【完結】 父殺しの宿敵宰相を暗殺しようと婚約したから、チャンスありありなのにその都度、動揺させられて困ります。

朝日みらい

文字の大きさ
2 / 30

第二章 暗殺者は氷の笑顔

しおりを挟む
「お嬢様、お食事の時間ですわ」

 小鳥のさえずりと共に響いたのは、使用人のエリザの明るい声だった。

 リディア・エヴァンズは、寝台の天蓋をぼんやりと見上げたまま、枕に顔を埋めて呻くように呟いた。

「……毒を盛るなら、今よ……」

「まあ! お目覚め早々、なんて物騒なことを!」

「まさか冗談よ。“もし私が暗殺者だったら”の話よ」

「それも充分に穏やかではございません」

 エリザがカーテンを開け放つと、まばゆい朝日が容赦なくリディアの顔面を直撃した。

「目が……焼ける……!」

「お嬢様、お日様にそんなことを言ってはいけませんわ」

「太陽って、いつも容赦ないわよね……」

 ぼやきながらも、リディアはのろのろと寝台から起き上がり、鏡の前へと向かう。

 ――今日が、公爵邸で迎える最初の朝。

 昨日の婚約披露以来、まだ正式な婚礼までは時間がある。つまり、監視が緩い“今”が最も自由に動ける。

(夜会、謁見、晩餐会……隙はきっとある。毒も刃も――必要なら手段は選ばない)

 鏡の中の自分に向かって、小さく息を吸い込み、ドレスの胸元をきっちり整える。

「……さて、暗殺者らしく、優雅に朝食と参りましょうか」

「あの……暗殺者って優雅なのでしょうか?」

「プロなら当然でしょう?」

「まるで本職のように語らないでくださいませ!」

 エリザの悲鳴めいたツッコミを背に、リディアは静かに廊下を進む。

 

 食堂の扉を開けると、広々とした部屋には甘い焼きたてパンとバターの香りが漂っていた。中央の長いテーブルには、すでにヴァルト・ラインハルト公爵が座っていた。

 彼は手に新聞らしき書簡を持ちながら、ちらと視線を上げる。

「おはよう、リディア嬢。朝は苦手だと聞いていたが、ちゃんと起きられて偉いな」

「……はあ。意外と情報が行き渡ってるのですね」

「婚約者のことを知っていて、何が悪い?」

 さらりと言われて、リディアの手が一瞬止まる。

(くっ……この男、朝からイケメンムーブで攻めてくるなんて卑怯すぎる)

「……いえ、別に。ただ、宰相閣下が私のような小娘に、そこまでご執心とは思いませんでしたので」

「執心、か。なかなか耳障りのいい言葉だ。……それを言うなら、君も自ら婚約を申し込んできたのだろう?」

「……復讐のために、ね」

「うん?」

「いいえ、朝の空気が美味しいと言ったのです」

「そうか。誤解だったようだ」

 ヴァルトが笑った。

 まただ。その笑顔が、腹立たしいほど自然で――なのに、心臓が勝手に跳ね上がる。

(違う、これは演技。私を油断させる罠。……まんまと引っかかったりしないわ)

 席に着くと、朝食が運ばれてきた。温かなスープ、サラダ、新鮮な果物と、見た目にも美しい料理が並ぶ。

 だがその中で、リディアは見覚えのあるものを見つけた。

「……これ、私の好物……?」

「フィッシュパイとカモミールティー。君が幼い頃から好んでいたと聞いた。味付けも、君の家と同じにさせてある」

「……なぜ、それを?」

「調べたからだよ。君の好みを知るのは、婚約者として当然だろう?」

 またそのセリフだ。けれど今度は、嫌味も皮肉もなかった。

 まるで……本当に、彼が彼女を大切に思っているような――錯覚を覚えるほど。

(どうして……こんなに自然に振る舞えるの……?)

 リディアの中の“暗殺者”は混乱していた。毒を盛るどころか、相手に好物を出されて黙り込んでいる場合ではない。

 けれど、彼女はつい口を滑らせてしまった。

「……もう、憎めないわね」

 その言葉に、ヴァルトの手が一瞬止まる。

「ほう? 今、何と?」

「いえ! パイが! ちょっと塩気が憎いくらい絶妙だと! そう言ったのです!」

「……料理長も照れるな、それは」

 リディアは顔をそむけ、急いでカップに口をつけた。

 ――そして思う。

 この婚約は、復讐のため。なのに彼は、冷酷な怪物のはずなのに……。

 こんなにも、あたたかくて、自然で、優しくて。

(……違う。私は騙されない。絶対に……)

 しかし、否応なしに心は揺れていた。

 彼の言葉一つで、手一つで、表情一つで。

 暗殺者は氷の笑顔。けれど――その心臓は、徐々に彼に、撃ち抜かれ始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

処理中です...