【完結】政略結婚なのに旦那様が不器用すぎて、気づけば私が主導権を握ってました。~雷が怖い侯爵様と、没落令嬢のお話~

朝日みらい

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第4章:冷たいお義母様と家事スキルで戦ってみた

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「貴女、その手……家事で荒れてるのね。品がないわ」

 朝食の席。

 透き通るような声で、しかし鋭利な刃物のような口調で、お義母様が言い放ちました。

 完璧にセットされた髪、爪の先まで磨き抜かれたその指、完璧な装いと態度。
 その視線は、まるで——汚れた雑巾でも見るような、冷たいもの。

 手に持っていたカップを、危うく取り落としそうになるほど、私は一瞬、言葉を失いました。

(……今の、聞き間違いじゃないよね)

 自分の手をそっと見下ろす。

 確かに、指先は荒れていて、赤くなっている箇所もある。水や熱に触れることが多くなって、昔よりもずっと無骨になった。

 でも。

 でも……この手で、私は——

「私が作りました。この手で作ったポタージュが、ライネル様に“美味しい”って言われましたわ」

 はっきりと、まっすぐな声で言い返した。

 空気が、一瞬にして凍りついたような気がした。

 広い食堂にざわめきが走り、周囲の使用人たちが思わず目線をこちらに向ける。
 その視線は、どこか興味と驚きが混ざっていた。

 ちらり、と目を向けると、厨房で顔を合わせた数人の使用人のうちの一人が、目を細めて微かにうなずいた気がした。

「……まあ、ライネルが?」

 お義母様の眉がぴくりと動いた。驚き……いや、信じがたいとでも言うような表情。

「はい。昨夜、台所で召し上がってくださって」

「……ふぅん」

 お義母様はそれ以上何も言わず、視線をわずかに逸らしてコーヒーカップに指先を添えた。

 その動きは、まるで“この話はこれで終わり”と無言で告げるようなもので。

 でも——

 私は内心で、こぶしを握った。

 (負けない。負けてたまるもんですか)

 侯爵家の格式にも、厳しい礼儀作法にも、まだ慣れない。

 でも、温かさなら——私、誰にも負けません!

 お義母様の冷たい視線も、舌の肥えたお舅様の一言も、私はこの味で、庶民の底力で——打ち破ってやる!

 

 ……とか思っていたら。

「母さん、セレナの料理は本当に美味しいよ」

 隣にいたライネル様が、ぽつりと呟いたのです。

 一言。それだけ。

 でもその一言は、私にとっては世界がひっくり返るほどの衝撃で。

 思わず、カップを両手でぎゅっと抱え込んでしまいました。

 その手の中に、あたたかい何かが広がっていく。

 (……味方が……できた)

 胸の奥が、ぎゅうっと熱くなって、涙が出そうになるのをなんとかこらえました。

 その日の午後。

 厨房の片隅で明日の献立を考えていると、使用人の一人が、少し戸惑いがちに声をかけてきました。

「セレナ様、厨房にいらっしゃると聞きましたが……」

「はい。明日の献立を考えていて……ほら、食材の在庫とか確認しないと」

「もしよろしければ、厨房の者にもご指示を」

「えっ、私がですか!?」

 驚いて顔を上げると、その使用人は少しだけ口元を引き締めて言いました。

「ライネル様から、“セレナの判断を尊重するように”と仰せつかっております」

「……ええええええ!?」

 まさかの……まさかの、ライネル様推し宣言!?

 耳まで真っ赤になりそうなのを、慌ててポタージュの鍋に顔を向けて誤魔化しました。

 厨房では、少しずつだけど使用人たちの態度がやわらかくなってきて。

「セレナ様、このハーブはどれを使われますか?」

「えっと、鶏肉にはローズマリーが合いますよ。あ、でもタイムも少しだけ加えると香りが引き立ちます!」

「なるほど……さすがです」

「いえいえ、庶民の知恵です!」

 笑い声が漏れた。

 最初は重く感じていた厨房の空気が、少しずつ、少しずつ——やわらかく、温かくなってきた。

 なんだろう……すこしずつだけど、ここが**“私の居場所”**になってきた気がした。

 そして夕食の席。

「この煮込み、なかなか良い味だな」

 お舅様が、ふいに口を開いた瞬間——私の背筋がピンと伸びました。

 お舅様が感想を言うなんて、珍しい!

 そしてその隣で、ライネル様がさらりと告げます。

「セレナが作ったんだ」

 一瞬で、お義母様の視線が私に向いた。

 相変わらず冷ややかな目つき。でも、どこか、さっきとは違う探るような色が混じっていた。

「……あの手で?」

「はい。庶民の味ですが、心を込めて作りました」

 堂々と答えると、お義母様は何も言わずにスプーンを手に取った。

 ゆっくりと、それを煮込みに沈め、口元へと運ぶ。

 静かに一口……そして、何も言わずにそのまま食べ続けた。

 言葉はなかったけれど、箸を置かなかった——それが、何よりの答えだと私は思った。

 その夜。

 月明かりに照らされた庭を、ライネル様と並んで歩いていた。

 静かな風。虫の音。少しひんやりした空気。

 そんな中で、彼がふと、ぽつりと呟いた。

「君は、強いな」

「えっ、私がですか?」

 驚いて顔を向けると、彼は空を見上げたまま、静かに続けた。

「母にあれだけ言われても、折れない。普通の令嬢なら、泣いて逃げ出している」

「うーん……泣きそうにはなりましたけど……でも、逃げたらポタージュがもったいないですし!」

 我ながら、答えがおかしい。でも、彼はくすっと喉の奥で笑った。

「……君は、本当に変なやつだな」

 その言葉と一緒に、また——少しだけ、彼が笑った。

 その笑顔を見るたびに、胸の奥にぽっと火が灯る。

 政略結婚。

 それは、家のために差し出されるもの。

 冷たい契約で、感情なんて介在しない。そう思っていた。

 でも、私は——

 この屋敷で過ごすうちに、少しずつ、彼のことが気になってきた。

 冷たくて、無表情で、感情が読めなくて。

 でも、時々見せるあの優しさが、ずっと心に残る。

 雷に怯えていた夜、静かに語り合ったこと。

 「うまい」と言ってくれた、あのポタージュ。

 私の手を、否定しなかった言葉たち。

 これは、政略結婚じゃない。

 ——私の恋の始まり。

 そう、呼んでもいい気がするのです。
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