【完結】私はただの女官だったけれど、王に囲われて困ります。

朝日みらい

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第14章 優しすぎて

 処刑の翌日、王宮の朝は異様なほどに静かでした。

 音が消えたわけではありません。  
 鳥の声も、書類をめくる音も、廊下を歩く靴音もある。  
 ただ、それらすべての上に“沈黙”がかぶせられているような気配です。  

 噂が止んだのです。  
 昨日のあの裁き以来、誰ひとりとして私の前で軽々しく口を開こうとしません。  

 けれどそれが、平穏ではないことを、私は知っていました。

(静かすぎる……)

 王が怒りを封じ込めたあの微笑を思い出すたび、  
 私の背筋は冷たく強張りました。  
 レオナルト陛下は、昨日の裁きで“外の嘘”を整然と切り落とされた。  
 では次に向かうのは――内部。  
 陛下の命令で、あの日セレナ嬢に同調した女官たちが召喚されたのです。



 王の私室に併設された小広間。  
 薄いカーテン越しの光が、茜色を帯びて揺れていました。  
 その空間の中心に三人の女官がひざまずき、青ざめた顔で頭を下げています。

「ひいっ……お許しを、陛下……っ!」

「陛下! 私ども、ただ……口が滑っただけで――!」

 恐怖で声は震え、言葉も破綻している。  
 彼女たちは、かつてセレナ派として私を嘲っていた女官たち。  
 けれど今の彼女たちは、見る影もありません。  

 レオナルト陛下は机に腰掛け、いつもの柔らかな笑みに戻っていらっしゃいました。  
 どこまでも穏やかに。

「口が滑った? つまり、嘘の刃が勝手に飛んだのか。君たちの意志ではなく?」

「っ……! そ、そうではなく、あのときは周囲が……」

「ああ……“周囲”。便利な言葉だね」

 静かな声。その響きだけで息が詰まる。  
 怒鳴り声でも罵倒でもない。  
 けれど、あの眼差しを見た瞬間、誰ももう逃げられなかった。  

「では、問いを変えよう。  
 “彼女”を、どう傷つけたか覚えているか。――君の口で言え」

 指先が、私を指し示した。  
 空気がぴり、と震える。  

「……っ!」

「お、思い出せません……っ!」

「思い出せないのなら教えてあげようか?」  
 陛下の声が一段低くなる。  
 柔らかな笑みのまま、丁寧な言葉で、地の果てまで突き落とすように。

「“年増の女官”、“厚かましい庶民育ち”、“王の寵に縋る貧相な女”——  
 この口で言ったね?」

「ひぃ……っ!」

「記録官がすべて控えている。……まあ、すでに記録した本人も覚えていないだろうけど」

「お許しを、お許しを陛下……! 二度と申しません!」

「もう君たちの言葉は、誰も聞かないよ」

 軽く椅子の肘を撫でながら、それだけを言う。  
 その優雅な声色の中で、“処刑”が確定する。

「今日から君たちの名は、王宮から抹消する。  
 人事記録にも、家系図にも、存在しなかったことになる。  
 生きることは許す。ただ、“誰からも知られない場所”でね」

「そ、そんな……!」

「誰も君の過去を呼ばない。  
 礼も、懐かしむ声も、将来の縁談の話も出ない。  
 君たちは“無”として生きなさい」

 まるで恩情を授けるような笑みでした。  
 しかし、それは魂の根を断ち切る宣告。

「陛下、それは……あまりにも……!」

 思わず声を上げた私に、陛下がゆっくりと振り返る。  
 その瞳には、悲しみに似た静謐な光がありました。

「エレノア。  
 彼女たちは君の名を穢した。  
 その罰として“名”を取り上げただけだ。均衡だよ」

「……けれど、それではまるで—」

「“殺す”より穏やかだろう?」

 思わず目を見開きました。  
 陛下の声はやさしい。なのに、底が見えない。  
 それは正気と狂気の境を溶かし合わせた響きでした。



 沈黙が落ちた。  
 女官たちは泣き崩れ、ひとりがか細い声で「助けて」と呟く。  
 しかしその“助けて”は、誰に届くこともなかった。  

 レオナルト陛下が立ち上がり、彼女たちの前へ歩み寄る。  
 ゆっくりと、足音ひとつ立てずに。

「君たちを責めはしない。  
 誰だって嫉妬をする。  
 君たちは君たちなりに、僕を愛していたのかもしれない」

「……っ、陛下……」

「でもね。僕は君たちを愛さなかった。  
 なぜなら、僕の愛は――唯一の名で完成しているから」

 その声に振り返ると、視線がこちらに来ていました。

「エレノア」。

 ただ一言。呼ばれただけで、体が震える。  
 まるで世界全部が、その一音で揺れたように。

「君の名前ひとつで、この国が変わる。  
 君を傷つけた声は、もうどこにも残らない」

「……陛下、そんなこと、望んでいません」

「でも僕が望んだ」

 穏やかに、淡く笑う。  
 その笑みは、まるで赦し。  
 けれど赦しよりも残酷です。

「人は、自分が喋った言葉に縛られる。  
 だったら僕は、君のためにその言葉の存在を消す。  
 君を縛る音を、世界から取り払う」

 彼は静かに手を上げ、廷吏へと命を下した。

「三人を南方収容院へ。名簿から削除し、証印も破棄。  
 二度と“名前を呼ぶな”」

「……畏まりました」

 女官たちが連れ出されていく。  
 彼女たちは泣くことすらやめ、ただ虚ろな目で私を見ていた。  
 その視線に涙がこみ上げる。

(……私も、罪人なのだわ)

 救おうとしたのではない。  
 ただ、怖くて。  
 王の愛があまりに完璧で、誰も止められなかった。



 処分のあと、陛下は私に歩み寄り、手を取った。  
 掌は暖かいのに、その熱はひやりとする。

「ねえ、君はどう思う? 彼女たちを赦した?」

「……いいえ。私は、怒っても、憐れんでも……いません。  
 何も感じないんです」

「それでいい。  
 感情が残るうちは苦しいだけだ。  
 見届けてくれた、それで十分」

 そう言って、陛下がゆるやかに微笑む。  
 白い指が私の頬に触れ、涙を撫でる。

「この涙は、彼女たちが流すはずだった分だね」

「違います……そんな悲しい言い方をしないでください」

「悲しくなんてないよ。  
 だって、これで君はもう“傷つけられた人”じゃない」

「……?」

「彼女たちは、君を穢した者として記録から消えた。  
 したがって君は、最初から穢されていなかった――」

 王の論理。王の愛。  
 狂ったほどに徹底された理屈に、返す言葉が見つからない。

「君を完璧に保つために、世界の方を削った。  
 これが僕の正義だよ」

「正義って……」

「君を愛することが、正しいことなら。  
 他のすべてを間違いにして、書き換えればいい」

 その一言に、息が詰まった。  
 静寂が全身を包み、ただ彼の声だけが世界になっていく。  

「エレノア。  
 泣く代わりに笑って。  
 僕は、きみの笑顔のために狂ってしまったから」

 髪を持ち上げ、ふと額に口づけが降りる。  
 その仕草に心臓が跳ねる。  
 けれど、涙は止まりません。  

「……陛下の愛は、優しすぎて残酷です」

「だって、僕は王だからね。  
 優しさという名の刃しか、持っていられない」

 そのささやきが、硝子のように光を放った。  
 そして、笑うでも泣くでもなくただ静かに――私を見つめていました。
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