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 司書の女性に導かれて、室内に入り、メリエルは、「あっ」と息をのんだ。
 円形状の天窓から、太陽の緩やかな日差しが差し込んでいる。
 壁の本棚には、美しい装丁の本の表紙が並んでいて、他の司書たちが新刊を差し入れたり、棚の入れ替えをしたりしている。

「リリス様。こちらが、『エミール嬢の憂鬱』のコーナーでございます。全二十巻、金表紙のものです」

「わあ……」
 メリエルは、口元を手であてがって、叫び出したい気持ちを何とか抑えながら、陳列棚に近づいていった。
 そして、恐る恐る一冊を手にして、ページをめくり、鼻を近づけて、おっとりした表情をする。

「ああ。なんて、かぐわしい香りなのかしら。それに、装丁の花と蝶のデザインが素適ったらないわ! この感動を黙っていることなんて、できないことよ。わたしが読んだ本は埃を吸い込んだ、まるでコーヒーの染みみたいな本だったんですもの。それに、やっと二巻を読めるのよね。エミール嬢は、ギャンブル好きの父親のせいで没落して、孤児院に送り込まれているのだけれど、決して未来を諦めたりしないの。そして、偶然、森で野いちごを摘んでいたエミールは、運命の公爵様と出会って、甘いキスをして恋に落ちるの……」

「ふふっ……リリス様ったら」

 フリメースは、思わず、小さく笑みを浮かべて笑っていた。
 学校では決して見せない、彼女の生き生きとした姿に、こちらも気持ちが明るくなる。

 かつてのリリス嬢は、長い闘病のためか、快活さは無く、陽気とは正反対だった。顔色は青白く、目つきに生気は失われ、まだ若いはずなのに、ずいぶんと年老いて見えた。

 そう、やはり、目の前の彼女は以前のリリス嬢ではないのかもしれないわ。

 そんな、フリメースの思いを見透かしたのか、リリス嬢が慌てて、額に手をあてながら苦笑して、
 
「あら嫌だ。ごめんなさい。はしゃぎすぎてしまったわ。わたし、本当はこんなに話さないんです。ただ、素適な本だから、ついつい……。でも、こんな素適な本を書かれた作家様はどんな方なのかしら。きっと、魅力的な方なのでしょうね」

と、苦笑している。
 
 司書長は感激したように頬を赤らめ、リリス嬢に歩み出ると、

「実は、わたしが、この本を書いたのです」

「ま、まさか……」

 リリス嬢は、初めは信じていないようににやけ顔だったが、フリメース嬢も、うんうんと、平然に頷いたので、

「……信じられないわ! エマニュエ様ですかっ。駄目だわ。嬉しくて、涙が出てきちゃった。ああ、どうしましょ……」
 
と、目頭に手を当てながら、近くのソファにうずくまってしまう。

 二人が顔を見合わせ、あたふたしていると、そこに遅れてレイズ王子が現れた。

 リリス嬢の横に腰かけ、

「ごめん、リリス。公務で遅れてしまって。大丈夫かい?」

「ごめんなさい。……嬉しすぎて、涙が止まらなくなって……しまって。だって、レイズ様、想像してみてください。孤児の子どもなんて、お父さんもお母さんもいないんです。未来なんてなくて、希望だって、温かいぬくもりだってないの。だけど、この本は、突然、公爵が現れて、暗闇から救い出してくれる。本を開くだけで、空想の中だけでも、つらい現実を忘れることができたんです。わたしにとって、この本は英雄みたいな、女神様みたいな存在なんです。レイズ様には、こうして、原作者のエマニュエ様に直接お会いできる機会をいただけたこと、本当に嬉しくて、嬉しくて。ありがとうございます!」
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