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終章 「悪女と呼ばれた私の幸福」
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春のやわらかな陽光が、湖畔に広がる庭園を優しく包み込んでおりました。
あの日の嵐から、季節は幾度も移ろい──数年という歳月が静かに流れております。
わたくし、セレーネは、もう侯爵令嬢でも、王太子の婚約者でもございません。今のわたくしは、旅の騎士であったリオ・グレイスの妻にして、この湖畔の庭園の主でございます。
かつて荒れ果てていた庭は、二人の手と愛によって息を吹き返し──今や人々から**「花の聖域」**と呼ばれるほどに、色とりどりの花が咲き誇っておりました。
特に、庭の中央に群れ咲く純白のアリアの花は、風にそよぎながらも優雅に、そして力強くその姿を揺らしております。「解放」という花言葉は、あの日わたくしが選んだ新しい生き方そのものを映しているようでした。
***
「セレーネ。今日は王都から旅人が多く来ているようですよ」
庭の入り口から、リオさまが作業着姿で歩み寄ってこられます。
日差しに焼けた頬、土の香を纏った笑顔は、騎士時代よりもずっと柔らかく、落ち着いておいででした。
「あら、また『元悪女の奇跡』を見に来られたのですね」
口元に浮かんだ微笑みには、王都にいた頃とは違う自然さがあります。
リオさまはわたしのそばに来られ、そっと髪を撫でてくださいました。
「奇跡ではありません。これは、貴女が自分の意志で切り開いた幸福の証です。そして俺たち二人の愛の結晶ですよ」
その視線の先には、大きく枝を広げた**『忠誠』**の木。あの日、二人で植えた若木は、今では庭の守人のように堂々とそびえ立っております。
「王妃にはなりませんでしたけれど……今のわたしは、世界で一番幸せですわ」
それは誇張でも飾りでもない、本心からの言葉でした。
***
庭を訪れる旅人たちは花々に癒やされながらも、わたしたちの穏やかな暮らしを目にしては、そっと噂話を交わしていきます。
「まさか、あの冷血令嬢がこんな庭を造り、旅の騎士と結ばれるとは……」
「王都では彼女が去ってから混乱が続いたそうだ。王太子の無能も白日の下に晒され……」
耳に届くそんな言葉に、かつて心を騒がせた感情はもうありません。ただ静かに花壇の手入れに戻るのみです。
「エリアス殿下は……どうなさったのでしょう?」と尋ねると、リオさまは淡く笑みを浮かべました。
「最終的に、貴女のお父上──アルバロス侯爵が例の財務書類を『発見』して、国は辛くも危機を免れました。侯爵は“影の功労者”として名声を得て……殿下はリリア嬢と共に責任を問われ、廃嫡されたそうです」
「廃嫡……そうですか」
驚きよりも、必然という思いの方が勝っておりました。
「リリア嬢は聖女の称号を剥がされ、横領分を全て返還させられ、辺境の修道院で奉仕をしていると聞きます。……貴女が向かうはずだった場所です」
「それは……皮肉な結末ですわね」
唇に笑みが浮かびましたが、もう恨みや怒りはそこにはなく、胸の奥にあるのは“この道が正しかった”という静かな確信だけでした。
リオさまは、わたしの手を取り、優しく囁かれます。
「貴女は回り道をしたが……結果として全てを正した。俺にとって、貴女こそ本当の聖女ですよ、セレーネ」
***
やがて訪れたある春の日、わたくしたちは**『忠誠』**の木の下で、小さな結婚式を挙げました。
招いたのは父侯爵、リオさまの旧友、そして村の人々。
王妃になるための絢爛なドレスではなく、アリアの花冠と、自ら仕立てた白いシンプルなドレスを纏い、この場所で誓うことを選びました。
「セレーネ。俺は、貴女の自由と幸福、そしてこの庭に永遠の忠誠を誓います」
「リオさま。わたくしは、貴方の光の中で自分の花を咲かせると誓います。全ての愛と人生を、貴方へ」
青空の下、風に揺れるアリアの花々が、まるで祝福の声を立てて囁いているようでした。
***
その後も庭は花を増やし、わたしたちは旅人のために小さな茶亭や花売りを始めました。
この庭は**「元悪評令嬢が造った奇跡の庭」**として広く知られるようになります。
ある日、来訪した由緒正しい身なりの旅人が声をかけてきました。
「失礼ですが……以前の“冷血令嬢”セレーネ・アルバロス様でいらっしゃいますか?」
「ええ、そう呼ばれていたこともありました」と微笑むと、彼は不思議そうに尋ねました。
「なぜ王妃の座を捨て、このような辺境で庭を?」
わたしは庭の中央のアリアを示しました。
「あの頃のわたしには能力はあっても、心はなかった。いまここには、愛と自由があります。そして、自分で育てた幸福があるのです」
リオさまがわたしの肩を抱き寄せます。
「王妃になることは義務でした。この庭で生きることは、わたしの選択です」
向けた微笑みは、かつての『冷血令嬢』のものではなく、真に愛に満ちた人間のものでした。
「王妃にはなれませんでしたが……今のわたしは、世界で一番幸せですわ」
***
夕暮れ、旅人たちが去り、庭に静寂が戻ります。
二人で湖畔のベンチに座り、茜色に染まる水面を眺めながら、リオさまは囁きました。
「セレーネ。今日も貴女の笑顔は一番綺麗でした」
「その笑顔を咲かせてくれるのは、貴方の愛という光です」
あの日、王宮という檻を抜け出して以来、わたしは自由を手に入れました。ここで真実の愛を見つけ、自分の花を咲かせたのです。
――完――
あの日の嵐から、季節は幾度も移ろい──数年という歳月が静かに流れております。
わたくし、セレーネは、もう侯爵令嬢でも、王太子の婚約者でもございません。今のわたくしは、旅の騎士であったリオ・グレイスの妻にして、この湖畔の庭園の主でございます。
かつて荒れ果てていた庭は、二人の手と愛によって息を吹き返し──今や人々から**「花の聖域」**と呼ばれるほどに、色とりどりの花が咲き誇っておりました。
特に、庭の中央に群れ咲く純白のアリアの花は、風にそよぎながらも優雅に、そして力強くその姿を揺らしております。「解放」という花言葉は、あの日わたくしが選んだ新しい生き方そのものを映しているようでした。
***
「セレーネ。今日は王都から旅人が多く来ているようですよ」
庭の入り口から、リオさまが作業着姿で歩み寄ってこられます。
日差しに焼けた頬、土の香を纏った笑顔は、騎士時代よりもずっと柔らかく、落ち着いておいででした。
「あら、また『元悪女の奇跡』を見に来られたのですね」
口元に浮かんだ微笑みには、王都にいた頃とは違う自然さがあります。
リオさまはわたしのそばに来られ、そっと髪を撫でてくださいました。
「奇跡ではありません。これは、貴女が自分の意志で切り開いた幸福の証です。そして俺たち二人の愛の結晶ですよ」
その視線の先には、大きく枝を広げた**『忠誠』**の木。あの日、二人で植えた若木は、今では庭の守人のように堂々とそびえ立っております。
「王妃にはなりませんでしたけれど……今のわたしは、世界で一番幸せですわ」
それは誇張でも飾りでもない、本心からの言葉でした。
***
庭を訪れる旅人たちは花々に癒やされながらも、わたしたちの穏やかな暮らしを目にしては、そっと噂話を交わしていきます。
「まさか、あの冷血令嬢がこんな庭を造り、旅の騎士と結ばれるとは……」
「王都では彼女が去ってから混乱が続いたそうだ。王太子の無能も白日の下に晒され……」
耳に届くそんな言葉に、かつて心を騒がせた感情はもうありません。ただ静かに花壇の手入れに戻るのみです。
「エリアス殿下は……どうなさったのでしょう?」と尋ねると、リオさまは淡く笑みを浮かべました。
「最終的に、貴女のお父上──アルバロス侯爵が例の財務書類を『発見』して、国は辛くも危機を免れました。侯爵は“影の功労者”として名声を得て……殿下はリリア嬢と共に責任を問われ、廃嫡されたそうです」
「廃嫡……そうですか」
驚きよりも、必然という思いの方が勝っておりました。
「リリア嬢は聖女の称号を剥がされ、横領分を全て返還させられ、辺境の修道院で奉仕をしていると聞きます。……貴女が向かうはずだった場所です」
「それは……皮肉な結末ですわね」
唇に笑みが浮かびましたが、もう恨みや怒りはそこにはなく、胸の奥にあるのは“この道が正しかった”という静かな確信だけでした。
リオさまは、わたしの手を取り、優しく囁かれます。
「貴女は回り道をしたが……結果として全てを正した。俺にとって、貴女こそ本当の聖女ですよ、セレーネ」
***
やがて訪れたある春の日、わたくしたちは**『忠誠』**の木の下で、小さな結婚式を挙げました。
招いたのは父侯爵、リオさまの旧友、そして村の人々。
王妃になるための絢爛なドレスではなく、アリアの花冠と、自ら仕立てた白いシンプルなドレスを纏い、この場所で誓うことを選びました。
「セレーネ。俺は、貴女の自由と幸福、そしてこの庭に永遠の忠誠を誓います」
「リオさま。わたくしは、貴方の光の中で自分の花を咲かせると誓います。全ての愛と人生を、貴方へ」
青空の下、風に揺れるアリアの花々が、まるで祝福の声を立てて囁いているようでした。
***
その後も庭は花を増やし、わたしたちは旅人のために小さな茶亭や花売りを始めました。
この庭は**「元悪評令嬢が造った奇跡の庭」**として広く知られるようになります。
ある日、来訪した由緒正しい身なりの旅人が声をかけてきました。
「失礼ですが……以前の“冷血令嬢”セレーネ・アルバロス様でいらっしゃいますか?」
「ええ、そう呼ばれていたこともありました」と微笑むと、彼は不思議そうに尋ねました。
「なぜ王妃の座を捨て、このような辺境で庭を?」
わたしは庭の中央のアリアを示しました。
「あの頃のわたしには能力はあっても、心はなかった。いまここには、愛と自由があります。そして、自分で育てた幸福があるのです」
リオさまがわたしの肩を抱き寄せます。
「王妃になることは義務でした。この庭で生きることは、わたしの選択です」
向けた微笑みは、かつての『冷血令嬢』のものではなく、真に愛に満ちた人間のものでした。
「王妃にはなれませんでしたが……今のわたしは、世界で一番幸せですわ」
***
夕暮れ、旅人たちが去り、庭に静寂が戻ります。
二人で湖畔のベンチに座り、茜色に染まる水面を眺めながら、リオさまは囁きました。
「セレーネ。今日も貴女の笑顔は一番綺麗でした」
「その笑顔を咲かせてくれるのは、貴方の愛という光です」
あの日、王宮という檻を抜け出して以来、わたしは自由を手に入れました。ここで真実の愛を見つけ、自分の花を咲かせたのです。
――完――
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