【完結】25日に生まれた私は、運命を変える者――なんて言われても

朝日みらい

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第1章 暦の娘

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 朝の光が庭の端に差し込んだ時、わたしはようやく針を止めました。

 一晩で仕上げねばならなかったドレスの裾飾り。手が少し震えているのは、きっと夜通し針を動かしたせいです。
 けれど、その苦労を知ってくれるひとは、ここにはいません。

「アメリア。もうそれ、できたの? セリーナさまのお衣裳合わせの時間はずいぶん過ぎているわよ」

 侍女頭のメイド、クララの声が、冷えた朝空気に響きました。

「はい、すぐにお届けします」

 わたしは急いで立ち上がり、手のひらを見つめます。
 何度も針を刺してできた小さな赤い点が、じんわりと痛みます。けれどそんなもの、気にする時間などありません。いつも通り笑っていなければ。

 廊下を足早に抜けると、館の奥の陽のよく当たる部屋から、明るい笑い声が聞こえました。

「まあいやだわ、鏡に映る自分が可愛すぎて困っちゃう!」

 義妹のセリーナが、金糸の刺繍のドレスを身にまとってくるりと回ります。光の粒が彼女の金髪に散りばめられ、まぶしいほどの輝き。

「姉さま、遅いわよ。わたくしの婚約衣裳を持ってくるのに、そんなに手間取るなんて」

 唇を尖らせながらも、彼女はすぐに笑みを浮かべました。その笑顔が近づくたび、胸の奥で小さく痛みが走ります。
 子どものころは、ほんの少し年上の姉として慕ってくれたのに。いつからわたしたちはこんなに遠くなってしまったのでしょう。

「ごめんなさい、仕上げに時間がかかってしまって」
「まあ、少しは丁寧で助かったけれど……これであの方に会うのね。ねえ、アメリア姉さま、王太子殿下ってどんなお方なのかしら?」

 わたしは一瞬言葉に詰まりました。
 国王の甥、王太子ルキウス殿下。噂に聞く“氷の王子”。会ったことなどありませんが、宮廷勤めをしていた知人の話では、まるで氷の刃のような瞳をした人だとか。
 でも、セリーナの胸にあるのはそんな噂への恐れではなく、別の想い――。

「ルキウス殿下は勇敢で聡明なお方だと聞いています。あなたがその婚約者に選ばれたのは、とても名誉なことですよ」
「そう……でもわたくし、あの人の顔も知らないの。おまけに――」

 セリーナはふと目を伏せて、そっと小さく笑いました。

「恋をしてしまったの。あの方には内緒よ?」

 思わぬ告白に、胸の奥が冷たくなるのを感じました。

「セリーナ……誰に?」
「ローレンスよ。バレエ楽団の美青年。お父さまには内緒にしてるけど、もうすぐ駆け落ちするの」

「そんな……!」

 思わず声を上げてしまいました。その瞬間、彼女が眉をひそめます。

「なによ。だってわたくし、愛のない結婚なんて嫌。あなたみたいに地味で真面目にばかり生きるのはごめんよ」

 言葉が胸の真ん中に突き刺さる。
 だけど、長年この屋敷で「代わり」「ついで」で生きてきたわたしには、反論するだけの勇気もありませんでした。

「……セリーナ、せめてご家族には先にお話したほうが」
「やめてちょうだい。婚約の話が決まるまでの繋ぎにでも、あなたが出席すればいいわ」
「え?」

「あなたなら誰も気づかないわ。どうせあの方、興味なんてないでしょうし」

 無邪気に笑う声が、胸に雪のように降り積もります。

 ――代わり、か。

 その言葉を飲み込みながら、わたしは自室に戻りました。

 机の上には、母からもらった小さな首飾りが置いてあります。
 透明な石の中心には「25」と刻まれた数字。

 25日に生まれた子は、運命を変える力を持つ。

 母のあの日の声が耳に蘇ります。  
 わたしの誕生日、25日。それを知らぬ者は幸せだけれど、知る者はいつもこう言いました――「不吉な日だ」と。

 けれど、母は最後まで優しく微笑ってくれました。

『恐れることはありませんよ、アメリア。25は、暦の神が未来を示す数字です』

 その言葉だけを、今も信じています。

~~~~~~~~~~

 翌朝、屋敷に王都からの使者が訪れました。
 金の文飾をつけた封筒を持つ騎士が玄関に立っていて、父と母、セリーナが顔を見合わせます。

「王太子殿下のご婚約に関して、確認のためのご令嬢の呼び出しを賜りました」

 その瞬間、セリーナは顔を真っ青にしました。
 父は慌てて取り繕い、母はこっそりセリーナの背を叩いただけ。
 けれど、その日の夜、事態は急転します。

「アメリア。代わりに行ってちょうだい」

 義母が部屋の戸を開けたまま、わたしを見据えて言いました。

「……え?」
「セリーナは体調を崩したの。あした王宮の舞踏会には出せません。でも家の体面を保たなければならないわ。あなたなら、同じ娘として恥をかかせず済むでしょう?」

 凍りついたまま答えられないわたしに、義母の声はさらに冷たく続きました。

「形式的なことよ。どうせ仮の婚約者なんだから、黙っていればいいの」

 胸の奥がじんと痛みました。
 ――また、代わり。

 眠れぬまま迎えた翌朝、王都へ向かう馬車の中で、雪のように舞う光を見つめていました。

 王都に着いた頃には、手の中のネックレスが冷たく凍りついているように感じました。


~~~~~~~~~~

 王宮の門が開いた瞬間、胸の奥の酸素がすべて抜け落ちたようになりました。

 白い大理石の回廊。金と青の織物。すれ違う兵士や侍女の背筋は、まるで刃のようにまっすぐで。

「ようこそ、王太子殿下のお屋敷へ。こちらへどうぞ」

 侍女長が淡々と案内してくれる。
 どんな顔をすれば良いのか分からず、小声で呟きました。

「……これ、夢じゃないわよね」
「夢なら戻りたいわ。こんな危なっかしい代役なんて御免だもの」

 そんな小声が聞こえたのは、背後を通る別の侍女たち。すぐに消えた笑い声が、かえって胸を刺しました。

 豪奢な扉の前に立たされ、深呼吸をしてノブに手をかけます。

「アメリア・クライン=子爵家の娘です。お目通りをお願い申し上げます」

 中から応じる声はなく、ただ静寂が流れました。
 やがて、低く響く声。

「入れ」

 扉を押し開けた瞬間、姿が目に入ります。

 銀の髪。深い湖のような瞳。王太子ルキウス殿下。

 想像していたよりもずっと若く、整った顔立ち。
 けれどその雰囲気は、噂以上に冷たかった。

「……あれが、“代わり”か」

 彼の言葉は、まるで氷を砕く音のようでした。

「はい。妹の代わりに――」
「何のつもりだ。政略に巻き込まれた哀れな令嬢か?」

 その声があまりに鋭くて、思わず背筋が固まります。

「そんなつもりでは……ただ、私にできることを務めたいと」
「ふん。心配しなくていい。こちらも形式だけで十分だ」

 殿下は机に肘をつき、視線を窓辺に向けました。

「婚約の形だけ整えば、すぐに解消する。お前の望みなど問わん」

 ひとことひとことが、胸の内に突き刺さる。
 でも、わたしは俯いたまま静かに答えました。

「はい……承知いたしました」

 それがこの国での、初めての会話でした。
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