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第三章『魔獣』~希望を喰らう負の残影~

ガデルディウスの神殿

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 準備を終え、ディアーネスさんに連れて来られた、古の魔獣を封じた巨大な神殿。
 初めて見るはずなのに、その建物や周囲の景色が……全て、自分が見た夢の情景と同じ事に、私は戸惑いを隠せなかった。
 深い青に彩られた、積み重ねてきた歴史を感じさせる厳かな神殿……。
 神殿の周囲に立ち並ぶ、天を目指すように立ち並ぶ白い柱達……。
 あの夢と違うのは、黒銀を纏う光の線が……、どこにも見えないこと。
 恐ろしい獣の唸り声も耳には届いて来ない……。
 私達はディアーネスさんの後に続き、自分達の姿を映す透明なクリスタルのような地面の上を歩いていく。
 
「なぁ、何でユキを連れて来る必要があるんだよ」

 辺りを見回しながら歩く私の右側で、カインさんが前を行くディアーネスさんに不機嫌な疑問を向けた。
 言葉には出さないけれど、私の左側にいるアレクさんも、同じ意図を含んだ眼差しをディアーネスさんに定めている。
 そのアメジストの双眸が私達の方を振り返る事はないけれど、ディアーネスさんは前を行きながら静かな声音で答えてくれた。

「先程の話の中で、このガデルディウスの神殿を見た、と、お前はそう話していたであろう?」

「夢の……、話の事ですね。確かに、私はこのガデルディウスの神殿を、見ました。けれど、見ただけであって、私がお役に立つかどうかは……」

「見た事もない場所の情報を夢に見る、という事は、決して無意味な事ではない。稀に、夢を通して災厄を予見する命もあると聞く」

「予知夢……、という事でしょうか」

 似たような建物や景色を夢に見るという事はあるのだろうけれど、初めて訪れたガデルディウスの神殿や周囲の景観は、その全てが……夢の中のものと、完全に一致していた。
 脳裏に焼き付いて離れない、災厄ともいうべき光景に見舞われた神殿の姿までもが記憶に蘇ってくる……。

「うむ。……そう言っても差し支えはなかろう。『あの者達』、特に……、マリディヴィアンナという娘は、酷く血を好む。人が不幸に陥り、泣き叫び、絶望の産声を上げる様を……望んでいる」

「マリディ、……ヴィアンナ」

「つまり、テメェとしては、それを手っ取り早く大規模で繰り広げられる魔獣の存在を推してるわけか」

「古の魔獣が解き放たれれば、大勢の民が死ぬ……。永き時を戒められ続けた魔獣からすれば、我らは餌と成すしかない」

 それを阻止する為にも、ディアーネスさんはガデルディウスの神殿に封じられている魔獣の様子に異変はないか、慎重に監視し続けている……。
 封印に綻びはないか、神殿に干渉しようとする力の気配はないか……。
 今のところは、何も異常は見つかっていないという話だけれど、それで安心出来るわけもない。
 皇宮を襲ったマリディヴィアンナと少年、その仲間と思われる男性二人。
 危険要素が増えていく中、小さな異変ひとつでも、決して見逃す事は出来ないのだ。
 神殿の中へと足を踏み入れると、不意に……私の身体に不思議な感触が纏わり付いてきた。
 何だろうと自分の身体を見下ろしてみると、キラキラと光る星屑のような存在が、ゆっくりと打ち寄せる波のように身体を撫でていくのが見えた。
 それは私だけじゃなくて、アレクさんとカインさんも同じようで……。
 小さく目を見開き、「何だこれ……」と、不思議に感じているようだった。

「ディアーネスさん、このキラキラとした物は、何ですか?」

「この神殿は、かつての皇帝と魔術師達が創り上げた、魔獣専用の檻だ。外と繋がってはいるが、神殿の内部は別空間となっており、――時が止まっている」

 魔獣を封じる術を永久に持続させる為に、神殿の内部の時の流れは完全に止まっており、どんなに時が経とうとも、この場所だけは昔のままなのだそうだ。
 そして、私達の身体に流れてくる柔らかな星屑のような光の波は、この神殿を満たす魔力が目に見える形となったものらしい。
 あくまで魔獣を封じる事が目的なので、私達に触れても害はないそうだ。
 目を楽しませてくれるような幻想的な光の波……、だけど、私達の足下の奥深くには、恐ろしい魔獣が封じられているというアンバランスさに、私は足場が揺れ惑うような心地を味わう。

「我が一度皇宮に戻ってから、変わりはないか?」

 全体的に薄暗い神殿の中、漂う美しい光の漣と共に先へと進んで行くと、大きく丸型に広がった場所に辿り着いた。
 上を見上げると、外の様子が透けて見える、どこまでも高く続く広がりのある吹き抜けが視界に映った。
 日差しを隠す、不吉な雲が集まっているせいで……あまり見ていたくはない頭上の光景のように思える。
 その真下では、大勢の魔術師の人達が行き交っているようだった。
 空中には、私には理解出来ない紋様や文字が浮かんだ、横に伸びた長方形の映像が幾つも並んでいる。
 数人の魔術師の人達がディアーネスさんの前に駆け寄り、一礼をすると、現状を報告し始めた。

「陛下がお戻りになられてからも、異変の類は見られません」

「封印の間の魔力数値にも問題はなく……」

「そうか……。ならば良い。仕事に戻れ」

「「御意」」

 ディアーネスさんがそう命じると、魔術師の人達は自分の持ち場へと戻って行った。
 何も異変が起きていないのなら、安心すべきなのだろうけれど……。
 それ自体が、『異変』であるのだと、ディアーネスさんも、私達も感じ取っている。
 
「『場』には餌を蒔き、神殿には何も植え付けた痕跡を残さぬとはな……。あの子供達は、余程……、我らを振り回したいとみえる」

「ディアーネスさん、何も異常が見つからないという事は、……やっぱり、『見えていない』という事なんでしょうか」

 夢で見た、あの不可解な光景……。
 蛇のように神殿の周りにとぐろを巻いた……、黒銀の光の渦。
 あれがもし本当なのだとしたら、現実の私達には見る事の出来ない、感じる事さえ出来ない類のものなのだろう。
 夢では見る事が出来たのに、今の私には……、見えない存在。
 もしかしたら、ディアーネスさんは、私を連れてくればそれを見つける事が出来るかもしれないと、そう思ったのではないだろうか。

「ルイヴェルが目を覚ませば、他の情報も得られたのだろうがな。だが、今のお前に見れぬという事は、何か条件でも必要なのか……。いずれにせよ、まずは封印の間に行くとしよう」

「女帝陛下、魔獣の封じられし場所は、安全なのでしょうか? ユキを近付けても……、害はない、と?」

 別の通路を目指して歩き出そうとしたディアーネスさんに声をかけたのは、アレクさんだ。
 私の左腕を痛まない程度に掴み、危険な場所に私を近付けることを躊躇っている。
 それはカインさんも同じ意見のようで、ディアーネスさんに一人で確認に行けと言い始めてしまう。

「別に、俺達やユキが行かなくても問題はねぇだろ」

「確かに、グラヴァードの愚息と騎士は不要ではあるな。戦闘となっても、我一人の力にも及ばぬお前達は、別に置いて行っても構わぬ」

「……っ」

「テメェ……、俺達が役立たずとでも言いたいわけかよ!!」

「カインさん、落ち着いてください!! ディアーネスさんはそんなつもりで言ったわけじゃっ」

 怒鳴り始めたカインさんを、魔術師の人達が驚いたように振り返ってくる。
それでなくても、この神殿は広すぎて声もよく反響するようだから、カインさんの怒声が何倍もの迫力となって響き渡ってしまう。
 そんなカインさんを宥めていると、私の左側で苦痛を堪えるような低い呻き声が聞こえた。アレクさんが……、悔しそうに奥歯を噛み締め、肩を震わせている。

「女帝陛下……、確かに、俺達は陛下に比べれば、足下にも及ばぬ存在です。ですが、ユキを貴女に託して自分達だけ安全な場所で待っていられるほど、腑抜けではありません」

「アレクさん……」

「分を弁えておるだけ、お前の方がマシと言えような……。グラヴァードの愚息よ、少しは騎士の謙虚さと信念を見習ってみてはどうだ?」

「うるせぇよ!! 俺はこの番犬野郎みたいに、黙って耐えるとかいうタイプじゃねぇんだよ!! ってか、本当、テメェ一人で地下に行けよ!! 番犬野郎は引き摺って行ってもいいから、ユキは俺の傍に置いてけ!!」

「感情の制御も未熟すぎる……。まるで、我の前にあのグラヴァードが現れたかのような面倒さを感じるぞ」

 じろりと、鬱陶しそうにカインさんを流し見ると、ディアーネスさんは前を歩き出してしまう。
 
「ユキが夢を介し、神殿の異変を感じた以上……、魔獣の封印にも触れさせておく必要がある。そこからまた、何かを感じ取れるかもしれぬしな」

「女帝陛下……どうしても、ユキを魔獣の許に?」

「騎士よ。人には、抗えぬ道や定めがあるものだ。我が女帝としての道を歩んだように、ユキもまた、歩まねばならぬ道がある。案じずとも、何か事が起これば、我がユキを守ると約束しよう」

「……御意」

 ディアーネスさんのアメジストの双眸と、その静かだけれど、絶対的な威厳を感じさせる声音に、アレクさんは一度瞼を閉じた後、もう何も言う事はない、と……頭を垂れた。
 恐ろしい古の魔獣が封じられているという地下……。
 本音を零せば、……正直、足が震えるほどに、怖い。
 平和な国で何不自由なく生きて来た、ただの人間でしかない私が、恐怖と絶望の塊のような魔獣の傍まで……近付かなくてはならないなんて、許容範囲外だから。
 けれど、怖いという感情とは別に、頭の中で……『声』がしている。
 向き合うべき道から、逃げてはいけないと……、この目に確かなそれを映せと、声なき声が語り掛けてくる気がして……。

「アレクさん、ありがとうございます。だけど私、皆さんが傍にいてくれれば、ちゃんと向き合えると思うんです」

「ユキ……」

「その勇気はすげぇと思うが、少しでも無理だって思ったら言えよ? 女帝が止めても、俺と番犬野郎で絶対連れ出してやるから」

「カインさん……。ありがとうございます。頼りにしてますね」

 私の弱い部分は、アレクさんとカインさんが、こうやって支えてくれている。
 だから、たとえ怖くて堪らなくなっても、傍にある温もりを思い出せば、きっと耐えられるはず。
 私はアレクさんとカインさんの両手を握ると、ディアーネスさんのあとを追い始めた。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ディアーネスさんに先導して貰い辿り着いたのは、紫に光輝く巨大な円を描く魔術の陣が地面に描かれた場所だった。
 さっきよりも、この神殿を漣のような感触で流れてくる光の波が、……濃くなっている気がする。
 立っているだけでも、服の中に隠れた肌に恐怖にも似た鳥肌が走るような、そんな場所。ディアーネスさんに招かれ、中央へと歩み寄っていく。

「行くぞ……」

 右手に銀光を纏う長槍を出現させたディアーネスさんが、その後部をダンッ!! と、地に突き立てると、一瞬で紫色の光の奔流が私達の身を包んだ。
 声を上げる暇もない。足下がぐらりと傾く感覚と、肌を震わせる妙な痺れ……。
 次の瞬間、――強い浮遊感が私を襲った。

「目を開けよ……」

「は、はい……」

 身体からどっと力が抜けるように、ゆっくりと目を開けると……。
 私はアレクさんとカインさんに支えられる形で、『眼下に広がる光景』と対面する事になった。
 
「な、何……、こ、れ」

 真っ暗闇の中に走る、理解不能で複雑な紋様の羅列……。
 禍々しい光に縁取られた黒と、それを抑え込むように絡み付く、濃く強い紫の光を纏う鎖のような存在が、紋様の羅列の下を這っている。
 果てのない、紋様の羅列に彩られた……『ひとつの、世界』。
 紋様は目にも見える程に震えを帯びており、その奥に何が『在る』のかは、上手く呼吸が出来ない自分の状態と、吐き気を促す程の圧迫感で感じ取る事が出来た。
 きっと……、この奥に、『古の魔獣』が封じられている。

「これは、封じであり、魔獣の許に続く扉でもある……。永遠に解ける事のない、戒めの牢獄……」

 そして、ディアーネスさんのお兄さん達の魂が閉じ込められている場所でもある。
 彼女の双眸に辛そうな気配が宿った事に気付いた私は、じっと……封印の羅列に視線を走らせると、近付いてもいいのだろうかと尋ねてみた。
 ディアーネスさんは静かに頷くと、私の手をとり、封印の羅列の真ん中辺りへと降り立った。
 紋様の羅列に恐る恐る指先で触れてみると、不思議な事に、水面に触れた時のような感覚と共に、小さな波紋が広がっていく。
 指先で紋様をなぞりながら、今度は、自分の手のひらを触れさせてみた。
 
「この奥に……」

 古の魔獣と、ディアーネスさんのお兄さん達の魂が封じられている。
 触れたところで、中の様子が探れるわけではないけれど……。
 私は、そっと耳を澄ませるように、瞼を閉じた。

「意識を集中し、心を無にしてみよ……」

「はい……」

 トクトクと、急ぎ足だった鼓動が徐々に鎮まり始めると、私は自分の心を紋様の向こう側へと滑り込ませるように意識を預けた。
 
「おい、大丈夫なのかよ……」

「ユキ……」

 アレクさんとカインさんが、私を心配してくれている声が、遠のいていく。
 何も聞こえない……、意識が、……私という存在が、何かに溶けていくような感覚。

 ――トクン。

 瞬間、消えたはずの私の鼓動が、いつもとは違う音を打った気がした。
 身体の奥底から……、何かが湧き上がってくるような、不思議な感覚。
 静かで……穏やかな、温かい、優しい力が、私の心と身体を包み込んでくる。

「何だ……っ、ユキの身体が」

「三色の……、光、一体、何が起こって」

「お前達、ユキに触れるでないぞ……」

「そんな事言ったって、これ、放っておいていいのか!?」

「ユキ……っ」

 見える……。瞼の裏に、夢を見た後に現れた、『黄金』と『蒼色』の光が。
 そして、……もうひとつ。混じり気のない綺麗な『白銀』が、私の中で優しい光を湛えながら泳いでいる。
 その光を身の内で感じながら、――やがて、私の意識は微睡むように消えていった。
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