熱愛をご所望の令嬢は、子爵の欲望に翻弄されます

朝日みらい

文字の大きさ
3 / 7

(3)

しおりを挟む
 数時間後、ハモンドは何杯か隣の紳士とウイスキーを飲みながら思いがけて楽しい時を過ごしてから邸に戻ると、 ナッシュは玄関で古参の老執事に捕まりました。

 主人が帰宅したら帽子や外套を脱ぐのを手伝うものと心得ているはずなのに、執事は折りたたまれた用紙をナッシュに差し出しました。

  大胆ですが、柔らかくてなめらかな淑女らしい字で宛名が書かれています。

 執事は前置きなしに言いました。

「すぐにお返事が欲しいとのことです、 ご主人様 」

「すぐにとは。 なかなか無茶な要求だ」

「はい。 その書簡を届けに来た従僕は返事を受け取るまで帰らないと申しております。しかも、大食いで困ります」 

 執事は鋭い灰色の目を厨房の方に向け、いつもしかめているような顔を一層 渋くしました。

  ハモンドは小さく笑いました。

 (家の食料を、従僕に食い尽くされそうだというわけか) 

 料理人のおばさまは、この家に足を踏み入れたもの全員を太らせるのが自分の使命だと考えているのです。彼女がその使命に熱心すぎて、食べ物が足りなくなると執事はおかんむりな訳です。

 備蓄倉庫に蓄えられているバターの量を考えれば、プディングをいくら余計に食べさせたところで問題ないと諭しても、聞く耳を持ちません。

 執事は、高いとは言えない背をグッと伸ばして鼻を鳴らしました。

「あの従僕の食欲ときたら、一個大隊並みです。まるで使用人に満足に食事を与えていないか、単に食事をさせるために送り込んできたような食べっぷりです」

  ハモンドは、書簡を開きました。ふわりとシナモンの香りが立ちのぼります。

(彼女の香りだ) 

 エルセーヴ嬢が赤いシルクのシーツに横たわる姿が、目に浮かんできます。桜色の豊かな髪が扇のように広がり、月の光を思わせるような白い素肌が触れられるのを待っているかのように。

 彼は手の中の書簡に視線を落としました。

『レディー・エルセーヴ・ホッテンはハモンド・ブランクトン子爵を来週水曜日の午後2時にルベスバーグ伯爵邸で行われる素敵なピンクランチに謹んでご招待いたします。是非とも至急お返事いただければと存じます』 

 その瞬間、全てが腑に落ちたのです。 

(ハプスバラとグランドルがあれほど自信を持っていた理由はこれだったのか)

 2人ともそれぞれ同じような招待状を受け取って、この栄誉によくしているは自分だけだと思い込んだのです。

  求婚者に事欠かさず決断に慎重なエルセーヴ嬢が、いまだ品定め中だとは露ほども疑っていないでしょう。

(だが彼女は最後の一つを選び出す前にいくつの果実を絞るつもりなのだろうな)

 それこそハモンドが答えを知りたいことでした。

  ハモンドは執事を呼びました。

「その従僕を呼んできてくれ」 

「かしこまりました、ご主人様」 

 そう言って、ハモンドを玄関ホールに残し、勇み足で中央の扉へと向かっていきます。

 執事の姿が見えなくなってから、 ハモンドは帽子と外套をまだ脱いでいないことに気がつきました。 

(まあいい。自分で片付けられないわけではないし) 

 帽子と外套をしまって玄関口に戻ってくると 、執事が背の高い 若い従僕を連れて待っていました。 

 従僕はホッテン伯爵家の白とロイヤルブルーの薔薇の紋章入りのマント姿でした。

 靴の端にかすかに赤いものがついています。家政婦お得意のベリーパイを頬張っているところを引っ張ってこられたのだろうと、ハモンドは苦笑しました。

  ハモンドに気づいた従僕はかかとを打ち鳴らして、深々と頭を下げました。 

「あのう、主人への返事をいただけますでしょうか」

「ああ。だがそれを渡す前に知りたいことがある。きみは今日レディー・エルセーヴの使いで他にも書簡を届けたか?」 

 従僕は目を見開きました。

 「はい。実を申しますと3つほど 届けました」 

「これから届けるものもあるのか」 

「いいえ、旦那様」

 従僕は頭を振りながら答えました。

「こちらが最後です」

  ハモンドの胸から、安堵の息が漏れました。

 そうなると、招待状を受け取ったのは自分とハプスバラとグランドルの3人だけだということだと判明しました。

 少なくても王国中の全男性を蹴散らす必要はないのです。そして 3人にまで候補を絞ったということは、彼女が決断を下す時は近いに違いないということでした。 

 彼女が正しい選択をするように、あらゆる手を打とうとハモンドは決めました。そのためにゲームのルールを変えることになるとしても……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪された私ですが、気づけば辺境の村で「パン屋の奥さん」扱いされていて、旦那様(公爵)が店番してます

さら
恋愛
王都の社交界で冤罪を着せられ、断罪とともに婚約破棄・追放を言い渡された元公爵令嬢リディア。行き場を失い、辺境の村で倒れた彼女を救ったのは、素性を隠してパン屋を営む寡黙な男・カイだった。 パン作りを手伝ううちに、村人たちは自然とリディアを「パン屋の奥さん」と呼び始める。戸惑いながらも、村人の笑顔や子どもたちの無邪気な声に触れ、リディアの心は少しずつほどけていく。だが、かつての知り合いが王都から現れ、彼女を嘲ることで再び過去の影が迫る。 そのときカイは、ためらうことなく「彼女は俺の妻だ」と庇い立てる。さらに村を襲う盗賊を二人で退けたことで、リディアは初めて「ここにいる意味」を実感する。断罪された悪女ではなく、パンを焼き、笑顔を届ける“私”として。 そして、カイの真実の想いが告げられる。辺境を守り続けた公爵である彼が選んだのは、過去を失った令嬢ではなく、今を生きるリディアその人。村人に祝福され、二人は本当の「パン屋の夫婦」となり、温かな香りに包まれた新しい日々を歩み始めるのだった。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

急に王妃って言われても…。オジサマが好きなだけだったのに…

satomi
恋愛
オジサマが好きな令嬢、私ミシェル=オートロックスと申します。侯爵家長女です。今回の夜会を逃すと、どこの馬の骨ともわからない男に私の純潔を捧げることに!ならばこの夜会で出会った素敵なオジサマに何としてでも純潔を捧げましょう!…と生まれたのが三つ子。子どもは予定外だったけど、可愛いから良し!

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

悪役令嬢に転生しましたが、全部諦めて弟を愛でることにしました

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に転生したものの、知識チートとかないし回避方法も思いつかないため全部諦めて弟を愛でることにしたら…何故か教養を身につけてしまったお話。 なお理由は悪役令嬢の「脳」と「身体」のスペックが前世と違いめちゃくちゃ高いため。 超ご都合主義のハッピーエンド。 誰も不幸にならない大団円です。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。 小説家になろう様でも投稿しています。

竜帝は番に愛を乞う

浅海 景
恋愛
祖母譲りの容姿で両親から疎まれている男爵令嬢のルー。自分とは対照的に溺愛される妹のメリナは周囲からも可愛がられ、狼族の番として見初められたことからますます我儘に振舞うようになった。そんなメリナの我儘を受け止めつつ使用人のように働き、学校では妹を虐げる意地悪な姉として周囲から虐げられる。無力感と諦めを抱きながら淡々と日々を過ごしていたルーは、ある晩突然現れた男性から番であることを告げられる。しかも彼は獣族のみならず世界の王と呼ばれる竜帝アレクシスだった。誰かに愛されるはずがないと信じ込む男爵令嬢と番と出会い愛を知った竜帝の物語。

処理中です...