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第9章:古い菓子工房との出会い
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翌朝、セリーヌは目を覚ましたとき、まだ雨は止んでいなかった。
軒下から追い出され、ぼんやりと歩いていた足がたどり着いたのは、街外れの丘にひっそり佇む――崩れかけた教会跡だった。
「ここ……誰もいない、わよね?」
雨をしのげるだけで充分だった。彼女はそっと扉を押す。ギィ……と音を立てて開いたその中は、荒れ果ててはいたが、どこか懐かしい香りが残っていた。
――甘く、バターのようで、ほんの少し焦げた砂糖の香り。
「……お菓子の、匂い?」
セリーヌが鼻をひくつかせたそのとき。
「誰か来たのかね。泥んこの妖精かな?」
「ひゃっ!?」
突然の声に、セリーヌは飛び跳ねた。振り返ると、古びたエプロンをつけた、白髪の老人が窓辺に座っていた。片手にはパイの欠片、もう片手には……ワイン。
「ご、ごめんなさい! あの、雨宿りで入っただけで――!」
「おやおや、びっくりさせて悪かったね。わしはただの引退した菓子職人さ。昔はちょいと、王宮でも腕を振るっていたんだが……今じゃこの廃墟で焼き芋を焼く毎日よ」
セリーヌは、言葉を失っていた。
まるで絵本の中に迷い込んだようだった。
そして彼女は、バッグの中から昨晩のクッキーを取り出し、ふと差し出した。
「……よろしければ、これ、私の焼いたものです」
老人は目を細めて、丁寧にクッキーを受け取る。
一口かじると、ふいに――
「……ッは……っほっほ! こりゃあ……懐かしい。懐かしすぎるわい……!」
突然、老人は笑い出した。
目の端に光る涙は、たぶん、笑いすぎたせいだ。
「この甘さ……この香ばしさ……忘れとった……! これじゃ! わしが昔、王妃さまに初めて出したシュガークッキーの味じゃ! あの方が言ったんじゃ。“この味には、春の陽だまりのような優しさがある”って……!」
セリーヌはぽかんと口を開けた。
「そ、そんな大げさな……! ただ、家の厨房で作ってただけの、普通の……」
「いや、これは天性の味だよ、小娘!」
バシィンとテーブルを叩く音に、埃がふわっと舞い上がった。
「わしはもう、年じゃ。焼き芋焼くのにも手間取るし、なにより腰が爆発しそうなんじゃ。だから――」
老人はポンと、自分の後ろにある、古びた調理台を指差した。
「この工房を、君にやろう。君なら、あの味を、あの心を、この場所にもう一度灯せる。……いいや、もう灯してる!」
セリーヌの目がまんまるくなった。
「……わ、私に? こんな……立派な場所……」
「立派かはさておき、屋根は抜けとるが、オーブンはまだ火が通るし、型も残っとる。あとは、君の勇気と、少しの小麦粉さ!」
老人はくしゃっと笑って、クッキーをもう一枚口に放り込んだ。
「どうだね、小娘。人生を焼き直してみる気はあるかい?」
セリーヌは、しばらくの間、工房の天井を見上げていた。
ぽたぽたと漏る雨。がらんとした室内。
でもそこには、確かに、香りと――希望があった。
「……はい。やってみたいです。私……、お菓子で人生をやき直したいです!」
「そう言うと思った!」
老人はケラケラと笑いながら、奥の戸棚から「遺書」と書かれた分厚いノートを取り出し、名前をセリーヌに書き加え始めた。
「……って、それ何ですか!?」
「いや、工房の譲渡書類じゃよ。ちょっと呼び名がアレなだけで、呪われてはおらんから安心しなさい」
セリーヌは苦笑いを浮かべながら、心の中で小さく囁いた。
(ありがとう、神様。……ちょっと遅かったけど、ちゃんと見ててくれたのね)
――こうして、セリーヌの第二の人生は、くすんだオーブンの前から始まった。
軒下から追い出され、ぼんやりと歩いていた足がたどり着いたのは、街外れの丘にひっそり佇む――崩れかけた教会跡だった。
「ここ……誰もいない、わよね?」
雨をしのげるだけで充分だった。彼女はそっと扉を押す。ギィ……と音を立てて開いたその中は、荒れ果ててはいたが、どこか懐かしい香りが残っていた。
――甘く、バターのようで、ほんの少し焦げた砂糖の香り。
「……お菓子の、匂い?」
セリーヌが鼻をひくつかせたそのとき。
「誰か来たのかね。泥んこの妖精かな?」
「ひゃっ!?」
突然の声に、セリーヌは飛び跳ねた。振り返ると、古びたエプロンをつけた、白髪の老人が窓辺に座っていた。片手にはパイの欠片、もう片手には……ワイン。
「ご、ごめんなさい! あの、雨宿りで入っただけで――!」
「おやおや、びっくりさせて悪かったね。わしはただの引退した菓子職人さ。昔はちょいと、王宮でも腕を振るっていたんだが……今じゃこの廃墟で焼き芋を焼く毎日よ」
セリーヌは、言葉を失っていた。
まるで絵本の中に迷い込んだようだった。
そして彼女は、バッグの中から昨晩のクッキーを取り出し、ふと差し出した。
「……よろしければ、これ、私の焼いたものです」
老人は目を細めて、丁寧にクッキーを受け取る。
一口かじると、ふいに――
「……ッは……っほっほ! こりゃあ……懐かしい。懐かしすぎるわい……!」
突然、老人は笑い出した。
目の端に光る涙は、たぶん、笑いすぎたせいだ。
「この甘さ……この香ばしさ……忘れとった……! これじゃ! わしが昔、王妃さまに初めて出したシュガークッキーの味じゃ! あの方が言ったんじゃ。“この味には、春の陽だまりのような優しさがある”って……!」
セリーヌはぽかんと口を開けた。
「そ、そんな大げさな……! ただ、家の厨房で作ってただけの、普通の……」
「いや、これは天性の味だよ、小娘!」
バシィンとテーブルを叩く音に、埃がふわっと舞い上がった。
「わしはもう、年じゃ。焼き芋焼くのにも手間取るし、なにより腰が爆発しそうなんじゃ。だから――」
老人はポンと、自分の後ろにある、古びた調理台を指差した。
「この工房を、君にやろう。君なら、あの味を、あの心を、この場所にもう一度灯せる。……いいや、もう灯してる!」
セリーヌの目がまんまるくなった。
「……わ、私に? こんな……立派な場所……」
「立派かはさておき、屋根は抜けとるが、オーブンはまだ火が通るし、型も残っとる。あとは、君の勇気と、少しの小麦粉さ!」
老人はくしゃっと笑って、クッキーをもう一枚口に放り込んだ。
「どうだね、小娘。人生を焼き直してみる気はあるかい?」
セリーヌは、しばらくの間、工房の天井を見上げていた。
ぽたぽたと漏る雨。がらんとした室内。
でもそこには、確かに、香りと――希望があった。
「……はい。やってみたいです。私……、お菓子で人生をやき直したいです!」
「そう言うと思った!」
老人はケラケラと笑いながら、奥の戸棚から「遺書」と書かれた分厚いノートを取り出し、名前をセリーヌに書き加え始めた。
「……って、それ何ですか!?」
「いや、工房の譲渡書類じゃよ。ちょっと呼び名がアレなだけで、呪われてはおらんから安心しなさい」
セリーヌは苦笑いを浮かべながら、心の中で小さく囁いた。
(ありがとう、神様。……ちょっと遅かったけど、ちゃんと見ててくれたのね)
――こうして、セリーヌの第二の人生は、くすんだオーブンの前から始まった。
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