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第1章:影の聖女、リーネ
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「リーネ、また薬草庫の整理お願いね。あ、それと、裏庭の犬が吐いたから掃除も頼むわ。」
「はい、わかりました。犬の嘔吐物ですね。消毒もしておきます。」
「え、うわ……そんなに冷静に言わなくても……ま、よろしくー」
神殿の廊下をひとり歩きながら、リーネ・メルシエは両手いっぱいにほうきと薬壺を抱えていた。肩にかかる灰色の髪、質素な修道服。目立たぬ姿に、誰も彼女の名を呼ばず、ただ「聖女候補の地味な玉の輿」と呼ぶ。
「……まあ、誰もやらないなら、私がやるしかないですし」
ぽつりとつぶやきながら、リーネは薬草庫の鍵を開けた。棚の上では、干しミントの束が落ちかけており、例によって乱雑な状態だ。深いため息をつきながら、彼女は棚をひとつずつ整えていく。
その姿を誰も褒めはしないが、リーネにはわかっている。傷ついた人が薬を飲んで元気になること、清潔な部屋が巡礼者を迎える助けになること。その小さな積み重ねが、聖女としての本当の務めだと。
「リーネさん、また裏庭で犬が吐いたらしいです」
「あ、さっきのとは別の犬ですか?」
「……どうやら別の犬です。……ごめんなさい、私、無理で……」
「大丈夫です、慣れてますから」
慣れているってなんだ。いや、もう言うまい。
彼女はにっこりと微笑んでバケツを持ち、裏庭へ向かった。そこには、見覚えのある大型犬──「アレックス様」がしょんぼりと座っている。
「また変なもの食べたんですね、アレックス様。まったく……この前、厨房のバター盗み食いしたの、バレてますよ」
「ワン…(すまん)」
掃除を終え、毛並みに優しく触れると、アレックスは小さく鼻を鳴らした。誰も見ていない、誰も褒めてくれない。でも、リーネの手は、確かに優しくあたたかかった。
夕刻、神殿の礼拝堂では若き聖女候補たちが集まり、儀式の練習が行われていた。光り輝く金髪のルーナが中心に立ち、その魔力の光に皆が見惚れている。
「これが“聖女の資質”ってものよね。ねえリーネ、あなたも見習ったら?」
「あ、はい。参考になります」
「ほんと、空気みたいねぇ。いるのかいないのか分からないわ、あなた。それで公爵家の家柄だけで、3才からちゃっかりアルノルト王太子殿下の婚約者、なんてね」
それでも、リーネは怒らなかった。ただ静かに微笑んでいた。そんな彼女の存在を、誰も気づかぬまま日々は過ぎていく。
だが、この時のリーネはまだ知らなかった。
この地味で目立たない毎日が、やがて彼女を“伝説の聖女”と呼ばせる序章に過ぎなかったということを。
そして、ある辺境の地で彼女を“世界で一番愛おしい存在”と呼ぶ男と出会うことを──。
「はい、わかりました。犬の嘔吐物ですね。消毒もしておきます。」
「え、うわ……そんなに冷静に言わなくても……ま、よろしくー」
神殿の廊下をひとり歩きながら、リーネ・メルシエは両手いっぱいにほうきと薬壺を抱えていた。肩にかかる灰色の髪、質素な修道服。目立たぬ姿に、誰も彼女の名を呼ばず、ただ「聖女候補の地味な玉の輿」と呼ぶ。
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「リーネさん、また裏庭で犬が吐いたらしいです」
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「……どうやら別の犬です。……ごめんなさい、私、無理で……」
「大丈夫です、慣れてますから」
慣れているってなんだ。いや、もう言うまい。
彼女はにっこりと微笑んでバケツを持ち、裏庭へ向かった。そこには、見覚えのある大型犬──「アレックス様」がしょんぼりと座っている。
「また変なもの食べたんですね、アレックス様。まったく……この前、厨房のバター盗み食いしたの、バレてますよ」
「ワン…(すまん)」
掃除を終え、毛並みに優しく触れると、アレックスは小さく鼻を鳴らした。誰も見ていない、誰も褒めてくれない。でも、リーネの手は、確かに優しくあたたかかった。
夕刻、神殿の礼拝堂では若き聖女候補たちが集まり、儀式の練習が行われていた。光り輝く金髪のルーナが中心に立ち、その魔力の光に皆が見惚れている。
「これが“聖女の資質”ってものよね。ねえリーネ、あなたも見習ったら?」
「あ、はい。参考になります」
「ほんと、空気みたいねぇ。いるのかいないのか分からないわ、あなた。それで公爵家の家柄だけで、3才からちゃっかりアルノルト王太子殿下の婚約者、なんてね」
それでも、リーネは怒らなかった。ただ静かに微笑んでいた。そんな彼女の存在を、誰も気づかぬまま日々は過ぎていく。
だが、この時のリーネはまだ知らなかった。
この地味で目立たない毎日が、やがて彼女を“伝説の聖女”と呼ばせる序章に過ぎなかったということを。
そして、ある辺境の地で彼女を“世界で一番愛おしい存在”と呼ぶ男と出会うことを──。
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