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第8章:あなたの過去に触れてはいけないのなら
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その夜、庭には静かな風が吹いていました。
昼間の雨はすっかり止んでいて、濡れた地面からはほのかに土の匂いが立ちのぼっていました。空にはまだ雲が残っていたけれど、その隙間から、星たちがひっそりと顔をのぞかせていて——
まるで、誰かの涙の跡をそっと照らすような、やさしい光でした。
私は、屋敷の裏庭で摘んだハーブの束を胸に抱えながら、ふと足を止めました。
そのときでした。
——そこに、彼がいたのです。
「……ライネル様?」
立ち尽くす背中が、月明かりの下でひどく頼りなく見えました。いつものように凛としていて、誰よりも毅然としているはずの彼が、今はまるで、風に吹かれてしまいそうな影のようで。
私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返り、そしてぽつりと口を開きました。
「……昔、弟がいたんだ」
突然の告白に、私は思わず目を見開きました。
「僕が十歳のとき、屋敷の火事で死んだ。……僕が、助けられなかった」
言葉は、ひどく静かで、けれど痛々しいほどの重さをもっていました。
彼の視線はどこか遠く、今はもういない誰かを見つめているようで。私は胸の奥がきゅうっと締めつけられるような思いにかられ、そっと口を開きました。
「……それが、雷の夜のことだったんですか?」
彼は、小さく頷きました。
「そうだ。雷が屋根に落ちて、火が出た。弟は……僕の部屋に来ようとして……途中で煙に巻かれた」
「……」
「僕は、怖くて動けなかった。雷の音が鳴るたびに、身体が固まって……弟の声が聞こえていたのに、動けなかった」
苦しげに吐き出すように語る声が、夜の風にかき消されそうで、私は彼のそばにもう一歩だけ近づきました。
「ライネル様……」
彼が完璧を装い、誰よりも冷静であろうとする理由。
その裏には、あまりにも大きな喪失と、深い罪の意識があったのです。
彼は自分を責めていた。守れなかったこと、逃げてしまったこと、そしてその過去を消せずにいることを——ずっと、ずっと。
「僕は家を継ぐ価値なんてない。君を守る資格もない……」
俯いたままそう言う彼の声に、私は思わず胸の前で手を握りしめてから——決意を込めて、彼の手を強く握りました。
「そんなこと、ありません」
その言葉は、私の精一杯の気持ちでした。
「……私が、あなたを守ります」
驚いたように目を見開く彼の顔を見つめながら、私ははっきりと、心の中の思いを形にして伝えました。
完璧じゃなくていい。
雷に怯える夜があっても、過去に傷があっても、それでも私はあなたのそばにいたい。
だって、私はもう——
あなたが好きなんです。
「セレナ……」
彼の声は、かすかに震えていました。
「君は、僕のことを知っても……まだ、そばにいたいと思うのか?」
その問いに、私は迷わず頷きました。
「はい。むしろ、もっとそばにいたいです」
彼はしばらく私を見つめていました。
その瞳の奥には、戸惑いと、驚きと、そして——かすかな希望の光が揺れていました。
「……君は、本当に変なやつだな」
彼がようやくそう言って、笑った瞬間。
一筋の涙が、彼の頬をすっと滑り落ちました。
私はそっと、握っていた手にもう一度力を込めました。
その夜、星は雲の隙間からやさしく顔を覗かせていました。
風は穏やかで、庭のハーブが小さく揺れていました。
私たちの影が並んで地面に落ちていて——
その隣に立つ彼の体温が、かすかに伝わってきたことが、何よりも温かくて、愛おしかったのです。
私は静かに心の中で誓いました。
もう、彼を一人にしない。
これは、政略結婚じゃない。
これは、私の恋の物語。
痛みも、過去も、全部抱きしめて進んでいくんです。
彼と、手をつないで。
そして、これから——ようやく、本当の始まりなのです。
昼間の雨はすっかり止んでいて、濡れた地面からはほのかに土の匂いが立ちのぼっていました。空にはまだ雲が残っていたけれど、その隙間から、星たちがひっそりと顔をのぞかせていて——
まるで、誰かの涙の跡をそっと照らすような、やさしい光でした。
私は、屋敷の裏庭で摘んだハーブの束を胸に抱えながら、ふと足を止めました。
そのときでした。
——そこに、彼がいたのです。
「……ライネル様?」
立ち尽くす背中が、月明かりの下でひどく頼りなく見えました。いつものように凛としていて、誰よりも毅然としているはずの彼が、今はまるで、風に吹かれてしまいそうな影のようで。
私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返り、そしてぽつりと口を開きました。
「……昔、弟がいたんだ」
突然の告白に、私は思わず目を見開きました。
「僕が十歳のとき、屋敷の火事で死んだ。……僕が、助けられなかった」
言葉は、ひどく静かで、けれど痛々しいほどの重さをもっていました。
彼の視線はどこか遠く、今はもういない誰かを見つめているようで。私は胸の奥がきゅうっと締めつけられるような思いにかられ、そっと口を開きました。
「……それが、雷の夜のことだったんですか?」
彼は、小さく頷きました。
「そうだ。雷が屋根に落ちて、火が出た。弟は……僕の部屋に来ようとして……途中で煙に巻かれた」
「……」
「僕は、怖くて動けなかった。雷の音が鳴るたびに、身体が固まって……弟の声が聞こえていたのに、動けなかった」
苦しげに吐き出すように語る声が、夜の風にかき消されそうで、私は彼のそばにもう一歩だけ近づきました。
「ライネル様……」
彼が完璧を装い、誰よりも冷静であろうとする理由。
その裏には、あまりにも大きな喪失と、深い罪の意識があったのです。
彼は自分を責めていた。守れなかったこと、逃げてしまったこと、そしてその過去を消せずにいることを——ずっと、ずっと。
「僕は家を継ぐ価値なんてない。君を守る資格もない……」
俯いたままそう言う彼の声に、私は思わず胸の前で手を握りしめてから——決意を込めて、彼の手を強く握りました。
「そんなこと、ありません」
その言葉は、私の精一杯の気持ちでした。
「……私が、あなたを守ります」
驚いたように目を見開く彼の顔を見つめながら、私ははっきりと、心の中の思いを形にして伝えました。
完璧じゃなくていい。
雷に怯える夜があっても、過去に傷があっても、それでも私はあなたのそばにいたい。
だって、私はもう——
あなたが好きなんです。
「セレナ……」
彼の声は、かすかに震えていました。
「君は、僕のことを知っても……まだ、そばにいたいと思うのか?」
その問いに、私は迷わず頷きました。
「はい。むしろ、もっとそばにいたいです」
彼はしばらく私を見つめていました。
その瞳の奥には、戸惑いと、驚きと、そして——かすかな希望の光が揺れていました。
「……君は、本当に変なやつだな」
彼がようやくそう言って、笑った瞬間。
一筋の涙が、彼の頬をすっと滑り落ちました。
私はそっと、握っていた手にもう一度力を込めました。
その夜、星は雲の隙間からやさしく顔を覗かせていました。
風は穏やかで、庭のハーブが小さく揺れていました。
私たちの影が並んで地面に落ちていて——
その隣に立つ彼の体温が、かすかに伝わってきたことが、何よりも温かくて、愛おしかったのです。
私は静かに心の中で誓いました。
もう、彼を一人にしない。
これは、政略結婚じゃない。
これは、私の恋の物語。
痛みも、過去も、全部抱きしめて進んでいくんです。
彼と、手をつないで。
そして、これから——ようやく、本当の始まりなのです。
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