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赤い記憶が戻る時

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  薄暗い警察署の拘置所で、大門光子は目がさめた。

「たとえどんな残酷な運命が私たちをもてあそんだとしても。決して私たちは離れない。永遠に、あなたはこの胸の中に!」

 夢の中で、舞台の台詞を何度も叫んでいた。
独房には、簡易ベッドにトイレがある。
壁の丸時計が朝8時過ぎを指している。
夜は眠れなかった。それもそのはずだ。
私は人を殺してしまった。
仰向けになったまま、両手を広げてみる。
真っ赤に染まったべとついた血液の感触と生臭い匂い。そして腹に突き立てられたナイフ。床に転がった肉体。
マスコミは大騒ぎのはずだ。
自分の顔写真が画面全体に映し出されて、賢者かぶれした、物知り顔の教授が、最もらしいコメントをしているはずである。
急に涙が溢れだした。
昨日は緊張や恐怖で感情が押し殺されてしまっていた。
そして段々とそれが現実に起きたことで、自分は犯罪者になったのだと分かった時、一斉に悲しみが噴き出したのだ。
「うるせえ!声たてんなよ」
隣の独房から、がさつな女の怒鳴り声がした。
彼女は、うつ伏せになって湿ったシーツに顔を押し付けて、目を閉じた。
このまま窒息して死んでしまいたくなった。
けれども、辛くてできない。
仕方なく口を手で抑えて鳴き声を押さえ込んだ。
蛍光灯の鈍い灯に照らされて、無数の蠅が群がって飛び跳ねている。
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