ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~

古都助(幸織)

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第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~

叡智の神殿・はじまる儀式

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 ――Side 幸希


 ――夕陽がゆっくりと、辺りの色を塗り替えていく……。


 自室のテラスへと出ていた私は、一面がオレンジに染め上げられていく世界を見つめながら、今夜行われる解呪の儀式の事について思考を巡らせていた。
 セレスフィーナさんとルイヴェルさんが主体となり、私の血を使ってカインさんの身にかけられた禁呪の存在を消し去る為の、大切な儀式……。
 
(どうか……無事に解呪が成されますように)

 胸の前で両手を祈るように組み合わせ、瞼を閉じて祈る。
 その身を蝕み、死の世界へとカインさんを誘う禁呪を、どうか……。

「チィ……!」

 瞬間、自分の左肩から響いた可愛らしい鳴き声に、私は思考を一気に引き戻された。
 今のは……、小鳥の声?
 瞼を開き、声のした方に視線を向けると、私の顔を見上げながら小さく「チィィ……」と、語り掛けるかのような鳴き声を上げる小鳥さんがいた。
 水色の綺麗な小鳥さん……、いつの間に私の肩に舞い降りたのだろうか。

「チチッ……」

「可愛い……。こんにちは、小鳥さん」

「チイッ」

 小鳥さんは私から話しかけられても、大して驚くでもなく、人に慣れた様子で、そのまま私の左肩にとまり続ける。
 ちょいちょいと足を動かし、私の顔まで近付いてくると、構ってほしいとばかりに顔へと頭を擦り付けてきた。
 見たところ、まだ幼い小鳥のようだけど、たった一羽でやって来たのだろうか。
 辺りを見回してみるけれど、他に鳥の姿は見当たらない。

「もうすぐ陽が暮れるけど、お母さんや兄妹達はいないの?」

「チチッ……」

 小鳥さんの羽をそっと撫でるように指先で触れてみる。
 柔らかくて……、温かい、小さな命の感触が伝わって来る。

「もうすぐね、大切な儀式が始まるの……。それが上手くいくように祈っていたのだけど……」

 セレスフィーナさんとルイヴェルさんの事は、心から信頼している。
 だけど、禁呪については色々と予想外の事ばかりが起こっているようで、どうしても心の中に不安の欠片が突き刺さるかのように存在している。
 儀式中に何かあったら、もしも、カインさんの中で蠢いている禁呪が、儀式を妨害し、良くない結果をもたらしてしまったら……。
 そんな、縁起でもない事ばかり考えてしまって……。

「大丈夫、……だよね。カインさんは、きっと……助かる」

 人が行動に移る時、大切な事は自分自身を信じる事。
 良い結果が出ると信じて頑張れば、きっとその通りの結果を掴む事が出来る……。
 撫で心地の良い小鳥さんの羽を撫でながら、私は独り言を漏らす。

「大丈夫……、きっと、絶対」

「チイッ……」

 ふいに、小鳥さんの小さな鳴き声が耳に届いたのと同時に、オレンジ色に染まった世界へ小鳥さんが小さな羽を広げて飛び立っていった。
 私の頭上を飛び回り、何度も甲高く鳴き声を上げる小鳥さん……。
 小さな水色の羽が……、ひらひらと雪のように舞い降りてくる。

「お家に帰るのかな……。迷わないように、早く帰るんだよ」

「チイッ!」

 小鳥さんは私の見送りに応えるかのようにひと声鳴くと、そのまま沈みゆく夕陽の方へと向かって消えて行ってしまった……。
 多分、家族達の許に戻って行ったのだろう。
 無事に家族達の許に戻れるようにと祈りながら、私は口許を和ませると共に、自室へと戻った。

「ふぅ……」

 小鳥さんと出会えたお蔭で、少しだけ緊張が解れた気もするけれど、不安は変わらず心の片隅に在る。時間になるまでは、部屋の中で好きに過ごしていて良いと言われてはいるけれど、何だか……心の中に転がっている不安が徐々に大きくなっている気がしてならない。
 頭の片隅で、警告音のような……良くない何かが、私に訴えかけてくるかのように。

「儀式前で、緊張しすぎになっている可能性は高い、かな」

 セレスフィーナさんとルイヴェルさんなら、きっと上手く儀式を成し遂げてくれる。
 なのに、この消えない不安感は何だろう……。
 椅子に座った私は、テーブルに顔を突っ伏す。
 大丈夫、大丈夫……。自分を安心させるかのように、何度もその言葉を呟いていると……。

『ユキ、俺だ。入ってもいいだろうか?』

『ユキ姫様、ただいま戻りました』

 一人、奇妙な心地と共に不安を覚えていた私の部屋に、騎士団から戻って来てくれたアレクさんとロゼリアさんの声が響く。
 扉に向かい、二人を部屋に招き入れると、アレクさんの表情が少し険しげになり、私の頬へと優しい温もりが触れてきた。

「大丈夫か? 顔色が悪いようだが……」

「ユキ姫様、具合でもお悪いのですか?」

 不安は私の心だけでなく、どうやら顔色にも影響を及ぼしていたらしい。
 アレクさんの手のひらの温もりを頬に感じながら、私は曖昧に笑ってみせると、儀式前で緊張しているのかもしれません、と、口にしていた。
 
「儀式までは、まだ時間がある。それまで仮眠をとっておいたらどうだ? お前の守りは、俺達が固めておく」

 確かなものは掴めないのに、心の中を浸食する黒い染みのような不安感。
 きっと、儀式前の緊張からくるものだろうと思い直した私は、首をゆるやかに振ってみせると、二人に振る舞うお茶を淹れに向かった。

「ユキ姫様、儀式では、私や副団長、それから団長もおりますので、どうかご安心を。何が起ころうと、ユキ姫様の御身は私共がお守りいたします」

「ありがとうございます。頼りにしてますね」

「あの男に何があろうと、お前だけは何があっても必ず守る。だから、儀式の最中でも、俺達がお前を想っている事を、どうか忘れないでくれ」

「副団長、さりげにカイン皇子の事はどうでもいいかのように仰られていますが、一応。他国の皇子殿下の御身をお守り申し上げるのも私達の役目ですので、どうか、その事はくれぐれもお忘れなきよう、お願いいたします」

 ロゼリアさんの言う通り。
 カインさんに対する扱いが徹底して冷たい、というか、私に対してやった事を心の中では許していないアレクさんは、その反論を無視して壁に背を預けてしまった。
 
「副団長は、ユキ姫様の事が一番のようですからね……。カイン皇子への気持ちを上手く切り替えられないのはわかりますが、今夜の儀式、ユキ姫様もカイン皇子も、皆無事に事を終えられるように祈るばかりです」

「確か、特別な場所で儀式を行うんですよね?」

「はい。ウォルヴァンシア王宮の地下、叡智の神殿と呼ばれる場所にて、ユキ姫様の血を用い、王宮医師のお二人が儀式を行われると聞きました」

「叡智の……、神殿」

 まだ聞いた事のないその名前に、私は首を傾げた。
 叡智の神殿、何だか……、男の子が好むRPGゲームに出てくるような名前だ。
 
「遥か昔、ウォルヴァンシアの王族と、ルイ達の祖先、フェリデロード家の者達が作ったものだ。強い魔力の集まる『場』のひとつでもあり、儀式には適しているからな……」

「そうなんですか……」

 そこで、カインさんの中で蠢く禁呪を消し去る為の儀式を行う……。
 その儀式がどんなものなのか、それについてはアレクさんとロゼリアさんも詳しくは知らないようで、王宮医師のお二人に任せておけば何も心配はいらないと説明された。
 
「儀式はセレスとルイが滞りなく行ってくれる。だから、ユキは安心して儀式に臨んでくれ」

「……」

 そう、王宮医師のお二人に全てを任せておけば、何も心配はいらない。
 私が出来る事は、祈る事と、自分の血を提供する事だけ……。
 だから、こんな風に不安を抱えている事は、王宮医師のお二人に対して失礼な事なのかもしれない。大丈夫……。何も起きたりなんてしない。儀式は上手く行く。

「ユキ……?」

「ユキ姫様、やはり体調の方が悪いのでは? 横になられた方が良いのではありませんか」

「あ、だ、大丈夫です。すみません、ちょっと……ぼーっとしてました」

 不安になりすぎるのは良くない。
 絶対上手くいくのだと、そう信じないと……。
 私の事を心配してくれるアレクさんとロゼリアさんにどうにか笑ってみせた私は、椅子に座り、淹れたての紅茶に口をつけた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ここが……、叡智の神殿」

 レイフィード叔父さんに案内され、王宮の地下深くまで石階段を辿り下りて行くと、ひんやりとした空気が身を包んだ。
 淡い蛍のような光が視界に映り込み、複雑な紋様が描かれた大きく太い柱が数多く立ち並ぶ場所。
 広々とした空間の真ん中には、大きな円を描くように白い線が走っている。
 外側から、内側に向かって描かれている紋様……。儀式の為のものだろうか。
 
「ここは、術者の魔力を強めてくれる効果もあるから、儀式に適した条件が整っているんだよ。――セレスフィーナ、ルイヴェル。ユキちゃんを連れて来たよ」

 神殿の奥に向かってレイフィード叔父さんが声をかけると、普段の白衣姿とは違う衣装を纏った王宮医師のお二人が姿を現した。
 白い布をその身に纏う、どこか神秘的で、……民族的な気配を漂わせる装い。
 長く太いしっかりとした杖を両手に持っているセレスフィーナさんと、両腕に紋様入りの腕輪を沢山身に着けているルイヴェルさん……。
 二人の姿を眺めていた私は、ふと……、セレスフィーナさんの胸元に目がいってしまった。
 衣装のせいだろうか……。セレスフィーナさんの胸は、その大きく柔らかそうな膨らみを強調するかの如く、胸元が大胆に開いている。
 しかも、魔術目的らしき紋様が肌に浮かんでいるのだけど。
 何というか……、同じ女性ではあるのだけど、何かが違うというか。
 スタイル抜群、容姿端麗、隙などひとつもありませんと女子力の偉大さを体現しているかのようなその姿に、私は思わず一歩足を後ろに引いてしまった。
 相手は同性。それはわかっているのだけど、うぅ……、何か凄すぎて、ドキドキしてきた。

「ユキ姫様、どうかなさいましたか?」

 不思議そうに小首を傾げる女神様のようなセレスフィーナさん。
 言えない、……貴女の女子力に恐れ戦き、不覚にもドキドキしているなんて、言えない!!
 
「な、何でも……あ、ありま……せんっ」

 私は挙動不審に陥りながら、それでも、セレスフィーナさんの胸元から目が離せなかった。
 どうやったらそんなに育つんですかっ。私なんて……っ。
 頭の中で不謹慎にもぐるぐるとお馬鹿な事を考えてしまった私に向けられる不思議そうな皆さんの視線……。けれど、その中で一人だけ、別の意図を孕んだ視線を送って来る人が約一名。
 口許に笑みを浮かべ、喉奥で小さく笑った深緑の瞳の男性。
 
(ルイヴェルさん!! 何ですか、その面白がるような視線と笑みは!!)

 あれは絶対に気付いている!! 私がセレスフィーナさんの女子力に恐れ慄き、ときめいている事を!! 左右の頬から紋様が流れるように首筋へと伝い、鎖骨までそれが及んでいるルイヴェルさんは、私の前へと歩み寄ると、眼鏡の奥の深緑に悪戯めいた気配を浮かべた。

「ユキ姫様、人の成長には個人差があります。今は望みがなくとも、健康的な生活と、必要な栄養素をとれば、希望は見えてくるかもしれません」

「ルイヴェルさん、……私の事、嫌いですか?」

「いいえ。むしろ、好ましいと……、そう思っておりますよ?」

 嘘だ……、その意地悪な視線と笑いを我慢しているような声音には、私に対する他意が感じられる。この人は、丁寧な物言いの中に、どこか私を馬鹿にしているというか、面白い玩具を前にしているかのような気配をしているもの。
 私は恥ずかしいのと悔しい気持ちを抑え、出来る限りの威力を込めてルイヴェルさんを見上げ睨んだ。だけど、それすらも面白いというように、ルイヴェルさんは私の頭に手を置き、撫で撫でと子供をあやすように接してくる。
 うぅっ、く、悔しいっ。私、完全にルイヴェルさんに玩具扱いされてるっ。

「さて、そろそろ儀式を始めましょう。セレス姉さんと俺で全てを進めますので、ユキ姫様以外は陣の外にお下がりください」

「セレスフィーナ、ルイヴェル、……頼んだよ」

「「御意」」

 気持ちを切り替えるように、ルイヴェルさんは笑みを収め、真剣な表情と気配を身に纏った。
 私に手を差出し、自分の手を取るように促してくる。
 自分と同じように、気持ちを切り替えろと言っているのだろう。
 私はまだ心の中で燻っている羞恥心と悔しさを何とか抑え込むと、その大きな手に温もりを重ねた。その瞬間、重ねた手を感触に……、既視感を覚えた。
 ひんやりと冷たいこの空間で、私の手を握るその温もりは……、どこか心地よく感じられる熱を持っていて……。
 頭の中に、何かが一瞬浮かんだような気がしたけれど、それはすぐに消え去ってしまった。

「我らフェリデロード姉弟に万事お任せを……」

「は、はい」

 ルイヴェルさんに誘われ、大きな円陣の中央、左側に設置された大きな揺り籠のようなベッド代わりのそれに身体を横たえた私。
 自分がさっき何を頭に思い浮かべたのかを掴めないまま、指示に従う。
 円陣の右側には、私が寝そべっている揺り籠と同じ物に身体を預けているカインさんの姿が。
 私の方にその真紅の瞳を向け、「悪いな……」と、声にならない様子で口を動かしたのが見えた。
 
(大丈夫、カインさんは……絶対に、助かる)

 カインさんに向かって、強く頷いてみせると、微かに、彼の顔に笑みが浮かんだ。
 まだ不安に思う欠片は私の中にあるけれど、私には、信じる事しか出来ない。
 儀式が始まり、セレスフィーナさんとルイヴェルさんが紡ぐ詠唱の言葉に身と心を預けるように瞼を閉じると、やがて私の身体に変化が起き始めた。
 心臓が、ドクン……! と、何かに反応を示すかのように強く脈打ち、自分の中から何かが抜けていく感覚が生じ始めた。
 瞼をゆっくりと開けると、目の前、円陣の真ん中に紅の色を纏うそれが、大きな杖を振るうセレスフィーナさんに導かれるかのように、詠唱と共にルイヴェルさんの手元へと向かっていく。
 あれは……、私の血? ルイヴェルさんの両手の中に流れ込んだそれは、やがてきらきらとした粒子のように光へと姿を変えていく。
 儀式は、何の滞りもなく……、無事に進んでいるのだと、そう安心した、次の瞬間。
 ルイヴェルさんの表情に嫌な変化が見られた。
 両手で包むように留めている紅の光を、訝しげな様子で睨んでいる。

「……」

「ルイヴェル? どうしたの?」

 セレスフィーナさんがルイヴェルさんの傍へと駆け寄り、その手元を覗き込む。

「儀式の手順は間違っていないはず……。なのに、何故」

 彼女の震える声が、私の心に大きな不安の染みを広げていく。
 恐らく、儀式が上手く進んでいないに違いない。
 二人の動揺を、円陣の外にいるレイフィード叔父さん達も感じ取ったらしく、一気にこの場の気配が凍り付いていくかのような心地を感じる。
 そして、この場にいる全員の不安を掻き立てるかのように、――場違いな声が響いた。

「チィィィィィィッ!!」

 甲高い、聞き覚えのある鳴き声……。
 叡智の神殿に響き渡ったその声に、場に揃っている人達にも緊張が走る。
 私は一体この鳴き声がどこから聞こえるのかと視線を巡らせた。
 すると、姿は見えないのに、雪が舞い散るかのように……、羽根と思われる存在が、私の胸の上にゆっくりと舞い降りた。
 水色の……、綺麗な、小鳥の……、羽根。
 まるで、夕方に出会った、あの可愛い小鳥の一部のようなそれに、私は目を見開く。
 上半身を起こし、羽根を手に取った瞬間、――それは不吉を予言するかのように、灰色の色へと変色した。
 そして、その灰色に染め上げられた羽根は何かに引き寄せられるかのように、空中に飛び上がって行くと、カインさんの胸の辺りへと飛び込んで行く。
 禍々しいとも表現出来そうな、黒い光を纏い始めた羽根が、……その胸の中へと溶け消えていく。

「な……何?」

 その光景を目にした私は、何が起きているかを把握する事も出来ず、不安に身体を震わせ始めた。
 そして、私の中に再び生じた不安を増幅させるかのように、すぐ耳元で『声』が響いた。

『ご苦労様……』

 冷たい……、けれど、どこか楽しそうな気配を滲ませた、子供の声がした。
 私の左側から聞こえた声。慌ててそちらを振り向いたけれど、……誰もいない。 
 空耳? でも、はっきりと聞こえた……。
 
「誰……、なの」

 私の震える声に反応を返したのは、その声の主ではなく、円陣の右側にいたカインさんだった。 
 心臓を鷲掴むかのような絶叫が神殿中に響き渡り、視線がそちらへと引き付けられる。
 揺り籠の中で、もがき苦しみながら四肢を暴れさせているカインさん。
 すぐにセレスフィーナさんとルイヴェルさんが駆け寄ろうとしたけれど、何かの力に阻まれたかのように、お二人はカインさんに近付くどころか、はじき飛ばされた。

「セレスフィーナさん!! ルイヴェルさん!!」

 声を張り上げてお二人が飛ばされた方に視線を向けた私は、レイフィード叔父さんやお父さん、アレクさん達に助け起こされるお二人の姿を見つけた。
 何とか……、無事、のようだけど、今の力は一体……。

「陛下、ユキ姫様を……、早くっ」

 レイフィード叔父さんに支えられて立ち上がったセレスフィーナさんが、いまだ絶叫と苦しみにのた打ちまわっているカインさんを睨んだ後、私の方へと注意を向けた。
 
「ユキ姫様、今すぐこちらへ!!」

 アレクさんに支えられ立ち上がったルイヴェルさんが、私に向かってそう叫ぶ。
 ここにいては危険だと、そう迫られているかのような声音に従えばいい。
 そう思うのに、私は叫び続け苦しんでいるカインさんへと視線が引き戻され、身体を震わせるだけで、動く事が出来ない。

「あ……、あぁっ」

 目の前で、暴れのた打ちまわっていたカインさんが、突然その動きを止めた。
 怖いくらいに静かな気配が場を満たしたと感じた瞬間、ルイヴェルさんが飛び出し、私の方へと全速力で駆け寄ってくる。
 けれど、カインさんの時と同じように、何かの力が働いたせいで、ルイヴェルさんは円陣の中に入る事が出来ず、その眉を顰めた。
 直後、ゆらりと揺り籠から起き上がる力さえないはずのカインさんが、言葉もなく上半身を起こし、円陣の外で状況を険しげな表情で見つめている皆さんを流し見た。
 カインさんの身体だけど、纏っている気配が、その口許に浮かべている場違いな笑みが、――彼ではない者の存在を強調させる。

「だ……、れ」

 呆然と、揺り籠を下りたカインさんを見つめながら、私は乾いた声を漏らした。
 カインさんだけど、カインさんじゃない存在が、目の前に映っている。
 けれど、その存在が『何』であるのかを確かめる前に、視界からカインさんが掻き消えた。
 どこに……、と、視線を巡らせる暇もなく、私の首許に触れた硬い感触。
 獣でもない、何か……怪物じみたその形状は、手の役割を果たすものに見えた。
 そして、すぐ耳元にさらりと触れた髪の感触と、嘲笑を含んだ低い声音。

「さぁて……、そろそろ始めるとするか」

 声は間違いなくカインさんのものだったけれど、私はこの嫌な気配と、背後から溢れ出るそれを、私の身体を包み込むように絡んでくる黒い靄を知っている。
 瘴気と呼ばれる黒い靄。喉奥で笑う悪趣味な笑い声……、この存在を、私は知っている。

「どう……、して、貴方が、ここに……、いるの?」

 レイフィード叔父さんと、セレスフィーナさんの力によって囚われた存在。
 王宮の一角から出て来られないはずの、……この存在の名は。

「禁……、呪」

 どうにか振り返った視線の先で、その存在、――禁呪は、満足そうに悪趣味な嘲笑を浮かべていた。
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