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第3章 優しい王子
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厨房から届けられた「変な匂いのする粉」を、私は自室の密室で検分していました。
指先にほんの少し取り、鼻をくすぐる独特の甘い香りを確認します。
「……やはり。マンドラゴラの根を乾燥させ、微量の沈殿毒を混ぜたものですね。犯人がどこにいるか、もう時間がないわ……」
即死性はありません。ですが、口にすれば激しい眩暈と高熱に襲われ、数日間は動けなくなるでしょう。今夜の晩餐会には、北方連合からの重要な使節団が招かれています。そこで王子妃であるアメリア様が醜態を晒せば、彼女の政治的評価は失墜し、引いては旧侯爵派の弱体化に繋がります。
(犯人は、王権強化を狙う直轄派……あるいは、中立派である私の立場を危うくしたい者の仕業でしょうか)
どちらにせよ、今ここで騒ぎ立てるのは得策ではありません。犯人は「毒が盛られた」という事実そのものを利用し、警備の不備を突いてくるはずです。
「セレフィナ、準備はいいかい?」
扉を叩く音とともに、カイル殿下が顔を出しました。その後ろには、不安げにドレスの裾をいじるアメリア様。
「……ええ、殿下。準備は整っておりますわ。アメリア様、その耳飾り、少し左に寄っています。直させていただきますね」
私は微笑みながらアメリア様に近づき、耳飾りに触れるふりをして、彼女の耳の裏に小さな透明なパッチを貼り付けました。私が調合した、強力な解毒効果を持つ薬を染み込ませたものです。
「ありがとう、セレフィナ。あなたがいると、本当に安心するわ。……でも、大丈夫かしら。私、上手く笑えるかしら」
「もちろんです。アメリア様は、この国で最も美しい太陽なのですから」
私は彼女の手を優しく握り、そっと力を込めました。
……けれど。
その光景を、部屋の入り口に立つリオネル様が、冷徹な目で見つめていることに私は気づいていました。
晩餐会は、華やかに幕を開けました。
シャンデリアの光が宝石のように降り注ぎ、楽団の演奏が心地よく流れます。
カイル殿下は使節団と談笑し、アメリア様も私の助言通り、完璧な微笑みで賓客をもてなしていました。
そして、問題のスープが運ばれてきます。
私は側妃として、アメリア様の斜め後ろに控えていました。
毒見役は別にいますが、この微量な毒は通常の銀の匙では反応しません。
「アメリア、このスープは素晴らしいよ。君も一口どうだい?」
カイル殿下が、無邪気にアメリア様に勧めます。
私は一歩前に出ました。
「失礼いたします。アメリア様、そのスープ、少し温度が高いようですわ。私が先に、風味を確かめさせていただきます」
「えっ? ええ、お願いするわ、セレフィナ」
周囲の貴族たちが「側妃が毒見とは、出しゃばった真似を」とひそひそ囁くのが聞こえます。
私は動じず、匙を口に運びました。
――ピリリとした刺激。間違いない。
私は表情一つ変えず、スープを飲み下しました。
喉の奥が焼けるような感覚。視界が一瞬ぐらりと揺れます。
けれど、私は完璧な淑女の礼を取り、静かに下がりました。
「……申し分ございません。別のものにしましょう」
宴は何事もなかったかのように続きます。
アメリア様は美味しそうに他のスープを口にし、その背後で、私は壁に手をついて必死に耐えていました。
パッチの解毒剤はアメリア様には効いていますが、直接毒を煽った私への負担は、想像以上でした。
(大丈夫……私は、強いから……このくらい……)
「――おい」
冷たい声とともに、強い腕が私の腰を引き寄せました。
視界が白む中、見上げた先には、怒りで顔を歪めたリオネル様がいました。
「……騎士様。公の場で、淑女に馴れ馴れしくするのは……」
「黙れ。顔が真っ青だ」
彼は強引に私を抱きかかえると、衆人環視を無視してバルコニーへと連れ出しました。
夜風が、火照った肌に突き刺さります。
「下ろして……ください。まだ、仕事が……」
「仕事だと? あんた、自分が何を飲んだか分かっているのか!」
リオネル様が、私をベンチに座らせ、両肩を掴んで激しく揺さぶりました。
彼の灰色の瞳には、かつて戦場で見せたであろう鋭い殺気――いいえ、それは私への、剥き出しの「怒り」でした。
「毒だと分かっていて飲んだだろう。なぜ騎士に、俺に言わなかった!」
「……騒ぎにすれば、アメリア様の評価が……殿下の立場が……。私は、そのための『駒』ですから……」
途切れ途切れに答える私の唇を、彼の親指が乱暴に、けれどどこか震える手つきで押さえました。
「駒じゃない! あんたは血の通った女だろうが!」
彼はそのまま、私の後頭部に手を回し、額と額をぶつけるようにして私を覗き込みました。
近すぎる距離。彼の荒い呼吸が、私の唇に触れます。
「俺が、どれだけ肝を冷やしたと思っている……。あんたが倒れるのを見て、心臓が止まるかと思ったんだぞ」
彼の大きな手が、私の頬を包み込みます。
その熱は、毒による熱よりもずっと熱く、私の胸の奥にまで浸透してきました。
「……セレフィナ。俺の前でだけは、強くなくていい。……頼むから、自分を粗末にしないでもらえないか」
低く、掠れた声。
それは祈りにも似た響きを持っていました。
私は、彼の胸板にそっと手を置きます。鎧越しに伝わる、激しい鼓動。
カイル殿下は、私を見て「便利だ」と微笑みました。
父様は、私に「強いな」と期待しました。
けれど、この不器用な騎士様だけが、私の弱さを、ボロボロになった心を見つけ出してしまうのです。
「……こまりますわ、騎士様。そんな風に言われたら……私は……」
言葉が涙になって溢れそうになった時、バルコニーの扉が開きました。
「セレフィナ? リオネル? こんなところで何を……」
現れたのは、心配そうな顔をしたカイル殿下でした。
リオネル様は素早く私から離れ、跪いて敬礼します。
「……セレフィナ殿下が眩暈を起こされたため、風に当たっていただいておりました」
「そうか、それは大変だ。セレフィナ、無理はいけないよ。君にはまだ、明日の予算会議の資料作りをお願いしたいんだから」
カイル殿下の優しい、けれどどこまでも他人事な言葉。
リオネル様の拳が、微かに震えるのを私は見逃しませんでした。
「……承知いたしました、殿下。すぐに向かいます」
私は立ち上がりました。スカーフの時と同じ、あの温もりが背中を支えてくれているような気がして。
指先にほんの少し取り、鼻をくすぐる独特の甘い香りを確認します。
「……やはり。マンドラゴラの根を乾燥させ、微量の沈殿毒を混ぜたものですね。犯人がどこにいるか、もう時間がないわ……」
即死性はありません。ですが、口にすれば激しい眩暈と高熱に襲われ、数日間は動けなくなるでしょう。今夜の晩餐会には、北方連合からの重要な使節団が招かれています。そこで王子妃であるアメリア様が醜態を晒せば、彼女の政治的評価は失墜し、引いては旧侯爵派の弱体化に繋がります。
(犯人は、王権強化を狙う直轄派……あるいは、中立派である私の立場を危うくしたい者の仕業でしょうか)
どちらにせよ、今ここで騒ぎ立てるのは得策ではありません。犯人は「毒が盛られた」という事実そのものを利用し、警備の不備を突いてくるはずです。
「セレフィナ、準備はいいかい?」
扉を叩く音とともに、カイル殿下が顔を出しました。その後ろには、不安げにドレスの裾をいじるアメリア様。
「……ええ、殿下。準備は整っておりますわ。アメリア様、その耳飾り、少し左に寄っています。直させていただきますね」
私は微笑みながらアメリア様に近づき、耳飾りに触れるふりをして、彼女の耳の裏に小さな透明なパッチを貼り付けました。私が調合した、強力な解毒効果を持つ薬を染み込ませたものです。
「ありがとう、セレフィナ。あなたがいると、本当に安心するわ。……でも、大丈夫かしら。私、上手く笑えるかしら」
「もちろんです。アメリア様は、この国で最も美しい太陽なのですから」
私は彼女の手を優しく握り、そっと力を込めました。
……けれど。
その光景を、部屋の入り口に立つリオネル様が、冷徹な目で見つめていることに私は気づいていました。
晩餐会は、華やかに幕を開けました。
シャンデリアの光が宝石のように降り注ぎ、楽団の演奏が心地よく流れます。
カイル殿下は使節団と談笑し、アメリア様も私の助言通り、完璧な微笑みで賓客をもてなしていました。
そして、問題のスープが運ばれてきます。
私は側妃として、アメリア様の斜め後ろに控えていました。
毒見役は別にいますが、この微量な毒は通常の銀の匙では反応しません。
「アメリア、このスープは素晴らしいよ。君も一口どうだい?」
カイル殿下が、無邪気にアメリア様に勧めます。
私は一歩前に出ました。
「失礼いたします。アメリア様、そのスープ、少し温度が高いようですわ。私が先に、風味を確かめさせていただきます」
「えっ? ええ、お願いするわ、セレフィナ」
周囲の貴族たちが「側妃が毒見とは、出しゃばった真似を」とひそひそ囁くのが聞こえます。
私は動じず、匙を口に運びました。
――ピリリとした刺激。間違いない。
私は表情一つ変えず、スープを飲み下しました。
喉の奥が焼けるような感覚。視界が一瞬ぐらりと揺れます。
けれど、私は完璧な淑女の礼を取り、静かに下がりました。
「……申し分ございません。別のものにしましょう」
宴は何事もなかったかのように続きます。
アメリア様は美味しそうに他のスープを口にし、その背後で、私は壁に手をついて必死に耐えていました。
パッチの解毒剤はアメリア様には効いていますが、直接毒を煽った私への負担は、想像以上でした。
(大丈夫……私は、強いから……このくらい……)
「――おい」
冷たい声とともに、強い腕が私の腰を引き寄せました。
視界が白む中、見上げた先には、怒りで顔を歪めたリオネル様がいました。
「……騎士様。公の場で、淑女に馴れ馴れしくするのは……」
「黙れ。顔が真っ青だ」
彼は強引に私を抱きかかえると、衆人環視を無視してバルコニーへと連れ出しました。
夜風が、火照った肌に突き刺さります。
「下ろして……ください。まだ、仕事が……」
「仕事だと? あんた、自分が何を飲んだか分かっているのか!」
リオネル様が、私をベンチに座らせ、両肩を掴んで激しく揺さぶりました。
彼の灰色の瞳には、かつて戦場で見せたであろう鋭い殺気――いいえ、それは私への、剥き出しの「怒り」でした。
「毒だと分かっていて飲んだだろう。なぜ騎士に、俺に言わなかった!」
「……騒ぎにすれば、アメリア様の評価が……殿下の立場が……。私は、そのための『駒』ですから……」
途切れ途切れに答える私の唇を、彼の親指が乱暴に、けれどどこか震える手つきで押さえました。
「駒じゃない! あんたは血の通った女だろうが!」
彼はそのまま、私の後頭部に手を回し、額と額をぶつけるようにして私を覗き込みました。
近すぎる距離。彼の荒い呼吸が、私の唇に触れます。
「俺が、どれだけ肝を冷やしたと思っている……。あんたが倒れるのを見て、心臓が止まるかと思ったんだぞ」
彼の大きな手が、私の頬を包み込みます。
その熱は、毒による熱よりもずっと熱く、私の胸の奥にまで浸透してきました。
「……セレフィナ。俺の前でだけは、強くなくていい。……頼むから、自分を粗末にしないでもらえないか」
低く、掠れた声。
それは祈りにも似た響きを持っていました。
私は、彼の胸板にそっと手を置きます。鎧越しに伝わる、激しい鼓動。
カイル殿下は、私を見て「便利だ」と微笑みました。
父様は、私に「強いな」と期待しました。
けれど、この不器用な騎士様だけが、私の弱さを、ボロボロになった心を見つけ出してしまうのです。
「……こまりますわ、騎士様。そんな風に言われたら……私は……」
言葉が涙になって溢れそうになった時、バルコニーの扉が開きました。
「セレフィナ? リオネル? こんなところで何を……」
現れたのは、心配そうな顔をしたカイル殿下でした。
リオネル様は素早く私から離れ、跪いて敬礼します。
「……セレフィナ殿下が眩暈を起こされたため、風に当たっていただいておりました」
「そうか、それは大変だ。セレフィナ、無理はいけないよ。君にはまだ、明日の予算会議の資料作りをお願いしたいんだから」
カイル殿下の優しい、けれどどこまでも他人事な言葉。
リオネル様の拳が、微かに震えるのを私は見逃しませんでした。
「……承知いたしました、殿下。すぐに向かいます」
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