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屋上で出会った青年

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 叔父こそ、現在の大門薬品の社長である。

 賢治は万智の弟にあたり、父、源治が亡くなってから社長職を継いでいる。

 元をたどれば、山梨県の代々の地主で加藤家の令嬢だった万智と、サラリーマン家庭の平凡な中流家庭で育った源治が、大学で出会い結婚したのが全ての始まりだった。

 卒業すると源治は、まだ空き地ばかりが目立つ緑が丘駅前に小さなドラッグストアを開業した。

 最初は赤字ばかりで生活は困窮したものの、加藤家の資金面の前面的なバックアップもあり、何とか店を潰さずに済んだ。

 しかし、源治はこのままでは駄目だと、ワゴン車で移動販売を始める。

 需要があると踏めば、都心でも地方でもどこへでも出かけていった。売るのも薬だけではなく、食料品も安く仕入れて売りさばいていく。

 経営はだんだんと軌道に乗り始めた。店舗は全国に急拡大した。

 だが、源治はまだ満足しなかった。

 研究所や薬品工場を立ち上げて、研究、開発、生産から販売まで、どんどん事業を広げていく。

 さらにコスト削減のため、タイやベトナムなど 、アジア各地に生産拠点を置いて、日本や欧米に安く売り、売り上げを伸ばした。

 大門薬品は、世界を股にかけた巨大な企業に成長しつつあった。その絶頂期を迎えていた夫婦に、思いがけない贈り物が宿った。
 それが、光子だった。


 光子はパーティーの席で、叔父と向かい合って談笑している。

「母に似ているだなんて。叔父様、嬉しいです。いつも、ありがとう」

 光子は澄ました瞳で、わずかに口元を丸めて、叔父に笑みを浮かべる。

 当時の両親を知る知人からは、何十回も同じ美辞麗句を浴びせられてきた。だから、何の感情も起きないのである。

 こうした会社主催のイベントでは、創業者の一人娘は、来場した行政のお偉方や取引先に対して当たり障りの無い言葉と仕草を繰り返せば良いのだ。

 舵取りは、叔父がすべて握っている。光子は、あくまで会社のマスコットであればよいわけだ。

 もし総理大臣と握手をしても、恐らく何も感じないだろう。ひたすら役柄を演じ続けていられる。

 まるで、白い能のお面を被っているかのように。そんな私で、自分は良いのだ、と。
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