上 下
240 / 314
第四章『恋惑』~揺れる記憶~

臆病な姫君の話

しおりを挟む

 ――Side 幸希


 見知らぬ男性とお屋敷からの脱出が失敗に終わり、部屋へと連れ戻されて早三十分ほど。
 白銀髪の男性から再度朝食の席を勧められた私は、仕方なく食事をする事になってしまった。
 戸惑いと警戒心を抱きながら食べ進めている私の傍では、男性が沢山の白い画用紙のようなそれにせっせと何かを描き続けている。
 まるで、小さな子供がお絵描きを楽しんでいるかのような光景だ。
 ちらりと盗み見た画用紙の中の絵も、子供レベルの落書きに見えなくもない。

「あの……、何を描いてるんですか?」

「頭の弱い姫にもわかるように、説明用の素材を作っています」

 言葉遣いは丁寧そのもの。だけど、何故たまに私の事を貶すような台詞を口にするのだろうか。
 しかも、責めたり馬鹿にするような響きが一切ない事が、私をさらに困惑させている。
 敵意と悪意を一切感じさせない誘拐犯は、一体私に何を説明しようというのだろうか。
 ちらちらと男性の方を気にしながら食事を終えた私は、席を立った。

「これ……、本当に説明に必要なんですか?」

「勿論です。絵があった方が、姫もわかりやすいでしょう?」

「まぁ、想像はしやすくなりますね。……だけど」

 この凄まじい画力によって生み出された意味不明な絵から、私は何を想像すれば……。
 とりあえず、白銀髪の男性の画力が壊滅的だという事だけはわかった。
 しかも、本人はその自覚が一切ないらしく、トントンと描き上げた画用紙の束を揃え、食後のお茶をしながら説明をすると言い出した。本当にそれを使って説明する気なんだ……。
 大量の画用紙の束をテーブルに置き、男性はてきぱきとした動作でお茶を淹れ終えてしまう。
 そして、私を席へと促し、紙芝居よろしく、途方もない話を始めたのだった。

「これは、今から遠い遠い、古よりも遠い昔のお話です」

 まさかの紙芝居テイストなノリで話をし始めた男性に、普通の説明では駄目なんですか? と聞いてみたけれど、華麗に無視をされてしまった。
 
「エリュセードを生み出した神々の住まう楽園には、ある一人の姫がおられました。今は十二の災厄となった、……とある女神の娘」

「それって……」

「父神の亡き後、悲しみに耐えきれず災厄と成り果てた女神に取り残された、二人の兄妹神。その妹にあたる神が、貴女です」

 私が……、十二の災厄として封じられた女神様の、娘?
 他人事どころか、あまりに壮大な話すぎて、私はもう一度同じ事を尋ねた。
 本当に、その『姫』という神様が、私と同一人物なのか……。
 すると、白銀髪の男性が呆れを含んだ眼差しでため息を吐いた。

「今の貴女に何を言っても信じられないのはわかっています。けれど、話しておかなくてはならない事です。黙ってオレの話を聞いていてください」

「は、はい……」

「父神と女神の間に生まれた姫は、天上の誰もに好かれる心の優しい方でした。ただ、少々お人好し過ぎる面もあり、素直すぎるのが危うい点ではありましたが……。まぁ、アホなところも含めて姫は可憐ですから、オレ的にはお世話のし甲斐がありました」

 じーん……と、男性がほろりと涙を目じりに浮かべ、お姫様の事をアホだと表現した。
 仮にも、自分のご主人様に対して、アホ……。
 自分で描いた画用紙の中の絵、多分、あれはお姫様の姿を描いたのだろう。
 それを愛おしそうに指先で撫でている様子を見る限り、お姫様に対する愛情があるのは確かだ。
 だけど、その表現の仕方が何というか……、斜め上というしかない。
 ルイヴェルさんも屈折した愛情表現の傾向が見られるけれど、それとはまた別のタイプだと思う。

「災厄の女神の子として、兄神様も姫も、一時期は辛い風当たりを受ける事もありましたが、敵となる者よりも、その支えとなってくださる神々が多かったお蔭で、平穏な暮らしを守る事が出来ていました。しかし……」

 心穏やかに天上で暮らしていたというお姫様。同じ親神様から生まれたお兄さんや他の神様達に見守られながら日々を過ごしていた彼女は、その心優しさ故に、悲劇を生む事になってしまったのだという。

「エリュセードの伝承に語り継がれる三大神の一人、アヴェルオード神が、姫に恋心を抱いたのです」

 心優しいお姫様の慈愛と温もり、それに焦がれたアヴェルオード神様。
 その人は、お姫様のお兄さんとも親友同士の関係だったらしく、想いを抱くのは自然の事だったらしい。誰が見ても、仲睦まじかったお姫様とアヴェルオード神様。

「アヴェルオード神は、姫に想いを伝える前に、兄神様へとその心の内を伝えました。大事な親友の妹に愛を伝えるには、まず兄神様からの許しが必要だと感じたからです」

「お姫様のお兄さんは……、許したんですか?」

 何となく、全身で嫌な予感を感じながら、私は尋ねた。
 白銀髪の男性が、また一枚、紙芝居のページを変える。
 そこには、怖い顔をした男性の姿が……。

「兄神様は、アヴェルオード神の願いを許しませんでした」

「どうして……」

「……兄神様は」

「……」

「――ド級のシスコンだったのです」

 ……シ、シスコン? 私から目を逸らし、男性は遠くを見るように疲れた息を吐いた。
 たった二人の兄妹という事もあり、二人の親神様が亡き後は、妹であるお姫様への執着と妹愛がさらに倍増しになり、嫁に行かせてなるものか! と……。
 壮大な神様の世界のお話が、一瞬にして反応に困るものへと変貌してしまった気がする。
 仮にも御柱とされている偉大なる三大神の一人を容赦なく追い返した兄神様は、それまで以上に警戒の気配を深めたらしい。そして、許しを得ようとめげずに何度も何度も……、それこそ、百年以上も通い続けてきたアヴェルオード神様を相手に、他の神様達が恐れ戦くほどの攻防戦を見せていたそうだ。

「す、凄いですね……。流石神様の世界というか、百年以上もなんて」

「人と神の時間の感覚は違いますからね。ですが、姫の傍に仕えていたオレが見ても、兄神様の姫に対する妹愛は、世界の外にまで後ずさりたくなるほどに、相当のものでした」

「でも、流石に百年以上も通い続けていたら、許してくれるんじゃ……」

「はい。兄神様もアヴェルオード神の一途なストーカーレベルのしつこさにその心を打たれまして」

「今、ストーカーって言いました? 仮にも偉大な神様をそんな風に表していいんですか?」

「姫、些細な事を気にしていては楽に生きられませんよ」
 
 ……些細な事かな? しれっと私の発言をかわし、また紙芝居の絵を新しい物に変えた男性が、続きを語り始める。
 どうにか兄神様の許しを得る事が出来たアヴェルオード神様は、早速お姫様にその心を伝える為に彼女の許へと向かった。しかし……、兄神様との攻防戦に無駄な時間をかけすぎた代償か、思わぬ事態が起きてしまった。

「姫は、地上に出かける事も好きな方だったのですが、兄神様とアヴェルオード神が大人げない大喧嘩をしている間に、ある一人の男と交流を築いていたのです」

「地上の人、という事ですか?」

「正確には違いますね。地上を旅していた、人のふりをしていた神だったのです。自由を愛するその男は、互いに神である事を隠した状態で、姫と出会いました」

 地上で出会った一人の男性、彼と友人関係を築いたお姫様は、天上を留守にする事が増えてしまったそうだ。そのせいで、アヴェルオード神様がお姫様を訪ねても、留守、留守、留守。
 
「ちなみに、兄神様が姫に会えない不憫なアヴェルオード神を煽っては大喧嘩の繰り返しでした。懐かしいですね……、姫と共に天上へと帰還すると、美しい楽園が焼け野原に……」

 その大喧嘩を止めようと介入した神様達はとばっちりを受けて、負傷、負傷の連続だったらしい。
 神秘的な存在であるはずの神様達が、まるで人間のように感情も露わに騒動を起こしている姿もあれだけど、白銀髪の男性曰く。

「エリュセードの命は、神を元に生まれたんですよ。似ているのは当たり前でしょう」

「た、確かに……っ」

「とまぁ、そんなこんなでアヴェルオード神は姫に会おうと、地上に向かいました。そして、……姫と仲睦まじくじゃれ合っている地上の男を見てしまったのです」

 一途な気持ちを抱き続けたアヴェルオード神様にとって、それは許容出来ない耐えがたい光景だった。
 地上にある丘で、花々に囲まれて楽しげに笑っていた二人。
 何故、彼女の隣にいるのが自分ではないのか、何故、見知らぬ男性が姫の隣にいるのか。
 
「まぁ、姫は普通に友人としてその男と交流を楽しんでいたのですが、見事にアヴェルオード神は誤解してしまいました。とても真面目な御方でしたからね……。ご自身の分身でもある蒼銀の月が闇に染まる程に大ダメージを負ってしまったのです」

 お姫様が他の男性と一緒にいたのが余程ショックだったのか、自分の神殿の奥深くに引きこもってしまったアヴェルオード神様は、長女神フェルシアナ神様と、弟のイリュレイオス神様からの励ましを受けて、十日ほどで何とか立ち直ってくれたらしい。
 お姫様がまだ、あの地上の男性とどうにかなったわけではないのだと、そう信じて、再度お姫様の許へ向かったアヴェルオード神様。
 けれど、その想いを阻むかのように……。

「早くから姫の正体に気付いていた地上の男、いえ、別世界からエリュセードに辿り着いた神は、やがて天上にも現れるようになりました」

「お姫様に会う為、ですか?」

「オレの目から見ても、アヴェルオード神も、異界の神も、わかりやすく姫に惹かれていましたからね。いつまで経っても自身の気持ちに気付いてくれない姫に焦れたのでしょう。ずっと姫の傍にいようと、天界で暮らし始めたのです」

 エリュセードとは違う世界から流れ着いた神様が簡単に歓迎されるわけもなく、フェルシアナ神様の許可を受けて天界に滞在し始めたものの、異界の神様に向けられる感情は厳しいものばかりだった。
 けれど、異界の神様は何を気にする事もなく、お姫様の許に通い続けた。
 勿論、恐ろしい兄神様が黙っているわけもないわけで……。

「アヴェルオード神のように、正面からぶつかるというタイプではありませんでしたからね。兄神様の目を盗んでは、姫の許に通っていましたよ。騒動もそれなりに起こりましたけどね」

 二人の仲が深まるのを恐れたアヴェルオード神様は、お姫様の心を奪われないようにと、それまで以上にお姫様の許に通い、異界の神様と攻防戦を繰り広げた。
 自分の想いを伝える事さえ出来ず、敵と認識した異界の神様からお姫様を守る為に。

「牽制し合っていましたが、それでも、姫はアヴェルオード神と異界の神との日々に幸せを感じていました。……二人が抱く想いにも、気付かずに」

 元々、アヴェルオード神様は、お姫様にとって兄神様と同じように年上のお兄さん的な存在だったから、その優しさの奥にある真意に気付くことはなかった。
 異界の神様に関しても、心を許せる良き友人という印象が強く……。
 だけど、本当にそうなのだろうか。本当に、彼女は二人の気持ちに気付かなかったの?
 人よりも永い時を生きる神様なら、相手の事を見ている時間も永かったはずだ。
 それなのに、何も? 自分に対して向けられている気持ちに……。
 
「姫が何を仰りたいのかはわかっていますよ。あんなにわかりやすい神二人からの想いに気付かないなど、幾ら鈍感で頭の足りない姫でも、ありえませんからね」

「じゃあ……」

「気付いていたのに、知らぬフリをしていたのですよ。自身の胸に抱き始めた想いからも目を背け、偽りの幸せを守ろうと……」

 それは、とてもズルイ選択だ。二人の気持ちを知っていたのに、気付かないフリを続け……、その心を傷付け続けた。心優しいお姫様が抱く、臆病な一面。
 胸の奥が、ずきりと鈍く痛んだ。それは、お姫様の事を想う痛みではなく、彼女の臆病な心に対する怒りと、今の自分への怒り……。
 想いを向けられているのに、答えを返せない、自分自身への苛立ち。
 事情は違っても、今この胸に覚えているそれは、自分とお姫様、両方に対する不甲斐なさへの感情だ。

「お姫様は、その想いに、答えを返そうとは思っていなかったんですか?」

「結論から言えば、幸せすぎたのが……、仇となったのでしょうね。姫は、その心に答えを抱く事を恐れていました。自分にとっての唯一人を定める事で、もう一人を傷付け、幸せな日常が終わるその日を……」

 だけど、それは身勝手な言い訳に過ぎない。
 二人の為と言いながら、結局は……。

(『私』が……、傷つきたくなかっただけ)
 
 瞬間、頭の中で響いたのは、誰の声だったのか。
 胸を引き裂かれそうな切ない涙の音。
 白昼夢を見るかのように、私の視界に広がった……、懐かしさを感じる光景。
 風に煽られ舞い上がる花びらの嵐、『私』を呼ぶ声。

「ですが、偽りの夢は永遠には続きませんでした……。姫の心には開花の時が迫り、――それは、ある神の告白により、恐ろしい結末を招く事になりました」

 それは、どちらへの想いであったのか……。
 お姫様を抱き締め、想いを告げた……、異界の神様。
 恐れ逃げ続けたその想いが、お姫様の心を檻の中へと閉じ込め、逃げ場を与えなかった。お姫様の心は大きく揺らぎ――。
 その瞬間を……、アヴェルオード神様は見てしまった。

「人の心も厄介な力を秘めていますが、神となれば、また話は別です……。愛する者を奪われたと思い込んだアヴェルオード神は、その神としての力を闇に堕としてしまったのです」

「闇に……」

「偉大なる神の一人であるアヴェルオード神が抑えきれなくなった憎悪と愛……。それに共鳴した十二の災厄。大いなる力の奔流により、封じられた災厄の間に綻びが生じ、天上に闇が溢れ出しました」

「そんな……」

 お姫様を想う一途なその心故に、失った希望はアヴェルオード神様の心を深い絶望の底へと落としてしまった……。抑えきれない激情と憎悪の感情が神の力となって荒れ狂い、災厄と強く響き合った。

「アヴェルオード神の暴走はフェルシアナ神とイリュレイオス神によって抑えられましたが、十二の災厄の脅威は……、姫がその全てを以て収束させました」

 全て……。その言葉に、どくりと心臓が不安に荒立った。
 アヴェルオード神の暴走に共鳴した、十二の災厄。
 ひとつやふたつであれば、神々が力を合わせればどうにかなったかもしれない。
 だけど……、発動したのは十二の災厄全て。
 天上の中に抑え込むだけでも精一杯で、アヴェルオード神の力の一部を取り込み膨れ上がった脅威を再び封じ込める為には、――生贄が必要だった。
 
「姫は、災厄の女神たる方の娘です。母である女神と似通った力の質を最大限に用いれば、災厄はそれを母の子守歌として受け入れ、穏やかな眠りへと落ちる事が出来る。けれど、それを成す為には、姫の力、その全てを捧げる必要があったのです」

 他の方法を探す暇などなく、万が一……、十二の災厄が神様達の手に負えなくなった時、お姫様はその身を捧げる覚悟を、お母さんである女神様が封じられた時に抱いていた。
 兄神様や異界の神様達が止めるのも聞かず、封じを解かれた場所へと飛び込んだお姫様。
 向けられた想いに答えを返す事もなく、彼女は眠りに就いた。

「姫の災厄を封じた事により、天上には平穏が戻りました。しかし……、その原因を作ったアヴェルオード神を、兄神様は酷く憎みました。それまで築き上げた友情も、信頼も、何もかもが凍りつき、兄神様は空(から)になった姫の身体をその胸に抱き、……その魂に寄り添うように、自身も永き眠りへと就いたのです」

 最愛の妹を犠牲にしてしまった兄神様は、自身の立場も役割も、全てを捨て去った。
 もうそこに魂のないお姫様をその腕に強く抱き締め、彼女の魂を追いかけた。
 一人で旅立ったお姫様が寂しくないように、兄である自分がその魂を包み込んでやろうと、そう、切なる願いを込めて。

「そしてオレは、封じられた災厄の監視を担う番人となり、悪しき存在との戦いの折に眠りに就きました。姫と兄神様の後を追えなかったのは、最後に残された兄神様からの願いを受け入れたからです……。もう二度と、十二の災厄が目覚める事のないように、アヴェルオード神がその役割を放棄しないように、監視する為の目として」

 妹であるお姫様を失った悲しみと憎悪を抱いていた兄神様は、アヴェルオード神様に救いを与えなかった。追ってくる事は許さない、神として在り続けながら、自身の罪に苛まれ続けろと……。
 酷く残酷な罰を課した兄神様と妹であるお姫様の抜け殻となった肉体は神殿の奥に安置され、永い眠りへと就いた。

「ですが、オレは兄神様からの願いを叶える事は出来ず、災厄のひとつが解き放たれました。その時に、番人であったオレは災厄に操られ……、正気に戻った時には、ディオノアードの欠片を抱いて眠る事しか出来ませんでした」

 紙芝居の最後の一枚には、欠片を抱いて眠りに就く神様達の姿が描かれていた。
 視界に映るその綺麗な面差しには、頬を伝うひと雫の想いが……。
 
「姫の罪は、二人の想いから逃げ続けた事……。もっと早くに、アヴェルオード神と異界の神の想いを正面から受け止め応えていれば、あの悲劇は起きなかったかもしれません」

「……」

「そして、今の時代において目覚めたあの御方は……、アヴェルオード神は、記憶も力も、まだ完全には戻っていません。姫への想いにその魂を焦がしながら、とても不安定な状態になっています」

 今のまま、私をアレクさんの傍においておけば、昔と同じ条件が揃った状態で最悪の事態が起きる危険性がある。答えを出せないでいる私がその時間を引き延ばせばそれだけ、アレクさんの中で私に対する想いが堪え切れない程に膨れ上がり……。

「でも、今の私は二人への答えを出す為にちゃんと考えています。それでも、駄目なんですか?」

「今のアヴェルオード神は、天上にいた頃よりも酷く脆い状態です。貴女が答えを出す為に真剣に考えていようと、彼の心に芽生えている不安が増せば増す程に、その危険性も高まるのですよ。それに……、オレは、兄神様から、もうひとつの願いを受けています」

「もうひとつ、の?」

 紙芝居をテーブルの横によけ、白銀髪の男性は静かにその瞼を閉じた。
 
「もしも、再びアヴェルオード神が姫の魂と出会う事があれば……。その時に、自分が傍にいない、もしくは、姫の傍に転生していても、覚醒をしていない場合は……、自分の代わりに二人を引き離せ、と」

 妹を失った兄神様の悲しみと憎しみ、抱いた絶望……。
 それを引き起こしたアヴェルオード神様への罰は、永遠に続く。
 そう示しているかのように、兄神様は目の前の男性に願いを託した。
 お姫様が災厄を封じるきっかけとなってしまったアヴェルオード神様が、再びその愛を乞う資格はないのだと、責め続けるかのように……。

「オレも、アヴェルオード神は嫌いです。大切なご主人様を、姫を眠りに就かせたあの神に、幸せになる資格などない」

「ちょっと待ってください!! そうなってしまったのは、結局……、お姫様の、私の、せい、なんでしょう? それなら、アレクさんが責められるのは間違っています!!」

「それでもです。暴走を引き起こしたアヴェルオード神は異界の神に殺意を向け、姫に対しても凶行に及んだのです。他の男のものになるのなら、死者の魂を司る自身の領域に姫の魂を捕え、永遠に自分のものにしようと……」

 たとえそれが本当でも、そこまで追い詰めてしまったのは……。

「貴方の話が本当なら、責められるべきは私じゃないですか……っ。アレクさんは、アヴェルオード神様は、一途にお姫様を想い続けていただけなのに」

「時として、事実がどうであれ、感情のままに相手を憎む事もあります。正しいか、そうでないか、そんな事は、何の問題にもならないのですよ。現に、アヴェルオード神は罪を犯しました。三大神の一人として、自身の立場と役割を放棄した罪は重い……」

 兄神様の願いを叶える為に、私を不幸にしない為に、彼は私を覚醒させ、天上に帰ると言い張った。
 天上に戻り、兄神様が戻ってくるまで、二人で穏やかに暮らしながら待とうと。
 だけど、本当にそれでいいの? 彼の話が本当であったとしても、私にはそれが良い事だとは思えなかった。……また、自分に想いを向けてくれている人達から逃げるの?
 守られるだけの立場に甘んじていていいの? ――そんなの、嫌だ。

「貴方のお話はわかりました。だけど、まだそれが本当の事なのか、その通りにする事が最善なのか、私にはわかりません。だから、一度ウォルヴァンシアに帰してください。皆さんに事情を話して、アレクさんともお話をして、きちんと考えたいんです」

「帰しません」

 頑固な答えばかり。だけど、それで引き下がる気はない。
 もしも、彼の話が本当で、私が真実、ご主人様なら……。
 ゆっくりと席を立ち、私は白銀髪の男性の顔を見据えた。

「私を、ウォルヴァンシアに戻しなさい」

「姫……」

「私が本当に貴方のご主人様だというのなら、この言葉を聞けるはずです。私を、ウォルヴァンシアの地に、王宮に戻しなさい」

 声に力を込め、自分の中に眠っている力を呼び起こす。
 私の身体の輪郭をなぞるように滲み出した、三色の光。
 まだ上手く操れる自信はないけれど、彼の話を全て信じるには、まだ確証が足りない。命令を聞けないのなら、攻撃を仕掛けてでもウォルヴァンシアに帰る。
 その意志に強く応えるかのように、眩い黄金と、深い蒼、そして……、白銀の光が炎のように揺らめいて、明確な敵意の気配を目の前の男性へと向けた。

「貴方が頷かないのなら、私はこのお屋敷を壊してでも帰ります」

 そんな事が出来る自信はないけれど、私の思いに呼応するかのように揺らめく三色の光が、自分を使えと促してくれている気がする。力に意識を集中し、イメージを強く抱いて大きく膨らませていく。

「姫、やめてください。自分から不幸にならないでください」

「私は、誰かに決められた道ばかり歩くのは御免です!! 貴方の話が本当かどうか、自分がこれからどうするべきか、考えて答えを出すのは、私自身なんです!!」

 私を守り続けてくれたアレクさんを、幸せになる資格がないだなんて……。
 そのお姫様と私が同一人物でも、その兄である神様が守ろうとしてくれているとしても、納得なんて出来ない。アヴェルオード神様であったアレクさんが不安定になるというのなら、壊れないように、道を間違えないように、その心を支えたい。
 この異世界に来て、ううん、戻ってきた私を、この心にあった不安と悪夢を払い続けてくれた、優しく心を包み込んで寄り添ってくれたアレクさんを、不幸になんてさせたくない。

「アレクさんの傍には、私だけじゃなくて、沢山の仲間がいます!! 今のあの人が不安定だと言うのなら、その心を支えられるように心を尽くします。過去の間違いは、もう起こしません」

「完全体でない今のアヴェルオード神は、暴走したとしても事態の収拾はつきます。ですが、そのせいでまた姫が傷つく事を、オレと兄神様は望んでいません。どうか、聞き入れてください」

「なら、――私は傷つく道を選びます」

 もしも、私がお姫様と同一人物であるならば、同じような状況となっている今世に、何か意味があるのかもしれない。もう二度と向けられた想いから逃げないように、災厄を封じる為にその力の全てを捧げて眠りに就いた彼女が、私が、今度はきちんと答えを出せるように……。
 目の前の男性は、私に悲劇を繰り返してほしくないと言うけれど、アレクさんやカインさんと別れ、守られるだけの場所に逃げ込んで、本当にそれが幸せだと言えるのだろうか。
 
「ウォルヴァンシアには帰しません。オレは、兄神様の命を受けています。絶対に、もう二度と、約束を違えたりはしません」

「なら、貴方を攻撃してでも帰ります」

 脅しの意味を含めて、私は自分の中から溢れ出る力に願いを込める。
 白銀髪の男性を傷付けずに、脅しの意味合いを向けた攻撃を室内に……。
 
「貴方が帰してくれないのなら……、自分で帰ります!!」

 そう大声で叫び、テーブルを両手で叩き付けたその瞬間、三色の光がぶわりと毛を逆立てるように大きく震え上がり、その眩い光の中へと私を包み込んだ。

「姫!!」

 冷静さを纏った男性の顔に、明確な動揺の気配が浮かび上がった。
 焦るように伸ばされたその右手が、男性の姿が……、光に呑まれていく。
 まさか、願った事が間違った方向に力を発動させてしまったのだろうか。
 威嚇の為に力を使うつもりだったのに、何故目の前の彼に襲い掛かったのか。
 お願いだから彼を傷付けないでほしいと必死に願った私だったけど、本当は……。

 ――光に呑まれてしまったのは、私。 
しおりを挟む

処理中です...