ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~

古都助(幸織)

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第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~

王宮図書館と眠る竜!

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 ――Side 幸希

 一体あの人は、何なんだろう……。
 私の心に消えない傷痕を付けて苦しめたイリューヴェルの第三皇子様。
 思い出す度に、心の中を掻き回すような不安と恐怖を与えた人……。
 もう二度と会いたくないと思っていたその人は、数日前に私とアレクさんの前に再び現れた。
 私とアレクさんを翻弄するかのように紡がれた言葉と、……不意打ちの頬へのキス。
 あの時の私の中に芽生えたのは、最初の出会いの時のような不安と恐怖ではなく、それを上回る、第三皇子様への怒りだった。
 抑えきれなくなった感情は、渾身の平手となって第三皇子様の頬を打った。
 今思えば、よく叩き返されなかったものだと思うのだけれど……。
 それよりも気になったのは、第三皇子様が最後に私に向けた笑みだ。
 叩かれたというのに、怒るどころか……彼はどこか満足そうにして去って行ったのが気にかかる。
 ――あの笑みは、一体何だったのだろうか。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「アレクさん、すみません。手伝って貰って」

「いや、お前の助けになれたのならいい。他に必要な本はあるか?」

「ありがとうございます。一応、今の分だけで大丈夫です」

 イリューヴェルの第三皇子様との再会から数日後。
 私はアレクさんと一緒に、ウォルヴァンシア王宮内二階の王宮図書館へと足を運んでいた。
 長机の上には、二人で集めた資料用の本が何冊か詰まれている。
 これは全部、レイフィード叔父さんへの贈り物に関してのヒントになる大事な資料。
 私の背丈では取れない位置にある本をアレクさんに代わりに取って貰った物もある。

「レイフィード陛下への贈り物は、決まりそうか?」

「お花の方はどれにするか決まったんですけど、お菓子の方をどんな物にするかで、ちょっと悩んでたりします」

 アレクさんが私の隣へと腰かけ、詰まれた本と、私の手元に開いてある本に視線を寄越す。
 ここは、あの森の図書館と違って、室内の隅々まで明るい日差しが行き渡っている。
 本の種類も多いし、ちゃんと貸出しカウンターには王宮勤めの人も待機してくれているから、何か危ない事が起こる心配もない。……誰かさんに押し倒された時のように。

「なるほどな。だから、菓子関連の本が多いのか」

「この図書館って、お菓子関係の本も凄く多くて、どれも見たくなってしまうんですよね」

「そうか。だが、この量の中から陛下への贈る菓子を決めるとなると……、下手をしたら夕方までかかりそうだな」

 上から本のページを見下ろしているアレクさんが、苦笑交じりにそう言った。
 確かに、一冊一冊が分厚い物もあるから、全部読むとなると夕方までかかってしまう気がする。
 私は自分の好きな本を読むのだから、時間はあっという間だろうけど、さすがに横にいるアレクさんには退屈な時間を過ごさせてしまう事になるだろう。
 だから私は、貸出カードを見せてこう言った。

「ふふ、そうですね。でも、大丈夫ですよ。ある程度目を通したら、何冊か借りて部屋に戻りますから」

「そうか。じゃあ、帰りは俺が本を持とう」

「はい。ありがとうございます。頼りにしてますね」

 お礼を言って本のページに視線を戻す。
 可愛らしいお菓子の挿絵とレシピが載っているその本は、見ているだけでも目に楽しいのだけれど、一つ一つのお菓子にまつわるエピソードまで記載されていて、
 飽きる事なく読み進めている内容だった。
 レイフィード叔父さんは、どんなお菓子が好きだろう。
 そういえば、レイフィード叔父さんの好みをきちんとリサーチした事がない気がする。

(丁度いいから、レイフィード叔父さんの好き嫌いを調べてみようかな)

 ぺらりと次のページを捲っていると、私達の許に一人の男性の騎士さんがやってきた。
 左目を覆うように幅広の黒眼帯を付けた金髪の人……。
 優しい顔立ちをしたその人は、アレクさんの方を見て駆け寄ってきた。

「副団長~、やっと見つけましたよ~」

「クレイスか。どうした?」

「実は、ルディー団長がお呼びなんですよ~。護衛を俺と交代して、すぐに団長執務室まで来るようにだそうです」

「……」

「アレクさん、私なら大丈夫ですよ。行って来てください」

 私の護衛を引き受けてくれているアレクさんは、時々こうやって騎士団の人達に呼ばれて席を外す事がある。本当なら、騎士団の稽古場で団員の皆さんに稽古をつけたり、その他諸々の騎士としての仕事をこなさなくてはならない。
 それなのに、私の護衛としての任務を最優先にさせてしまっているから、色々と申し訳なくなってしまう。副団長のアレクさんが欠けた事で、きっとルディーさんやロゼリアさん、団員さん達にご迷惑をおかけしているんだろうな。
 だから私は、こちらを心配そうに窺うアレクさんに、心配ないと笑みを返して、騎士団に戻るように促した。

「わかった。すぐに戻るから……、クレイス、くれぐれもユキの事を頼むぞ」

「了解です!」

 王宮図書館の入り口へと消えて行ったアレクさんを見送った後、クレイスさんが私から少し離れた位置にある壁側に控えた。

「あ、あのっ」

「はい! 何でしょうか、ユキ姫様」

「まだ、お名前を聞いていませんでしたよね?」

「あ、そういえば、そうでしたね。俺は、ウォルヴァンシア騎士団第三部隊隊長のクレイス・ルチルヴァートです。初めまして、ユキ姫様。お会いできて光栄です」

 そう言って差し出してくれたクレイスさんの手を握ると、互いに、にこっと笑みを交わした。
 クレイスさんの笑顔は、人を安心させる力に満ち溢れているというか、自然とこちらも和んでしまう。

「こちらこそ初めまして。ユキといいます。これからどうぞよろしくお願いしますね」

「はい! 副団長不在の護衛の任は、しっかり果たしますのでご安心くださいね」

 例えるなら、陽光の下、元気に走り回る子犬のような笑みで微笑まれるような光景。
 彼が狼の姿になるとしたら、きっと綺麗な眩い金色の毛並みの狼さんなのだろう。
 ふかふかの……、金色狼さん……。
 アレクさんの狼姿と同様、きっとすごく柔らかで撫で心地の良い感触に違いない。
 想像してみた私は、無意識に右手を前に伸ばしていた。

「あの、ユキ姫様? どうかなさったんですか?」

「え!?」

 クレイスさんの不思議そうな声に、自分が頭の中で不謹慎な想像をして浸っていた事に気付き我に返った。今私は、間違いなくクレイスさんの狼姿を思い浮かべて、もふもふする妄想を……!
 前に伸ばしていた自分の右手を慌てて引っ込める。

「あれ、お顔が赤いようですが……」

「だ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけですから」

 流石に、『貴方をもふもふする妄想をしてました』とは言えない。

(本音を言えば、クレイスさんの狼姿を見てみたいけど……っ)

 初めて会った人にお願いするには、どう考えても失礼な気しかしない。
 心配そうに窺ってきたクレイスさんに苦笑と適当な言い訳を返した私は、その場を誤魔化すように奥の本棚に向かう事にした。
 すぐ近くだから、クレイスさんには座って待ってて貰うように伝えてある。
 ――真っ直ぐに王宮図書館の奥へとやって来た私は、お菓子関係とは全く関係のない棚に手を着いた。えーと……、この周辺の棚は、私にはちょっと難しい内容の本が並んでいるみたい。

「うーん……、国政に関する歴史が書いてあるみたいだけど」

 少し目を通して、今の自分が理解するには少々難しい部類の本であると感じ、元の場所に戻す。
 そして、溜息と共に窓の方に視線を向けた時、……ふりふりと、白い尻尾のような物が見えた。
 好奇心と共に本棚を抜けて、一番奥の通路へと足を運ぶと、信じられない光景が目の前に。

「三つ子ちゃん……?」

 私が見たもふもふの尻尾は、三つ子ちゃん達の中の一人が純白の子狼に変じた姿だった。
 他の二人は、いつもの小さな子供の姿で、『ある人物』の傍に寄り添って穏やかに寝息を立てている。

「う~ん……、むにゃ……、ユキちゃん?」

 子狼の姿になっていた三つ子ちゃんの一人が、寝起きのぼーっとした眼差しで私を視界に映した。
 ゆっくりと起き上がり、ちょこちょこと可愛らしい仕草で私の許に寄り寄ってくる。
 その小さな体躯を腕に抱き上げると、私はその場に座り込んだ。

「……えっと」

 三つ子ちゃん達が王宮図書館でお昼寝をしていた事は、特に不思議な事じゃない。
 問題は、この子達が一緒に添い寝していた相手……。
 どうしてここに……、――イリューヴェルの第三皇子様がいるんだろう。
 誰も奥まではやって来ないと思ったのか、無防備にも絨毯の上に身を委ねて眠っている。

「なんで……この人がここに」

「かいんとね~、さっきまでおそとであそんでたの~。とちゅうでかいんが、おひるねしにいくっていうから、ぼくたちもついてきたの~」

 なんでこんな危険極まりない人と三つ子ちゃん達が一緒に……!!
 腕の中でぎゅっと子狼ちゃんを抱き締めていると、他の二人もそれに気付いたように目を覚ました。小さなお手々で、眠そうな瞼をぐしぐしと擦り、欠伸をひとつ漏らしている。

「あ、ゆきちゃんだ~」

「ゆきちゃ~ん」

 抱っこされている子狼ちゃんを羨ましがるように、二人がよちよちと歩いて近付いてきた。
 その頭を撫でながら聞いてみる。

「皆……、この人の事、怖くないの?」

「「「こわくないよ~。かいん、いっぱいあそんでくれるもん」」」

 私の中には、イリューヴェルの第三皇子様に対するトラウマしかない。
 だから、三つ子ちゃん達に対しても、きっと何か良くない事をしているのではないかと心配したのだけれど……。三人とも曇りのない嬉しそうな満面の笑顔でそう言い切った。
 ――と、その時。

「きゃっ……」

 ふいに聞こえた物音にビクリと震え視線を向ければ、第三皇子様の足が左側の棚の角に当たった音だった。もしかして……起きた? 不安が胸に湧き上がり、逃げるかどうか迷っていると、
 三つ子ちゃん達が第三皇子様の前へと駆け寄り始める。

「「「かいん、おきた~?」」」

 第三皇子様の頬をぷにぷにと突つく三つ子ちゃん達……。
 うっすらと開かれた瞼の奥、真紅の瞳がぼ~っと三つ子ちゃん達を見つめると、

「まだ眠ぃ……、大人しく寝てろ」

 三つ子ちゃんの一人を腕の中に抱き締めると、第三皇子様は再び夢の中へと堕ちていった。
 すーすー……と、規則的な寝息が微かに聞こえ始める。
 その事にほっと胸を撫で下ろし、ちょっとだけ……好奇心から、その寝顔を観察してみた。
 眠っているなら、怖い事をされる心配もないだろうから……。

(起きてる時と……全然違う)

 私やアレクさんに見せた、人を嘲笑うかのような挑発的な笑みがない。
 よほど夢の中が心地よいのか、その表情はとても穏やかで優しいもの……。

「ん~、ぼくたちも、もうちょっとねるね~」

「ふあぁぁ」

「おひさま、きもちいい~」

 うっかり、第三皇子様の寝顔に見惚れていると、三つ子ちゃん達がそう言って瞼を閉じているところだった。自分が彼の寝顔に意識を奪われていた事に、はっと我に返る。

「う、うん。おやすみ」

「「「おやすみなさ~い」」」

 三人の頭をよしよしと撫でて、気持ちよく眠りに入った所を見届けた私は、何故大嫌いで仕方がない人の寝顔に見入ってしまったのか、内心で自問自答を繰り返す。
 きっと、物珍しい意外な面を見たから、驚いただけ。そうに違いない。
 眠っている時は、どんな人だって無害。だから、きっとそのせい。

(とりあえず、三つ子ちゃん達はこのままにしておいても大丈夫そうだし、……クレイスさんの所に戻ろう)

 なんとなく、心の中を不思議な感覚に揺さぶられたような気がして……。
 私は逃げるようにその場を後にしようとした。
 けれど……。

「くっ……」

 腰を上げようとした瞬間、第三皇子様の唇から漏れた小さな呻き声。
 安らかだった表情が、あっという間に苦痛に染まっていく。
 一体どうしたの……? つい、心配になって近寄ってみると、第三皇子様の右手が、宙に向かって弱々しく伸ばされた。

「うぅっ……、はぁ、……はぁ」

 まるで、助けを求めるかのように……。
 その手に、自然に応えるように温もりを重ねたのは……私。
 私にトラウマを植え付けた最悪の存在に、何をしているの?
 こんな人、放っておいてさっさとクレイスさんの許に戻ればいい。
 なのに……、苦しそうに声を漏らすこの人を、救いを求めるかのようなこの手を……。

「ん……、はぁ」

 握り締めた第三皇子様の右手は、私の温もりを感じ取ったのか、強く縋るように握り締めてきた。
 私より大きな……力強い手。
 あの時、確かに私はこの手に身体の自由を奪われた。
 怖くて怖くてたまらなかった……恐怖の感触。
 なのに今は……。

「くぅっ……!!」

 第三皇子様は、一体何の夢を見ているんだろう。
 酷くなる苦痛の声に、私は咄嗟に右手を強く握り返して、その顔に近付いてしまった。

「……大丈夫、……ですよ。怖い夢に……負けないで……ください」

 本当に、……何を言っているの、私は。
 心の中には、彼に刻み付けられた確かな恐怖と記憶がある。
 それをわかっているのに……、苦しんでいる彼を放っておく事を、私の心が許してくれなかった。
 このまま放っておいてはいけないと、もう一人の私が自分を引き止めるかのように……。
 小さく囁くように、夢の中の第三皇子様に話しかけると、――ふいに、彼の真紅の瞳が私を視界に映した。

(お、起きた!?)

 起きた時の対処まで考えていなかった私は、急に意識を現実に一気に引き戻されるかのように身を引こうとした。けれど、……第三皇子様は、『起きてはいなかった』。
 意識自体は、まだ夢の中にあるのだろう。
 私を視界に映していながらも、その存在を正確には認識していない。

(――っ!!)

 今まで見た事もないくらいの……、――優しい笑みが、浮かんだ。
 それは、いつもの皮肉と不遜さに満ちた表情ではなくて……。
 魔性とも呼ぶべき美貌が生み出す表情でもなくて……。
 とても……温かな、無垢で穏やかな……笑みだった。
 何度か瞬きを繰り返した後、彼の唇が小さく動くのが見えた。
 それと同時に、第三皇子様の瞼はゆっくりと閉じられ、再び夢の中へと堕ちていく。

(な、何だったの……さっきの笑み)

 夢へと彼が還る寸前、動いた唇が何を発したのかはわからない。
 けれど、第三皇子様の中から悪夢が去り、穏やかな眠りを得た事は確かなようだ。
 緩んだ手の力を感じ、私は自分の手を離すと……ゆっくりと立ち上がった。
 また、ひとつ、意外な物を見てしまったという事実に、胸の奥がトクリと鼓動を打つ。
 本棚の方へ曲がる際、一度だけ、第三皇子様を振り返った。
 もう……、苦痛の声は聞こえない。

(今日は……眠っていたから、違うように感じた、だけ……だよね)

 ただ、第三皇子様が眠っていたから……、魘されていたから……。
 だから、本来抱いていた恐怖心と怒りが、薄らいだだけで……。
 本当のあの人は、人の気分を害する最低最悪な人だもの。
 きっと、また起きた状態の時に会えば、同じように不快な気分を味合わされる。
 だから、さっきのは……違う。苦しそうにしていたから、放っておけなかっただけ。
 そこに好感なんて感情は存在しない。……絶対に。

 本棚の通りを抜け、クレイスさんの許に戻ると、「遅かったですね」と声をかけられた。
 第三皇子様と三つ子ちゃん達のお昼寝を発見したとは言えなくて、本を選ぶのに迷って、結局手ぶらで帰って来た事を告げる。
 一度ちらりと、奥の本棚へと視線を向けたクレイスさんが、瞼を一度閉じた後、
「あぁ、あっちは……難しい本がいっぱいですからね」と苦笑して、私を席へと促した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「クレイス、こっちの用事は終わった。交代してくれ」

 それから二十分ほどしてアレクさんが戻って来た。
 護衛を交代して騎士団へと戻るクレイスさんにお礼を言って、私達もそろそろ部屋に戻る為の準備を始める。
 貸し出しカードに名前と日付を記入して、受付へと持っていく。

「俺が持とう」

「ありがとうございます、アレクさん。じゃあ、こっちの方をお願いします」

 全部持つと言ってくれたアレクさんに顔を緩く振って、二人で半分ずつ両手に持って王宮図書館の扉を抜けた。
 アレクさんには、第三皇子様が奥で眠っている事は、……最後まで言わなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 部屋に戻った私は、アレクさんと一緒にお茶をしながら贈り物について話し合っていた。
 とりあえず、お花の方は何にするかは決まっている。
 黄色い綺麗なフィリエという花をメインに、真っ白な小さい蕾が可愛いピュアノを合わせて、ひとつの大きな花束にすれば、私の中でのレイフィード叔父さんのイメージにぴったりになるだろう。
 すでに売っているお店のリサーチも済んでいるし、あとはどんなお菓子にするかだ。
 これについては、アレクさんの意見を取り入れながら案を練っていった。
 贈り物の中身を定め終わった後、私はお礼にと、アレクさんの好みもリサーチしてみる事にした。
 真剣にレイフィード叔父さんへのサプライズの相談に乗ってくれたアレクさんの為に、私が作れる物があれば、それを今度作って贈ろうと思ったからだ。

「俺は、ユキが作ってくれた物なら、何でも美味いと思うが……。そうだな、前に、仲直りの時にくれた焼き菓子、あれが一番好きだな」

 焼き菓子という言葉に、私はアレクさんと初めて出会った時の事を思い出していた。
 そういえば、狼姿のアレクさんと仲良くなったきっかけは、『焼き菓子』だったなぁ。
 甘味ふぉーえばー屋さんの、限定レア焼き菓子。
 美味しそうに食べていたアレクさんの姿を思い出すと同時に、少しだけ嬉しくなってしまった。
 今アレクさんは、『私の作った焼き菓子』を一番好きだと言ってくれたのだ。
 あのレア焼き菓子じゃなくて、素人の私が作った物を一番と口にしてくれたアレクさん。
 本当にこの人は、どこまでも優しい人だなぁと内心感動した私は拳を握り締めた。

「じゃあ、今度いっぱい作りますね!!」

 胸の前で両手を握り締め、勢い込んでそう言うと、アレクさんが微笑ましそうに笑みを零した。
 甘味ふぉーえばー屋さんには敵わないけれど、私の作る焼き菓子を好きだと言ってくれたアレクさんの為にも、感謝と愛情を込めて美味しい焼き菓子を作ろう!


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『……ォォ……ン』

 アレクさんと交代で添い寝に来てくれたロゼリアさんとベッドで眠っていると、
 ふいに、……風の音に紛れて、悲痛な声が聞こえたような気がした。
 それは、夢の中にいた私を現実に引き戻し、外窓の向こうへと視線を導く。
 少し風が強いのか、外窓がカタカタと震えている。

「……気のせい?」

 暗闇の中、首を傾げ下を向くと、……また、聞こえた。
 心の奥底にまで響いて来るかのような……悲しそうな……声。

「誰……なの?」

 その声は、私の感情を大きく揺さぶっては、不安を滲ませていく。
 誰かが、……助けて、と叫んでいるかのような……そんな感じがする。

「どうされました、ユキ姫様?」

「ロゼリアさん、何か……、聞こえませんか?」

 言葉ではなく、獣の鳴き声にも似た……悲しそうな声。
 夕陽色の毛並みを纏うロゼリアさんが、耳をピクピクと済ませる。
 けれど、私を見上げた彼女の瞳には、困惑が浮かんでいる。

「特に……、何も聞こえませんが」

「本当に? 私には……、あ、また……」

 再び小さく聞こえた声。だけど、それもロゼリアさんには聞こえていないらしい。

「遠くで野狼か何かが喧嘩でもしているのかもしれませんね。ですが、この王宮に害はありませんから、ご安心ください」

「野狼……」

 ベッドを下りた私は、外窓を開いてテラスへと歩み出た。
 もうあの声は……聞こえない。
 本当に野狼などの類だったんだろうか……。
 私の許へと近づいてきたロゼリアさんが、心配そうに私を見上げている。

「気になるのですか……?」

「ちょっとだけ……」

 じわりと広がる不安を胸の中に押し隠し、私は夜空を見上げた。
 エリュセードの空には、異世界の象徴でもある三つの大きさの違う月が変わらず輝いている。
 夜着に触れる風が、私の不安を煽るかのように肌寒さを与えて嬲っていく。
 本当に……、あの声は、野狼の類だったのだろうか……。
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