25日に生まれた私は、運命を変える者――なんて言われても

朝日みらい

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第2章 氷の王子

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 王宮で迎える初めての朝は、胸の奥がぴしりと凍るような緊張から始まりました。

 天井には金の装飾がきらめき、カーテンの縁には白鳥の羽が縫い込まれています。こんな豪奢な部屋に目を覚ます日が来るなんて、昨日までの自分には想像もできませんでした。

「おはようございます、アメリア様。本日のご予定ですが――午前は礼儀作法の稽古、午後は王太子殿下との夕餐かと」

 新しくついた侍女のルナが淡々と告げる。細身で人当たりは柔らかいけれど、どこか冷めた色の瞳。

「あの、ルナさん……殿下は、どんな方なんですか?」
「有能なお方ですよ。口数は少なく、無駄を嫌われます。ご機嫌の伺い方を間違えなければ問題ありません」

 その言い方が少し怖くて、わたしは思わず固まってしまいました。

 ご機嫌を伺い間違えなければ……って、どうすれば!?

~~~~~~~~~~

 午前中の礼儀作法の稽古は、まさに戦場でした。
 厳格な教師マダム・ベルネッタの声が響き渡ります。

「アメリア様! その頭の角度、あと二度下げなさい! 二度です!」
「す、すみませんっ!」

 王宮の床がつやつやに光るほど頭を下げながら、心の中でそっとため息。
 こんなに頭を下げる人生なんて、想像していませんでした。

「はい、それではカップの持ち方をもう一度。小指が出ていますわ」
「あのっ、こ、小指が勝手に……」
「勝手に出る指などありません!」

 ぐさっ。
 言葉の鋭さで、心まで刺されます。

 昼過ぎにはもう足が棒のようで、廊下を歩きながらふらふらしていました。
 そんなとき、ふと風が吹き抜けて、窓の外で羽のような雪が舞うのが見えました。

「……雪が、降ってきたのね」

 王都は春を前にしても寒い。きらめく雪を見ていると、少しだけ現実を忘れられる――そう思っていた矢先。

「転ぶな」

 すぐ背後から低い声がして、驚きのあまり思わず足を滑らせそうになりました。
 気づけば、両腕を掴まれていました。

「っ……殿下!?」

 近い。目を上げれば、王太子ルキウス殿下が真っ直ぐにこちらを見ている。手袋越しでも分かる、その強い力に心臓が暴れ出しそうです。

「不安定な歩き方だな。侍女を連れていないのか」
「えっと……練習の帰りで、少し休憩を……」
「“少し”が長すぎる」

 淡々とした口調なのに、妙に胸が高鳴るのはなぜでしょう。

「殿下にご迷惑を……すみません」
「迷惑ではない。ただ、怪我をされて王妃教育が遅れれば、それこそ宮中の迷惑だ」

 そう言って、ぱっと手を離す。
 少し寂しいと思ってしまった自分に、びっくりしました。

「……殿下は、お優しいのですね」
「優しい? 俺が?」
「違うんですか?」
「人にそう言われたことはない」

 皮肉のように笑う口元が、ほんの一瞬穏やかに見えました。

 冷たい瞳の奥に、かすかな影と痛みがある気がします。  
 この方は、どうしてこんなに心を閉ざしているのだろう――そう考えた瞬間でした。

「殿下、ここにいらっしゃいましたのね!」

 甲高い声。振り向くと、濃いラベンダー色のドレスを纏った令嬢が現れました。
 確か……名前はミリエル。王宮で評判の伯爵令嬢で、殿下に憧れてやまないとか。

「あら、身代わりの方? ずいぶん地味で……まるで壁の花みたいですわね」

 満面の笑みを浮かべて言うミリエル嬢の声に、顔から血の気が引きました。
 殿下は何も答えず、静かな声で「行くぞ」とだけ言って歩き出します。

 その背中を見送りながら、ミリエル嬢がこちらを振り返ってひとこと。

「身代わりでも、せいぜい殿下に迷惑をかけないようにね」

 ……うん。我慢。ここで言い返したら、わたし負けです。
 悔しくて、心の中でだけ「迷惑をかけるつもりなんてありません」と叫びました。

~~~~~~~~~~

 夕刻。呼び出しを受けて、殿下と食卓を囲むことになりました。
 とはいえ、空気は張りつめています。

「食事中は話すな。味に集中しろ」
「は、はいっ」

 肉の香りがよくても、味わう余裕がありません。緊張のあまりフォークを落としかけ、慌てて拾おうとした瞬間――。

「触るな。危ない」

 殿下が素早く伸ばした手で、フォークを拾い上げてくださいました。
 その手が、わたしの指にほんの一瞬触れた気がして、思わず固まってしまいます。

「……すみません」
「注意力を鍛えろ。食事も訓練のうちだ」

 きっぱりとした口調に、胸の中の泡がしゅんとしぼみました。
 でも、ちらりと見上げると、彼はほんの少し眉根を和らげて言いました。

「だが……努力はしているようだな」

「え?」

「マダム・ベルネッタから聞いた。貴族の娘の中で、一番まじめに取り組んでいると」

「べ、ベルネッタ先生が!? 本当に!?」

 うれしさが込み上げて、気づけば笑顔になっていました。
 殿下は一瞬驚いたようにわたしを見つめ、少しだけ息を吐きます。

「笑うと……印象が変わるな」
「え?」
「いや、何でもない」

 その言葉に、顔が熱くなってしまいました。
 本当に、“何でもない”のでしょうか。

~~~~~~~~~~

 食後、侍女の部屋に戻る途中、ルナが心配そうに言いました。

「アメリア様、殿下とお話を?」
「ええ、少しだけ。でも……想像より優しいお方でした」
「優しい、ですか?」

 ルナの眉がぴくりと動く。

「この宮廷では、優しさは弱さと同じ意味を持ちます。お気をつけくださいませ」

 その言葉が、不吉な予感のように響きました。

~~~~~~~~~~

 それから数日が過ぎました。
 王宮に少しずつ慣れてきたころ、廊下の陰でまた噂話が聞こえてきます。

「聞いた? “田舎娘の身代わり花嫁”だって」
「しかも王太子殿下が興味も示さないんですって」

 陰で笑う声を背中に感じても、わたしは足を止めません。
 いつか、胸を張って歩けるようになる日まで。

 そんなことを思っていた矢先、部屋に小さな花束が届けられました。
 白い雪花草と銀のリボン。それに小さな紙片。

『努力を続けろ。春は遠くない』

 差出人の名は書かれていません。けれど字を見た瞬間、誰からかは分かりました。

「……殿下……」

 思わず頬が熱くなります。  
 冷たいはずの王宮で見つけた、ほんの小さな温もり。

 雪花草の香りが部屋に広がったとき、わたしは初めて、この宮で生きていこうと思えました。
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