【完結】王妃未満の彼女と小さな竜

朝日みらい

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第4章 王妃にならなかった日

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“戴冠の日”と呼ばれるにふさわしい、晴れわたる朝でした。  
 黄金色に輝く陽光が王都を照らし、人々の歓声が通りを包みます。  
 けれど城門の奥――王弟殿下アルディスとわたしは、静寂の回廊で立ち止まっていました

「……本当に、よろしいのですか?」  
「構わない。王冠よりも、大切なものを見つけたからな」

 殿下はそう言って、そっとわたしの手を取られました。  
 あの温かさを、ずっと覚えています。  
 それは“別れ”の手ではなく、“始まり”の約束のように感じられたから。

(殿下、もしこの選択が間違いだと人に言われても……わたしは、信じ続けます)  

 王位継承の混乱を経て、殿下は王冠を兄へ譲り、“新たな国”を建てるという前代未聞の決断をなさったのです。  
 彼の言葉で言えば――「人と使い魔が共に歩む国」。  
 魔法を持たない者も、使い魔を恐れぬ土地。  
 そんな理想を胸に、私たちは王都を後にしました。


◇ ◇ ◇


 辺境の山を越えた先、まだ地図にもない広い谷。  
 草花が咲き、清らかな川が流れている。風が心を撫でるように通り過ぎていきます。

「ここを……国に、ですか?」
「そうだ。君とリリィがいれば、不可能じゃない」

 殿下は冗談めかして言いましたが、その瞳は本気でした。

「……わたしなんて、王妃になる器ではありません」
「だからいい。君は“王妃”ではなく、“国を守る女王”になるんだ」

「女王……?」
「言葉が足りないな」  
 殿下は少し笑って、わたしの額を軽く指でつつきました。  
 その仕草が優しくて、思わず顔が熱くなります。

「君は俺の隣で、誰より強くて優しい。だから“守護女王”だ、エルナ」
「……そんな立派な名前、恐れ多いです」
「つまり承諾ってことだな」

「ま、待ってください! そういう意味じゃ――っ!」

 言い争いのようなやり取りの中でも、笑いがこぼれました。  
 いつの間にか、辛いことはすべて風の向こうに消えていたのです。

 リリィも楽しげに光を放ち、水辺で小さな波を立てました。  
 その波が一瞬で花の形に膨らみ、谷いっぱいに柔らかな光を散らします。

「……あの子も喜んでいるみたいですね」
「ああ、君が幸せそうだからだ」

 殿下の言葉に、胸の奥があたたかく膨らみます。


◇ ◇ ◇


 そうして数年。  
 新たな国――“ガルディア”は生まれ、平和と共存を象徴する地として人々に親しまれるようになりました。  
 わたしは王妃ではなく、民から“初代守護女王”と呼ばれるようになり、アルディス殿下と共に国を治めました。

 朝は花の種を植え、昼は子どもたちと竜の世話をし、夜になると机で手紙を書く。  
 そんな穏やかな日々が続いていたのです。

『もし、わたしが王妃になっていたら――』

 そう綴って、ペンを止めました。  
 その手紙を読む人は、きっと一人しかいません。

 背後で、足音が聞こえました。  
 振り返ると、夜着姿の殿下が静かに立っていて、少し眠そうに目を細めていました。

「……また書いているのか、手紙を」
「ええ。眠る前に手を動かすと、不思議と心が落ち着くんです」

「誰宛てだ?」
「秘密です」

 わざとそっぽを向くと、彼は軽く笑いながらわたしの髪を撫でました。

「俺宛てだろう?」
「ち、ちが――っ……」
「図星か」

 くすぐったくて、笑いながら反論する気力もなくなりました。  
 殿下は手紙を一枚取り、その文字を指先でなぞります。

――『もし私が王妃になっていたら』――  

 その一行を読み、殿下は小さく息をつきました。  
 そして、迷いのない声でこう言いました。

「王妃にならなくてよかった。君は“王妃未満”なんかじゃない。俺の世界そのものだ」

 その言葉が静かに胸に届いて、涙がこみ上げてきました。

「殿下……そんな言葉を、一生忘れられませんよ」
「忘れなくていい。そのかわり、今を見てくれ」

 彼はそう言って、頬にそっと手を添えました。  
 まるで誓うように額を寄せてくる。  
 唇が触れるか触れないかの距離に、わたしの心臓はどうしようもなく跳ねました。

(このぬくもりがある限り、どんな未来でも――)


◇ ◇ ◇


 夜が静まり、リリィが光の中でゆっくりと眠りにつきます。  
 殿下の隣で横になるたび、思うのです。  
 あの日、亀を召喚したあの瞬間から、すべてが始まっていたのだと。

「リリィ……見ててね。これが、わたしたちの“国”ですよ」

 彼女の甲羅に映る星の光が、まるで頷くように瞬きます。

 わたしは殿下の腕の中に身を寄せ、目を閉じました。  
 明日もまた、花が咲く音で朝を迎えられるでしょう。  
 リリィが空を泳ぐ国で、心から笑える日々を――。
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