11 / 11
最終章:これは政略結婚じゃない。わたしの恋の物語だ
しおりを挟む
聖堂の鐘が、朝の澄んだ空に高らかに鳴り響いていました。
その音はまるで、今日という特別な一日を告げる祝福の音のように、静寂な空気に染み渡っていきました。
雨はすっかり上がり、まだわずかに湿った空には薄い雲が漂っていましたが、その切れ間から差し込む柔らかな陽の光が、石畳を静かに照らし出しています。
まるで天が、この日のために幕を上げたかのように——。
私は、鏡の前でそっとドレスの裾を整えながら、ゆっくりと深く息を吸い込みました。
胸の奥で、心臓が静かに、けれど確かに高鳴っています。
それは不安ではなく、希望と覚悟が入り混じった、今の私だけが感じられる特別な鼓動でした。
「……いよいよ、ですね」
そうつぶやいた声は、自分の耳にも少し震えて聞こえました。
白いレースのドレスは、侯爵家の格式にふさわしい、繊細で気品ある仕立て。
柔らかな絹とレースが肌に優しく馴染み、鏡に映る私は、どこか別の誰かのように見えました。
けれど、胸元には私が選んだ、小さなハーブの飾りが添えられていて——
それだけが、今の私と、これまでの私を、しっかりと繋いでくれている気がしました。
それは、私らしさの象徴。
どれだけ立場や装いが変わっても、私という人間は、ここにいるのだと教えてくれる、たったひとつの小さな証です。
扉の向こうでは、使用人たちの足音が行き交い、どこか浮き立つような明るいざわめきが聞こえてきます。
慌ただしく動く中にも、皆が微笑んでいて、目が合えば、次々と「おめでとうございます」と温かな声をかけてくれました。
そのたびに、胸が熱くなります。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げながら、私は静かにそう返しました。
ほんの数週間前まで、私はこの館の中で、空気のような存在でした。
いてもいなくても変わらない、そんな風に扱われていた私が——
今はこうして、多くの人に祝福されている。
不思議な感覚でした。でも、それがとても嬉しかった。
ここが、私の居場所になっている。
その事実が、たまらなく尊く感じられました。
重々しい聖堂の扉が、ゆっくりと開かれていきます。
陽の光が差し込み、石造りの堂内に光の筋が幾筋も伸びていく。
その中を、私は慎重に、けれどしっかりとした足取りで歩き出しました。
足元でドレスの裾がふわりと揺れ、緊張にこわばる手のひらに、薄く汗がにじんでいました。
祭壇の前には、ライネル様の姿がありました。
黒の礼服を纏い、静かに私を見つめて立つその姿は、どこか大人びていて、堂々としていて——まるで別人のようにも見えました。
けれど、私が彼の前まで歩み寄ると、その表情がほんの少し和らぎ、微笑みが浮かびました。
「……君は、やっぱり素敵だな」
その言葉に、思わず息を呑みました。
声が震えそうになるのを必死にこらえて、小さく、でも確かに頷きました。
聖堂の空気が静まり返り、神父の落ち着いた声が厳かに響き渡ります。
誓いのときが、訪れました。
「ライネル・ヴァルトハイム様。あなたは、セレナ・アルディア様を、愛し、守り、共に歩むことを誓いますか?」
彼はまっすぐ私を見つめながら、深く、揺るぎない声で答えました。
「誓います」
その声に、胸の奥がじんと熱くなりました。
続いて、私の番。
「セレナ・アルディア様。あなたは、ライネル・ヴァルトハイム様を、愛し、支え、共に歩むことを誓いますか?」
一瞬だけ、目を閉じてから、私はライネル様の瞳をまっすぐに見つめ返しました。
その瞳には、もう迷いも戸惑いもなくて。
「誓います」
私は、はっきりと、力強く答えました。
指輪を交わし、誓いの口づけを交わしたその瞬間——
聖堂の鐘が、再び、高らかに鳴り響きました。
その音は、まるで祝福の光そのもののように、空に溶けていきました。
扉の外では、風がふわりと吹き抜け、待ち構えていた花びらが舞い上がります。
まるで天から祝福が降り注ぐような、美しい光景でした。
私たちの未来を照らすように、空には柔らかな陽光が広がっていました。
「セレナ」
名を呼ばれて振り返ると、ライネル様が、優しい目でこちらを見つめていました。
「はい?」
「君がいてくれて、よかった」
その一言に、胸の奥がじんと温かくなりました。
「……私も、ライネル様に出会えてよかったです」
言葉にすることで、気持ちがさらに強くなるのを感じました。
彼は少し笑って、そっと私の手を握ります。
「これからは、政略じゃなくて、君と僕の物語だ」
「はい。二人で紡いでいきましょうね」
私の答えに、彼はまるで安堵するように微笑みました。
政略結婚。
それは、家のための犠牲。
けれど、私は知っています。
雷に怯えていた夜、静かに毛布をかけてくれた彼。
慣れない厨房で作ったポタージュを、「うまい」と笑って食べてくれた彼。
雨の日、傘もささずに濡れて笑った、無邪気な彼の笑顔。
「家族の味」と言ってくれた、あのぬくもりある声。
そして今、私の隣で、真っ直ぐに誓いを立ててくれた彼。
これは、政略から始まったけれど——
ちゃんと恋になった、幸せな結婚の物語です。
私たち二人の、これからの物語の、始まりなのです。
【完】
その音はまるで、今日という特別な一日を告げる祝福の音のように、静寂な空気に染み渡っていきました。
雨はすっかり上がり、まだわずかに湿った空には薄い雲が漂っていましたが、その切れ間から差し込む柔らかな陽の光が、石畳を静かに照らし出しています。
まるで天が、この日のために幕を上げたかのように——。
私は、鏡の前でそっとドレスの裾を整えながら、ゆっくりと深く息を吸い込みました。
胸の奥で、心臓が静かに、けれど確かに高鳴っています。
それは不安ではなく、希望と覚悟が入り混じった、今の私だけが感じられる特別な鼓動でした。
「……いよいよ、ですね」
そうつぶやいた声は、自分の耳にも少し震えて聞こえました。
白いレースのドレスは、侯爵家の格式にふさわしい、繊細で気品ある仕立て。
柔らかな絹とレースが肌に優しく馴染み、鏡に映る私は、どこか別の誰かのように見えました。
けれど、胸元には私が選んだ、小さなハーブの飾りが添えられていて——
それだけが、今の私と、これまでの私を、しっかりと繋いでくれている気がしました。
それは、私らしさの象徴。
どれだけ立場や装いが変わっても、私という人間は、ここにいるのだと教えてくれる、たったひとつの小さな証です。
扉の向こうでは、使用人たちの足音が行き交い、どこか浮き立つような明るいざわめきが聞こえてきます。
慌ただしく動く中にも、皆が微笑んでいて、目が合えば、次々と「おめでとうございます」と温かな声をかけてくれました。
そのたびに、胸が熱くなります。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げながら、私は静かにそう返しました。
ほんの数週間前まで、私はこの館の中で、空気のような存在でした。
いてもいなくても変わらない、そんな風に扱われていた私が——
今はこうして、多くの人に祝福されている。
不思議な感覚でした。でも、それがとても嬉しかった。
ここが、私の居場所になっている。
その事実が、たまらなく尊く感じられました。
重々しい聖堂の扉が、ゆっくりと開かれていきます。
陽の光が差し込み、石造りの堂内に光の筋が幾筋も伸びていく。
その中を、私は慎重に、けれどしっかりとした足取りで歩き出しました。
足元でドレスの裾がふわりと揺れ、緊張にこわばる手のひらに、薄く汗がにじんでいました。
祭壇の前には、ライネル様の姿がありました。
黒の礼服を纏い、静かに私を見つめて立つその姿は、どこか大人びていて、堂々としていて——まるで別人のようにも見えました。
けれど、私が彼の前まで歩み寄ると、その表情がほんの少し和らぎ、微笑みが浮かびました。
「……君は、やっぱり素敵だな」
その言葉に、思わず息を呑みました。
声が震えそうになるのを必死にこらえて、小さく、でも確かに頷きました。
聖堂の空気が静まり返り、神父の落ち着いた声が厳かに響き渡ります。
誓いのときが、訪れました。
「ライネル・ヴァルトハイム様。あなたは、セレナ・アルディア様を、愛し、守り、共に歩むことを誓いますか?」
彼はまっすぐ私を見つめながら、深く、揺るぎない声で答えました。
「誓います」
その声に、胸の奥がじんと熱くなりました。
続いて、私の番。
「セレナ・アルディア様。あなたは、ライネル・ヴァルトハイム様を、愛し、支え、共に歩むことを誓いますか?」
一瞬だけ、目を閉じてから、私はライネル様の瞳をまっすぐに見つめ返しました。
その瞳には、もう迷いも戸惑いもなくて。
「誓います」
私は、はっきりと、力強く答えました。
指輪を交わし、誓いの口づけを交わしたその瞬間——
聖堂の鐘が、再び、高らかに鳴り響きました。
その音は、まるで祝福の光そのもののように、空に溶けていきました。
扉の外では、風がふわりと吹き抜け、待ち構えていた花びらが舞い上がります。
まるで天から祝福が降り注ぐような、美しい光景でした。
私たちの未来を照らすように、空には柔らかな陽光が広がっていました。
「セレナ」
名を呼ばれて振り返ると、ライネル様が、優しい目でこちらを見つめていました。
「はい?」
「君がいてくれて、よかった」
その一言に、胸の奥がじんと温かくなりました。
「……私も、ライネル様に出会えてよかったです」
言葉にすることで、気持ちがさらに強くなるのを感じました。
彼は少し笑って、そっと私の手を握ります。
「これからは、政略じゃなくて、君と僕の物語だ」
「はい。二人で紡いでいきましょうね」
私の答えに、彼はまるで安堵するように微笑みました。
政略結婚。
それは、家のための犠牲。
けれど、私は知っています。
雷に怯えていた夜、静かに毛布をかけてくれた彼。
慣れない厨房で作ったポタージュを、「うまい」と笑って食べてくれた彼。
雨の日、傘もささずに濡れて笑った、無邪気な彼の笑顔。
「家族の味」と言ってくれた、あのぬくもりある声。
そして今、私の隣で、真っ直ぐに誓いを立ててくれた彼。
これは、政略から始まったけれど——
ちゃんと恋になった、幸せな結婚の物語です。
私たち二人の、これからの物語の、始まりなのです。
【完】
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる