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~ルイヴェル・フェリデロード編~

王兄姫と王宮医師の密月4~ルイヴェル×幸希~

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 ――Side ルイヴェル


 ガデルフォーン皇宮に一泊したその翌日。
 ウォルヴァンシア王宮に戻った俺とユキは、レイフィード陛下とユキの父親であるユーディス様に、『成熟期』の報告に上がった。
 恐らく、明日の朝には完全に『変化』が終わる。それを伝えた俺は、予想通り……、先にユキを退出させたレイフィード陛下とユーディス様に面倒な視線を貰う事になった。

「ついにユキちゃんも大人になっちゃうのか~……。いや、いつか来るってのはわかっていたけどね? でもなぁ」

「子供は成長が早いと言うが……、まさか、こんなにも早く、とは」

 額を指先で押さえ、非常に複雑そうな顔をして見せるお二人に、俺は同情などしない。
 玉座の間の壁側には、俺とユキの報告を聞く羽目になったアレクやルディー、カインもいるが、それに関しても遠慮などする気は皆無だ。

「俺からすれば、焦らされに焦らされた月日と言えますが……。『お約束』の件……、まさか、反故になどなさったりはしませんよね?」

「うぅっ、ルイヴェルにはわからないんだよ~!! 可愛い姪御ちゃんをお嫁さんに出す叔父さんの気持ちなんて~!!」

「レイフィード、お前よりも私の方が心境的に辛いと思うのだけどね? はぁ……、可愛い愛娘を嫁に……、あぁぁぁぁっ」

 過保護極まりない、見た目がに二十代半ばから後半程の美形兄弟は、互いの辛さを分かち合うようにがしっしりと抱き合う。内心で毒づいておくが……、辛い思いをし続けて来たのは俺の方だ。
 ようやく手に入れたユキを恋人に出来たのはいいが、肝心の婚姻が成されるまでの長い長い月日……。
 既婚者でないが故に、ユキの許に届く縁談の山や、それ以外の面倒なちょっかいの数々。
 いっそ全部燃やして、ユキと一緒にどこかへ雲隠れしてやろうかと本気で思った事は一度や二度ではない。

「陛下……、ユーディス様」

「うっ……、や、やっぱり、まだ……あと、十年ぐらい待ってくれる、気は……」

「幸希もまだ私の娘でいたいと思ってくれているはずだからね……。あと十年ぐらい……」

 ギロリ……。
 俺は、お二人の戯けた言葉に、らしくもない爽やかと称される笑顔を纏うと、一歩前に進み出た。

「もう、待てません」

「る、ルイヴェル~っ」

「やはり、無理か……」

 もう茶番は終わりだと言外に告げ、俺は白衣姿のまま膝を赤い絨毯の上に着けると、胸に右手を当て、ユキの親族であるお二人に願い出た。

「どうか、……ユキ・ウォルヴァンシア王兄姫殿下の御身を、ウォルヴァンシア王国、王宮医師、そして、ウォルヴァンシア魔術師団、団長であるこの私、ルイヴェル・フェリデロードの妻として降嫁させて下さいますよう、切にお願い申し上げます」

 脳裏で詠唱を唱え、自分の両サイドに、二つの銀緑の光に彩られた陣、俺の身分を示すそれを浮かび上がらせると、返って来たのは観念の溜息がふたつ。

「まぁ、……前からの約束だからねぇ」

「寂しい事だが、……仕方がない、ね」

 レイフィード陛下が玉座の前に進み出ると、その面差しを真剣なものへと変える。

「ウォルヴァンシア国王、レイフィード・ウォルヴァンシアの名において、我が愛しき姪御、ユキ・ウォルヴァンシアを、ルイヴェル・フェリデロードの許に降嫁させる事を……、今この場にて、許しを与えよう」

「どうか私の愛する娘を、……幸せにしてやっておくれ」

「御意……」

 ようやく許しを得られた喜びを内心で噛み締めながら立ち上がると、……騎士団の副団長であるアレクがゆっくりと俺の許へ近寄って来た。
 幼馴染の関係であり、……アレクからすれば、俺はユキを奪った憎い存在であるはずだ。
 今この時……、何を思い、その深い蒼色の双眸は切なげに揺れているのか……。
 殴られるのだとしても構わない。たとえ半殺しの目に遭っても、……ユキを手離す気はない。

「……ルイ」

「あぁ……」

「ユキにとっての幸せが、……お前の傍に在る事ならば、俺はそれでいい。だが……、もし、……ユキを悲しみの底に沈めるような事があれば、容赦はしない」

「……それだけで、いいのか?」

「あぁ……。俺の幸せは、ユキが笑顔でいてくれる事だ。たとえ添い遂げられなくとも、……常に、彼女の幸せを願っている」

「どこまでも……、お人好しだな。……有難う」

 固く交わした互いの手の温もりを感じながら、俺もアレクも、黙ったまま不機嫌そうにしているカインも、……皆、違わずに願うのは、ユキの幸せ。
 勝った、とは思わない。俺は、アレク達の想いも全てこの身と心に背負い、生涯を賭けて、ユキを幸せにする事を誓う。一度は失ったユキの温もりを、もう二度と……、手離したりはしない。
 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side 幸希


 ルイヴェルさんと一緒に『成熟期』の報告に向かった日の夜、私はついに立ってはいられなほどの疲労感と熱を感じ、自室で休む事になってしまった。
 今は用事があってルイヴェルさんは席を外しているけれど、私の傍にはセレスフィーナさんが付いてくれている。
 私の手を握り、本格的な『変化』が始まった身体を気遣ってくれる彼女の存在が、とても心強い。
 
「ユキ姫様……、暫くはお辛い状態が続くでしょうが、何も恐れる事はありません。私と、弟のルイヴェルが、万全の態勢をもって、ユキ姫様の御身をお守り申し上げます」

「ありがとうございます……。大人になるって、何だか、不思議な感じですね」

「ユキ姫様は、向こうの世界ではすでに成人を迎えられていらっしゃるのですよね」

「はい……。向こうでは、二十歳で成人なんですけど、また何年も経ってから、改めて大人になるんだって思うと、どうにも不思議な感じで……」

 狼王族に生まれた者は成長がゆっくりとした時間の中で進み、二十歳を迎えても、十代半ばほどの外見である事が普通なのだそうだ。
 誕生から三十年近くに迫ると、『成熟期』の『変化』が訪れ、大人の姿に生まれ変わる。
 それは、異世界と地球のハーフである私も例外ではなく、ようやく大人となる日が訪れた。
 身体の感覚的には、インフルエンザにでもなった時のように身体が重く、意識も少し、朦朧としてしまう。
 このまま眠ってしまえば、朝には違う自分になっているのだろうか。
 ……何だか、急に別人にでもなるかのようで、少し、怖い。

「ふふ、私も……、『成熟期』を迎えた時は、妙な気持ちになったものです」

「セレスフィーナさんも、ですか?」

「ええ。『少女期』の自分と、一体どんな違いが現れるのだろう、とか、考えるときりがなくて……一人で不安がってしまいましたから」

「じゃあ……、一緒、ですね」

「はい。あ、でも、ルイヴェルの方は……。ふふ、悩んだり不安に思うどころか、普段と変わらずぐっすり眠って、朝には大人になっていましたけれど」

 ルイヴェルさんらしいというか何というか……。
 滅多な事では動じない所が、本当に『らしい』と感じられる。
 私が小さく笑っていると、用事を済ませたらしいルイヴェルさんが部屋へと戻って来た。

「セレス姉さん、あとは俺が診ておくから、もう休んでくれ」

「お帰りなさい。じゃあ、あとはお願いするわね?」

「あぁ」

「それでは、ユキ姫様、またあとで、様子を見に参りますから、何かあれば、ルイヴェルに気兼ねせず御用を申付けてください」

「はい……。ありがとうございます、セレスフィーナさん。……おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、ユキ姫様」

 セレスフィーナさんが静かに私の部屋の外に出ると、ルイヴェルさんがベッドの端に腰を下ろし、私の手をその大きな温もりで包んでくれた。

「……不安、か?」

「少しだけ……」

「『変化』など、意外と呆気ないものだ。そう緊張する事もない」

「ルイヴェルさんは……、平気だった、って、セレスフィーナさんが言ってました」

 お互いの指先を絡め合いながら伝えると、ルイヴェルさんの表情が和んだ。

「まぁな。身構えようが、何を思おうが、『変化』は勝手に進行する。ならば、考えても無駄だと思ってな。……だが、流石に変化した姿を鏡で見た時には、少々違和感を覚えずにはいられなかったが」

「ふふ……、その時のルイヴェルさんの顔、見てみたかったですね」

「別に面白いものでもない」

「それでも、見てみたかった、と思いますよ」

「そうか……。まぁ、もう過去の事だからな。代わりに、お前が自分の大人になった姿を見て驚く様でも観察してやるとするか」

「それはズルイと思うんですけど……」

「俺だけの特権だ。誰よりも先に、俺がお前の変化した姿を最初に見る。絶対にな」

 しっかりと熱を押し付けられた左手を眺めながら、「我儘ですよ」と苦笑交じりに言い返す。
 
「でも……、姿が変わったとしても、……まだまだルイヴェルさんには遠いですけどね」

「何がだ?」

「……大人の姿になるとはいっても、心まで急速に変化するわけじゃないんですよね?」

「あぁ。精神の状態は徐々に身体の変化を追いかけながら成長していくといった感じだな。だが、それがどうかしたのか?」

 という事は、今とそんなに変わらない……、という事なのだろう。
 姿はルイヴェルさんに追いつくかもしれないけれど、精神的には……、まだまだ。

「ユキ……?」

 眠気を覚え始めた意識の中で、私はルイヴェルさんの顔を見上げながら自嘲の気配を纏ってしまう。

「ごめんなさい、ルイヴェルさん……。私……ふあぁ、……まだ、まだ、……ルイヴェルさんと同じ場所には、辿り着け……な」

「なるほど……、そういう事か。お前の気持ちは素直に嬉しいと思えるが、……そんなに焦るな。俺はどこにも行かない。……成長していくお前の傍で、ずっと見守り続けてやる。だから……急いで大人になろうとはするな。すぐに追い付かれては、俺も寂しいと……」

 遠ざかっていくルイヴェルさんの嬉しそうな声音を聞きながら、私は微睡む意識をその心地良い揺り篭に預けて、ゆっくりと眠りに就いた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

「ん……」

 清々しい朝日の光を感じた私は、ゆっくりと……、瞼を押し上げた。
 誰かが私の頭を優しく撫でてくれている感触と、見上げた先に見えた、……ルイヴェルさんの顔。
 何故か、うっとりと微笑むその様は、幸せそうにも見える。何が良い事でもあったのだろうか。
 
「ルイヴェルさん、おはようございま……、え?」

 発した自分の声に、違和感を覚える。
 あれ……、何だか、いつもと違うような気が。起きたばかりだろうか……。
 前よりも少しだけ低いような、……何だか、声が大人びたような気がしてならない。

「おはよう、ユキ。……おめでとう。変化は無事に終わったぞ」

「え……、へ、変化、って」

 ぱちくりと目を瞬いた私は、ゆっくりと起き上る。
 ……もう身体の気怠さや疲労感、筋肉が軋むような感覚はないけれど、あれ?
 起き上がった自分の胸元に、多大な違和感が生じた。
 つ、慎ましやかな大きさだった私の胸が……、一夜にして、何だか恥ずかしいぐらいに育ってしまっているのだけど!! 困惑した視線をルイヴェルさんに向ければ、返ってきたのは面白そうな声音だった。

「良かったな? 俺好みの胸に育って」

「なっ、あ、あの、えっ、……る、ルイヴェルさんっ」

「何だ?」

「わ、私、大人になってしまったんですか!?」

「そう言ったはずだがな?」

 胸だけじゃない。足も手も、前よりもしなやかに伸びて大人のそれへと変化していた。
 ルイヴェルさんが手鏡を私に手渡し、ニヤリと微笑む。

「……嘘」

「正真正銘、大人のお前だ。俺の予想通りの顔ではあるが」

 幼さが抜けて、……本当に、どこからどう見ても大人の女性にしか見えない変化が起こっていた。
 自分なのだけど、自分じゃないような、ちょっと、気恥ずかしい感覚。
 
「昨夜までは愛らしいという印象が強かったが、今日からは美しいと思われる事の方が多いだろうな」

 確かに、自分で言うのも何だけれど、綺麗な顔立ちに変化してしまっている。
 それに……、あれ、左手の薬指に何か嵌って、……指輪?
 深緑の輝きを宿す美しい宝石を嵌め込んだ指輪……、まるで、ルイヴェルさんと同じ瞳のような色のそれに、私は思わず見入ってしまう。

「ルイヴェルさん……これって」

「何年も前から、お前の指に嵌める機会を窺っていた物だな」

「な、何年も……? え? えっと、それって、つまり……」

 その意味を理解してしまった私は、カァァッと熱を抱いた顔をルイヴェルさんに見つめられながら、恥ずかしさと喜びを抱いた勘定と共に視線を戸惑わせてしまう。

「変化が終われば、すぐにでも俺のものにする、と言っておいたはずだがな?」

「で、でもっ、い、……いいんですか? 私なんかで」

「すでにレイフィード陛下とユーディス殿下には許しを得ている。何を気にする事も、不安を抱く事もない……。安心して、正真正銘、俺のものになればいい」

「あ、あの……」

 まだ慣れない変化した自分の顔で慌てていると、ルイヴェルさんが私の左手を取って、その深緑に煌めく指輪に唇を寄せてきた。

「駄目だと抗っても、必ず俺のものにする。俺の愛しい王兄姫……、ユキ、俺の妻になってくれないか?」

 断らせる気なんかない癖に、改めて指輪に口づけながら上目遣いにプロポーズをしてくるルイヴェルさん。
 私は頬の熱どころか、身体中の五感を激しく煽られて、じわりと目元に喜びの涙を滲ませる。

「本気……、です、か?」

「また焦らすのか? ……愛している、ユキ。これから先の人生、お前の全てを……、俺の手で抱き締めさせてくれ」

「ルイヴェル……さ、んっ」

 涙で視界が滲んだ瞬間。私はルイヴェルさんの腕の中へと飛び込んだ。
 世界で一番大好きな人から、一生の約束を貰ったこの日……。
 私は大人になるのと同時に、この世界で一番幸せな想いに胸を満たされた。
 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side ルイヴェル


 あれから三ヶ月……。
 ユキに永遠の誓いをしたあの日から、また焦らされに焦らされ、ようやくこの日を迎える事が出来た。
 正直に言えば、プロポーズをしてからすぐにでも式を上げたかったんだが、ウォルヴァンシアの王兄姫の婚姻だ。
 早々簡単に済ませられるわけもない。
 招待客や式の段取り、やる事は山と積み上げられ、俺も自分の仕事に追われたり何だりと、ユキとゆっくり過ごせる時間も僅かなものだった。
 
「だあああああ!! 何であんな腹黒眼鏡がいいんだよぉおおおおおお!!」

「カイン皇子、辛いのはわかるが、せっかくの晴れやかな祝福の日なんだ。ここはひとつ、大人になって、ユキの幸せを願おう」

「ユキの幸せは願うが、ルイヴェルの幸せだけは願ってやるもんかあああああ!!」

 式服を纏ったカインが大げさな物言いで大神殿の壁を何度も殴りながら喚く様を、その隣で、ウォルヴァンシアの第一王子であるレイルが甲斐甲斐しく宥めている。
 カインもまた、ユキを一途に深く想い、愛し抜いた男の一人だ。
 だが、どんなに健気で応援してやりたくなる存在でも、俺からユキを奪う事に許可を与える事は出来なかった。
 カインだけでなく、他の誰にも……。
 しかし、気持ちはわかるが、ウォルヴァンシアの神聖なる大神殿を破壊する行為は止めて貰おうか。

「カイン、レイル」

「あぁ、ルイヴェル……。支度は出来たのか?」

「あぁ。あとは、ユキの支度が整うのを待つだけだ。……カイン」

「何だよ……、フラれた奴に同情の言葉でもかける気かよっ」

「そんなものは必要ないだろう。俺は、お前とアレクに宣言したからな。……全力でユキを奪う、と」

 自分の想いを自覚したあの頃。
 俺はそれを自身の闇に隠そうとはせず、真正面からアレクとカインに宣戦布告をした。
 お前達の想いに負けるつもりも、引くつもりもない、と。
 その時の事をお互いに思い出しながら視線を交わしていると、カインは大げさな溜息を吐き出し、俺の横を過ぎ去ろうとした。

「絶対……、幸せにしろよ。泣かせたら……、ぶっ飛ばす。ってか、ユキを不幸にするような事があったら、今度こそ俺が絶対に奪い返してやるっ」

「愚問だな。……礼を言う、カイン」

「ふんっ……。行くぞ、レイル!!」

「あ、あぁ……」

 相変わらずの悪態だが、……あいつらしい祝いの言葉だな。
 真白の新郎服の長い裾を翻し、俺は口元に笑みを刻みながら大神殿の中へと戻った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ユキ姫様……、何とお美しい晴れ姿っ!!」

「本当に……。ウチの弟には勿体ないぐらいの花嫁さんですわ!!」

 ユキの様子を見に控室へと足を伸ばすと、感極まった声が聞こえてきた。
 騎士団の副団長補佐官であるロゼリアと、姉のセレスフィーナの声。
 どうやらユキの花嫁姿に称賛を送っているようだ。
 半分まで開いていた扉をノックし、中へと入る。
 だが、すぐにセレス姉さんとロゼリアが、俺の視界からユキの姿を覆い隠してしまった。
 ……何のつもりだろうな?

「そこをどいてくれないか?」

「いえ、ルイヴェル殿。式の場で見てこそのお姿だと思うのです」

「そうよ!! 今のユキ姫様の美しさを見ちゃったら、貴方、絶対に暴走しちゃうものっ!!」

「ふふ、暴走は困っちゃうわね~」

 そう言いながら、奥に座っていたユキの母親であるナツハ様が俺の方へと寄ってくる。
 ナツハ様は別世界の人間だが、ユーディス様と契りを交わし、寿命を共有している為、二十代半ばほどの容姿をしている。
 向こうの世界では容姿を誤魔化していたようだが、こうして改めてその姿を見ると……。
 ユキはナツハ様譲りの顔立ちをしていると言ってもいいだろう。
 ……と、そんな事は横におくとして、何故花婿である俺が見ては駄目なんだ? 拷問か?

「三秒以内にそこをどいてくれ」

「だ~め~よ!! 我慢なさい!!」

「ルイヴェル殿、忍耐強くなられてください」

 そんな忍耐強さなど何の役にも立たないだろう。
 この壁の向こうにいるのは、俺の花嫁だ。夫となる俺には、見る権利がある。
 俺はセレス姉さんとロゼリアの前に立ち、まだ見えぬ妻へと声をかける、……が。
 
「…………」

「ユキ、出て来い」

「あ、あの……っ」

 何故早く出て来ないのか……。考えたくもない不安に駆られ、少々強引な行動に出る。
 壁となっているセレス姉さんとロゼリアをどかし、この目にしたのは。

 ――……。

「る、ルイヴェルさん……っ」

「――っ」

 これは……、セレス姉さんとロゼリアが、俺の暴走を心配するわけだな。
 何物にも染まらぬ純白一色に包まれているユキは、俺から視線を逸らし、恥じらうように頬を染めている。
 大人の姿となったユキが纏うドレスは、上半身にぴったりとフィットしたギャザー入りのそれが腰まで続き、膝上辺りから一気にフリルを波のように纏う純白の波が、まるでマーメイドの尾のように広がっていた。
 強調された胸元には、俺が送った指輪と同じ深緑の輝きを秘めたネックレスが白い肌の上を滑っており、ロングのベールがその身を包んでいる……。
 今まで、綺麗だと称えられる女の類は幾らでも見てきたつもりだが……、

「綺麗だ……」

「えっ」

 不意に、自然と素直な感想が零れ落ちた。
 座っているユキの目の前に跪き、眩い光を見上げるかのように右手を差し出し、目を細める。

「ルイヴェル……、さん?」

「ルイヴェル……、駄目よ? 今ここで襲っちゃ」

「大丈夫です。セレスフィーナ殿、いざとなれば……、斬ってでもお止めいたします」

「ふふ、ロゼリアさん、駄目よ~。花婿さんが流血沙汰なんて」

 セレス姉さんとロゼリアが心配する気持ちもわかる。
 花嫁姿のユキは、俺には本当に勿体ないほどの魅力に溢れていて……、触れれば消えてしまうのではないかと思うほどに、妙な不安に駆られてしまう。
 けれど、それと同時に、早く俺のものにしてしまいたいという身勝手な欲にも翻弄される。
 ぐっと自分の中で湧き起る衝動を堪え、俺はユキの前で立ち上がり、背を向けた。

「ユキ……、大神殿の方で、待っている」

「ルイヴェルさん……、は、はい」

 このままここにいては、俺も自身を抑えきれる自信がない。
 
「ルイヴェル、……良かったわね。素敵なお嫁さんを得られて」

「本当にな……。セレス姉さん、式が始まるまで、ユキの事を頼む」

「はいはい」

 穢れなき純白の花嫁を心から思う存分抱き締めるのは、もう少し後だ。
 セレス姉さんとロゼリア、そして、ナツハ様にあとを任せ、俺は式の開始時刻に焦らされながら、その時を辛抱強く待つ事にした。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side 幸希


 荘厳な大神殿の中央を、お父さんと一緒に腕を絡めてゆっくりと前に進む。
 私達を中央に挟んで両側には、白い薔薇で飾りが施された参列席に多くの人が並んでいる。
 私とルイヴェルさんの新しい出発の日を、こんなにも大勢の人達が祝ってくれているなんて……。
 まだ花婿であるルイヴェルさんの許まで辿り着いてもいないのに、自然と喜びの涙が。

「幸希、泣くのはまだ早いよ。しっかりと前を向いていなさい」

 私を連れて歩いているお父さんが、穏やかな小声で、私の涙を止めてくれる。
 今ここで泣いたら、せっかく施して貰ったお化粧が台無しになってしまう。
 あとでじっくりと見ると言ってくれたルイヴェルさんに、そんな姿は見せられない。
 顔を覆うベール越しに前を見据え、一歩……、一歩、あの人の許へと向かう。
 一番前まで辿り着くと、ルイヴェルさんとお父さんが互いに会釈を交わし、私の手を花婿であるルイヴェルさんへと引き渡す。

「ようやく、……ここまで辿り着いたな」

「はい……」

 ウォルヴァンシアの大神殿を司る女性の神官長様が、慈愛と祝福の笑みを纏い、純白の小さな薔薇と緑の蔦を絡めた長い装飾の施された杖を掲げる。

「これより、エリュセードの神々の御前にて、婚姻の儀を執り行わせて頂きます」

 神官長様の前にて跪き、向けられる誓いの問いに静かに答えを返していく。

「ルイヴェル・フェリデロードよ。汝は、ユキ・ウォルヴァンシアを妻とし、これより先の生、その命の尽きるまで……心を賭して愛する事を誓いますか?」

「この命尽きても……、永久(とわ)に、愛し続ける事を誓います」

「それでは、ユキ・ウォルヴァンシアよ……。汝は、ルイヴェル・フェリデロードを夫とし、その命の尽き果てるまで、愛する事を誓いますか?」

「はい。たとえこの命が終わりを迎えても、その魂に寄り添い、愛し続ける事を誓います」

「汝らの誓い、エリュセードの神々はしかとお聞き届けになられました。これより先の永き生、どうか貴方がたに、幸多からん事を……」

 杖の先に付いている鈴が清らかな音を奏で、私達は手を取り合って立ち上がる。
 ルイヴェルさんの手が、私の顔を覆い隠しているベールをゆっくりと持ち上げていく。
 視界が綺麗にはっきりと見え始め、控室でも目にした、ルイヴェルさんの凛々しい花婿姿が私の前に現れる。
 ルイヴェルさんはあの時、私の事を綺麗だと褒めてくれた。
 だけど、……私の方こそこう言いたい。

(素敵過ぎて……、ルイヴェルさんのお嫁さんになれる事が、夢のように感じてしまう)

 こんなにも素晴らしい男性が、今日から私の旦那様になるなんて……。
 勿体なさ過ぎて、現実だと思うには、あまりにも幸せすぎて。

「ルイヴェルさん……」

「やはり、何度見ても……、美しいな」

 からかうでもなく、冗談めかすでもなく、ルイヴェルさんは心の底から幸せそうな笑みを纏い、私の頬に手を添えてくる。緊張していた吐息が、その優しい柔らかな仕草に呑み込まれていく……。
 
「ん……」

 愛しい人との、未来を誓い合う神聖なキス。
 その幸福に瞼を閉じて酔いしれていると……、あれ? 何だか長すぎるような気が。
 
「ルイ……、んぅっ」

 神聖な行為の最中に、まさかの口内への舌の侵入を悟ってしまった私は、思わず瞼を開いてしまった。
 目の前には、私の唇を塞ぎながら意地悪に微笑む愛しい旦那様の楽しそうな表情がある。

「ル、ふぁっ……、ちょっ」

「ルイヴェェエエエエエエエエル!! 何やってるのぉおおおおおおお!!」

「長すぎんだろうがあああああああああ!! いい加減にしろおおおおお!!」

「ルイ……」

「いやぁ、流石はルイちゃんだよねー。牽制が凄い凄い」

「ふむ。面白き余興ではあるが……、あの娘も面倒な男に愛されたものよ」

「ルイヴェルー!! 貴様、公衆の面前で何をやっているー!!」

「まぁまぁ、クラウディオ。おめでたい席の事ですし、仕方ありませんよ」

 参列席の方からそれぞれの反応が湧き起り、私の後頭部をしっかりと抱え込んだルイヴェルさんが、さらに口づけを深めてくる。

「ふぅっ、……んぁっ、ルイヴェルさん、いい加減にぃっ」

「悪いな。もう抑えが利きそうにもない」

「な、……ンゥッ!!」

 騒然となる大神殿の中で、平然と場違いなキスを強要してきた旦那様は、参列席からストップの介入が入ってくるまで、いつまでもその温もりを味わい続けたのだった。
 し、幸せだけど……、み、皆さんの前で、こんな濃厚なキスは、うぅっ、は、恥ずかしい!!



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 
 大神殿での式が終わった後、私はルイヴェルさんの腕にお姫様のように抱き上げられ外へと出た。
 白い大階段を下りながら、参列者の皆さんが腕に抱えた籠から綺麗な花びらを私達に向かって祝福と共にそれを舞い散らせてくれる。
 二人の新しい出発を、大神殿の最上部にある大きな金色の鐘が、その音色に祝福と幸福の響きをもって、ウォルヴァンシアの王国中に報せを届けてくれた。

「ユキ……、とても綺麗だ」

「アレクさん……、ありがとうございます」

 私を心から愛してくれた、優しい銀色の騎士様に満面の笑顔で涙混じりにお礼を告げると、その深い蒼色の瞳がルイヴェルさんの方へと向いた。

「ルイ、本当におめでとう……。お前ならユキの事を必ず幸せにしてくれると信じているが……、どうか、よろしく頼む」

「任せておけ。ユキの事は俺が必ず幸せにする。だから……、その愛用の剣を俺の首元に突きつけながら、脅しをかけるのはやめろ」

 いつの間に……。
 アレクさんが本気の時にしか使用しない愛用の剣の先端を指摘された場所に突きつけ、視線を逸らしながら自分の顔を覆っている。
 まるで、涙を堪えているかのようなアレクさんに、私が声をかけようとすると……。
 
「ユキ、こいつを選んだ事にはもう何も言わねぇが、俺を選んどきゃ良かったってあとから思っても、もう遅いからな?」

「か、カインさん……っ」

 今度はカインさんが、ルイヴェルさんの背後から、竜の一部に変化させた右手でアレクさんの剣の先端を掴みながら面白そうに笑っていた。

「アレク君も皇子君も、熱烈な祝福だねー。心配しなくても、ルイちゃんがユキちゃんの事を不幸にするなんて、この世界が終わってもあり得ないよ」

 のほほんと傍に寄って来たのは、ガデルフォーン騎士団長のサージェスさんだ。
 舞い散る祝福の花びらを受けながらにっこりと微笑むと、「幸せになりなよ」と、私の手の甲に優しいキスをくれる。

「人の花嫁に触れるとは、いい度胸だな? サージェス」

「あはは、祝福のキスくらい許してよ、ルイちゃん」

「そうですよ、ルイヴェルさん。祝ってくれているサージェスさんに失礼ですよ」

 そう言って宥めれば、じっと私を見下ろしてくる不満そうな表情。
 
「寝室に戻ったら……、覚悟しておけよ?」

「な、何をですか……?」

「うわぁ、まずいねー。ユキちゃん、ウェディング・ベビー確実の予感だよー」

「えええええ!?」

 茶化す気満々のサージェスさんの台詞に驚いていると、愛しの旦那様は喉の奥で愉しそうに笑って、危険な光をその深緑の双眸に揺らめかせた。

「それもいいな。……作るか?」

「あ、あのっ、え、えっと……」

「あぁ、でもルイちゃん、赤ちゃん作っちゃうと、暫くお預け状態になっちゃうよー?」

 どちらにしても、私にとっては大変な事になりそうな予感しかしないのだけど!?
 けれど、ルイヴェルさんは余裕のある絶対的な笑みを浮かべ、飄々とそれを口にした。

「何の問題もないな。……子供が出来ようと、お前を愛する為の方法など、幾らでもある」

「えええっ!? そ、それって、どういうっ」

「ルイ……、ユキに負担をかける事だけはしないでくれ」

「そうだそうだ!! 無駄に歳重ねてんだから、少しは自重しろってんだ!!」

 不穏な予感を感じていると、アレクさんとカインさんが私を守る為に抗議の声を上げてくれた。
 だけど、二人の怒りを受けても、反省するどころか、素早く私を抱えたままで横に抜け出し、ルイヴェルさんは自信満々の表情を浮かべる。

「どれだけの歳を重ねようと、俺にとっては、初めて本気になった唯一の相手だ。自重などしていては、この胸に溢れる愛を、一生かかっても伝えきれない」

「る、ルイヴェルさんっ」

「嫌か?」

「う……、い、嫌じゃ……、ありません」

「それでこそ、俺の妻だな。俺の全てで……、お前を愛し続ける事は決定事項だ」

「で、でも、て、手加減はしてほしいな~……と」

 口の端を引き攣らせながらお願いをしてみると、返ってきたのは曇りのない爽やかな笑顔。
 うん、わかってた。ルイヴェルさんの愛情に、手加減なんてものはもう、微塵も存在しない事は。
 アレクさんとカインさん、それに、今度はクラウディオさん達まで騒動に加わって、ルイヴェルさんを諌めようとするけれど……。
 ふわりとルイヴェルさんの足元が浮き上がり、私達は青く晴れ渡った空の真ん中に飛び上ってしまった。
 優しい風の流れが、私達の肌を撫でていく。雲一つないすっきりとした世界……。

「ユキ、俺達の生は長い。人よりも、長寿の種族よりも、……永遠と呼べる程に」

「はい……」

「だが、俺の心は決して移ろう事はないだろう。永遠に、お前を愛し、共に在り続ける」

「ルイヴェルさん……?」

「煩わしいと、離れたいと思う時が来るかもしれないが……」

「んっ」

 ほんの一瞬だけ、悲しそうな気配が旦那様となった人の顔に浮かんだけれど、熱い吐息に飲み込まれて何も確かめられなくなってしまう。
 けれど、ルイヴェルさんの熱が私の口内を掻きまわしたのは僅かの時間で……。
 唇が離れると、切なそうに微笑む旦那様にこう言われた。

「俺の檻に鍵はない。どこを探しても、外に出られる隙間ひとつない、厄介な檻……。お前は、その中に閉じ込められ、永遠に、逃げる事は叶わない」

「お、り……?」

「もう、他の誰を選ぶ事も、縋る事も出来ず、……永遠に、俺に愛され続けるしかない、という事だ。……恐ろしく思うだろう?」

 どんな男と永遠の誓いを交わしてしまったのか。
 今、改めて実感してみろと言われた私だったけど、ルイヴェルさんが口にした『恐ろしさ』や不安感といった感情は微塵も湧いてこない。
 むしろ、……反対だ。愛する人に永遠を誓われ、絶対に逃がしてはやらないと、束縛と支配を意味する色濃い情を向けられている。ぞくりと、大きな喜びが全身に甘い痺れを広げていく。
 普通に考えれば、私がこの人を裏切れば、いつか彼が狂気に走り、危ない事をするかもしれないぞ、という脅しに聞こえるかもしれないけれど、怖いと感じる事はなかった。
 意地悪な響きを伴ってはいるけれど、ルイヴェルさんが私に酷い事をするわけがないもの。
 この人は、昔から私の事を大切に想い、守り続けてきてくれた存在。
 私を傷付ける者から全身全霊で盾となり守ってくれる事はあっても、私を苦しませるような事だけはしない。
 今だって、こんなにも……、全身が蕩けてしまいそうな甘い気配に包まれて幸せを感じているのだから。
 だから、私はニッコリと微笑み、同じように言った。

「私だって、絶対に貴方を離しませんよ? ……万が一、この深緑の瞳に他の女性を抱いたりしたら」

 ――何をするかわからないんですから。
 自分でも、ちょっと怖すぎる声が出たような気がする、と思っていたら、ルイヴェルさんが面白そうな笑みを纏い、また軽く、小鳥同士の戯れに似たキスをくれた。

「ふっ、お互い様だな。だが、無用の心配だと覚えておけ。お前の檻にも、外に出られるような隙は一分もない、とな」

「ふふ、……なんだか、バカップルみたいですね。でも、私だって本気で貴方を愛し続けますし、飽きられたくないって、必死でそう思ってますから、もっと心に余裕を持ってくださいね?」

「同じ言葉を返しておくとしよう。俺の事を愛してやまない、欲張りな女神殿? ――愛している、永遠に」

「私も、愛しています。永遠に……、貴方の檻に閉じ込めてください」

 見つめ合う視線が近くなり、微笑み合った直後、互いの温もりが優しく重なった。
 地上の大神殿の外では、早く降りてこーい!! と、怒鳴り声が聞こえてくるけれど、今だけは……この世界に抱かれて、永久(とわ)の誓いを交わしあいたい。
 大好きな貴方と……、終わりのない幸せな道筋を、一緒に歩んでいきたいから。




 fin
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