【完結】私はただの女官だったけれど、王に囲われて困ります。

朝日みらい

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第17章 桃色の吐息

 ――恋とは、もっと静かなものだと思っていました。  
 胸の奥でひそやかに満ちていく柔らかな灯、誰にも知られず自分だけで抱くもの。  
 けれど、この人と出会ってから、それはすべて覆されました。

 レオナルト陛下は、嵐のように優しくて、風のように残酷な方です。  
 その微笑ひとつで、国中の空気を変えてしまうくせに、  
 私の髪を撫でるときだけ――まるで、世界で一番儚いものを触るように指先が震えます。




 夜明け前。  
 まだ薄紫の空が残る頃、私は王室の私室からこっそり抜け出そうとしていました。  

 昨日の“夜の誓い”のせいか、胸の奥がまだ熱くて。  
 逃げるように廊下を歩いたのです。  

「……逃げないで」

 低い声が、背中に落ちました。  
 まるで風が通り抜けるように静かなのに、確かに私を捕まえて離しません。

 振り返ると、陛下――いえ、レオナルト様がそこに立っておられました。  
 寝衣のまま。ゆるく髪が乱れて、瞳だけがまっすぐにこちらを見ています。

「どちらへ?」

「……少し、風に当たりたかっただけです」

「僕という風では足りなかった?」

「そういう意味では……」

 ――ありません、と言いかけた瞬間。  

 彼が、ゆっくりと歩み寄ってきました。  
 裸足のまま、足音も立てずに。  
 そして、私の肩の上にそっと掌を置いた。

「君の息が、まだ熱い。昨夜よりも」

「っ……それは、陛下のせいです」

「そう。君が僕の名前を呼んだから。  
 あれだけ甘く囁かれたら、僕でも正気を保てなくなる」

「そ、そんな覚えはありません!」

「あるよ。“レオナルト様”って」

 声だけでなく、指先まで笑っているような言い方。  
 頬が一瞬で熱くなっていくのが自分でもわかりました。

「……ずるい人です」

「それは今さらでしょ?」  

 言いながら、彼はふわりと髪を撫でてきました。  
 指先が耳の後ろを掠めるたび、息が乱れる。  
 なのに、不思議と怖くない。  

 この人の触れる仕草は、どんなに独占的でも、  
 最後にはそっと“逃げ道”を残してくれるのです。

「エレノア、僕を嫌いになった?」

「……そんなこと、できると思いますか?」

「じゃあ、離れなくていいね」

 そのまま、背中に腕が回されました。  
 あまりに静かで、ため息ひとつ分の間に、世界が塞がっていく。  
 胸の奥で、何かがとくん、と鳴りました。  

「君がいるだけで、温度が変わる。  
 夜が優しくなる。  
 ――だから僕は、君を閉じ込めたくなるんだ」

「……檻、ですか?」

「違うよ。違うけれど、君が“それでもいい”って言ったから、  
 僕はもう、この腕を離せない」

 ああ、本当にずるい。  
 “愛”という名の鎖を、自分よりも美しい形で私にかけてくるなんて。  



 その日の午後――  
 王の命により、王都中に新令が発布されました。

《王妃候補審議、無期限凍結》  
《執務顧問エレノア・ハウエルの勧告を政策に準ずる扱いとする》

 ――文字通り、“王の右腕”というより、“心臓”。  
 そんな立場になってしまったのです。

 私は王の執務机の横に立ち、机上の書類を整えながら小さくため息をつきました。

「皆、きっと噂しますね」

「僕が女官に溺れて国を滅ぼすんじゃないかって?」

「ええ、少し……」

 すると彼はペンを置き、私の方を見ました。  
 すぐ近くの、見慣れた距離。  
 なのに、その瞳の深さは毎回違って見える。  

「滅んでもいい。この手の中でなら」  

「っ……陛下はそんな軽口を」

「軽口じゃない。君の頬に触れるこの一瞬のためなら、王冠だって差し出せる」

 そう囁くと、レオナルト様は紙の上に散った私の髪を撫であげました。  
 指先がかすかに触れるたび、ペン先より繊細な音が走る。  
 私は、ため息の代わりに苦笑しました。

「……そんなことを言って、また臣下を困らせるのですよ」

「困らせるのは、得意だから」

「ええ。そこだけは天才です」

「天才って言われた。……嬉しい」

 まるで少年のような笑み。  
 見惚れそうになるたび、思い出すのです。  

 ――この人は“王”。  
 どれだけ優しく微笑んでいても、次の瞬間には“世界”そのものを動かす人。  
 愛と傲慢の境を曖昧にしたまま、私を通してその力を使う。

(それでも私は、この人の隣を選んだ)



 夕暮れ。  
 窓の外に群青が混じり始めた頃、レオナルト様が言いました。

「外に出ようか」

「……今ですか?」

「うん。たまには王宮の屋上から夜を見たい。君と一緒に」

 そんな理由を断れるわけがありません。  
 少し厚い上着を羽織って、二人で人目を忍び、静かな螺旋階段を上がりました。  

「すごい……」

 屋上に出ると、王都の灯りが一面に広がっています。  
 遠くの小舟の灯、街路樹をつたう燭台の光、  
 全てがゆらゆらと揺れて、まるで街全体が眠っているようでした。  

「綺麗だね」

「ええ……」

 風が頬を撫でる。  
 冷たい風なのに、隣にいるだけでこんなにも暖かい。

「君はね、光の塊みたいなんだ」

「え?」

「どんな暗闇でも、君を見ると夜が柔らかくなる」

「……詩人みたいなことを言わないでください」

「本気だよ」

 そう言って、彼が私の肩を抱き寄せます。  
 背丈の差がちょうどよく、私の額が彼の鎖骨に触れた。  
 胸板の奥で心跳が響いています。  

「顔を見せて、エレノア」

 囁きが落ちて、ひとさし指が顎をすくう。  
 怖いくらい優しい仕草で。

 視線がぶつかって――逃げられなかった。  

「ありがとう。君が僕を、王にしてくれた」

「……私が?」

「そう。君がいなければ、僕はただの“飾りもの”で終わった」

「……陛下、私にそんな大層な力はありません」

「あるよ。君が笑うたび、臣下が希望を持つ。  
 君を愛することで、僕は人でいられる。  
 君の存在そのものが、この国の色を決めるんだ」

 唇が近づく。  
 濡れた風と一緒に、言葉が頬に滑り込む。  

「もう、君の声なしでは眠れない」  

「甘すぎます……そんなことを言われたら、私――」

「堕ちる?」

「……はい」

 彼の微笑が、月明かりに融けるように穏やかでした。  
 その額に、そっと唇が触れる。  
 重ならない程度、けれど心臓が跳ねるほどの距離。  

「この吐息の間が、僕たちの全部なんだ」

「桃色吐息、ですね」

「そう。君の香りがする」

 頬に触れる手の温度が、まるで季節を変えるように穏やかで。  
 その腕の中で、私はもう抵抗できなくなっていました。  

(甘い。怖い。なのに、どうして――こんなに幸せなの)

 レオナルト様が、そっと囁きました。

「君が選んだのは、檻じゃない。  
 ――僕だよ」

 その言葉が胸の中でじんわりと広がる。  
 私は、ゆっくりと彼の胸に額を預けて目を閉じました。  

(もう迷わない。たとえこの先がどんな未来でも) 
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