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月乃視点③

前編

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 十月の始め。私は娘の知乃ちのの服を作っていた。
 普段からも、たくさん知乃の服を作る。私は小さい頃から洋裁や和裁を習っていた。裁縫は得意だ。
 今回は、今月末のハロウィン衣装。可愛い魔女服を作っている最中だ。
 そんな私の手元を、夫の征士くんが覗き込んできた。

「月乃さん。ちーちゃんに魔女っ娘の衣装作りですか?」

 ちーちゃんとは、知乃の愛称だ。私は頷いた。

「そうよ。ハロウィンですもの。可愛い格好をさせたいわ」

 黒いとんがり帽子と、ピンクのハートが付いた可愛い魔女服。きっと知乃に似合うだろう。
 作りかけの衣装を見ながら、征士くんが言った。

「ちーちゃんの魔女の服も良いですが……。折角ハロウィンなので、僕達も仮装しませんか?」
「え?」

 意外な提案に驚いたが、ちょっと考えてみて、それも楽しそうだと思った。

「そうね。私達も仮装したら、多分ちーちゃんも喜ぶわ。今月はあまり仕事忙しくないし、私と征士くんの衣装も作ってみるわ」

 同意すると、征士くんは微笑んだ。

「じゃあ、僕の好みなんですけど。月乃さん、シスターの格好をしませんか?」
「へ? シスター? 修道女さんのこと?」
「そうです」

 ハロウィンでシスターの格好とは……。結構マイナー?

「何でまたシスター?」

 尋ねると、征士くんは懐かしそうな顔をした。

「僕が最初に月乃さんにあげたプレゼント、覚えています? 十字架のネックレスでしたよね。優しそうで綺麗なシスターの人を見かけて、その人がクロスのネックレスをしていたから、贈り物をそうしようと思ったんです」

 私はびっくりした。あの十字架のネックレスにそんな意味が込められていたとは……。

「私が優しいからって言って、十字架のネックレスをくれたから、聖母マリア様を連想していたわ。『お母さん』みたいに優しいのかって思ったわ」

 十字架のネックレスは、今も大切にしまってある。

「何言っているんですか。昔言ったように、月乃さんのこと、お母さんともお姉さんとも思ったことはありません。ずっと大好きな、愛する月乃さんです」

 美しい笑顔で告げられ、赤面した。

「月乃さんのことは、あの優しそうで綺麗な、シスターの人みたいだと思ったんです。だからお願いです。シスターの格好をして、久しぶりにプレゼントしたネックレスを着けてくれませんか?」

 クロスのネックレスを贈ってくれたときの、幾分頬を染めた征士くんの姿を思い出した。十三歳からの彼の想いが嬉しくて、私は承諾した。

「征士くんがそんな風に思っていてくれたなんて……。いいわ、シスター服を作ってみるわ。征士くんの衣装は何にしようかしら……」

 格好良い征士くん。眺めて考えてみる。

「……んー。ヴァンパイアの衣装なんてどう? 征士くん、格好良いし、ハロウィンの定番だろうし」
「いいですね。僕のこと褒めてくれて、ありがとうございます」

 私は三人分の衣装を作ることになった。かなり大変かも。でも楽しい。

 ♦ ♦ ♦

「おとうさま、おかあさま。とりっくおあとりーと」

 少しばかり舌足らずな小さい魔女。とんがり帽子が揺れている。

「ハッピーハロウィン、ちーちゃん。レアチーズケーキがあるわよ」

 私は手作りのレアチーズケーキを、知乃に振る舞った。征士くんは、かぼちゃ型クッキーをあげていた。

「おかあさま、きれいね。おとうさまも、かっこいい」

 可愛らしい笑顔で、知乃は褒めてくれた。
 今日は頑張って作ったシスター服を真似た姿。ゆったりした袖のついた、くるぶし丈のワンピースのような貫頭衣。裾が大きい頭巾をかぶっている。胸には、征士くんからのプレゼントの十字架ネックレスを着けている。
 征士くんは、夜会服のようなフリルタイのついた、ヴァンパイアの仮装。真っ黒な立ち襟マントをまとっている。オールバックにした黒髪が、秀麗な美形を際立たせている。思った通り、吸血鬼姿は彼に似合っていた。
 三人で仮装が出来て、知乃は嬉しそうだ。ねだられて、何回も三人での写真を、お手伝いさんの豊永さんに撮影してもらった。

「らいねんも、みんなでこんなかっこうできたらいいな」

 すっかり興奮してしまい、知乃の自室で寝かし付けようとしたが、なかなか眠ってくれなかった。
 ようやく知乃が眠ってくれたので、私は夫婦の部屋へ戻った。征士くんはまだ着替えずに、待っていてくれた。

「あら、待っていてくれなくても、先にお風呂へ入ってくれれば良かったのに」

 そう言う私も、まだ仮装姿だが。

「いや、月乃さんにお疲れ様って、お礼言いたかったんです。僕の我儘を聞いてくれて……。仕事しながら三人分の衣装を作るのは、大変だったでしょう。お風呂入る前に、月乃さんに肩でもマッサージしようかと」

 ありがたい申し出だ。確かに連日の裁縫作業で、すっかり肩が凝っている。お言葉に甘えてソファへ座ると、ちょうど良い加減で、肩を揉んでくれた。
 ……征士くん、マッサージ上手。
 連日の仕事と衣装作りで疲れていた私は、次第に眠くなってきた。
 自分ではちょっと目を閉じただけの感覚だったが、どうも結構な時間うとうとしていたらしい。
 ふと、仮装越しに違和感がした。
 私はまだぼんやりとしながら、目を開いた。
 ──私の首筋に軽く噛みついている、ヴァンパイア姿の征士くん。

「……何? ヴァンパイアの真似事?」

 伝承の中には処女の生き血を好むという一説もある吸血鬼。私は処女どころか、一児の母親だけれど。

「はい、そうです。折角なので、ヴァンパイアの真似です。……ねえ、月乃さん『Trick or treat』」
「……へ?」

 思いもかけない台詞に、すっかり目が覚めてしまった。
 そんなことを言われても……。知乃には準備していたけれど、征士くん用にお菓子なんて準備していない。

「そんな……。征士くんへ、お菓子なんて作っていないわ」

 毎年バレンタインにはチョコレートを作っているが、ハロウィン用に作ったことは一度もない。
 呆気にとられながらそう言うと、美形吸血鬼は笑みを浮かべた。
 ……この笑顔。ろくでもないことを企んでいる時の顔だ。

「お菓子がないなら……当然悪戯、ですよね」
「…………」

 やっぱりろくでもないことを企んでいた年下夫。
 私は言葉が出なかった。
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