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第一章 婚約破棄の夜会
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燦然と輝くシャンデリアが、まるで昼間の太陽を閉じ込めたかのように天井から光を降り注いでいました。
薄絹のドレスを纏った令嬢たちは、ひとつ笑えば花の香りが散るようで、煌めく衣装を着こなした殿方たちは、皆獲物を探す狩人のような眼差しで舞踏会に興じています。
場所は王宮の大広間。本日は王妃陛下のお誕生日を祝う盛大な夜会。
王都に暮らす貴族たちにとって、これほど華やかな催しはそう多くはございません。
その中心に立つのが、このわたくし――クラリッサ・ローゼン。侯爵令嬢であり、第二王子アルベルト殿下の婚約者。
けれど世間では「悪役令嬢」と囁かれてまいりました。
心当たりが皆無かと言われれば、多少はございます。気の強い物言いや、陰に潜む者たちにきっぱりと手厳しい態度を取ったことなど。
ですが、それはローゼン侯爵家の威信を守るため。父や母が代々積み重ねてきた誇りを継ぐ者として、容赦無き強さを演じざるを得なかっただけ。
わたくしの本性など誰も知りはしません。噂など、所詮は虚像に過ぎないのです。
――そして、その虚像すら利用されたのです。
殿下が最初から狙っていたのはわたくし個人などではございません。ローゼン侯爵家という基盤そのもの。
古くから王国の財政と軍備を支え続けてきた柱を折れば、王国の権力図に穴が開く。殿下はその算段を胸に、わたくしとの婚約を「舞台」として演じていたのです。
その試練の瞬間は、宴もたけなわの折に訪れました。
「クラリッサ!」
朗らかな声に呼ばれて振り返ると、銀糸の髪をなびかせたアルベルト殿下が、舞踏会場の中央に進み出ておられました。
華美な軍服に身を包み、会場の光を独占するようなご登場。誰よりも無邪気を装いながら、肝心な場面では自己演出を巧みに巡らせるお方――。
わたくしの胸が、不穏な予感に強く打ちました。
「我、アルベルト・フォン・サウズリンド王国第二王子は、ここに宣言する! 侯爵令嬢クラリッサ・ローゼンとの婚約を――破棄する!」
……え?
場の空気が、一瞬にして凍りつきました。音楽は絶え、令嬢たちの吐息がこぼれ、殿方たちがひそやかに視線を交わします。
王妃陛下御前にして、これほど格式高い会場で。――まさかこんな場所で、わたくしへの断罪を演じるだなんて。
その宣言こそ、ローゼン家を衆人環視の中で辱め、力の根を揺さぶろうとする殿下の企みの核心。
喉を裂くような沈黙の中で、わたくしはふっと口許を綻ばせました。
「まあ……そう、ですか」
冷ややかにそう返した瞬間、会場にざわめきが走りました。
誰もがわたくしの取り乱しを予想していたのでしょう。けれど涙など、決して見せません。ローゼンの娘としての矜持があるのです。
――ただ、胸の奥に小さな痛みが刺さったことも事実でした。殿下という方と、形式にせよ生涯を誓ったのですから。
殿下が勝ち誇ったように口角を吊り上げた――その時でした。
「ならば彼女は――私がいただこう」
低く朗々とした声が大広間に響き渡り、扉が開かれました。
人々が一斉に視線を向ける先には、漆黒の礼服に身を包んだ長身の青年。辺境伯嫡男、アレクシス・ヴァレンタイン様でございます。剣の刃のごとき眼差しが、ただひとり、わたくしに注がれておりました。
「アレクシス様……?」
思わずこぼした名を追うように、彼は迷いなく歩み寄り、衆人の前でわたくしの前に立ちふさがれました。
「クラリッサ嬢を貶めたいなら、まずはこの私を倒してからにしていただこうか、王子殿下」
さらりと放たれたその宣言に、誰もが息を呑みました。何より息を詰めていたのは――このわたくし自身。
庇われることなど、こちらにとっては縁遠いもの。そして「欲しい」と告げられることなど、これまで一度としてなかったものです。
「あ、あの……アレクシス様、いきなり何を……」
動揺の言葉を発したところで、彼はわたくしの手を取り、強く握り締められました。
その大きな掌から伝わる温もりが、冷えきった胸の奥に静かに溶け込んでゆくようで。
「君を放っておけるはずがない」
射抜くように真っ直ぐな眼差し。わたくしの頬に、どうしても熱が差してゆくのを隠しきれませんでした。
煌めく舞踏会はもはや遠く、わたくしの世界は、ただ彼の声と温もりだけに満たされていったのです。
薄絹のドレスを纏った令嬢たちは、ひとつ笑えば花の香りが散るようで、煌めく衣装を着こなした殿方たちは、皆獲物を探す狩人のような眼差しで舞踏会に興じています。
場所は王宮の大広間。本日は王妃陛下のお誕生日を祝う盛大な夜会。
王都に暮らす貴族たちにとって、これほど華やかな催しはそう多くはございません。
その中心に立つのが、このわたくし――クラリッサ・ローゼン。侯爵令嬢であり、第二王子アルベルト殿下の婚約者。
けれど世間では「悪役令嬢」と囁かれてまいりました。
心当たりが皆無かと言われれば、多少はございます。気の強い物言いや、陰に潜む者たちにきっぱりと手厳しい態度を取ったことなど。
ですが、それはローゼン侯爵家の威信を守るため。父や母が代々積み重ねてきた誇りを継ぐ者として、容赦無き強さを演じざるを得なかっただけ。
わたくしの本性など誰も知りはしません。噂など、所詮は虚像に過ぎないのです。
――そして、その虚像すら利用されたのです。
殿下が最初から狙っていたのはわたくし個人などではございません。ローゼン侯爵家という基盤そのもの。
古くから王国の財政と軍備を支え続けてきた柱を折れば、王国の権力図に穴が開く。殿下はその算段を胸に、わたくしとの婚約を「舞台」として演じていたのです。
その試練の瞬間は、宴もたけなわの折に訪れました。
「クラリッサ!」
朗らかな声に呼ばれて振り返ると、銀糸の髪をなびかせたアルベルト殿下が、舞踏会場の中央に進み出ておられました。
華美な軍服に身を包み、会場の光を独占するようなご登場。誰よりも無邪気を装いながら、肝心な場面では自己演出を巧みに巡らせるお方――。
わたくしの胸が、不穏な予感に強く打ちました。
「我、アルベルト・フォン・サウズリンド王国第二王子は、ここに宣言する! 侯爵令嬢クラリッサ・ローゼンとの婚約を――破棄する!」
……え?
場の空気が、一瞬にして凍りつきました。音楽は絶え、令嬢たちの吐息がこぼれ、殿方たちがひそやかに視線を交わします。
王妃陛下御前にして、これほど格式高い会場で。――まさかこんな場所で、わたくしへの断罪を演じるだなんて。
その宣言こそ、ローゼン家を衆人環視の中で辱め、力の根を揺さぶろうとする殿下の企みの核心。
喉を裂くような沈黙の中で、わたくしはふっと口許を綻ばせました。
「まあ……そう、ですか」
冷ややかにそう返した瞬間、会場にざわめきが走りました。
誰もがわたくしの取り乱しを予想していたのでしょう。けれど涙など、決して見せません。ローゼンの娘としての矜持があるのです。
――ただ、胸の奥に小さな痛みが刺さったことも事実でした。殿下という方と、形式にせよ生涯を誓ったのですから。
殿下が勝ち誇ったように口角を吊り上げた――その時でした。
「ならば彼女は――私がいただこう」
低く朗々とした声が大広間に響き渡り、扉が開かれました。
人々が一斉に視線を向ける先には、漆黒の礼服に身を包んだ長身の青年。辺境伯嫡男、アレクシス・ヴァレンタイン様でございます。剣の刃のごとき眼差しが、ただひとり、わたくしに注がれておりました。
「アレクシス様……?」
思わずこぼした名を追うように、彼は迷いなく歩み寄り、衆人の前でわたくしの前に立ちふさがれました。
「クラリッサ嬢を貶めたいなら、まずはこの私を倒してからにしていただこうか、王子殿下」
さらりと放たれたその宣言に、誰もが息を呑みました。何より息を詰めていたのは――このわたくし自身。
庇われることなど、こちらにとっては縁遠いもの。そして「欲しい」と告げられることなど、これまで一度としてなかったものです。
「あ、あの……アレクシス様、いきなり何を……」
動揺の言葉を発したところで、彼はわたくしの手を取り、強く握り締められました。
その大きな掌から伝わる温もりが、冷えきった胸の奥に静かに溶け込んでゆくようで。
「君を放っておけるはずがない」
射抜くように真っ直ぐな眼差し。わたくしの頬に、どうしても熱が差してゆくのを隠しきれませんでした。
煌めく舞踏会はもはや遠く、わたくしの世界は、ただ彼の声と温もりだけに満たされていったのです。
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