪ってしまう恐れさえ感じさせるほどに……喉への圧迫感が強い。
「う……ぐっ」
「ほら、早くこの森から出て行かないと……この貴族の娘が死ぬぞ?」
「貴様……、本気か?」
「お前達の手に落ちるとしても、どうせなら消えない傷を刻んでからにしたいところだからな。……だが、お前達も自分の身が可愛いだろう? 賊を捕えても、人質に何かあれば、貴族連中が黙ってはいない。それなら、大義名分を盾に、人命優先の為に賊を取り逃がしたと弁明する方が楽だと思うがな……」
え、演技にしては……迫真というか、違和感を感じさせない凶悪さを青年から感じるのだけど……。
自分一人に警備隊の意識を向けさせる為とはいえ、私の首まで絞める必要があるのかしら?
背中に伝う冷たい悪寒の筋を感じながら、視線で自分の苦痛を伝えるのだけど……。
青年はディダルヴァートさんと睨み合ったまま、悪役そのものになりきってしまっているようで、私の懇願の眼差しには気づいてくれない。
そして、そんな怪しくなってきた雲行きに私が不安になっていると、さらにその展開を煽るかのように、『それ』が青年の右肩へと向かって放たれてきた。
「ぐ……っ」
深々と青年の肩の肉に食い込んだ鋭利で細い刃……。
それは、隠し武器とも呼ばれる小さな『暗器』のひとつ。
小さくとも、その刃に毒の類などが仕込まれていれば、命にだって危険が及ぶ。
私の首を掴んで苦しめていた手の力が緩むと、青年が痛みに僅かな表情の変化を浮かべたのが見えた。
「だ……」
大丈夫ですか、と声を上げようとした瞬間、警備隊の合間を縫って前に現れた人物が、私達のいる馬車の上を見上げ、冷たい声音を放った。
「フィニアを離しなさい」
氷山の真っ只中に立たされているかのような……、静かではあるけれど、どこか恐ろしさを含んだ男性の声。
それが、私の婚約者であるセレイド様である事を、この目と耳に刻み込まれた私は、直感的を覚えた。
セレイド様の両手の指の間には、いつでも放てるように暗器が構えられている……。
それと同じ物が、青年の肩に突き刺さっている事を確認した私は、セレイド様の纏っている凍り付くような絶対零度の気配の中に、殺気を感じ取った。
「せ、セレイド……、ごほっ」
「フィニア、少しだけ我慢してください。今すぐに……、その賊を肉欠片に変えてやりますからね」
「ち、ちがっ、……だ、駄目、で、すっ、セレイド、さまっ」
木陰の方から、アルディレーヌと、もう一人……漆黒の外套と顔を覆い隠すフードを被りこんだ男性が飛び出してくる。
アルディレーヌの罵倒の声からして、多分、青年への攻撃を阻もうとしたのに、セレイド様がそれを退けて事に及んでしまったという事なのだろう。
本気で怒っている事がわかるセレイド様の静かな気迫と、二撃目を放とうとしているその気配に、外套姿の男性が後ろから羽交い絞めにしようと襲い掛かっていく。
けれど、それをひょいっと身軽に避けたセレイド様が、地を蹴って横に飛び退くと、二撃目を容赦なく青年に定め、投げ放った。
「駄目!! セレイド様!!」
瞬間、青年の額目がけて放たれた暗器の刃を防ごうと、私は青年の足を素早く払って馬車の天井部分へと倒れこんだ。
同時に……刃をはじき返すかのような響きが、耳に残る。
「フィニア!!」
「あ、危なぁ……っ。あのな、殺しちまったら意味がないだろう? 何でお前はこっちの言う事を聞かないんだ……!!」
押し倒した青年の身体の上から起き上がると、顔を青ざめさせたセレイド様の頭に、まさかの拳骨を叩き込んだ外套姿の男性の怒声が響いた。
セレイド様の横からは、……あ、アルディレーヌが右ストレートをセレイド様の鳩尾に。
「あの賊は……、フィニアを害そうとしたのですよ!! いえ、まだ命を奪っていなくとも、彼女の美しい肌に傷を付けたんです!! 殺すべきでしょう!! 肉を切り裂いて腸をっ……というか、一体誰ですか、俺の邪魔をしてくれたのは!!」
青年に向かって放たれた凶刃……。
けれど、それは間に介入した何かによって地面にはじき返されていた。
セレイド様の放った細い刃と……、少し離れた場所に転がっているのは、……小さな円盤?
丸く象られた小さなそれは、何か所かが波打つように鋭く曲がっているようだった。
それを目にしたセレイド様が、自分の立場を忘れたように舌打ちを漏らし、『その人』の方を恨みがましく睨み付けた。
「俺の邪魔をして……ただで済むと思っているのですか? ――殿下」
「あのなぁ……、俺、一応お前が仕えるべき王家の跡取りなんだぞ~? 少しは敬うとか、止めてくださって有難うございましたとか、色々言う事あるだろ?」
やれやれと残念そうな溜息を零しながらセレイド様の傍へと寄ってきたのは、グラーゼス殿下だった。
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