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~サージェスティン・フェイシア編~
魔竜の騎士は狼王の姫に翻弄される5~サージェスティン×幸希~
しおりを挟む――side サージェスティン
「あ、ルイちゃーん!」
多忙過ぎる日々が落ち着き、俺はユキちゃんのいるウォルヴァンシア王宮を訪れた。
今回は色んな国に顔を出したから、お土産も沢山ある。
ユキちゃんが俺に向けてくれる笑顔を何度も想像して、急いでやって来たのに……。
彼女は自分の部屋にはいなくて、それどころか、王宮のどこにも気配がなくて……。
城下の方かなぁ、と思って王宮内を散策していた所に、ウォルヴァンシアの王宮医師であるルイちゃんと出会う事が出来た。
普段と同じように、眼鏡と白衣姿が印象的な……、でも、どこかやつれた様子のあるその姿に、首を傾げる。
「ルイちゃんてば、また徹夜続きなのかなー? お医者さんが自分の健康を損なったら笑い話にもならないよ? あ、ところで、ユキちゃんの居場所、知らない?」
「……帰れ」
「え?」
「今すぐ、ガデルフォーンに帰れ。暫くはこっちに来るな」
意味がわかんないよ、ルイちゃん……。
俺に対して愛想笑顔全開じゃないのはいつもの事だけど、今日はまるっきり違うよ。
顔色は酷く青ざめているし、眼光は物凄く鋭くて凶悪だし……。
これは、徹夜明けとかそういう類の機嫌の悪さじゃない。
それに……、ウォルヴァンシア王宮を訪れた時から気付いていた。
王宮のメイドや騎士、勤め人達の顔にはいつもの明るさがなくて、まるで……、喪に服してでもいるかのような。
「ルイちゃん、……何があったの?」
「何もない。ユキは陛下の計らいで他国に遊学中だ。だから、会えるのは先だ。残念だったな」
「ルイちゃん」
俺の横を通り過ぎようとしたルイちゃんの腕を掴み、その場に引き止める。
……その程度の嘘で、俺が騙せるわけがないって、わかってるくせに。
「ユキちゃんは、どこ?」
「他国だ。勉学の邪魔はしてやるな」
「俺相手に嘘なんか吐かなくてもいいよ。ルイちゃん……、自分の身体に残ってる弱々しい気配を誤魔化す事も忘れるくらい、余裕、ないんでしょ?」
「…………」
俺の知っているそれとは違っている、今にも儚い雪のように溶け消えてしまいそうな……、彼女の気配。それが何を意味しているのかなんて……、わかりたくなくても、わかってしまう。
「ユキちゃんは、どこ?」
「……あれは、お前が来ても追い返せと、そう望んでいる」
「嫌だよ。……俺は、あの子に会いたい。拒まれても、この腕に抱き締めるって決めてるからね」
一ヶ月前に深く愛し合った記憶は鮮明でも、温もりは……、もう、消えかけている。
早く彼女を捜し出して、あの優しい笑顔に迎えられながら、抱き締めたい。
たとえ……、どんな姿になっていたとしても。
ルイちゃんは乱暴に俺の拘束を払い、来た道を戻るように背を向けた。
「フェリデロードの本家だ……」
「有難う、ルイちゃん」
ユキちゃんに何が起きているのか、俺と離れている一ヶ月の間に何が起きたのか。
ウォルヴァンシア王宮の佇むその奥……、魔術と医術の名門たるフェリデロード家の一族が住まう敷地を目指して足を急がせた俺は、その間中……、ルイちゃんと言葉を交わす事はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
フェリデロード一族の長、現当主、レゼノス・フェリデロードの屋敷。
ルイちゃんに先導されて案内されたのは、その屋敷の奥で……、扉の前には見知っている顔があった。ユキちゃんの、元護衛騎士である、ウォルヴァンシアの副騎士団長、アレク君。
「連れて来たのかよ……」
それと、俺がここに来た事に不満があるらしき、北の大国、イリューヴェル皇国の第三皇子、カイン。
どちらも世界が終わりそうな悲壮じみた顔をしている……。
「ユキが絶対に言うなって口止めしただろうが……っ」
「皇子君、そこ、どいてくれる?」
ユキちゃんが俺を拒んでいるとしても、そんな事は関係ない。
扉の前に立ち塞がった皇子君と、無言のままそれに倣ったアレク君。
俺は二人を押しのけて扉の向こうへと足を進めた……。
「なるほどね……。これじゃ、会いたくても、会えない、か」
踏み込んだ先に見えたものは、真っ暗な世界と、天蓋付きの寝台の周囲を取り巻くように配された、幾つもの医療用の魔術式たる陣。薄っすらと発光しているそれらが、室内を淡く照らし出すのみ。
ベッドカーテンによって隠された寝所の中は見えないけれど、そこに誰がいるのかなんて……、見なくてもわかるよ……。寝台の側にはルイちゃんのお父さんであり、フェリデロード家の現当主であるレゼノスさんの姿があって、俺が踏み込んできた事を咎めるでもなく、静かに視線だけを寄越してきた。
「レゼノスさん……、ユキちゃんは」
隔てられたベッドカーテンの向こうを、見る勇気が……、まだ、出ない。
「今は眠っておられる……」
「何の……、病気、なんですか?」
わかっているのに……、今のユキちゃんが、どれだけ辛い思いをしているのか、気配で、全部、わかるのに……。俺は手のひらをきつく握り締めて、レゼノスさんに尋ねる。
「……禁呪だ」
「――ッ。……禁、呪?」
レゼノスさんの、悔しさの滲む音に目を見開いた直後、俺はベッドカーテンを乱暴に開いた。
内側にも、魔術の陣が大量に発動状態を維持されている。
寝所内には一人の女の子が眠っていて……、蒼く長い髪に縁取られたその顔が、酷く……、俺の記憶にあるものとは、違っていて……。
まるで……、命の灯が消えゆくかのように……、彼女の、ユキちゃんの顔には、生気が、ない。
毛布の中から彼女の左手を探りだしてみれば、その腕には蛇のような黒い痣が這っていて……。
それが……、エリュセードという世界において、禁じられた魔術が行使されているという証だと……、嫌になる程思い知らされて、俺は……、その場に崩れ落ちた。
代償と引き換えに、他者に怨嗟の呪いを仕掛ける禁じられた術……。
こんなものに、……いつ、彼女はっ。
「三日前だ……。王宮の中で突然倒れ、禁呪にかかっているとわかった。過去に、イリューヴェルの皇子が苛まれたものとは、段違いの……、凶悪なものだ」
レゼノスさんの言葉に、俺は俯いたまま何も反応を返せなかった。
禁呪は……、それを行使する術者にとって、決して幸せをもたらすものじゃない。
その大半は、己の命を差し出す事で、初めて叶う望みばかり……。
誰も進んでそれを使おうなんて、思いもしないはずなのに……。
俺と違って、ユキちゃんが誰かに恨まれるような事なんて、あり得ないはずなのに。
「安心しろ、サージェス。暫く苦しむ事にはなるが……、死ぬ事はない。俺達が、そうはさせない」
エリュセードにおいて、ルイちゃん達フェリデロードの一族程、医術と魔術に長けた心強い味方はいない。だから、任せておいても……、きっと、ユキちゃんを救ってくれる。
そう、わかっていても……、俺には、暢気な顔をして待っている事なんか、出来るわけがなくて……。
「ユキちゃん……、ごめんね。ごめん……っ、ごめん、ねっ」
君が苦しんでいる時に、肝心な時に、傍にいられなくて……。
多忙な一ヶ月が終われば、また君の優しい笑顔が見られる……、そんな風に、楽観的に考えていた自分が、あまりにも……、愚かで、情けなくて、腹立たしくて。
俺はユキちゃんの手を自分の頬に押し付け、声を殺して泣き続けた。
昔から……、泣いた事なんか、滅多になかったのに……、溢れ出てくるそれを、止める事が出来ない。同時に、冷たく力のない彼女を手を感じながら、酷く、心細くなってしまう……。
俺を孤児院に預けた母親にだって、こんな気持ちになった事はなかったのに……。
「……ルイ、ちゃん。ユキちゃんを呪った相手、もう、目星はついてるのかな」
「今日まで、息の吐ける状況じゃなかったからな。調査はさせているが……、」
犯人の目星はまだ判明していない、という事か。
俺の大切な人を……、何の恨みがあってか知らないけど、呪った相手。
たとえ見つけ出したとしても、禁呪を発動させた以上……、手を下す事は逆効果だ。
そいつの死が、さらに色濃い怨嗟となって……、彼女を蝕み、死の淵に引き摺り込もうとするだろう。
「ん……、はぁ、……はぁ、ッ、痛ぅっ」
「ユキちゃん!!」
沸き上がる憎悪の情に翻弄されながら奥歯を噛み締めていると、ユキちゃんが目覚めと共に苦痛を感じ始めたのか、身を捩ってそれに耐える声を漏らし始めた。
「あぁっ、……い、やぁ、……はぁ、はぁ、痛ぃッ、痛っ、いやぁああっ!!」
「サージェス、どけ! ユキ、今痛みを抑えてやる。少しの間、耐えていろ!!」
「ユキちゃん……っ」
傍にいる俺の姿さえわからないのか、彼女は四肢を振り乱し、見ていられない程の痛ましさを見せた。禁呪が……、彼女の命を蝕みながら、その心までも喰おうとしている。
ルイちゃんやレゼノスさんなら、必ず、ユキちゃんを助けてくれるだろう……。
でも、それまでは……、彼女は強烈な苦痛に苛まれ、拷問のような時間を送り続ける。
誰とも入れない奴の恨みの念に侵されながら、ずっと、ずっと……。
処置を施されるユキちゃんの姿を僅かに垣間見ながら、――決めた。
ユキちゃん、君が苦しまないように……、早く、その責め苦から解き放たれるように。
俺に出来る事は、ひとつだ……。
離れたくない、離れたくない……、ずっと、ずっと、傍にいたい。
胸の奥で悲鳴をあげるその想いを必死に抑え込み、俺は寝台に背を向けた。
「――ジェ、ス」
部屋を出ようとしたその時、確かに聞こえた……、か細い、俺を呼ぶ声。
振り向くと、処置によって苦痛の和らいだのか……、ユキちゃんが何度も俺の名を呼ぶ声が、聞こえた。
抗えるわけがない。このまま部屋を出て行けるわけがない。
俺が踵を返して寝台の方に駆け戻って行くと、苦し気に息を繰り返しながらよろよろと手を伸ばすユキちゃんの姿があった。
「サー、ジェス、……さん」
「ユキちゃんっ!!」
「はぁ、……はぁ、……ごめん、……な、さぃ」
「ユキちゃん……?」
「ごめん、なさ、い……。サージェス、さん……、わた、し」
何故彼女が俺に対して謝罪を繰り返すのか、全くわからなかった。
大粒の涙を零しながら俺を見つめる、切なげなブラウンの瞳……。
苦しくて堪らないはずなのに、それでも君は……、繰り返す。
「ごめんなさい……、ごめんな、さい」
なけなしの力さえも失って毛布に落ちかけたその手に自分の指を絡め、俺はユキちゃんの唇に温もりを触れ合わせた。乾いた感触と、弱々しい命の息吹……。
「絶対に……、助ける、から。君の苦痛が、一秒でも早く、なくなるように」
「サー、ジェス、……さん」
「大好きだよ……。心から……、君を愛してる。……待ってて、俺が必ず」
彼女の手をしっかりと両手に握り締め誓った俺は、もう一度眠りへと落ちていったユキちゃんの姿を見届けて、ルイちゃんと一緒にフェリデロード家の屋敷を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ルイちゃん、今手元に集まってる情報、全部渡してくれる?」
屋敷内の廊下を無言で進んでいた途中、ユキちゃんのいる部屋から距離をおいた辺りでそう切り出した。禁呪を行使する以上、術者自身も並大抵の覚悟では臨んでいないだろう。
禁忌を犯すには、それだけの理由と、術の成就を成そうとする強い意志が必要となる。
まさに、命懸けの最終手段……。そう簡単に、尻尾を掴ませるわけがない。
だけど……、魔術の名門たるフェリデロード家なら。
「何も掴めてないわけじゃないよね? 犯人まで辿り着いていないとしても……、手がかりくらいはあるんじゃない?」
ゼロから始めるよりも、ルイちゃんが手にしている情報を頼りに犯人を捜した方が早い。
あの子が、俺の大切な人がこれ以上苦しまないように、片を着ける為にも。
「言っておくが、術者を殺せば……、ユキにもその余波が及ぶ」
「わかってるよ……」
「ユキを呪った相手を前にして、平静でいられるのか?」
その問いは、ルイちゃん自身にも向けられているんだろうね……。
自分にとって大切な子を害されて、死の淵に突き落とされて……、その元凶を、引き裂かずにいられるわけが、ない。
俺もルイちゃんも、きっと、アレク君や皇子君達も同じだ……。
術者を殺しても構わないのなら、迷わずにこの手にかけるだろう。
だけど、今回はそれが出来ない……。殺れば、ユキちゃんがその代償を受ける事になってしまう。
俺は背後に佇んでいるルイちゃんを振り返ると、いつものように笑顔で答えた。
「だいじょーぶ。俺の目的はユキちゃんが禁呪から解放される事だし、ルイちゃんが心配してるような無茶はしないよ」
「…………」
「信用できない?」
「いや、一応ではあるが……、信用しておいてやる」
どちらかといえば、最後の一線に対する信用だけしてもらった、って感じかな。
溜息と共にルイちゃんが教えてくれた手がかりを受け取り、俺は最後までいつもの笑顔を浮かべながらフェリデロード邸を後にした。……激しい憎悪の念を、胸の奥に抑え込みながら。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side 幸希
耐え難い苦痛を感じては、また気怠い闇の底へと沈んでいく……、その、繰り返し。
眠っている時でさえ、穏やかな安息を感じる事はなく、恐ろしい悪夢の中でまた、苦しめられた。
この異世界エリュセードにおいて……、禁忌とされている、忌むべき邪法の術。
それを行使する事は、術者にとっても無傷では済まない、大きな代償を必要とする諸刃の剣。
禁呪に蝕まれたあの日からずっと……、私の耳には見も知らぬ誰かの声が響いていた。
しわがれた老人のような低い声が繰り返す、怨嗟の声。
最初は不明瞭だったそれが、徐々に輪郭を宿していき……、今、確かに聞き取れた音がある。
『……ス、ティン、……サージェス、ティン。おぞましき、……混ざり者。貴様など……、我が、……デの血を、……く、ない。所詮は……、……が、似合い、だ』
姿は見えない。だけど、……その人は、私の大好きな人の名前を呪いながら、嘲笑の響きまで宿して、貶め続けている。
混ざり者……、それは多分、サージェスさんの生まれを指しているのだろう。
魔竜と呼ばれている竜煌族の血と、他種族の血が混ざり合って生まれた人……。
それが罪なのだと、声の主は繰り返す。生きている価値のない、穢れた存在だと……。
違う、違う、違う――!!
サージェスさんは、貴方に貶められて踏み付けられるような、そんな存在じゃない!!
私が声にならない音で叫ぶと、怨嗟の声はさらに大きくなった。
『混血など……、許さぬ、許さぬ!! 竜煌の歴史が始まってからより……、我らは皇家に仕え続け、純血を守り続けてきたのだ……!! なのに、なのに……、何故他種族の男など受け入れた!? お前は私の言う通りに、用意された相手を伴侶と認めればいいものを……!!』
乱れ狂うかのように、その声はサージェスさんの存在自体を否定し、自分の価値観を主張し続ける。――それが誰なのか、わかった。
ディヴェラーデ侯爵家、前当主……。サージェスさんの、お祖父さん。
孫であるルヴァートさんを使い、『家族』になろうと手紙を出し続けていた人。
他種族の男性と恋に落ちた前当主の娘さん……、サージェスさんのお母さんと最後まで分かり合えないまま、結局は大切な娘に家を出て行かれてしまった、一人の父親。
よくある話……、表向きには。
多分、ルヴァートさんは知らないで使われていただけなのだろう。
自分のお祖父さんが、心から過去の事を悔いていて、大切なお孫さんを家族として受け入れようとしているのだと、あの人はそう信じている。
本当は……、そんな感動的な話とは程遠い事など、全く知らずに。
耳を塞ぎたくなるような呪いの声を受け止めながら淀んだ闇の底へと落ち続けるだけだった私は、やがて、――不可思議な変化を迎えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――来たか、汚らわしき混ざり者」
歪んだ喜びの声音が落ちた直後、燭台の灯火が僅かに揺らめく様を見せ……、それは役目を終えたかのように室内の闇へと溶けていった。
開いた窓から差し込む、静かなる冴え冴えとした月の光が薄っすらと照らす、どこかの室内。
怨色の気配に溢れていた世界から一転、静寂に満ちたその場所で……、私は目覚めた。
目を瞬き、何が起こっているのか、自分が、どこにいるのか……、よく、わからない。
ただ、月の光だけを頼りにしている一室の片隅に自分がいて、そして……。
「混ざり者でも何でも、お好きにどうぞ……。そっちにどう思われようと、俺には何の意味もないからね」
天蓋と、ベッドカーテンによって中を隠されている大きなベッドに向かって、窓から何の音も立てずに入り込んできた人影が、抑揚のない、少しこもった声でそう言った。
私のいる位置からよく見える、窓辺の光景……。
月明りを背にして立つ、一人の男性。
余計な要素を全て排除したかのような黒い衣服。顔の半分を覆い隠す、同じ色合いの布。
一目見て、その装いに込められた意味を理解する。
決して陽の下を歩む事を許されない存在であるかのように、血塗られたその残酷な色さえ飲み込む深淵の闇が、彼を抱いている……。
そこに在る命を奪う事を躊躇わない、無慈悲な死神……。そう、思えた。
ただ、それは『彼』の装いが、というよりも……。
「ふん……、貴様が認めまいと、我が娘が産み落とした『罪』である事は事実だ。それを、この私が認め、『家族』にしてやろうという慈悲を向けてやったというのに、貴様は」
「奴隷の間違いだろ」
姿を現さないベッドカーテンの向こう側にいる男性の声に、『彼』は冷酷さと苛立ちを隠しもしないような声音で吐き捨てた。
相手を心底軽蔑し、存在そのものを否定しながら……、溢れ出した『彼』の殺意と憎悪の気配がベッドカーテンの奥にいる人へと襲いかかってゆく。
私に対してじゃない……。きっと、『彼』は私がここにいる事に気付いていない。
『彼』の、……アイスブルーの双眸によって向けられている凍刃の気配と、その意識を向けられているのは、ベッドにいる人に対してのみ。
場違い、という言葉がぴったりの、けれど……、見届けなくてはならないという強い思いが、逃げる事も、目の前の光景から目を逸らすなと命じている。
『彼』の……、サージェスさんの、これからやる事を、きちんと見ておけ、と。
この、現実か、夢か……、判断の出来ない世界で。
『サージェス、さん……』
私の知っているサージェスさんと違う。怖くて、近付けない気配に圧倒される。
だけど、恐怖と戸惑いに震えている私の足元は自然と前に歩み出し、彼の許へと向かってゆく。
「アンタが俺と、俺を産んだ自分の娘を憎みたいなら、幾らでも憎めばいい……。俺を消したいなら、百でも千でも、万でも、好きなだけ相手をしてやる」
相手をいつ殺してもおかしくない気配とは反対に、サージェスさんの声音は怖い程に淡々としていて……、逆に、それが私の心の中を掻き回すように不安を煽ってゆく。
でも、わかった事が二つある。ひとつは、サージェスさんが今言葉を向けているベッドの中の人が、彼にとって決して無縁とはいえない相手である……、ディヴェラーデ家の前当主様であるという事。
もうひとつは……、サージェスさんが口にした「好きなだけ相手にしてやる」という言葉。
それは、彼がガデルフォーン皇国の騎士団長になってからの出来事。
サージェスさんの命を狙い、何度も何度も、それこそ、数えきれない程のしつこさで現れ続けた、ディヴェラーデ侯爵家からの、暗殺者達。
そう……、前当主様は、自分の孫であるとわかった途端に、サージェスさんを秘密裏に葬ろうと動いていた。自分の娘さんが産んだ、一族の恥を消し去りたくて。
けれど、それは始まりではなくて、百年以上も前からの事でもあった。
サージェスさんのお母さんが他種族の男性と恋に落ち、その結婚を反対された時から……。
前当主さんは言う事を聞かない娘さんが妊娠したと知った時、彼女と、その相手の男性、それから、お腹の中にいたサージェスの三人を……、消し去る事に決めたのだ。
元から、自分達ディヴェラーデ侯爵家の血筋を重要視していた人だから、他種族との婚姻は以ての外だったのだろう。だから、自分の用意した相手ではなく、別の種族の男性と想いを交わした娘さんを許せず、授かった命にも抑えきれない憎しみの情を向けてしまった。
そして……。
「貴様は、母親と父親に似て、しぶとい奴だ……。これ以上屍の山を築いても意味はない」
「だから? だから、俺を殺す事をやめて……、服従させる為に彼女を利用したのか?」
「戯れかと思っていたが、狼王の姫はお前の唯一になったようだからな。今まで手こずらせてくれた礼をしたまでだ」
渋みのある落ち着いた男性の声が動じずにそう答えると、サージェスさんは無言のままで右手を大きく払う仕草を見せた。
ただ、それだけの動きだったのに、――突然、室内に一瞬だけ激しい突風が吹き荒れ、ベッドカーテンが大きく波打ったかと思うと。
「私を殺すか? 混ざり者よ」
他の調度品の類はビクともしなかったのに、ベッドカーテンだけがその役割を奪われ……、はらはらと布屑となって絨毯に落ちていった。
ベッドに上半身だけを起こしていた三十代半ば程に見える男性が、首元に鋭い刃の切っ先を突き付けられても動じずに、嘲笑の気配を浮かべている。
「俺の大切な人を呪った罪は後で償わせる。――禁呪を解け」
「解いてやってもいい。だが……、貴様が私の要求を呑めばの話だが」
「奴隷契約なんか交わす気はない。要求するのは俺だけだ……。流石のアンタも、一族全員皆殺しは嫌だろ?」
「そんな事をすれば、貴様は女帝陛下によって裁かれ、騎士団長の職を追われるどころか、大衆の前で処刑だろう? たかが一人の小娘の為に、全てを失う気か?」
この人は……、ディヴェラーデの前当主様は、サージェスさんが自分達を傷付ける事が出来ないと余裕のある笑みで一蹴し、その手にあった……、首輪らしき物を彼に差し出してきた。
一目見ただけでは、上品で綺麗な色合いの青に、独特の紋様と宝石が散りばめられた逸品だという印象を抱いてしまうだろう。それ自身が存在を主張するかのように光を纏っている。
けれど……、その美しさとは裏腹に、私には酷く禍々しい存在のように思えた。
「これを着けろ。お前の大切な唯一を早く解放したければ、我がディヴェラーデの犬となれ」
「…………」
なんて卑劣な真似を……!!
サージェスさんの傍に寄り添っていた私は、初めて誰かに対する抑えられない苛立ちと憎悪を覚えた。彼にそんな物を身に着けさせて、犬になれだなんて……っ、どこまで自分勝手な人なの!!
けれど、どんなに罵倒の言葉を叫んでも、二人に聞こえる事はなかった。
『サージェスさんっ、私の事はいいですから、だから、早く戻って下さい!! 今ならまだ!!』
私は死なない。たとえ自分の身体を苛む病魔が禁呪だとしても、ルイヴェルさんやレゼノスおじさまが必ず、私を助けてくれる! それに、私だって禁呪に負けるつもりはない。
どんな苦痛に苛まれても、私は必ず元気な姿に戻る。
そして、また、サージェスさんや皆と……!
「もう一回言ってやろうか? 一族全員皆殺しの目に遭いたくなかったら、さっさと禁呪を解け」
サージェスさんの声音に宿る気配ががらりと変わり、残忍で脅しつけるような響きが落ちた直後。
「うぐっぅううっ!」
前当主様が苦悶の声を抑え込むように漏らし、自分の左肩の辺りに視線を落とした。
深く、抉り付けるように突き立てられた、血塗れの氷の刃。
それが詠唱なしで発動された魔術の産物だと悟った私は、悲鳴を飲み込んだ。
サージェスさんが無慈悲な暗殺者の顔で前当主様の肩をさらに深く抉りつけ、至近距離で脅しつける。
「あの子を盾にすれば、俺が何でも言う事を聞くなんて妄想は捨てろ……」
「ぐっ……、たとえ、私の発動させた禁呪を解いても、私は貴様を苦しめる為に……、あの姫を利用するぞ。哀れな事だな……っ、貴様のような下種に想われるとはっ」
「そうだな……。あの子は不幸なのかもしれない。俺みたいな奴に捕まって、そのせいで、今も苦しんでる……。全部俺のせいだ」
「ならば、潔くディヴェラーデの犬となれ! あの姫の許を離れ、我らの為に生きる人形となれば、全てが上手くいく……、ぐぁああっ!」
違う、違う、違う! 私は不幸なんかじゃない!!
サージェスさんに想われて、彼の事を想う事が出来る今は、何にも代えがたい幸せ。
けれど、やっぱり私の叫ぶ声は誰にも届かなくて……。
サージェスさんが新たに作り出した氷の刃が、今度は前当主様の左手の甲を貫いた。
「それでも俺は……、彼女が欲しい」
「浅ましい……ッ、混ざり者めっ」
「俺から彼女を奪う奴は許さないし、彼女から俺を引き離そうとする奴も同じだ……」
だから、早く禁呪を解かなければ……、ディヴェラーデ侯爵家の全てを潰す。
三度目の宣告。役職を解かれるのも、処刑されるのも、それがどうしたと一蹴しているサージェスさんの本気さを感じているのだろう。
前当主様は息を呑み……、指先を震わせながらある場所を指し示した。
「あ、あの……、本棚の横の、壁に……、隠し通路に続く扉が、ある。詠唱で、現れるように、してある」
本当に一族を皆殺しにされては堪らない。
前当主様は観念したのか、傷の痛みに苦痛の声を漏らしながらサージェスさんを案内し始めた。
禁呪を解くには、絶対に行かなくてはならない必要な場所がある、と……、そう言って。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
刃を首元に押し当てられながら、前当主様は詠唱によって呼び出した扉の向こうへと進んで行く。
狭い、石作りの通路……。これは、魔術によって繋げられた別の場所なのだろう。
前当主様を先頭にしながら、湿気と異質な匂いが鼻をつく道を奥に進んで行くと……。
私達は行き止まりになっている石壁に辿り着き、前当主様が紡いだ詠唱によって現れた魔術の陣をすり抜けて、その先に進んだ。
『これは……っ』
目の前に広がった、信じられない光景。
さっきと同じ、石造りの空間である事は変わらないけれど……、これは、何?
巨大な魔術の陣が描かれた地面をぐるりと一周している、沢山の、牢獄。
助けを求めている人達のか細い声や、絶叫して呪いの言葉を吐いている人達の声……。
彼らは一人一人別々の牢獄に囚われており、全員が薄汚れた姿をしていた。
それに、……首に着けられているあの首輪は、サージェスさんが着けろと言われた物とは違うけれど、描かれている紋様が同じだ。
「アンタは自分達の事を誇り高い貴族だ何だと言ってたが、やってる事は下種の極みだな」
呆れ果てたその声音を受けても、前当主様は悪びれもせずに鼻を鳴らす。
「使える駒があるのなら、肩代わりさせた方が得だろう? どうせ使い道のない命だからな」
「俺からすれば、アンタこそが一番生きてる意味のない腐れ外道だ」
サージェスさんも、私も、この場所を見た事で全てを悟った。
私の命を脅かしているあの恐ろしい禁呪は……、複数の術者によって発動されたもの。
多分、無理矢理に言う事を聞かせて術を行使させているのだろうけれど、何かがおかしい。
確かに、複数でひとつの禁呪を発動させれば、その負担は減るだろう。
本来、その命を代償に発動させる類のものであっても、寿命が減る程度で済む可能性も……。
でも、前当主様が術者の命を気遣ってそんな事をするだろうか?
苦しんでいる術者の人達をゴミのように見ている、この残酷で情けのない人が……。
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