先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村

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第九章

第254話 意地っ張りでわがまま

 京極きょうごくに簡単な説明はしたが、詳しい話は後日改めてということになり、たくみ香奈かなは一緒に帰宅した。

「……どうして、あの人たちは自分のために他人を害することができるんでしょう」

 ソファーに座り、香奈がポツリと言った。
 いつもよりも低い声は、わずかにかすれている。

「結局、人間は自分が一番可愛い生き物だし、心の余裕がないと目の前のことにしか意識が向けられなくなっちゃう生き物だからね。青山あおやま先輩は、少し違ったと思うけど」
「えっ?」

 巧が静かに言うと、香奈は驚いたように顔を上げた。

西宮にしみや先輩の親衛隊を率いていた三人が退学してリーダーになった直後から僕と親しくしていたってことは、そのときからこっちの隙を狙ってたってことになるからね」
「そっか……っ」

 香奈は何かをこらえるように唇を引き結んだ。

「録音の中でもあの三人を見下すようなことも言ってたし、広川ひろかわ先輩と内村うちむら先輩を誘惑して従わせるやり方は、まさに彼女たちが小太郎こたろう正樹まさきを使ってやった方法だからね。自分が彼女たちより上だって示したかったのかも」
「そんなことでっ……そんなくだらない理由で、たくみ先輩を襲わせたんですか……⁉︎」

 香奈の声は震えていて、拳を握る手が膝の上で強張っている。指先が肌に食い込むように力を込めていた。
 巧は震える肩にそっと腕を回して抱き寄せ、硬く握り締められた拳に手のひらを被せた。香奈はビクッと体を震わせた後、胸に顔を埋めてきた。

 半身に感じる体温、指先から伝わってくる柔らかい感触、そして鼻腔をくすぐるほのかに汗の混じった甘い香りを感じていると、巧の口から無意識に息が漏れた。
 呼吸が深くなる。鼻からいっぱいに空気を吸い込んだ。
 甘美な香奈の匂いが胸の内に染み渡り、心のさざ波がスッと落ち着いた。

 志保しほの動機を冷静に分析していた彼もまた、相応のショックを受けていたのだ。
 違和感こそ覚えつつも、広川ひろかわたちに襲撃されるまでは彼女のことを先輩として慕っていたのだから、当然のことではあるだろう。

 しばらくの間、二人は言葉を交わさず、静かに寄り添っていた。
 やがて香奈がそっと体を動かし、巧の肩に頭を預けた。

 巧は飼い主に甘える猫のように香奈の頭に頬を寄せつつ、視線のみを向けた。
 頬の強張りは少し和らぎ、本来の柔らかさを取り戻しつつあった。先程までよりもいくぶん穏やかな口調で、小さくつぶやいた。

「情けは人のためならずって、まさに今回みたいなことを言うんでしょうね」
「どういうこと?」
「巧先輩が武岡たけおか先輩のことを感情任せに糾弾しなかったからこそ、今回の襲撃は未遂で終わったわけじゃないですか」
「まあ、そうだね」

 もしも武岡がいなかったら、巧も香奈も冬美ふゆみもどうなっていたかわからない。

「当時はまさか、こんな展開になるとは思ってなかったけどね。それに、未遂では終わってないでしょ」

 巧は体を起こした。顔を上げた香奈の後頭部に手のひらを添え、腫れ物を扱うように胸に抱き寄せた。
 包み込むようにして抱きしめ、背中をポンポンと叩きながら、

「怖かったよね、香奈」
「っ……!」

 香奈の肩が跳ねた。
 彼女は小さく震えながら、巧の胸元に顔を押し付けて嗚咽おえつを漏らした。

「怖かったですっ……! 自分は何されるんだろうって、それ以上に巧先輩はどうなっちゃうんだろうって、すごく怖かったっ……!」
「うん。香奈の気持ち、全部伝わってたよ」

 巧は香奈のサラサラとした髪に、毛流れに沿うように指を通しながら、

「——不安にさせてごめん」
「本当ですよっ、あんなやつらの言うこと聞こうとして……!」

 シャツの胸元をギュッと握りしめる香奈の頭を、巧は苦笑混じりに撫でた。

「香奈には本当に悪いと思ってるよ。でも、これだけははっきりさせておくけど——」

 巧は香奈を引き剥がし、正面から向き合った。真剣な眼差しで濡れて輝く紅玉を見つめて、

「僕は今度も、香奈がなんと言おうと、何よりも香奈のことを優先させるから」
「っ……!」
「っていうかさ——」

 目を見開いて息を詰まらせる香奈の頬を、巧はむにゅっとつまんで引っ張った。

「ふぐっ」
「香奈こそ、自分はどうなってもいいって思ってたでしょ」
「っ……」

 香奈は頬をつままれたまま、無言で視線を逸らした。
 その頬はほんのり赤く染まり、唇を引き結んでいる。それが答えだった。

 巧は苦笑いを浮かべた。軽く息を吐いて、彼女を解放した。
 今度は正面から抱きしめるのではなく肩に手を回して、その頬をぷにぷにと弄びながら、

「結局、お互いに文句言いつつも似た者同士なんだろうね、僕たち」

 巧は肩をすくめてみせた。
 香奈も、まさにそうだと言わんばかりに大きくうなずいた。

「だから文句を言いたくなるんだと思います」
「間違いない」

 二人は目を合わせて笑い合った。その笑顔はそれまでの緊張を和らげる、柔らかなものだった。

「相手のこと考えているように見せて、結局お互いに意地っ張りでわがままですもんね」
「ね。だから対策としては、もう二度とこういうことが起こらないようにするしかないんだけど……」
「それはなかなか難しそうですよね……」

 揃ってため息を吐いた。
 学校一の美少女という呼び声もある香奈と、特殊なプレースタイルで咲麗しょうれい高校サッカー部のスタメンにまで上り詰めた巧なのだ。
 普通に生活している限り、やっかみや嫉妬が消えることはないだろう。

「でも、今回の一件で改めて、相手のことを非難したり糾弾するだけじゃなくて、相手の事情にも寄り添う巧先輩の姿勢が大事なんだなって学びました。気をつけます」
「確かに、香奈って大人びているように見せて、結構感情の起伏激しいもんね」

 巧はクスクス笑いながら、わざとらしく首を軽くかたむけてみせた。
 香奈は「うっ」とうめき声を漏らし、そっぽを向いた。唇を尖らせ、小声で拗ねたようにぼそりと、

「わ、わざわざ言わなくてもいいじゃないですか」
「拗ねないで。素直さも香奈の魅力の一つだし、そういうところも大好きだからさ」

 巧は香奈の頭を、指先でポンポンとノックをするように撫でた。
 彼女の膨れっ面が空気の抜ける風船のようにすぐにしぼんで、ゆるゆるとろけていくいく。目元をほんのりと赤らめつつも、じっとりとした眼差しを巧に向けて唇を尖らせた。

「……なんか、褒めて丸め込もうとしてません?」
「まさか。思ったことを口にしてるだけだよ」

 巧はそれ以上の追求を拒むように、その華奢な体を腕の中に閉じ込めた。
 本音であることは間違いないが、指摘されたような意図もないわけではなかった。

 マネージャーとして観察眼を磨いてきた香奈にも、誤魔化そうとしていることはわかったのだろう。苦笑いを浮かべて、

「仕方ありませんね。今回だけは、特別に丸め込まれておいてあげましょう」
「ありがと。でも、嘘を言ったつもりはないから」
「わかってますよ。巧先輩が私のことを大好きなのは」

 香奈がそう言ってイタズラっぽく笑い、びるように上目遣いで見上げてきた。

「それは良かった」

 巧はルビーのような光沢のある髪の毛を撫でつつ、ついと上を向いた瑞々しい唇にそっと口付けを落とした。

「ん……」

 香奈の目元が緩やかな弧を描いた。
 頬は紅に染まり、口元は陽だまりのように穏やかにほころんでいた。
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