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第四章アレク×幸希編~蒼銀の誓いと咲き誇る騎士の花~

妄執の伴侶と、剣の姫

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 ――Side 幸希


「ヴァルドナーツ・ロヴェルガーヴ・ゼクレシアウォード……、それが、あの人の本当の名前なんですね」

「あぁ……。同一の存在であれば、それが、あの男の生まれだ。この獅貴族の王家に生まれた、歴史から名を消された男。ルイの調べた情報によると、そのヴァルドナーツのかつての恋人であり、妻だった女性が、レアンティーヌ王女の前世のいずれかだ」

 避難場所へと急いでいる私達は、その足を緩めずにアレクさんの話を聞いていた。
 かつて、遥か遠い昔、この獅貴族の王国に生まれた、一人の男性の話。
 ゼクレシアウォード王家の第五王子として誕生したヴァルドナーツさんは、強大な魔力を有していただけでなく、獅貴族の王家の血筋を側室の子でありながら色濃く受け継いでいたらしい。
 力があり過ぎる存在は、その時代においては恐怖の対象とされ、いつか国に災いを成す者になるのでは、と、心無い、というよりも、その力に怯えた人達によって忌まれていた。
 『枷』と呼ばれる魔力を封じ込める装飾品を身に着け、この国の魔術師団を檻として団長職に据えられていた過去のヴァルドナーツさんは、ある一人の女性と出会った……。
 それが、レアンティーヌの前世の誰か……。愛し合う二人は、確かに幸福だった。
 けれど、それは後(のち)に舞い降りる悲劇を、より一層深める事になったのだと……。
 詳しい話はされなかったものの、ヴァルドナーツさんにとっては、自分の命を奪った彼女は強い愛情と憎悪の対象であり、裏切り者として魂に刻まれる事になった。
 だから、ヴァルドナーツさんはレアンを求めている。正確には、その中にいる、かつての恋人の魂を。

「だからと言って、ヴァルドナーツに王女の魂を渡すわけにはいかない。純粋な愛情は闇へと堕ち、その魂を手にした時、何をするかわかったものではないからな」

「あの……、さ。その、ヴァルドナーツって人は、もうアンタが倒しちゃったから、大丈夫、なんだよね?」

「レアン……」

 挑む事を信条とする親友が、ヴァルドナーツさんの姿が光に呑まれて消えてから……、去ったはずの恐怖がまだ存在するかのように怯えている。
 ただの妄執に駆られた危険人物というだけでなく、愛し合っていた存在という部分が気になっているのだろうか。アレクさんの話では、彼女がヴァルドナーツさんを裏切った為に起きた悲劇だと、そう突き付けられているようなものだ。
 王宮の三階まで駆け上がったところで、アレクさんはレアンに首を振って答えた。

「完全に脅威が去った、とは言えません……。あの男は、生前にフェリデロード家の当主以上の魔術知識と力を兼ね備えていた存在で、魂に関する研究を進めていたそうです。俺が捕らえ回収した魂も、何らかの読めない細工がしてあっても、不思議はありませんから」

「そう……、なんだ。ごめんね、せっかく守って貰ってるのに、アタシ、ちょっと情緒不安定になってるみたいでさ」

「当り前よ、レアン。狙われているのに、落ち着いていられるわけがないもの。だけど、きっと大丈夫よ。アレクさん達が一緒にいてくれるんだから、きっと……」

 と、レアンを慰めながらも……、私自身も不安で仕方がなかった。
 治まってはまた生じる頭痛や、自分の中で騒ぐ何かの気配。
 油断するな、気を引き締めろと、全神経が敏感に何かを感じ取ろうとしているかのようで……。
 
「三階には、避難場所へ通じる転移の陣を固定してある。魔力バランスの歪みが起きても、その道だけは悪影響を抱かない。ユ、いや、キャンディは王女と一緒にその陣を通ってウォルヴァンシアへと行ってほしい」

「え……、ウォルヴァンシア、ですか?」

「大丈夫だ。あっちにはお前の御主人様や獅貴族の国王陛下や王族の者達も避難している。この事態が収束して、……お前がこの国に戻りたいと願うのなら、その意に添う」

「アレクさん……」

 その穏やかではあるけれど、寂しげな微笑に……、胸の奥がきゅぅっと痛みを覚えた。
 この人を悲しませてはいけない。私の我儘で……、不幸にしては。
 
「はぁ……、うっ」

「きゃ、キャンディ!? どうしたんだよ!! どっか痛いのか?」

「はぁ、はぁ……、あぁ、っ、アレク……、さん」

 その場に膝を着いた私に、レアンが大慌てで肩を支えて声をかけてくれる。
 私は……、キャンディ。元、野良犬で……、御主人様に拾われた、幸運な、犬。
 記憶が逆戻りをするかのように、突然頭の中で映像が駆け巡り始めた。
 誰か……、知らない、誰かが、見える。白銀の、長い、髪の……、私を、『姫』と呼ぶ、青年の姿が。

「キャンディ、無理をして記憶を取り戻そうとしなくていい。俺は、お前の幸せがこの国に在るのなら、それを奪ったりはしない、だから」

 私の中で起きている不可解な混乱を落ち着かせようとするように、アレクさんがその力強い両腕に私の身体を抱き締め、背中を優しく撫でてくれる。
 知ってる……、この腕に……、銀を纏う心優しい騎士様に、私は何度も救われてきた。

「大丈夫だ……。俺がお前の幸せを守るから、俺の事を忘れていてもいいから、自分を苦しめるような真似はしなくていい」

「はぁ、……アレク、さん。私、は……」

 苦しい、頭が割れそうな程に痛い……。だけど、この痛みを耐えた先に、何かが掴めそうな気がしているの。アレクさんの胸にしがみ付き、私はその苦痛に奥歯を噛み締めて耐える。

「ねぇ、キャンディ、大丈夫なの!? 顔色真っ青だよ……」

「レアンティーヌ姫、申し訳ありませんが、先にウォルヴァンシアの魔術師達と共に転移の陣へ」

「アレクディース様!! 三階に固定してあった陣が……、ありません!!」

「何だと……!?」

 先に転移の陣を確認しに行っていたらしい魔術師さんの数人が血相を変えて戻って来たのを視界に移した私は、自分の身に生じている苦痛以上の恐怖を全身に感じ取った。
 これは内側からじゃない……。三階の、視線の先にある廊下の向こう側から、静かに近付いてくる。その、忍び寄る恐怖の塊は、一人の男性の姿をしていた。
 柔らかな茶色のクセのある髪、魔術師さん達が纏っている者と似ている……、けれど、どこか印象が違う、漆黒の団服らしきそれを身に纏う、優しげな笑みの男性。
 レアンが、近づいてくる正体不明の男性の姿に、口元を押さえて後退った。

「レアン……」

 一体誰なのかを確認しようと足を進ませかけた魔術師さん達を、次の瞬間、アレクさんの厳しい大声が後ろへと引き戻した。

「全員俺の後ろに下がれ!! 早く!!」

 ニヤリと酷薄に嗤った……、視線の先にいる男性の顔。
 その気配に、ある男性の姿が重なった。
 アレクさんが右手を突き出し発生させた蒼銀の光が、男性の身体から這い出して襲い掛かってきた黒銀の光を、寸でのところで阻む。
 
「それは……、お前の本来の器か?」

「どう……、し、て。……隠した、のに、何で……、あぁ、あぁああっ!!」

「レアン!?」

 黒銀の光を纏う男性の姿に壮絶な恐怖を抱いているかのように、レアンがその場に蹲り疑問の声を繰り返す。少しだけ苦痛が収まり、頭の中が落ち着いた私は、彼女に手を伸ばす。

「レアン……っ、何が、はぁ……、レア、ンっ」

 アレクさんに支えられ、傍にいる彼女の背中に触れた私は、頭の中に何かが流れ込んでくるイメージを見た。さっきとは違う。これは、レアンの中から伝わってくる……、記憶?
 大粒の涙を零しながら狂ったように歯を震わせる親友、彼女の姿に別の誰かの姿が重なる。
 黄金の長い綺麗な髪……、美しい面差しの大人の女性。
 見える景色が変わり、冷たい石の敷き詰められている場所が視界に映り込んだ。
 まるで……、叡智の神殿と同じような場所。
 知らないはずの、覚えのない場所の名前が頭の中に浮かび上がり、薄暗い神殿めいたその空間の中央に、瞼を閉じて眠りに就いている……、男性の姿が見えた。
 真っ赤な花弁が敷き詰められた、あれは……、棺だろうか。
 私達に黒銀の光を放ってきた茶色の髪の男性と、同じ顔。
 その頬を包み、涙を零しているのは……、さっきの女性。……彼女は、苦しそうな青い顔で悲しそうに眠るその男性を見つめている。
 ごめんなさい……と、何度も小さく呟かれる懺悔の音。
 あぁ、彼女はその男性を愛しているのだ。心から想っているのに、罪の意識に押し潰されそうになっている。

『ヴァ、ル……っ。あの時……、アタシが、……アタシの、せいだっ』

 彼女が何に対して謝っているのかはわからない。
 やがて視界いっぱいに広がっていたその光景は掻き消え、私の目に団服の男性が映り込んだ。
 今度は現実……、けれど、レアンから流れ込んできたイメージの中にいた人に間違いない。
 顔は違うけれど、ヴァルと呼ばれたあの人は……、きっと。

「はぁ、……はぁ、くぅっ、アタシ、……アタシ、は」

「アレクさん、レアンは……」

「あるわけがないと、そう踏んでいたのが間違いだったな……。あれは、ヴァルドナーツが過去に捨てたはずの肉体。今この時代にあるはずのない、遥か昔の器だ」

 レアンは、苦しみながらこう呻いた。――隠した、と。
 それは、自分の抱く魂が、過去に手をかけたヴァルドナーツさんの肉体を、どこかに隠した、とそういう事ではないのだろうか。何の為に、かはわからない。
 けれど、遥か昔の肉体が……、何故腐りもせずに残っているのか。
 
「魂と肉体は縁の深いものだからね……。自分が殺した男を、魂のないその死骸を、何故君が獅貴族の王宮、その地下のさらに最下層に隠したのかは、俺にもわからないよ。だけどね、元々は俺のものだ。探し出せないわけがない。そうだよね……、俺の愛する、レフェナ」

 レアンの中で何が起こっているのか、涙に濡れた顔を上げた彼女は、まるで何かにとり憑かれたかのように、ゆっくりと首を振った。
 もしかしたら、私と同じように……、自分ではない誰かに、身体を、口を、動かされているのだろうか。

「違う……。アタシは、こうなる為に隠したんじゃない!! ヴァルっ、お願いだから、もうっ」

「泣く事はないよ、レフェナ。もう誰にも、何にも邪魔されないように……、俺は君を迎えに来たんだ。おいで……」

「違うよ!! ヴァルはアタシに復讐をしに来ただけ!! 魂に禁呪をかけて、いつかアタシの魂を手に入れて……、喰らう為に来たんだ!!」

「違うよ。ひとつになるんだ……。君の今の器を引き裂いて、その血を啜って、昔みたいに可愛がった後、俺の魂とひとつに融合させる。それで、……永遠が手に入る」

 それは、同じ事じゃないの? レアンの魂を、レフェナと呼ぶ、過去に愛した女性を、今も深く愛し憎んでいる彼女の存在を、永遠に縛り付ける為に、この人は……。
 私は頭を振ってアレクさんの手から抜け出し、レアンをあの男性……、ヴァルドナーツさんから隠すようにその蹲る身体に覆い被さった。

「駄目!! 今の彼女は、レフェナさんじゃない!! レアンティーヌなの!! 貴方の愛した女性は、遥か昔に死んでるの!! いい加減に目を覚まして!!」

 二人の間にある事情を知らない私が、口を挟んでいい事じゃないかもしれない。
 だけど、今の彼女に、獅貴族の王女様として元気に明るく暮らしているレアンに、自分達の過去を償わせないでほしい。突き刺さる昏い殺意の視線……、怖いけど……、私は親友から離れたりしない。顔をヴァルドナーツさんの方に向け、必死に訴える。

「レアンはレフェナじゃない!! レアンは、レアンティーヌなの!! 貴方達の過去なんて、前世なんて知らない!! 彼女は私の親友!! 絶対に傷つけさせたりなんかしない!!」

 人の姿に変わっても、レアンは私の事を友達だと言ってくれた。
 私が何者であっても、ずっと友達だって……、笑って約束してくれたの!!
 だから、絶対にヴァルドナーツさんに渡したりしない。身体を引き裂かれても、殴られても、蹴られても、私は親友を守る!!

「キャンディの言う通りだ。愛を語る前に、愛した者の幸福を願う男になったらどうだ? 確かに彼女は結果的にお前を裏切ったかもしれない。けれど、原因はお前だ、ヴァルドナーツ」

 私とレアンを庇い、前に出てくれたアレクさんが、銀の輝きを宿す鋭い刀身を鞘から引き抜いた。
 何も感じていないかのように無表情でこちらを見つめてくるヴァルドナーツさんに、絶えず声をかけ続ける。

「お前は、王女の魂を縛る前にも、禁を犯し続けていただろう? 始まりは、妻の病……。当時では治療不可能だったその病から救う為に、お前はある存在に手を出した」

「君だって、自分の大切なお姫様が同じ事になったら、俺と同じ事をするよ……」

 ほんの少しだけ、怒りを含んだヴァルドナーツさんの低い音を受けて、アレクさんが蒼銀の光の外へと出ていく。否定もせず、肯定もせず……。その蒼の双眸に宿す気配は、私からは見えない。

「誰が、お前にディオノアードの欠片を与えた?」

「……さぁ、誰だったかな」

「『獅貴花』だな? あれは、神の魂が宿りし聖なる花……。何故そんな真似をしたのか、理解に苦しむと言いたいところだが、あの花からは、慈悲深き神の気配がした。扱い方さえ間違いなければ、欠片を有効利用出来ると、そう思ったのか……」

「……」

 答えないヴァルドナーツさんへと、また一歩アレクさんは歩みを進める。
 『獅貴花』……、神の花と呼ばれる、ゼクレシアウォードの王族が大切にしている宝だ。
 あの花が、神様? 私は恐怖に震えているレアンの背を撫でながら、話の続きに耳を傾ける。

「ヴァルドナーツ、お前は……、心優しい神に感謝し、最初はそれを善の為に使ったはずだ。けれど、何らかの理由により、最終的には欠片を『獅貴花』に返さず、取り込まれた。だからこそ、狂い始めたお前を止める為に、レフェナという女性はお前を救う為にその命を奪った。違うか?」

「変だと、思ったんだ……。アタシ自身も、病には勝てない、って、そう諦めていたし……、覚悟だって、してた。それなのに、ある日、突然身体が軽くなって……、ヴァルが奇跡を起こしてくれた、って、そう喜んだ。けど……、アタシが回復してから暫くして……、ヴァルは自分の研究室に籠るようになった」

「せっかく手に入れた力だからね。興味深かったんだよ……」

「そのせいでっ、……アタシとも滅多に話さなくなって、どこかに出かける事も多くなって、気付いたら、ヴァルは壊れてたんだ。永遠に生きる方法を、たとえ死んでも一緒にいられる方法を創るとか言い出して、恐ろしい実験に手を染めるようになった」

 今の彼女は、レアンではなく、レフェナさん……。
 自分の存在がきっかけとなり、愛する人を変えてしまった事を悲しんでいる、遠い過去の人。
 魂を呪われても、彼女はヴァルドナーツさんを恐れているというよりは、自分自身を罪の意識で苛み苦しんでいる。伝わってくるのは、自分の命で贖える罪ならば、それでもいい……。
 けれど、今のこの身体はレアンティーヌという少女のものだ。だから、与える事は出来ない。
 そんな苦悩と嘆きが私の中へと流れ込んでくる……。

「誰かを愛しても、いつか失う日が来るなんて悲しいよねぇ……。生まれ変わったら、他の誰かと愛し合うなんて、俺にとっては絶望と同義だよ。だから、俺はレフェナを自分だけのものにする為に、研究を進めた。それなのに……、何で俺を殺しちゃうのかなぁ」

「レフェナが下した決断は、お前の魂を救う為だった……。裏切りなど、そんなものではなく……。それなのに、何故理解しようとしない?」

「裏切りだよ……。俺は言ったんだからね。研究が完成したら、永遠に一緒にいられる、って……、約束を破って俺を否定したのはレフェナだ。だから、もう二度と離れていかないように、俺の魂に取り込むんだ。二度目の裏切りが生まれないように、ね」

「ヴァル……っ」

 どうしてなんだろう……。深く愛し合っていたはずの二人が、何故、幸福な道から一転して、不幸へと転がり落ちてしまったのか。
 アレクさんの話通りなら、そのディオノアードの欠片が、全ての始まり。
 レフェナさんを愛し、その命を救う為に……、彼の心を壊した存在。
 けれど、その欠片がなければ、レフェナさんは死んでいた。
 何が良くて、何が悪かったのか……。愛する人を救う為に、悪い事だと言われても、私だったら……、果たして手を出さずにいられたのだろうか。
 考えても意味はない。けれど、それが永遠に続くような悲劇を生みだしたのは間違いない。

 ――そう、全ては……、愛する者を失った神の嘆きが、もたらした、不幸。

 また頭の中に、今度は別の誰か……、とても懐かしく感じられる女性の微笑む姿が見えた。
 優しかった、温かった。愛してくれていた……、けれど、お父様よりは、愛されなかった。
 だから、あの人は……、私達兄妹を、捨てたのだ。
 愛する者への深い想いと嘆きが、どれだけの悲劇をもたらすのか……、『私』は知っている。

「それでも……、レフェナさんの心を考えたら、貴方は欠片に手を出してはいけなかったんです」

 これは、キャンディとしての私、ユキとしての私、そして……。
 記憶はまだ戻らない。だけど、何かがひとつに交ざり合っていくかのように、身体が動く。
 レアンの傍を離れ、私もまた、アレクさんと同じように蒼銀の光の外へと出た。

「愛した人を救いたいと願って、何が悪い? 当事者じゃないから、あの痛みと辛さを知らないから、そんな事が言える。吐き気のする偽善と正論は嫌いだよ」

「キャンディ、下がっていろ。アイツは正気じゃない」

「大丈夫です。少しだけ……、ヴァルドナーツさんに言いたい事があるんです」

 愛しているのなら、その相手を幸せにしたいと、一緒にそうなりたいと願っていたはずだ。
 確かに、命を救う為に手段を選ばないというどうしようもない気持ちは否定出来るものではない。
 善と悪、誰もが心に抱く、正しき道を歩む為の天秤。
 愛する人を救う為ならば、その天秤がどちらに傾こうと、そんなのは構わない。
 そう思ってしまう気持ちも、行動してしまう気持ちも、やっぱり私に否定する権利はない。
 けれど、私に出来る否定は、唯ひとつ……。
 
「貴方は、大切な人を悲しませた……。笑顔にしたいと、一緒に幸せになりたいと願った人を、永遠に苦しませる存在となり果てた。彼女の病を治し、もう一度その笑顔が見たいと願った貴方は、どこに消えたんですか……」

「キャンディ……」

「たとえ死んでも、魂に罪を抱えて苦しんでいる、貴方の大事な人が見えないんですか? レフェナさんは、まだ貴方を愛しています。死んでも救えなかった貴方が欠片の災厄から解き放たれるその時を、願い続けているんです!!」

 届かないかもしれない。それでも、私はレフェナさんの想いを伝えたい。
 愛する人を悲しませ苦しませたまま、魂をひとつにしても意味なんてない。
 憎悪と殺意の視線に正面から受け止め、私はヴァルドナーツさんに必死の思いを込めて見つめ続ける。もし何も変化がなくても、私はレアンを守る。連れて行かせたりなんかしない。
 そんな私の想いが身の内から溢れ出すかのように、視界の片隅で、黒いはずの長く柔らかな自分の髪がゆっくりと波打ち始め、瞬く間に美しい蒼へと変化した。
 胸の奥が……、熱い。何かが外に出たいと、叫んでいるかのように。

「ディアーネスさん……、使わせて貰います」

 それが誰の名前なのか、頭ではなく心が理解している。
 胸に両手を当てた私は、体内から二振りの短剣を導かれるままに引き抜き、それをひとつに重ね合わせた。短剣が……、女性の扱いやすい長さの、一振りの剣へと溶け合い完成された形へと変わる。

「私は、レアンを悲しませたくない。彼女の中にいるレフェナさんも、貴方が愛し、守ろうとし、そして、傷付け続けている存在を、救いたい」

 ヴァルドナーツさんが犯した罪は、決して許されるものではない。
 けれど、彼もまた……、被害者なのだ。
 災いの欠片を手にしてしまった為に、道が狂い終わらない不幸に突き進んでしまった人。
 もしも、過去の時代で……、愛する人が先に逝ってしまったとしても、ヴァルドナーツさんは彼女の想い出を抱えて、いつか、立ち直れたかもしれない。
 理想論でも、偽善でも……、今のこんな悲劇は、絶対に生まれなかった。

「お願いです。今ならまだ……、いつか巡る時代のどこかで、レフェナさんと手を取り合える日が来るかもしれません。その道を、どうか選んで……、二人とも、楽になってください」

「いつかなんて不確かなものに意味はないよ……。俺にとって求めるのはレフェナだけ。他はいらないんだ。来るか来ないかもわからない輪廻の先なんて、興味はない」

「消滅しても、ですか?」

 私の中で雪のように溶け合う様々な想い、記憶、自分という存在が、徐々に確かな輪郭を抱き始める。それを感じながら、私は剣の先をヴァルドナーツさんに向けて、もう一度言った。

「貴方の魂は、ディオノアードの欠片に侵食され、喰らい尽されようとしているんです。存在を歪められ、修復な不可能となるその瞬間くる前に、救われる道を」

「俺が救われるには、レフェナの魂とひとつになる……。それだけが幸福なんだよ」

 魂が消滅したら、もう何も救われない。
 消滅後、永い永い年月をかけて、砕け散り意味を成さなくなった魂の小さな小さな欠片が寄り添いあい、またひとつの魂として存在を成しても、それはもうヴァルドナーツさんの魂じゃない。
 確かな輪郭を抱いていた魂に内包されている記憶も、人格も、誰かへの想いも……、神々のそれとは異なり、永遠に消えてしまう。
 だから、そうなる前に救いの道を選んでほしいのに……、今ならまだ、間に合うのに!!

「ヴァルドナーツさんのわからずや!! たとえ欠片の災いに呑み込まれても、這い上がって自分の心を取り戻す根性もないんですか!! 愛する人の笑顔を見る為に、楽な道を選ぼうとしないで!!」

 侵食されてそれに身を任せてしまえば、あとは災いが全てを終わらせてくれる。
 その闇が心地良いのはわかる。けれど、それでは何の意味もない。
 お願いだから……、――『お母様』の想いに、嘆きに負けないで!!
 
「キャンディ、もういい。後は俺が何とかする。だから」

「アレクさん、手伝ってください。頷いてくれないなら、まだレアンを、レフェナさんを悲しませるなら、私がヴァルドナーツさんの魂を無理矢理にでも、ディオノアードの侵食から切り離します」

「それは……。やめろ、お前の身にも害が」

 アレクさんが回収したヴァルドナーツさんの魂は、予め二つに分けて完全な形に見えるように仕掛けが施されたものだったのだろう。
 魂の研究を進め、ディオノアードの欠片を手に入れ、アヴェル君が仲間とした事で得た知識。
 そんな事をすれば、どれだけの負担が魂を苛む事か……。捨て身にも程がある。
 私の中で目覚めた神の記憶が教えてくれている。
 ヴァルドナーツさんの肉体からまず魂を切り離し、アレクさんの回収した魂を私の中に取り込む。
 上手くいくかはわからない。だけど、あの知識を抱く私なら……、彼を元に戻せるかもしれない。

「時間がありません。私はやります……。あの人は、『母』の被害者なんです。親が犯した罪は、子である私が償います」

 まだ、背後の魔術師さん達に見張られているアヴェル君達は意識を取り戻していない。
 邪魔されない内に、ヴァルドナーツさんの魂を救い出す。
 けれど、私の覚悟を阻むかのように、アレクさんが駄目だと手を掴んで離してくれない。
 この人は……、どの私に対しても優しい人だ。
 キャンディにも、ユキにも……、あの時の、私にも……。優しすぎて、傷付けてしまった自分が許せなくて。――逃げた私を、恨んでいてもおかしくはないのに。

「大丈夫です。私がヴァルドナーツさんの魂を取り込んだ後、『獅貴花』の所に連れて行ってください。彼女は、癒しに特化した女神です。私の負担を軽減し、導いてくれるはずですから」

 そう言い含めても、アレクさんは納得してくれない。
 痛みを堪える辛そうな顔で私を見つめ、それなら自分がやると言って聞いてくれない。
 その間にも、ヴァルドナーツさんの放った黒銀の光が王宮内を破壊し、レアンを手に入れようと迫ってくる。

「今のアレクさんには無理です……。貴方は、大事なものを失っているから、神と呼ぶには不完全過ぎる。だから」

「それでもっ、俺はお前を犠牲にしたくはない!! 俺の結界の中であれば安全なんだ、だから!!」

「嫌いになりますよ」

「――っ。それでも、行かせない」

 ヴァルドナーツさんの攻撃を避けながら続く押し問答、傷付けるとわかっていても、彼のこの手を退かせる為なら、手段は選ばない。
 これから行う魂の浄化は、アレクさんには負担が大きすぎて耐えられない。
 神として不完全な彼は、失っている記憶と一緒に、自身の意思で切り離した『神花』を取り戻す事で、本来の完成された神として目覚める事が出来る。
 それが、あの時の私のせいで起きた事だということも……、私は知っていた。
 繊細で優しすぎるこの神を、この人を、狂わせて壊したのは私だから……。
 私はアレクさんを睨み付け、彼を蒼銀の光の中へと吹き飛ばす為に力を行使する。
 ひとつは私の魔力たる蒼の光、ひとつは、ウォルヴァンシアの王族が色濃く受け継ぐ黄金の光、そして……、神としての私が抱く、白銀の光。
 
「――くっ!!」

 圧倒的な力をアレクさんを吹き飛ばした私は、剣を構え一直線にヴァルドナーツさんへと向かって突き進む。大丈夫、今の私なら出来る……。
 ただ、この剣の切っ先をあの胸に抉りこませればいいだけ。
 技術はいらない。黒銀の脅威は私の力が全て退けてくれる。

「ユキ!!!!!!!」

「もう、終わりにしてください。――!!」

 防御の為の結界を発生させたヴァルドナーツさんのそれを砕き割り、私は確かに彼の心臓部を貫いた。けれど……。

「ぐっ……!! かっ、はっ」

「残念だったね。君の理想論には、付き合ってあげないよ」

「はぁ、はぁ……っ。……生憎と、私も譲れないものがあるんです!」

 どちらも、胸を得物に貫かれている……。
 ただ、ヴァルドナーツさんの変形したグロテスクな怪物の鋭い手の方が、威力が大きかったみたいだ。私の胸を貫通し抉ったその感触を感じながら、好都合だとほくそ笑む。
 これで彼は逃げられない。魂を肉体から強制的に切り離し、その遥か昔の肉体が崩れ落ちるのと同時に、私も床へと倒れ込んだ。

「ユ……、キ。ユキ!! ユキ!! 何て事を!!」

「はぁ、はぁ……、アレク、さん、ヴァルドナーツさんの、魂の半分を、私の、中に」

「手当が先だ!!」

「早く!! はぁ、……ぐっ、時間が、ないん、です。私の治療は、『獅貴花』のいる、場所で、お願いしま、す。……大丈夫、です、よ。これでも、特殊な生まれと、魂を抱いて……、います、から、簡単には……、はぁ、はぁ」

 大丈夫。まだこの身体の心臓は生きている。
 無駄になんて、させ、ない……。
 薄れゆく意識の中、アレクさんが渡してくれたヴァルドナーツさんの魂の半分をもうひとつと溶け合わせて自分の中に取り込んでいく。
 大丈夫、意識を失っても……、神の本能が私の中で仕事をしてくれる。
 
「ユキ!! ユキ!! くそっ、レアンティーヌ姫、一緒に来てくれ!! 『獅貴花』のいる宝物庫は、王族の声にしか答えない!!」

「ヴァル……、あ、あれ? え? 何で? ちょっ、キャンディ!! 何で!?」

「いいから、早く一緒に来い!! ユキが死ぬような事があれば、俺は絶対にお前達を許さない!! 絶対に!!」

 駄目……。レアンは何も悪くない。
 沈みゆく意識の中で、私をアレクさんの腕が抱きかかえる感触を感じながら、彼女を責めないでと、元々は私達の罪だからと、そう訴えたいのに、……出来ない。
 力なく垂れた手の動きを感じたのを最後に、私の意識は闇へと溶け消えていった。
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