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第三章『遊学』~魔竜の集う国・ガデルフォーン~

喧嘩中の二人とお出掛けのお誘い

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 ――Side 幸希


「……ユキ、カイン皇子。そろそろ……、和解してもいい頃合いなんじゃないか?」

 朝食を進める為の、小さな物音だけが微かに聞こえる広間の中、私の右側に座っていたレイル君が気まずそうにそう言った。
 彼を両サイドに挟んで座っている私とカインさんから発されるピリピリとした気配に耐えられなくなったのだろう。

「……」

「……」

 レイル君には申し訳ないと思うのだけれど、私から折れるのは……。
 ちらりと、レイル君の向こうにいるカインさんに視線を送ってみる。
 皇子としての礼儀教育が染みついているのか、カインさんのフォークとナイフの動かし方はとても綺麗だ。
 品良く切られたお肉の欠片が、すっと口の中に含まれ音もなく食まれている。
 うっかりその仕草に見惚れていると、私の視線に気付いたのか、カインさんが真紅の瞳をこちらに寄越した。

「……何だよ」

 お互いの冷戦状態を表すかのような眼差しに晒され、私も同時に心の中の苛立ちにピシリと亀裂を入れられる。
 素っ気ない冷たい声音も……、明らかに三日前の出来事を根に持っているのだろう。

「な、何でもありませんっ」

 過去の償いに頬を殴ってもいいと言ったのは、カインさん本人。
 だけど、最初はそんな事をするつもりなんてなかったのに……。
 カインさんがうっかり口を滑らせてしまった内容に、過去、彼に抱いていた怒りと嫌悪が復活してしまったのだ。
 その魔性とも呼べる美しい容姿の前には、沢山の女性達が虜となってきたに違いない。女好きの竜の第三皇子様……。女性に不自由しない身の上……。
 それを改めて目の前でカインさんに口にされた瞬間、―― 一切の容赦が私の中から消え去った。
 カインさんが望むように、まず渾身の一撃を平手としてお見舞いし、その後怒り出したカインさんと大喧嘩に大発展。

「ふんっ……。用がねぇならこっち見んな」」

 あれから三日間、必要最低限の受け答えしかお互いにしていない。
 カインさんの不潔!! 女タラシ!! と、連呼したからなのか、それともあの一撃が物凄く痛かったのか……。
 とにかく、途中からサージェスさんまで喧嘩に加わって茶化し始めてしまって更に悪化、結局喧嘩は終わらないまま。
 最後には、お互いに顔を背け合う最悪の状態が出来上がっていた。

「ユキ、今日の一日の授業についてだが、我とシュディエーラは用事がある故、休みとする」

「あ、は、はい! わかりました」

 食事の手を止めていた私に、ディアーネスさんの淡々とした事務的な連絡事項が投げられた。はっと我に返り、すぐに返事を返した後、もう一度だけカインさんの様子を窺う。もうこちらを見ていない……。黙々とお皿の上にある料理を平らげていく。

「ユキ、……早く仲直りした方がいいんじゃないか?」

「う、うん。だけど……」

 カインさんに聞こえないように、レイル君が小さな声で耳に囁きかけてくれる。
 私だって、いつまでも喧嘩してる場合じゃないって事はわかってる。
 だけど……、あの喧嘩の際、カインさんも私に酷い事をいっぱい言ったから……。
 なかなか……素直に許せないというか……。

「ち、近い内に……なんとか、してみる、ね」

「あぁ、そうしてくれ。カイン皇子も、……多分、タイミングが計れないだけだろうしな」

 果たして本当にそうなのだろうか?
 私が見る限り、「お前から謝らない限り、妥協してやる気はない」という雰囲気が感じられるのだけれど……。
 シュークリームをぱくりと口に含み、自分はどうすればいいのかと考える。

「陛下ー。報告書の提出遅くなってごめんねー」

 女官さん達に頭を下げられながら、場の雰囲気を和やかな色へと変えるように入って来たのはサージェスティンさんだった。
 遅くなったと口にする割には、その足音も態度も急いでいる気配がまるでない。
 顔もいつものように、にっこり笑顔のままだし、鼻歌まじりにディアーネスさんの席へと向かっている。

「……ふむ、良かろう。後で詳しく確認しておく」

「何かあったらまた連絡よろしくー。さてと……、ん?」

 書類を数枚捲り中身を確認したディアーネスさんに手をひらひら振って、サージェスさんが踵を返した。
 そして、そのまま扉に向かって出て行くのかと思っていたら、何故か進路変更をして私達の座る席へと……。

「ねぇ、皇子君とユキちゃん、……もしかして、まーだ喧嘩してるのかな?」

 背後からテーブルに右手を伸ばしたサージェスさんが、カインさんの顔を覗き込んで面白そうに笑った。
 多分、カインさんが発している不機嫌さを感じ取ったのだろう。
 あぁ、……いじる気満々の予感!!

「テメェに関係ねぇだろうが。さっさと朝の訓練の準備でもしに行けよ」

「うーん、これはこれは。仮にも師匠的な立場の俺に向かって酷い物言いだねー。これでも、君達の仲を心配してるんだよー? 三日前に君達が大喧嘩してから、どうにも様子がおかしかったし?」

 心配を口にしているその声音は、それらしく装ってはいるけれど……、絶対的に信用出来ない。だってサージェスさん……、この状況を楽しむように視線が笑っているんだもの。

「まぁでも、皇子君の過去は取り消せないもんねー? この容姿でモテないなんてありえないし、そりゃあ経験も豊富にあって当然。男としては健全じゃないかなー。……だけど、それを『好きな子』にどう受け止められるかは、別問題ってね」

「さっきからゴチャゴチャと……、サージェス、テメェ、俺に喧嘩売ってんのか?」

「カイン皇子やめないか! 食事の席で諍いはよくないっ」

 今にもカインさんがサージェスさんの胸倉を掴みにでも立ち上がりそうな気配!!
 それを察したレイル君が先に席を立ち、二人を引き離すように間に入った。
 私も腰を浮かせかけたけど、サージェスさんの声に途中で止まってしまう。

「レイル君、君も大変だよねー? キレやすいお子様皇子君の面倒も見ないといけないなんて、ね?」

「あぁあああああ!?」

 ブチンッ! と、そんな恐ろしい音がどこからか聞こえた気がしたと思うと、カインさんが椅子を蹴倒してレイル君を押しのけ、サージェスさんに掴みかかった!!
 激しい怒気が瞳に宿り、右手の部分を見れば、その手が竜手へと変化している事に気付く。

「カインさん!! やめてください!!」

「カイン皇子!!」

「本当……、子供だね、君は」

「サージェス、テメェっ!!」

 胸倉を苦しいくらいに掴まれているというのに、サージェスさんは一切動じず困ったように微笑んでいる。竜手に手を添え、――次の瞬間。

「――っ!!」

 竜手を掴んだサージェスさんが、その手を捻り上げ一気に絨毯の上へとカインさんの身体を叩き付けた。それはもう容赦の欠片もなく、無慈悲な反撃……。

「はぁ……、君さ、戦闘能力もだけど、精神的にも幼すぎるよ。女の子相手に何日も怒りを継続させるとか、俺に痛いとこ指摘されて暴力に訴えるとことか、堪え性がないにもほどがある」

「……っ」

「精神的な部分ってさ、戦闘のおいて生死に深く関わって来るのはわかってるよね? 自分を見失って突撃なんかした日には、……あっという間に死ぬよ」

 サージェスさんの言葉には、ただ事実だけが静かな声音に含まれていた。
 ガデルフォーンの騎士団を束ねる彼の言葉には、確かな重みがある……。
 それを感じているのだろう……、カインさんは文句を言い返す事はせず、ゆっくりと起き上がった。

「カインさん、大丈夫ですか?」

 顔を顰め、辛そうに身を起き上がらせたカインさんがよろけたのを見て、私は急いで駆け寄った。喧嘩をしてはいるけれど、やっぱり心配なものは心配だから……。
 だけど、私の手はすぐに行き場を失ってしまった。

「あ……」

 支えようとした私の手は、カインさん自身によって拒絶と共に振り払われてしまった……。

「……頭、冷やしてくる」

「カインさん……」

 小さくそう呟き、カインさんは扉の方へと行ってしまった。
 追いかけたかったけれど、振り払われた際の手の感触が、私をここに留めるように鈍く痛んでいた。

「ユキ、席に戻ろう。カイン皇子の事なら、俺が後で様子を見ておく」

「レイル君……」

 私の肩を支えて、レイル君が元の席へと促してくれる。
 食べかけの食事と向き合うけれど、……カインさんの事が気になってしまって手が動かない。頭を冷やしてくると言っていたけれど……、それが必要なのは、私も同じかもしれないと感じていた。
 カインさんの過去を、私が知らない彼の苦悩の期間を……、喧嘩の勢いとはいえ、随分と酷い事を言ってしまった気がする。
 私は、男の人と付き合った経験がないから、どうしても……女性関係が華やかだったカインさんに抵抗を覚えてしまって……。
 よく考えたら、私が彼を否定して文句を言う権利なんか一切ないはずなのに……。
 アレクさんとカインさん、どちらも選べないと言った私の方が……、本当は優柔不断で最低なのに……。

「……っ」

 謝りに行こう……。酷い事いっぱい言ってごめんなさいって。
 テーブルクロスの上に置いた手を、力いっぱいに握り込む。
 今追いかけて行って、話を聞いて貰えるだろうか? それとも、時間をおいてから……。

「こっちも悩んでるみたいだねー」

「え?」

 ふいに握り込まれた手の甲の上に重なった大きな温かい感触。
 振り返ると、サージェスさんが……、いつもの飄々とした笑みじゃない表情を向けていた。まるで、悩む妹を気遣うお兄さんのような……そんな、優しい眼差し。

「皇子君の方は男の子だから、ちょっと厳しくしておいたけど、基本、俺は女の子には優しいんだよ? だから、食事を食べたらお兄さんと『お出掛け』しようか」

「え」

「サージェスティン殿、貴方はカイン皇子の訓練があるだろう?」

「今の状態の皇子君を鍛える事には何の意味もないから、放置にしとくよ。それより、ユキちゃんを元気にする方が大事だからね」

「あ、あの、私の事なら大丈夫ですから!!」

「だーめ。陛下、ユキちゃん連れて行くけど、いいよねー?」

 後ろからがばりと抱き着いてきたサージェスさんが、私をむぎゅむぎゅと抱き締めながらディアーネスさんに問いかける。
 ううっ、この人、そんなに力を入れてないはずなのに、どうして引き剥がせないのっ。

「構わん。好きにするが良い」

「サージェスティン、ユキ姫殿は清らかで純粋な御方です。くれぐれも、失礼のないようになさってくださいね」

 丁度朝と午後の授業はなくなっていたし、ディアーネスさんとシュディエーラさんから不許可の言葉は出なかった。
 とほほ……。こんな日に限って、私の周りの運が一気に引いて行く……。
 サージェスさんと出掛けるって……、どこに連れて行かれるんだろう?
 まさか二人きりでとかじゃない事を祈りたいのだけど。

「きーまり、ってね。じゃあ、準備が出来たら迎えに行くから部屋で待っててね。ついでに、ファニルはレイル君に預けておいて。ちょっと遠出するからねー」

「え?」

「さ、サージェスティン殿、まさかと思うが……、ユキと二人で出かける気なのか!?」

 カララン……と、レイル君の持っていたナイフとフォークがお皿の上に無機質な音を立てた。

「お兄さんは、ユキちゃんと二人で話したい事があるからねー。悪いけど、レイル君にはお留守番をお願いしておくよ」

「いや、だが……、しかし」

 自分も付いて行った方がいいのでは、と言いかけたレイル君に繰り出される満面のサージェスさんスマイル!!
 うっと言葉に詰まったレイル君が、ぴきりと固まってしまう。

「たまには可愛いお姫様と、ゆっくり自然の中でデートしたいお兄さんの気持ちをわかってくれるかな?」

「おや、サージェスティン。本音はそこでしたか」

「ユキ、レイルよ。そやつは言い出したら聞かぬぞ」

 暗に、「逆らうな、好きにさせておけ」とディアーネスさんは言いたいのだろう。
 半ば脅し同然の威力を放つサージェスさんのスマイルに、レイル君は完全に沈黙した。そんな……、私……、サージェスさんと二人きりでお出掛け決定なの!?
 うぅ……っ。良い人、だとは思うのだけど、……二人きりというのは、ちょっと。

「ユキ……、どうか……、無事に戻って来てくれ」

「れ、レイル君……っ」

「わぁーい、決まりだねー。ふふ、ユキちゃんの一日、ゲーット、と。楽しみにしててね? お兄さんが全身全霊でエスコートしちゃうから」

 ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!
 そんな意味深にっ、色気たっぷりに耳元で囁かないでぇええええええええええ!!
 叫ぶのを我慢しながら狼狽えている私にまた笑みを零し、サージェスさんはトドメを刺すかのように耳元へとキスをして去って行ったのでした。うぅ……っ。
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