【完結】王妃未満の彼女と小さな竜

朝日みらい

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第3章 嫉妬する王子と小さな竜

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 王宮の薔薇園が最も美しく咲き誇る季節がやってきました。  
 白い花弁が風に散り、光の粒のように舞い落ちる。  
 そんな穏やかな午後に限って、波乱は訪れるものです。

「――第一王子殿下のご来訪です!」

 その知らせに、王妃見習い室の女官たちは一斉に緊張しました。  
 あの方、第一王子ローデリヒ殿下。アルディス殿下とは腹違いの兄君。  
 穏やかな笑みの裏に鋭い舌を持つことで知られ、誰もが一目置く存在です。

「まぁ、お噂通りのお方ね。なんてご立派な……」
「お静かに。仕事に集中して」

 そう注意しながらも、わたしも手が震えていました。  
 殿下が入ってこられると、広間がぱっと華やいだように感じます。  
 その隣に立つのは、アルディス殿下。  
 二人の間に漂う張りつめた空気に、思わず息を呑みました。

(あ……こんな時に限って顔を合わせるなんて)

 アルディス殿下の視線が一瞬こちらをよぎりました。  
 けれど、それはすぐに笑顔の仮面に隠れてしまいます。

「兄上、余計な詮索は無用ですよ」
「ほう? 余計な――とは心外だな」  
 ローデリヒ殿下はあくまで優雅に笑いました。  
「ただ聞いただけだ、“王妃見習い”の中に君のお気に入りがいるとか?」

 ――空気が、一瞬にして凍りました。

「……それは誤解です」  
「誤解? へぇ。ならば確かめさせてもらおうじゃないか」

 と、兄殿下の視線がわたしを射抜きました。  
 背筋がぴんと伸びる。

「君がフェルディナント嬢だな?」

「……はい、殿下。エルナ・シャル・フェルディナントと申します」

「噂は聞いているよ。“亀を召喚した令嬢”だろう?」

 広間に小さなざわめきが走りました。  
 心臓の奥が、冷たい手で握られたように痛みます。  
 けれど、俯くわけにはいきません。

「はい。けれど、“小さな亀”でも――わたしには大切な家族です」

 言葉を絞り出した瞬間、ローデリヒ殿下の笑い声が響きました。

「ははっ! なんと愛らしい。だが王弟殿下、やはり噂通りに“弱そうな女”を好むのだな?」

「兄上」  
 アルディス殿下の声が低く響きました。  
「口を慎んでください」

「怒るか? なら見せてみろよ。その“優しい弱さ”で、王位を守れるのか――」

 挑発するようなその言葉に、薔薇園の風がぴりりと張りつめました。  
 次の瞬間、アルディス殿下はゆっくりと歩み出ました。

「……兄上。その言葉、今ここで撤回を」

「撤回? できるものか。女も竜も従えぬ王弟に、民の命を預けられるか!」

 その一言に、アルディス殿下の瞳が鋭く光りました。

「ならば――“竜を見せてやる”までだ」

「アルディス様、だめです!」  
 思わず声が漏れました。胸の中で、リリィが強く震えます。  
 まるで“まもる”とでも言っているように。

◇ ◇ ◇


 夜。  
 城の訓練場は静まり返っていました。  
 満月が冷たい光を落とす中、わたしはリリィを抱えてそこへ駆けていました。

「リリィ、どうしたら……殿下が決闘なんて」

「きゅ」

「だめです、あなたは小さな亀なのに、そんなの無理で――」

 その時、アルディス殿下が現れました。  
 月光が銀の装束を照らし、どこか寂しげな背中を浮かび上がらせます。

「来ていたのか、エルナ」

「止めにきました……! 勝負なんて、兄上との関係を悪くするだけです!」

 必死に彼の腕をつかむと、殿下は驚いたように振り返りました。

「……震えてる」
「当たり前です! 殿下が怪我でもしたら、わたし――!」

 言葉が喉で途切れました。  
 彼が、わたしの手をそっと包み込んだからです。

「心配するな。僕は勝つためじゃなく、守るために剣を取るだけだ」

 その眼差しが、まっすぐにわたしを見つめていました。  
 胸の奥が痛いほど熱くなる。

「でも……でも、竜なんて、わたしには召喚できません」
「……“まだ”できないだけさ。君の心はずっと強かった。あの日からずっと」

 その言葉に、涙が滲みました。  
 リリィがそっとわたしの頬をちょんと突きました。  
 そして――光りました。

「り、リリィ……?」

 手のひらから眩い光が溢れ出します。  
 甲羅がひと筋の光の帯に変わり、空へ駆けあがっていく。  
 次の瞬間、轟音が夜空を揺らしました。

「……竜、だ」

 広がる翼。蒼い鱗。  
 まばゆい姿が天空に舞い上がり、王都の上に影を落としました。

 あまりの光景に、誰も言葉を失います。  
 アルディス殿下が、わたしの肩をそっと引き寄せました。

「エルナ……」
「わ、わたし……どうして……」
「違う。君が“信じてくれた”からだ。リリィは君の心の鏡なんだ」

「鏡……?」

「そう。優しいけど、芯の強い君だからこそ、この竜は生まれた」

 殿下の指がわたしの頬の涙をそっと拭いました。  
 その手の温もりに、胸が震える。

「おまえの手紙の続きを書け。……“王妃”の名で、な」

 優しく囁かれた言葉が、まるで魔法のように心を満たしました。  
 胸の奥で、リリィが歓喜の鳴き声を上げます。  
 今や彼女は、空を翔ける蒼竜となって、わたしたちを守るように旋回していました。

「殿下……」
「エルナ。君となら、僕はどんな敵にも勝てる気がする」

 その瞬間、月光の下で彼がわたしの手を取り、指先を重ねました。  
 静寂の中、風が二人の髪を揺らす。  
 竜の翼が夜空を裂き、光の雨が降り注ぎました。

 まるで、祝福のように。

(リリィ……ありがとう。あなたがいなければ、わたしはここに立てなかった)

 心の中でそう呟いた時、竜の瞳が――優しく微笑んだ気がしました。


◇ ◇ ◇


 そしてその夜。  
 王宮の塔の屋上で、アルディス殿下と二人きりになりました。

「……空、綺麗ですね」
「ああ。君の竜が描いた空だ」

 彼はふっと微笑み、少し身を寄せてきました。  
 横顔が近くて、息が触れそうで――どうしようもなくどきどきする。

「殿下、あの……手が」
「勝利者の特権だ。少しくらいは握らせてくれ」

「ず、ずるいです……!」

 そう言っても、彼の手を振り払うことはできませんでした。  
 むしろ、暖かくて、心が落ち着いてしまうのです。

「ねぇ、殿下。わたし、本当に王妃になれると思います?」
「なれなくていい。そんな肩書きより――君は、もう僕の“翼”だから」

 耳元に降りかかる低い声。  
 頬に触れる指先のやさしさに、何も言えなくなりました。

(殿下……そんなこと言われたら……)

 胸の中で、小さなリリィが「きゅ」と鳴きました。  
 まるで“素直になっていいですよ”と背中を押すみたいに。

「ありがとう……リリィ。――殿下、わたし……」

 その言葉を最後まで言う前に、光が舞い上がりました。  
 蒼い竜が、夜空の彼方へ飛び立っていく――。 
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