私はただの女官だったけれど、王に囲われて困ります。

朝日みらい

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第8章 遅すぎた告白

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 壁際まで追い詰められたのは、私でした。

 胸の鼓動が、鼓膜の裏でうるさすぎて。  
 廊下から吹く冷気と、目の前の彼の温度が混ざり合って――呼吸ができなくなっていました。

「……逃げようとしたね」

 レオナルト陛下の声が低く響きます。  
 もう“王”ではなかった。  
 あの夜、“去る? 僕の許可なく?”と囁いたときと同じ、恐ろしく静かな声。

「違います。私は、ただ――」

「君は嘘が下手だ。 目が全部、物語っている」

「……!」

「恐いんだろう? 僕が」

 震える指先が、私の頬のすぐそばをなぞります。  
 触れていないのに、火傷しそうな熱。  
 息の先が、耳を掠めるたびに心臓が跳ねました。

「私は……恐いのは……」

「僕に、惹かれることだろう?」

「――!」

 その言葉で、体が硬直しました。  
 逃げようとした背を、壁が塞いでいる。  
 金の髪が揺れて肩から滑り落ち、瞳がすぐ目の前に。

 彼の目は青くて、でもどこか悲しそうでした。  
 優しいのに、逃げられない光を宿している。

「……最初から、君しか見ていない」

 囁きが、心の底を揺さぶる。  
 それが嘘じゃないと直感した。  
 だからこそ、苦しい。

「だから他の女にも優しくした。  
 君が逃げないように――安心させたかった。  
 でも逆効果だったね」

「……陛下……そんな歪んだ理屈――」

「歪んでるさ。  
 でも、君を手放すくらいなら、正しい愛なんていらない」

 次の瞬間、頬に触れた指がほんの少しだけ押し当てられる。  
 優しく、けれど確かに“逃がさない”力。

「君を見れば見るほど、心が掻き乱される。  
 泣いた顔も、怒った顔も、声も、全部、頭から離れない。  
 王としてではなく、一人の男として、どうすればいい?」

 困ったように、でもどこか楽しそうに笑うその表情。  
 狂気と慈愛の境界に立つ人の顔でした。

「……私を縛ってどうするんですか」

「縛るんじゃない。囲うんだ」

「同じではありませんか!」

「違う。囲うのは、守ることだ。  
 誰も、君に触れられないように」

 まっすぐな声。  
 まるで誓いのように響くその言葉に、涙が滲みました。

「そんなの……王という立場で言うことじゃありません」

「王である前に、男なんだ」

「だから、その言葉が……いちばん卑怯です」

「卑怯でもいい。君に逃げられるよりは」

 彼が一歩、近づく。  
 距離があと数センチになる。

「僕の中では、ずっと君がいた。  
 どの書状を読んでも、どの国務を話しても、頭のどこかで君のことを考えていた。  
 ――そんなふうに、人を思うのは罪かな?」

「……罪ではありません。  
 でも、それを言う時期が、遅すぎます」

「本当だね。  
 遅すぎた告白だ」

 静かに笑って、彼の手が私の肩に触れます。  
 ゆっくりと、撫でるように。  
 それだけで鼓動が乱れた。

「最初に会った日のこと、覚えてる?  
 机の上のインクを君が拭った瞬間、その仕草がやけに綺麗で――  
 ああ、きっと僕はこの人に振り回される、と思った」

「……そんなこと、覚えて……」

「全部、覚えてる。  
 君の“お疲れさま”も、“陛下”の声も、全部。  
 夜が来るたび思い出して、寝つけなくなった」

 囁きの合間に、微笑が滲む。  
 言葉が甘いのに、涙があふれてしまう。

「陛下、どうして今さら、それを――」

「君が辞めるって言うまで、気づかなかったんだ。  
 失いたくないほど、大切だって」

 まるで告白でもなく、懺悔のように。  
 彼の声は震えて、でも確かでした。

「……君が僕を見ない未来を、想像できなかった。  
 だから、酷いことを考えた」

「酷いこと……?」

「いっそ、王命で閉じ込めてしまおうかと」

「……っ!」

 息が止まる。  
 けれど彼は肩に置いた手を、そっと撫でるだけ。

「怖い顔をしないで。実行はしていない。  
 ……でもね、君が誰かに見つめられるだけで、殺意に近い感情が湧いたこともある」

「そんな……」

「それでも、君の笑顔を見ると全部どうでもよくなるんだ。  
 ――笑ってくれたら、それだけで」

 優しさと執着が、ほんの紙一重。  
 どちらもこの人の真実。

「馬鹿みたいですよ、陛下」

「うん。君の前だと、馬鹿になる。  
 冷静なんて言葉、君の前では意味を持たない」

 笑う彼の声が、少し掠れていました。  
 喉の奥が熱を持っているように。

「……エレノア。  
 ねえ、どうしたら君の心に僕を刻める?」

「もう……十分に、刻まれています」

「そうか。――なら、その証を、君の涙で残して」

 肩に置かれていた手が、親指だけで涙を拭う。  
 触れた場所が熱くて、声が出せない。

「君を泣かせたかったんじゃない。  
 でも、泣かせないでここまで来られなかった」

「……陛下」

「違う。今だけは、レオナルト。  
 “王”の僕を、いったん殺してくれ」

「そんなこと……できません」

「じゃあ、抱きしめさせて」

 拒む言葉が浮かぶよりも早く、腕が回りました。  
 強くではない。ただ、逃げられない優しさで。

 鼓動が、身体の奥まで伝わる。  
 温もりがまとわりつくのに、痛くて涙が溢れる。

「……本当はね、王妃なんて、どうでもよかったんだ。  
 あの女たちが寄ってくるのを、ただ見ていてほしかった。  
 僕が誰と笑っても、君が視線を逸らさないかどうか、そればかり気にしてた」

「そんな……」

「君に会うたびに満たされて、君が背を向けるたびに壊れた。  
 ――僕は、きっともう正常じゃない」

「……知ってます」

 彼が少しだけ笑いました。  
 その笑みが震えて、まるで泣きそうに見えたのです。

「やっぱり、君だけが僕を見抜くんだな」

「当然です。長くお側にいましたから」

「そうか。じゃあこれからも、ずっと側にいて。  
 報いでも責務でもなく、願いとして」

「……好きです。陛下のことが。  
 けれど、怖いです。こんな気持ち、知らなかった」

「僕も同じだ。  
 怖くて、だから逃げられたくなかった。  
 君に恋をするのは、狂うのと同じだね」

「……はい」

 抱き寄せられたまま、二人の間に落ちる沈黙。  
 呼吸が重なって、夜風の音すら遠くなる。

「君の痛みを僕が奪う。  
 その代わり、僕の痛みを君がもらって」

「そんな、身勝手な……」

「だから“遅すぎた告白”なんだ。  
 でも、言わずにいられない」

 彼の唇が髪に触れた。  
 ただそれだけで、頭の奥が真っ白になる。

「君の存在が、僕を人間にしてくれる。  
 ――だから、もう離れない」

 掠れた声が、耳の奥で震える。  
 涙が頬を伝って、ほんの少し彼の指に触れた。

「泣かないで。泣かせたくないのに、泣かせてしまうから」

「泣かせてるんじゃありません……泣きたいんです。  
 あなたの言葉が、あたたかすぎて」

「……エレノア」

「はい」

「今夜だけは、王であることを忘れさせて」

 その囁きとともに、彼の手がそっと頬から離れて、髪をかき上げる。  
 額と額が触れ、吐息が混ざる距離。  
 もう、声が届かなくても良かった。

 ――歪んだ愛だとわかっている。  
 けれど、嘘のない愛だった。

 胸の奥に響く彼の鼓動が、すべてを壊して満たしていく。

 この瞬間、私は悟ったのです。  
 この人の“狂気”の中でしか、自分は自由になれないのだと。

 そして、レオナルト陛下はささやきました。

「君は僕の最初で、最後だ。  
 すべてを手に入れた王が、唯一失いたくないもの――」

「……それが、私……?」

「そう。君だよ、エレノア」

 あまりにも優しいその声で。 
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