【完結】私はただの女官だったけれど、王に囲われて困ります。

朝日みらい

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第15章 最後の宣言

 ――王の私室で、あの夜からもう三日が経ちました。  
 胸には、まだ残響のように彼の囁きが残っています。  

 「僕は、きみの笑顔のために狂ってしまったから」  

 あの言葉を嘘だと思えたら、どんなに楽だったでしょう。けれどレオナルト陛下の眼差しは、本気でした。甘くて、痛いほどに。  
 その視線に溶かされぬよう、私は必死で平静を装ってきたのです。

 けれど今日――宮廷の大広間がざわめいています。いつもは謁見の儀や祝宴に使われる場所が、朝から特別な装飾で埋め尽くされていました。  
 緋の絨毯、金糸のタペストリー、揺れる燭台。  
 だれもが何かを待っている気配。空気が熱を帯び、貴族たちのざわめきが波のように広がっていました。

(いったい、何が起こるのかしら……)  

 呼び出されたとき、理由も教えられませんでした。ただ「全貴族を前に国王陛下より告示がある」と。  
 それだけです。  
 そして今、私は大広間の脇に立ち、胸に手を当てて静かに息を整えていました。

 扉の向こうから、足音。  
 重厚な扉が音を立てて開くと、場の空気が一瞬で変わりました。

「国王陛下、御入場――!」

 宣言の声が響き、貴族たちは一斉に頭を垂れます。  
 レオナルト陛下の姿が、金の光に包まれたようでした。  
 白い軍装の上に黒の外套。整った髪がわずかに揺れ、堂々とした足取り。  
 視線が交わった瞬間、息が詰まりました。  
 ――見つけた。

 まるで迷子を探し当てたように、彼は一人の女官――私を、真っすぐ見つめていました。

「……皆の者、面を上げよ」

 低い声。鋼のような響き。  
 私の知っている“社交用の王”とは違いました。  
 誰にでも微笑みを見せる“ホストの顔”はそこになく、ただ一人の男として、彼は王座の前に立っていたのです。

「本日は重大な告知がある」

 広間に緊張が走る。  
 セレナ嬢をはじめ、有力貴族の娘たちがざわめく気配。  
 私の背筋も凍りつきます。

(……まさか、王妃の正式発表?)  
 そうだとすれば私はもう、完全に身を引かなければならない。  
 胸の深いところで、何かがきしむ音がしました。

 けれど、次の瞬間――彼は静かに、しかし迷いなく言いました。

「エレノア・リース。前へ」

 足元が一瞬、崩れるような感覚でした。  
 私の名を、あの王が、全員の前で。  
 誰もが息を呑みました。

「……はっ、はい……!」

 脚が震えるのを隠しながら、私は前へと進み出ます。  
 視線の嵐。千もの噂と嫉妬が私を刺していく。  
 その中で、彼だけが穏やかに立っていました。

「顔を上げて、エレノア」

 囁くような声。  
 思わず、見上げてしまいました。  
 まっすぐで、ぬくもりを含んだ灰青の瞳。  
 あの日、拒絶を告げたときとは違う光でした。

「恐れることはない。……全て、私が決めたことだ」

「決めた……?」

 問い返す私に、彼は柔らかく笑いました。

 「――今日、私の生涯を賭して守る女性として、皆に宣言する」

 時が――止まりました。  
 ざわめきが爆発したように広間を満たします。  
 「王妃候補か?」「いや、身分が違いすぎる!」そんな声。  
 誰かが椅子を倒し、誰かが息を呑む音。  
 私は立っているのがやっとでした。

「陛下、それは……!」と、セレナ嬢の絶叫。

「黙れ」  
 レオナルト陛下の一言は氷刃のように鋭く、空気を切り裂きました。

「彼女を侮辱した者たちの末路は、先日見ただろう。  
 ――次はない」

 静まり返る広間。  
 彼の視線が、ゆっくりと私に戻る。  
 そして、一歩、また一歩と近づいてきました。  
 胸が痛いほど高鳴る。  
 全員の視線の中で、彼は迷わず私の手を取ったのです。

「っ……陛下、そんな、人前で――!」

「いい。見せつけてやる」  
 その言葉とともに、彼は私の指先に唇を触れさせました。

 灯りが、遠のく。  
 世界が静かになる。  
 ただ王の体温と、震えるほどの覚悟だけが、確かな現実でした。

「エレノア・リース。お前を、私の伴侶として認める」  
「――っ!」

「婚姻という形式に縛られずともいい。  
 王が誰を愛するかを決めるのは王自身だ。  
 私はこの女官を愛している。  
 そして、これから先も生涯、変わらない」

 宣言が響く。  
 歓声でも嘲笑でもなく、息をすることさえ許されぬ静寂。  
 次いで――ひときわ強い拍手が、誰かから始まった。  
 それが連鎖して、広間中を包み込み、ついには祝福の渦に変わっていきました。

 私は――もう、涙をこらえきれませんでした。  
 ぽろりとこぼれた一粒を、レオナルト陛下は親指でそっとぬぐい、微笑みます。

「泣くな。せっかくの顔が台無しだ」

「……ひどいです。こんな場でそんな冗談を」

「冗談じゃない。泣き顔も、可愛いと言っているんだ」

 また、息を詰まらせてしまいました。  
 なんて人なの、この王様は。  
 優しさと残酷さが紙一重で、逃げ場なんてどこにもない。

「もう、陛下の仮面はつけないのですか?」

 問うと、彼は軽く笑って、耳元に顔を寄せました。

「仮面なんて、最初から君の前では意味がなかったよ」

 髪を撫でる指先が、驚くほど優しい。  
 その優しさに、私はもう抗えませんでした。

(……この人の檻に、私は自ら足を踏み入れたんだ)  

 甘くて、苦しくて、それでも幸せで。  
 そんな気持ちが胸の中でぐるぐると渦を巻いていました。

「これから、どうなってしまうのでしょう……」

「……幸福になるだけさ。逃げないでいれば、ね」

 レオナルト陛下がそう囁き、静かに私を抱き寄せました。  
 その瞬間、広間の喧騒も、貴族たちのざわめきも、全部遠のいていったのです。


 ――そして、夜。

 儀式を終え、私はまだ夢の中を歩いているような心地でした。  
 宮廷の階段を降りる途中、ふいに後ろから手を取られます。

「エレノア」

「! 陛下……!」

 息を飲む間もなく、彼は階段の踊り場で私を引き寄せました。  
 人影もまばらな夜の回廊。  
 月明かりだけが、石壁に淡い光を落としています。

「今日から、“陛下”ではなく、“レオ”と呼べ」

「え、そ、それはさすがに――」

「命令だ」

 その言葉に、膝が抜けそうになりました。  
 命令。そう言われてしまえば、拒めるはずがない。

「……レ、レオ。陛下……」

「うん。今の、もう一度」

「……レオ、さま」

 彼は笑いました。  
 ゆっくりと腕を回して、私の頬に触れる。  
 その目は限りなく優しく、けれど奥に狂おしい独占欲を湛えていました。

「君の声で、僕は生き返る」

「また、そんな……」

「本当だ。だから、これからもずっと側にいて」

 顔が近づく。  
 息が混ざる。  
 私は目を閉じかけて――それでも、ぎりぎりのところで留まりました。

「だめです。ここは……王宮の中です」

「そうか。なら、今夜は頬まで。約束だ」

 そう言って、唇がそっと頬をかすめました。  
 柔らかく、でも熱を残すように。  
 それだけで、心臓が跳ね上がりました。

「レオさま……」

「うん?」

「私、本当に、このままでいいんでしょうか。  
 身分も、立場も……何もかも違うのに」

 彼はしばらく黙ってから、耳元で囁きました。

> 「違うのは、ただ名前の響きだけだよ。  
 俺の世界で一番価値があるのは、“君がいる”という事実だ」

 反則です、そんな台詞。  
 顔を上げられなくて、胸の奥がずっと熱い。  

「……本当に、王様ってずるいです」

「恋をしてる男は、誰だってずるくなるんだよ」

 ため息まじりに笑うと、彼は私の髪を撫でました。  
 その掌の温もりが、まるで小鳥を包むように優しくて。  
 ――ああ、もう抗えない。  

(きっと私は、この人の檻を選んだのね)  

 そんな自覚が胸に落ちた頃、  
 外の空がほのかに白み始めていました。

「夜明けですね」

「ああ。君と見る初めての夜明けだ」

「……そんな大げさな」

「でも、そうだろう?  
 今夜から君は、王の伴侶だ」

 彼の声が、嘘みたいに穏やかで。  
 そして胸の奥底から、本気で嬉しそうに響いていました。

 ――この人のためなら、たとえ檻の中でも構わない。  

 そう思ってしまった自分を、もう否定することはできません。

「レオさま。私、ちゃんと笑えていますか?」

「うん。世界で一番、綺麗だよ」

 眩しいほどの笑顔でそう言われ、私は泣き笑いになってしまいました。  
 そして、朝焼けの光の中で、彼は私の手を取ります。

「行こう。新しい朝だ」

「はい……陛下、いえ。レオさま」

 
 その手を握り返したとき、心の奥で何かが静かにほどけました。  
 ――もう怖くない。  
 どんな未来が待つとしても、この人となら。

 広間での宣言は確かに世界を変えました。  
 けれど私の中で、それ以上に大きな変化は――“私が彼を受け入れた”こと。

 桃色吐息のような幸福。  
 苦しくて、甘くて、逃げ場のない愛。  

 それでも、私は笑っていました。  

 「あなたと共に、生きていきます。  
 この先がどんな檻でも、選んだのは私だから」

 レオナルト陛下――レオは、その言葉とともに私を強く抱きしめました。  
 朝の光の中で、世界が静かに新しい一日を迎えます。

 それは、王と女官ではなく、  
 ひとりの男と女として迎える、最初の朝でした。
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