【完結】王妃未満の彼女と小さな竜

朝日みらい

文字の大きさ
5 / 5

終章 王妃の伝言

しおりを挟む
 春の風が、ゆっくりと丘を渡っていきます。  
 老いた指に乗せた白い花弁が、ふわりと宙へ舞いました。  
 その花を見送りながら、わたし――エルナ・フェルディナント=リオネールは、静かにペンを取ります。

 机の上には、もう長く使ってきた茶色のノート。  
 この国を築いてから幾十年、夜ごとに書き続けた“手紙”はもう数え切れないほどになりました。  
 誰かに見せるつもりはなかったのですが、どうしても一通……最後の一通だけは、残しておきたかったのです。

『もし、この国に新しい王妃が生まれるなら』  
 『どうか、たくさん笑ってください』

 文字を書きながら、胸の奥がほんのりあたたかくなりました。  
 椅子に腰かけていると小さな気配がやってきます。  
 リリィです。長い旅を共にし、気づけば今もなお、小さな姿のままわたしの傍にあります。

「リリィ……もうすっかり年を取りましたね」
「きゅ」

 ゆっくりと首を伸ばして、わたしの頬に触れるように頭を寄せてきました。  
 あの日、掌の上で震えていた小さな命。  
 わたしを笑う者ばかりだった世界の中で、それでも信じてくれた唯一の友。  

「あなたがいてくれたから、わたしはずっと前を向けました。ありがとうね」

 リリィはまぶたを閉じ、静かに呼吸を合わせます。  
 空の向こうでは風が優しく鳴り、遠くで子どもたちの笑い声が響きました。

 ――ああ、なんて幸せな音でしょう。

 あの頃の王都では考えられなかったこの静けさ、そして人々の穏やかな暮らし。  
 殿下と見た夢が、今こうして形になっているのです。

「ねえ、リリィ。あの人に似ている子が、いっぱいいますよね」
「きゅ?」

「真面目で、優しくて、少し不器用な人。……アルディスさまそのままですもの」

 ふと窓辺を見上げると、花咲く庭を歩く若き王――アルディスの孫にあたる青年が、  
 まるで昔の殿下のように力強く民に微笑んでいました。

(この国は大丈夫。きっと大丈夫。あの方の血が流れている限り)

 そっとペンを置き、わたしは震える手で封をしました。  
 封蝋には、二人が初めて作った国の印――小さな竜と花の紋章。  
 それは誰かが見つけた時、希望の手紙として伝わるように。

『たとえ使い魔が小さな亀でも――その背には、空を翔ける未来があるのだから』

 一行一行を読み返すたび、あの頃の笑顔が浮かびました。  
 召喚失敗と笑われても、図書室で声をかけてくれた少年。  
 王妃にならなくていいと言ってくれた青年。  
 そして、生涯を共に過ごした最愛の人。

「殿下……あなたと過ごした日々が、わたしの一番の宝物です」

 目を閉じると、掌の中で小さなあたたかさが灯りました。  
 リリィが光っています。  
 呼びかけるように、光の粒が空へと舞い上がっていく。

 ――その瞬間、わたしの心は、穏やかな風に溶けてゆきました。


◇ ◇ ◇


 数日後。  
 緑に包まれた王宮の図書室で、一通の古びた手紙が発見されました。  
 幼い王子と王女がそれを読んで、静かに顔を見合わせます。

「ねえ、お兄さま……“おばあさま”って、どんな方だったの?」
「きっと、やさしくて賢くて、少しおてんばだったんだよ」

 少年がそう言って笑いました。  
 その笑顔は、どこかアルディス殿下によく似ていました。

 二人の視線の先、開け放たれた窓の向こう――  
 ゆるやかな夕風のなかで、青い影がゆっくりと空を漂います。

「あ……お兄さま、見て。竜だよ!」
「うん。たぶん……“リリィ”だ」

 誰も知らないけれど、その青い竜はずっとこの国を見守っていた。  
 女王が愛し、殿下が信じた未来の証。  
 その翼は今日も、雲と光の間を優雅に翔けていきます。


◇ ◇ ◇


 ――“愛おしいあなたへ”

 “わたしが見上げた空の下で、どうか笑っていてください”  

 “たとえ時が過ぎても、  
  空を見上げれば、きっとあの竜があなたのそばにいますから。”

 手紙の最後には、そんな言葉が添えられていました。

 静かな風がページをめくり、  
 音もなく一枚の白い花びらを運んでいきます。  

 それは――まるで、王妃未満の彼女からの、最後のやさしい伝言のように。

 王宮の空を、一匹の蒼い竜がゆったりと横切っていきました。


――完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される

柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。 だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。 聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。 胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。 「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」 けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。 「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」 噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情―― 一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

令嬢と執事の婚約破棄計画

編端みどり
恋愛
※抜けていた一話を追加しました! 大好きだと思っていた婚約者。なんでも話せると思っていた親友。まさか、その2人が恋仲とは思わなかった。 結婚式まで後1ヶ月。 婚約者の裏切りを知った令嬢は執事の助けを借りて婚約破棄を狙う。令嬢が婚約破棄に向けて動いた事で様々な思惑を抱えた者達が思い思いに動き出した。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない

柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。 バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。 カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。 そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。 愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。

確かに愛はあったはずなのに

篠月珪霞
恋愛
確かに愛はあったはずなのに。 それが本当にあったのかすら、もう思い出せない──。

やさしい・悪役令嬢

きぬがやあきら
恋愛
「そのようなところに立っていると、ずぶ濡れになりますわよ」 と、親切に忠告してあげただけだった。 それなのに、ずぶ濡れになったマリアナに”嫌がらせを指示した張本人はオデットだ”と、誤解を受ける。 友人もなく、気の毒な転入生を気にかけただけなのに。 あろうことか、オデットの婚約者ルシアンにまで言いつけられる始末だ。 美貌に、教養、権力、果ては将来の王太子妃の座まで持ち、何不自由なく育った箱入り娘のオデットと、庶民上がりのたくましい子爵令嬢マリアナの、静かな戦いの火蓋が切って落とされた。

聖女様の生き残り術

ありがとうございました。さようなら
恋愛
「お前なんか生まれてこなければ良かった」 母親に罵倒されたショックで、アイオラに前世の記憶が蘇った。 「愛され聖女の物語」という物語の悪役聖女アイオラに生まれて変わったことに気がつく。 アイオラは、物語の中で悪事の限りを尽くし、死刑される寸前にまで追い込まれるが、家族の嘆願によって死刑は免れる。 しかし、ヒロインに執着する黒幕によって殺害されるという役どころだった。 このままだったら確実に殺されてしまう! 幸い。アイオラが聖女になってから、ヒロインが現れるまでには時間があった。 アイオラは、未来のヒロインの功績を奪い生き残るために奮闘する。

処理中です...