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いよいよ記念絵画の制作が始まりました。納期は、婚礼予定日の半年間です。宮廷の一角にある回廊の壁面の一面に絵画を飾ることが決まり、あらためて気を引き締めます。
縦3メートルに横6メートルはある大きなフレームに、まだ駆け出しの新人画家が描くことを許されること自体が夢のようです。
「ブリジット、おめでとう。こんな大舞台で筆を振るうことができるなんて、名の知れた画家でもなかなか機会はないものだよ」
義父で宮廷画家として経験豊富なイーデン卿や奥様も、大変喜んでくれました。
わたしは婚約式のデッサンを見せながら、イーデン卿に相談しました。
「まだラフ画しかありません。慌てて描いたので、人物の輪郭しか描けていませんし」
「それで十分だよ。ラフ画から絵の全体の構成を決めてから、詳細は再度、モデルの人物を訪ねてデッサンしていくことになるから」
わたしは頭の中で、絵画全体のイメージを想像してみました。列席者は100人はいたでしょう。その光景を全て再現するのは大変な作業になります。
「……全てを描ききるなんて。当日の服装までおぼろにしか覚えていないし」
わたしの困惑している顔を見て、イーデン卿は眉をゆるめて頬笑みました。
「実際にあったこと、そのままを描くことなんて、画家に求められてはいないよ。婚約式という舞台の中で、きみが描きたい画面を作るのだ」
「わたしの作りたい……」
婚約式で1番に思い出すのは、ブルー様の姿でした。公国の次期君主として、左脚が不自由であるのを忘れるほど、りりしくたち振る舞う所作に列席者はきっと、彼に釘付けになっていたことでしょう。
かえって、婚約者のベアトリス嬢は影がうすく、自信なげに肩をすぼめて歩いたり、しばしば首を垂れて居眠りしている時がありました。未来の后に相応しいのか、妙に不安になるのです。
(なぜ、ブルー様はあんなベアトリス嬢と結婚しようと思ったのかしら)
そう思った矢先、女中がやってきて、来客が来たことを知らせました。
名前を聞いて、わたしは思わず首を傾げました。足早に玄関ホールに向かいます。
(……なんで彼が?)
玄関口近くの客間に、白い軍服姿のアレックス・ラベンバーグが足を組んでペラペラと新聞を広げて座っていました。
わたしに気づくと立ち上がり、快活そうな笑みを浮かべ、手の甲にキスをしようとします。
「ちょっと……やめて」
わたしが手を引っ込めると、
「なぜ、ぼくを避けるんです?」
と、これでもかと、騎士団の軍服についた勲章を見せびらかすように胸をぐいぐい寄せてきます。
わたしは彼から身をひきながら、思わず顔を引きつらせて言いました。
「避けてなんていませんわ。それより、何の用なんです?」
アレックス様は私の非難の眼差しにひるんだのか、軽く目を伏せました。
「いやね。あの式典から早2週間、色々と順調かとあなたが心配になってきたんですよ。絵のことも、彼氏のこともね」
「彼氏って何……?」
わたしはためらいがちに視線を落としました。
アベル様から、食事のお誘いの手紙がありました。すぐに宿泊しているホテル近くのレストラン(マリアンヌが経営しているお店)です。けれど、まだ返事はしていませんでした。
「アベル様のことに決まっているでしょう。もう彼からデートの誘いはありました?」
「知りません 。というか、知っていても教えるつもりはありませんわ。それに、そもそも、それがあなたにどんな関係があるの?」
私はだんだん不快になってきました。初対面の頃からもそうでしたが、初めから私はこういう強引で 気取った方は好きではないのです。
ブロンドの青年は苦笑し、こめかみをかきながら言いました。
「弱ったなあ。僕は公子様に頼まれてここに来ているんですけどね」
「ブルー様に頼まれて?」
「殿下はベアトリス嬢と結婚する予定です 。ですからあなたも新しい方を見つけて結婚をするべきだと。アベル様はあなたをお慕いしているし……」
「おふざけにならないで」
私は思わず大声をあげてしまって、慌てて口元を手で覆いました
「ごめんなさい、アレックス様。 でも私今、自分の幸せより頼まれた絵のことに集中したいんです。せっかく頂いた大公様の仕事をしっかりやり遂げたいと思っているんです……」
「なるほどそうでしたか。それは失礼いたしました。 悪気はなかったんです」
アレックス様は急に真顔になって、深々と頭を下げました。
「私こそ感情的になって、言い過ぎました 。だめですね 、絵のことばかりで根を詰めすぎしまってるみたい……」
私は自分の額に手をやりました。
「では、 気晴らしにちょっと出かけますか。 僕は生まれも育ちもこの国で育っています 。知り合いだって多い。だからあなたのお役に立てると思いますよ」
アレックス様が再び底抜けに明るい笑顔を向けたので、何だか私は拍子抜けして、つい笑い出していました。
「そうと決まったら、あなたの準備が整うまで僕は表の馬車で待っていますよ」
「ちょっと、アレックス様?」
気にもとめずに彼はくるりと向きを変えて、勝手に部屋を出て行ってしまいました。
「…… 全く強引なんだから」
そう言いながらも、 気さくでどこか憎めない彼なのでした。
縦3メートルに横6メートルはある大きなフレームに、まだ駆け出しの新人画家が描くことを許されること自体が夢のようです。
「ブリジット、おめでとう。こんな大舞台で筆を振るうことができるなんて、名の知れた画家でもなかなか機会はないものだよ」
義父で宮廷画家として経験豊富なイーデン卿や奥様も、大変喜んでくれました。
わたしは婚約式のデッサンを見せながら、イーデン卿に相談しました。
「まだラフ画しかありません。慌てて描いたので、人物の輪郭しか描けていませんし」
「それで十分だよ。ラフ画から絵の全体の構成を決めてから、詳細は再度、モデルの人物を訪ねてデッサンしていくことになるから」
わたしは頭の中で、絵画全体のイメージを想像してみました。列席者は100人はいたでしょう。その光景を全て再現するのは大変な作業になります。
「……全てを描ききるなんて。当日の服装までおぼろにしか覚えていないし」
わたしの困惑している顔を見て、イーデン卿は眉をゆるめて頬笑みました。
「実際にあったこと、そのままを描くことなんて、画家に求められてはいないよ。婚約式という舞台の中で、きみが描きたい画面を作るのだ」
「わたしの作りたい……」
婚約式で1番に思い出すのは、ブルー様の姿でした。公国の次期君主として、左脚が不自由であるのを忘れるほど、りりしくたち振る舞う所作に列席者はきっと、彼に釘付けになっていたことでしょう。
かえって、婚約者のベアトリス嬢は影がうすく、自信なげに肩をすぼめて歩いたり、しばしば首を垂れて居眠りしている時がありました。未来の后に相応しいのか、妙に不安になるのです。
(なぜ、ブルー様はあんなベアトリス嬢と結婚しようと思ったのかしら)
そう思った矢先、女中がやってきて、来客が来たことを知らせました。
名前を聞いて、わたしは思わず首を傾げました。足早に玄関ホールに向かいます。
(……なんで彼が?)
玄関口近くの客間に、白い軍服姿のアレックス・ラベンバーグが足を組んでペラペラと新聞を広げて座っていました。
わたしに気づくと立ち上がり、快活そうな笑みを浮かべ、手の甲にキスをしようとします。
「ちょっと……やめて」
わたしが手を引っ込めると、
「なぜ、ぼくを避けるんです?」
と、これでもかと、騎士団の軍服についた勲章を見せびらかすように胸をぐいぐい寄せてきます。
わたしは彼から身をひきながら、思わず顔を引きつらせて言いました。
「避けてなんていませんわ。それより、何の用なんです?」
アレックス様は私の非難の眼差しにひるんだのか、軽く目を伏せました。
「いやね。あの式典から早2週間、色々と順調かとあなたが心配になってきたんですよ。絵のことも、彼氏のこともね」
「彼氏って何……?」
わたしはためらいがちに視線を落としました。
アベル様から、食事のお誘いの手紙がありました。すぐに宿泊しているホテル近くのレストラン(マリアンヌが経営しているお店)です。けれど、まだ返事はしていませんでした。
「アベル様のことに決まっているでしょう。もう彼からデートの誘いはありました?」
「知りません 。というか、知っていても教えるつもりはありませんわ。それに、そもそも、それがあなたにどんな関係があるの?」
私はだんだん不快になってきました。初対面の頃からもそうでしたが、初めから私はこういう強引で 気取った方は好きではないのです。
ブロンドの青年は苦笑し、こめかみをかきながら言いました。
「弱ったなあ。僕は公子様に頼まれてここに来ているんですけどね」
「ブルー様に頼まれて?」
「殿下はベアトリス嬢と結婚する予定です 。ですからあなたも新しい方を見つけて結婚をするべきだと。アベル様はあなたをお慕いしているし……」
「おふざけにならないで」
私は思わず大声をあげてしまって、慌てて口元を手で覆いました
「ごめんなさい、アレックス様。 でも私今、自分の幸せより頼まれた絵のことに集中したいんです。せっかく頂いた大公様の仕事をしっかりやり遂げたいと思っているんです……」
「なるほどそうでしたか。それは失礼いたしました。 悪気はなかったんです」
アレックス様は急に真顔になって、深々と頭を下げました。
「私こそ感情的になって、言い過ぎました 。だめですね 、絵のことばかりで根を詰めすぎしまってるみたい……」
私は自分の額に手をやりました。
「では、 気晴らしにちょっと出かけますか。 僕は生まれも育ちもこの国で育っています 。知り合いだって多い。だからあなたのお役に立てると思いますよ」
アレックス様が再び底抜けに明るい笑顔を向けたので、何だか私は拍子抜けして、つい笑い出していました。
「そうと決まったら、あなたの準備が整うまで僕は表の馬車で待っていますよ」
「ちょっと、アレックス様?」
気にもとめずに彼はくるりと向きを変えて、勝手に部屋を出て行ってしまいました。
「…… 全く強引なんだから」
そう言いながらも、 気さくでどこか憎めない彼なのでした。
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