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第三章『遊学』~魔竜の集う国・ガデルフォーン~
女帝陛下の私室にて。
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「気を張らず、楽にするが良い」
それは、大広場での騒動からまた時が過ぎ、その日の夜が訪れた夕食後の事。
与えられたガデルフォーン皇宮内にある自室でセレスフィーナさんとの通信を終えた私は、大食堂での無謀な暴食をやってしまった自業自得で夕食が食べられず……。
その代わりの席として、ディアーネスさんが女帝陛下の私室に招いてくれた。
カインさんは夜のお散歩に行って来ると言って、多分今頃は城下の夜を楽しんでいるはずだ。
というわけで、私とレイル君、そして、ルイヴェルさんの三人がお邪魔する事に。
無駄な物を一切なくしたシンプルで上品な部屋。白い壁には白鳥に似た鳥類を描いた絵画。
足元には綺麗な瑠璃色をした絨毯が広がっており、微かな甘い香りに振り向けば、窓側の方に頭(こうべ)を垂れた品の良い百合の花が咲いていた。
「ユキよ、腹の調子はどうだ? 夕食の席を共に出来ると楽しみにしていたのだが」
「すみません、せっかく素敵な夕食の席を御用意して頂いたのにお断りしてしまって……。身体の方はサージェスさんのお薬のお陰でもうこの通りです」
「別に責めてはおらん。だが、明日は楽しい朝食の席を期待しているぞ」
「は、はいっ」
可愛らしい少女の姿でも、眠る前のこの時間帯でも、ディアーネスさんはその寛ぐ様にさえ女帝陛下の貫禄を常時滲ませている。
そんな女帝様に、夕食を食べられなかった原因までバッチリと把握されていた事実に、少しだけ情けなくなってしまう。ディアーネスさんへの伝言はルイヴェルさんに頼んでいたから、多分言わなくても良い余計な部分まで全部伝えられてしまったのだろう。うぅ……。
レイルとルイヴェルさんに挟まれ落ち込んでいると、宰相のシュディエーラさんがワゴンにお茶とお菓子を用意して、ディアーネスさんの私室へと訪れた。
その背後には、ニコニコと常時愛想の良さそうな笑顔が基本状態のように見えるガデルフォーンの騎士団長様の姿も。
「陛下、お茶菓子をお持ちしました」
「陛下ー、昼間の騒動の報告書、全部纏め終わったから持ってきたよー」
「ご苦労」
夜更けになってもまだお仕事があるのか、サージェスさんは騎士服のままだった。
その数枚の書類を纏めてひらひらとさせ、ディアーネスさんに手渡している。
昼間というと……、もしかしなくても。
「ん? どうした」
「いえ……」
私の左側に座っていたルイヴェルさんを見上げてみると、昼間の騒ぎなんて何も知らないといった風味の表情が返ってきた。あんな大騒動を起こしておきながら、この冷静さ。
目の前で見てしまった男の戦いは、まだ私の目に焼き付いて離れていないというのに。
「ふむ……。最近の闇町には、己の領分を弁えぬ愚か者が増えておるようだな」
「あの……、闇町の人達というのは、頻繁に今日のような騒ぎを起こしているんですか? 確か、危険区域に入らなければ大丈夫だって聞いていたんですけど」
「ごめんねー、ユキちゃん。今日のはどこぞの誰かさんの存在が大きかったっていうか、普段は大人しいものなんだよ。それを、……ルイちゃんがねぇ」
じろり……。サージェスさんが纏っている柔らかな雰囲気が薄れ、困った人を見るようなアイスブルーの瞳がルイヴェルさんへと向かった。
「闇町って言っても、その区域によって管理者、まぁ、ボス的な人がいるんだけどねー。その人達や立場を弁えているタイプの人はあまり問題を起こさないんだよ。だ・け・ど……、他所の町から流れ着いた勘違い系の子達は、あの通り、ね」
「暴走して皇都の人達に迷惑をかけてしまう人達もいる、って事なんですね」
「そういう事。まぁ、今日みたいなのは滅多にない事だから安心していいよー。ルイちゃんが煽りまくったせいであの結果を招いただけだから。ねー、ルイちゃん」
じー……。保護者として同行しておきながら何をやってるんだか。
サージェスさんの視線が無言でそう言っている気がした。
けれど、やっぱりルイヴェルさんはそれで懲りるような人じゃなくて、テーブルの上に並べられたお皿から丸型のクッキーを摘み、それを口の中に放り込んだ。もぐもぐもぐ……、ごっくん。
「俺は普通に言っただけだぞ? 弱肉強食の世界も理解出来ていないド阿呆の相手をしてやる程暇ではない、と」
「ぶっ!! る、ルイヴェル……、わざとか? わざとなのか? むしろ、煽ってやる気満々だったんだなっ」
可哀想に……。一番の常識人であるレイル君が飲んでいたお茶を噴き出しかけながらも、どうにかそれを喉の奥に流し込んだ後、若干涙目になってしまった。
私も、頭の中でカーン、と、空しい音が響き渡った気がする。
「闇町の管理者達も難儀している事だろうな。仮に我らがどれだけ不要な物を始末したとしても、またどこからか下種虫が這い出してくる」
「だねー。魔物も他の命も、絶えず生まれ続けてくるわけだし、陛下が本気になって闇町の類を殲滅したとしても、またいつの間にか根付いちゃうだろうしね」
闇町は遥か古くの昔から国内に存在しているらしく、互いに境界線を敷き同じ世界に在り続けてきたらしい。とある時代では皇都だけでなく、国内中の闇町の組織が勢力を増し、時の皇帝様の悩みの種にもなったとか……。
それでも、暗部とも言える集団や区域が消え去らないのは、時代の流れと共に管理者の考え方が変化し、今では互いの利益や一定のルールを守る事により、生存権を獲得する事が出来たから。
仮に闇町の全てを滅ぼし、管理者もろとも消し去ったとしても……。
「ゼロに戻るって事は、また最初からやり直しって事だからねー。それだと進化を一からやり直すようなものだから、結局はマシな方を選んでるって感じかな」
「使い様によっては役に立つ者も多い。だが、罪なき我の民に手を出すような事があれば、容赦はせぬ」
皇都をはじめとした国内の町や村にも、闇町に対する監視の目が常時向けられているらしく、何かあれば一気に攻め落とす準備がある、と、ディアーネスさんは厳しい女帝の顔で言った。
サージェスさんもその目に一瞬だけ冷たい光を垣間見せる。
「言っておくが、ユキ。ウォルヴァンシアにも同じような暗部は存在するぞ。表側のあらゆる所にもな」
と、そう口を挟んできたのは、さっきから全然反省していない王宮医師様。
「うんうん、そんな感じ。まぁ、ガデルフォーンのそれは結構アレなんだけどね。でも、迂闊に踏み込んだりしなければ、基本平和だから。安心して滞在してね? ユキちゃん、レイル君」
「「は、はぁ……」」
ルールを守っていれば安全なのはわかったけれど、私とレイル君の視線はルイヴェルさんに向かったままだ。この人がまたトラブルの原因になったらどうしよう、と。
ディアーネスさんの隣で彼女のお茶のおかわりを淹れていたシュディエーラさんが微笑ましそうに私達を見た。
「ふふ、大丈夫ですよ。ユキ姫殿達が傍におられる限り、ルイヴェル殿もご自分から軽率な真似をする事はないでしょう」
「シュディエーラさん……、それって、私達が見ていないところでは好き放題って事なんじゃ」
「ふふ、その辺りはわかりかねますね」
「ルイヴェル……、俺達がいない所であっても、くれぐれも注意して行動してくれ」
くすくすと笑うシュディエーラさんに冷や汗を流していると、レイル君の注意を受けたルイヴェルさんがその長い足を組み替え、肩を竦めてみせた。
「さぁ、どうだろうな? あちらが俺に喧嘩を売らない限りは、何もする気はないんだが」
「じゃあ、闇町の者達と出会っても、背を向ける選択をしてくれっ」
「レイルよ、その手の男に注意したところで何ひとつ利はないぞ。守る者がおらぬ状況であれば、敵とみなした者を完膚なきまでに蹂躙するタイプの顔つきをしておるからな」
同行させる相手を間違えたと嘆くレイル君に、ディアーネスさんは飄々と事実を投下した。
確かに、言っても無駄なのは私にもわかる。だけど、出来ればこの遊学中だけは、大魔王様には大人しくしていてほしいところだ。あ、私に対するいじりの方も。
「ルイちゃんのせいで気疲れしたところで、今度は可愛いものに癒されると良いよー」
「サージェスさん?」
これからの事を少しだけ心配していると、サージェスさんが何か悪い事を企んでいるような笑顔で指をパチンと鳴らした。――その瞬間。
「え……」
真っ白な壁や瑠璃色の絨毯、上品さを兼ね備えたシンプルな世界が、まさかの。
「ぷ、プリティ空間……!!」
室内の何もかもがピンク!! 座っていたソファーも可愛らしく飾り付けられており、テディベアなどのぬいぐるみまでそこかしこにっ。……少女趣味一色。
一体何が起きているのか、室内に視線を彷徨わせていた私とレイル君は、すぐ目の前から伝わってきた氷点下の気配に飛び上がりそうになってしまった。
いつの間にかその手に不似合いな槍を持ち、睨み殺しそうな視線をサージェスさんに向けているディアーネスさん……。彼女が身に纏っていた薄紫の夜着までピンク色の可愛いふりふりに!!
「サージェス……、貴様」
「別に良いじゃなーい。こっちの方が、ユキちゃん達からの好感度上がると思うよー」
これは、サージェスさんが起こした変化……、なの、かな?
でも、ディアーネスさんの冷静そのものだった顔に羞恥全開のリンゴ模様の色合いが……。
あれは……、隠していた事を悪戯にバラされて怒り心頭に達した人の気配なんじゃ。
私の予感は当たっていたようで、微笑ましそうにお茶を飲んでいたシュディエーラさんが「陛下、可愛らしい御趣味を誰も笑ったりはいたしませんよ」と、フォローになっていないフォローを。
「可愛いよねー。けど、女帝としての威厳を保ちたいからって、部屋に誤魔化しの術までかけちゃって、ふふ、陛下の照れ屋ちゃん」
室内を溢れてしまう程の殺意と怒りの気配に、私とレイル君は手を取り合って震え上がる。
ディアーネスさんの意外なご趣味は確かに可愛いと思ったけれど、サージェスさんは禁じられた箱を開いたも同然。
武器を構えたディアーネスさんにも怯まず、早速部屋の外に逃げ始めてしまった。
「陛下ー、追いかけっこするのー? 俺、まだ仕事あるんだけどー」
「安心せよ……。骸となった貴様に仕事はない」
……開いたままの扉の向こうから、凄まじい破壊音や楽しげな声が響き渡ってくる。
サージェスさん……、今日初めて会った人だけど、明日まで生きてる……、かな。
「ご無事で……、サージェスさん」
とりあえず、私とレイル君に出来るのは、あの笑顔のお兄さんの無事を祈る事だけ。
「申し訳ありません、騒がしい夜になってしまいまして」
「い、いえ。でも……、意外でした。こんなにも可愛らしいお部屋を、その」
「誰でも知られたくない秘密のひとつやふたつあるものだからな。何も言わない事が、女帝陛下の心を慰める唯一の方法だろう」
つまり、今夜の件に関して、ご本人に対し何も突っ込んで聞いてはいけない、と。
涼し気な顔で欠伸を漏らしながらそう言ったルイヴェルさんに、私とレイル君は静かに頷いたのだった。
それは、大広場での騒動からまた時が過ぎ、その日の夜が訪れた夕食後の事。
与えられたガデルフォーン皇宮内にある自室でセレスフィーナさんとの通信を終えた私は、大食堂での無謀な暴食をやってしまった自業自得で夕食が食べられず……。
その代わりの席として、ディアーネスさんが女帝陛下の私室に招いてくれた。
カインさんは夜のお散歩に行って来ると言って、多分今頃は城下の夜を楽しんでいるはずだ。
というわけで、私とレイル君、そして、ルイヴェルさんの三人がお邪魔する事に。
無駄な物を一切なくしたシンプルで上品な部屋。白い壁には白鳥に似た鳥類を描いた絵画。
足元には綺麗な瑠璃色をした絨毯が広がっており、微かな甘い香りに振り向けば、窓側の方に頭(こうべ)を垂れた品の良い百合の花が咲いていた。
「ユキよ、腹の調子はどうだ? 夕食の席を共に出来ると楽しみにしていたのだが」
「すみません、せっかく素敵な夕食の席を御用意して頂いたのにお断りしてしまって……。身体の方はサージェスさんのお薬のお陰でもうこの通りです」
「別に責めてはおらん。だが、明日は楽しい朝食の席を期待しているぞ」
「は、はいっ」
可愛らしい少女の姿でも、眠る前のこの時間帯でも、ディアーネスさんはその寛ぐ様にさえ女帝陛下の貫禄を常時滲ませている。
そんな女帝様に、夕食を食べられなかった原因までバッチリと把握されていた事実に、少しだけ情けなくなってしまう。ディアーネスさんへの伝言はルイヴェルさんに頼んでいたから、多分言わなくても良い余計な部分まで全部伝えられてしまったのだろう。うぅ……。
レイルとルイヴェルさんに挟まれ落ち込んでいると、宰相のシュディエーラさんがワゴンにお茶とお菓子を用意して、ディアーネスさんの私室へと訪れた。
その背後には、ニコニコと常時愛想の良さそうな笑顔が基本状態のように見えるガデルフォーンの騎士団長様の姿も。
「陛下、お茶菓子をお持ちしました」
「陛下ー、昼間の騒動の報告書、全部纏め終わったから持ってきたよー」
「ご苦労」
夜更けになってもまだお仕事があるのか、サージェスさんは騎士服のままだった。
その数枚の書類を纏めてひらひらとさせ、ディアーネスさんに手渡している。
昼間というと……、もしかしなくても。
「ん? どうした」
「いえ……」
私の左側に座っていたルイヴェルさんを見上げてみると、昼間の騒ぎなんて何も知らないといった風味の表情が返ってきた。あんな大騒動を起こしておきながら、この冷静さ。
目の前で見てしまった男の戦いは、まだ私の目に焼き付いて離れていないというのに。
「ふむ……。最近の闇町には、己の領分を弁えぬ愚か者が増えておるようだな」
「あの……、闇町の人達というのは、頻繁に今日のような騒ぎを起こしているんですか? 確か、危険区域に入らなければ大丈夫だって聞いていたんですけど」
「ごめんねー、ユキちゃん。今日のはどこぞの誰かさんの存在が大きかったっていうか、普段は大人しいものなんだよ。それを、……ルイちゃんがねぇ」
じろり……。サージェスさんが纏っている柔らかな雰囲気が薄れ、困った人を見るようなアイスブルーの瞳がルイヴェルさんへと向かった。
「闇町って言っても、その区域によって管理者、まぁ、ボス的な人がいるんだけどねー。その人達や立場を弁えているタイプの人はあまり問題を起こさないんだよ。だ・け・ど……、他所の町から流れ着いた勘違い系の子達は、あの通り、ね」
「暴走して皇都の人達に迷惑をかけてしまう人達もいる、って事なんですね」
「そういう事。まぁ、今日みたいなのは滅多にない事だから安心していいよー。ルイちゃんが煽りまくったせいであの結果を招いただけだから。ねー、ルイちゃん」
じー……。保護者として同行しておきながら何をやってるんだか。
サージェスさんの視線が無言でそう言っている気がした。
けれど、やっぱりルイヴェルさんはそれで懲りるような人じゃなくて、テーブルの上に並べられたお皿から丸型のクッキーを摘み、それを口の中に放り込んだ。もぐもぐもぐ……、ごっくん。
「俺は普通に言っただけだぞ? 弱肉強食の世界も理解出来ていないド阿呆の相手をしてやる程暇ではない、と」
「ぶっ!! る、ルイヴェル……、わざとか? わざとなのか? むしろ、煽ってやる気満々だったんだなっ」
可哀想に……。一番の常識人であるレイル君が飲んでいたお茶を噴き出しかけながらも、どうにかそれを喉の奥に流し込んだ後、若干涙目になってしまった。
私も、頭の中でカーン、と、空しい音が響き渡った気がする。
「闇町の管理者達も難儀している事だろうな。仮に我らがどれだけ不要な物を始末したとしても、またどこからか下種虫が這い出してくる」
「だねー。魔物も他の命も、絶えず生まれ続けてくるわけだし、陛下が本気になって闇町の類を殲滅したとしても、またいつの間にか根付いちゃうだろうしね」
闇町は遥か古くの昔から国内に存在しているらしく、互いに境界線を敷き同じ世界に在り続けてきたらしい。とある時代では皇都だけでなく、国内中の闇町の組織が勢力を増し、時の皇帝様の悩みの種にもなったとか……。
それでも、暗部とも言える集団や区域が消え去らないのは、時代の流れと共に管理者の考え方が変化し、今では互いの利益や一定のルールを守る事により、生存権を獲得する事が出来たから。
仮に闇町の全てを滅ぼし、管理者もろとも消し去ったとしても……。
「ゼロに戻るって事は、また最初からやり直しって事だからねー。それだと進化を一からやり直すようなものだから、結局はマシな方を選んでるって感じかな」
「使い様によっては役に立つ者も多い。だが、罪なき我の民に手を出すような事があれば、容赦はせぬ」
皇都をはじめとした国内の町や村にも、闇町に対する監視の目が常時向けられているらしく、何かあれば一気に攻め落とす準備がある、と、ディアーネスさんは厳しい女帝の顔で言った。
サージェスさんもその目に一瞬だけ冷たい光を垣間見せる。
「言っておくが、ユキ。ウォルヴァンシアにも同じような暗部は存在するぞ。表側のあらゆる所にもな」
と、そう口を挟んできたのは、さっきから全然反省していない王宮医師様。
「うんうん、そんな感じ。まぁ、ガデルフォーンのそれは結構アレなんだけどね。でも、迂闊に踏み込んだりしなければ、基本平和だから。安心して滞在してね? ユキちゃん、レイル君」
「「は、はぁ……」」
ルールを守っていれば安全なのはわかったけれど、私とレイル君の視線はルイヴェルさんに向かったままだ。この人がまたトラブルの原因になったらどうしよう、と。
ディアーネスさんの隣で彼女のお茶のおかわりを淹れていたシュディエーラさんが微笑ましそうに私達を見た。
「ふふ、大丈夫ですよ。ユキ姫殿達が傍におられる限り、ルイヴェル殿もご自分から軽率な真似をする事はないでしょう」
「シュディエーラさん……、それって、私達が見ていないところでは好き放題って事なんじゃ」
「ふふ、その辺りはわかりかねますね」
「ルイヴェル……、俺達がいない所であっても、くれぐれも注意して行動してくれ」
くすくすと笑うシュディエーラさんに冷や汗を流していると、レイル君の注意を受けたルイヴェルさんがその長い足を組み替え、肩を竦めてみせた。
「さぁ、どうだろうな? あちらが俺に喧嘩を売らない限りは、何もする気はないんだが」
「じゃあ、闇町の者達と出会っても、背を向ける選択をしてくれっ」
「レイルよ、その手の男に注意したところで何ひとつ利はないぞ。守る者がおらぬ状況であれば、敵とみなした者を完膚なきまでに蹂躙するタイプの顔つきをしておるからな」
同行させる相手を間違えたと嘆くレイル君に、ディアーネスさんは飄々と事実を投下した。
確かに、言っても無駄なのは私にもわかる。だけど、出来ればこの遊学中だけは、大魔王様には大人しくしていてほしいところだ。あ、私に対するいじりの方も。
「ルイちゃんのせいで気疲れしたところで、今度は可愛いものに癒されると良いよー」
「サージェスさん?」
これからの事を少しだけ心配していると、サージェスさんが何か悪い事を企んでいるような笑顔で指をパチンと鳴らした。――その瞬間。
「え……」
真っ白な壁や瑠璃色の絨毯、上品さを兼ね備えたシンプルな世界が、まさかの。
「ぷ、プリティ空間……!!」
室内の何もかもがピンク!! 座っていたソファーも可愛らしく飾り付けられており、テディベアなどのぬいぐるみまでそこかしこにっ。……少女趣味一色。
一体何が起きているのか、室内に視線を彷徨わせていた私とレイル君は、すぐ目の前から伝わってきた氷点下の気配に飛び上がりそうになってしまった。
いつの間にかその手に不似合いな槍を持ち、睨み殺しそうな視線をサージェスさんに向けているディアーネスさん……。彼女が身に纏っていた薄紫の夜着までピンク色の可愛いふりふりに!!
「サージェス……、貴様」
「別に良いじゃなーい。こっちの方が、ユキちゃん達からの好感度上がると思うよー」
これは、サージェスさんが起こした変化……、なの、かな?
でも、ディアーネスさんの冷静そのものだった顔に羞恥全開のリンゴ模様の色合いが……。
あれは……、隠していた事を悪戯にバラされて怒り心頭に達した人の気配なんじゃ。
私の予感は当たっていたようで、微笑ましそうにお茶を飲んでいたシュディエーラさんが「陛下、可愛らしい御趣味を誰も笑ったりはいたしませんよ」と、フォローになっていないフォローを。
「可愛いよねー。けど、女帝としての威厳を保ちたいからって、部屋に誤魔化しの術までかけちゃって、ふふ、陛下の照れ屋ちゃん」
室内を溢れてしまう程の殺意と怒りの気配に、私とレイル君は手を取り合って震え上がる。
ディアーネスさんの意外なご趣味は確かに可愛いと思ったけれど、サージェスさんは禁じられた箱を開いたも同然。
武器を構えたディアーネスさんにも怯まず、早速部屋の外に逃げ始めてしまった。
「陛下ー、追いかけっこするのー? 俺、まだ仕事あるんだけどー」
「安心せよ……。骸となった貴様に仕事はない」
……開いたままの扉の向こうから、凄まじい破壊音や楽しげな声が響き渡ってくる。
サージェスさん……、今日初めて会った人だけど、明日まで生きてる……、かな。
「ご無事で……、サージェスさん」
とりあえず、私とレイル君に出来るのは、あの笑顔のお兄さんの無事を祈る事だけ。
「申し訳ありません、騒がしい夜になってしまいまして」
「い、いえ。でも……、意外でした。こんなにも可愛らしいお部屋を、その」
「誰でも知られたくない秘密のひとつやふたつあるものだからな。何も言わない事が、女帝陛下の心を慰める唯一の方法だろう」
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